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浅田真央とキムヨナ
このふたりのスケーターは、わたしにとって「特別な選手」だ。
けれど、その意味は大きく違う。
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わたしがこれほどフィギュアスケートを好きになったのは、浅田真央に出会ったから。
いえ・・・出会えたから(*^_^*)
彼女がはじめてグランプリシリーズに出場したあたりから、それまでTVでやっていたら見る程度だった興味がいきなり深くなるのだけど・・・偏愛にまで至ったのは「ノクターン」の衝撃のせい。
そう、2006年スケートアメリカ、浅田真央のショートプログラムだ →ここだよ
今でも折に触れて見たくなる・・・光の中に溶けてしまいそうな、足元から音符が躍るような、音とスケートのミューズだと思った印象は今も色あせることがない。
あれから、かなりの時が流れたけれど、彼女に関してだけは冷静に見ることが難しい(^_^;)
だってね、浅田真央の演技は、「見られただけで嬉しさMAX」になっちゃうんだよなぁ・・・わたし(^^ゞ
『白猫夜話』に浅田真央の記事が少ないのは、冷静に記事にすることができない・・・記事にすると自分がメゲるかもという内容になるから、かな。
下書きだけで記事にUPしなかった回数がいちばん多いのも彼女に関するものだったりする。
好きなんだから、まぁ、いいや・・・で、結局エントリーせずに終わっちゃう^^;
いつでも笑っていてほしいと、ただただ思うスケーター。
それが、わたしにとっての浅田真央。
うん、本当に、特別なスケーターなのだ。
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キムヨナは、別の意味で特別。
彼女のスケートは初めて見たときからきれいだなと思ってたけど(たぶんあげひばりくらいかな →ここだよ)、ライバル煽りやその後の対戦結果、得点・・・それらの積み重ねからどんどん否定的な目で見るようになっていった。
そして、バンクーバー五輪。彼女はびっくりするような高得点で金メダリストとなった。
直後のトリノワールドでは、ミスを連発するもFS1位で銀メダルを獲得し、わたしは大いに怒った・・・録画映像を数年見ないほどに・・・(^_^;)
その頃からインターネットでいろんな情報を見るようになった。ニュース、海外記事、ブログ、質問コーナーなど。
たくさんのキムヨナ批判の声があった。
それらをうなずきながら、読んだ・・・最初はね。
だけど・・・ほんのちょっとの萌芽のような疑念が、あった。
キムヨナを批判しない人を「韓国人」と決めつける論調や、たかがひとりのスケーター批判に国民性まで持ち出すこと。そして、会ったこともない選手の人格を批判する声の多さに。
それらを読むことで、小さな疑念はわたしの中で大きくなっていった。
たとえば、キムヨナを批判しないで「おまえは韓国人だろう」と言われたら、「わたしは正真正銘日本人です!」と怒る自分が想像できる。
これって、もしも、コストナーを絶賛しても「おまえはイタリア人だろう」って言われるのかな?そしてそう言われたらわたしは怒るだろうか・・・と自問自答してみた。
おそらく「おまえはイタリア人だろう」と言う人もいないだろうし、言われたところで「え~?イタリア語しゃべれませんよぉ、ははは」と笑い話になりそうな気がする。少なくとも、怒りは生まれない。
ここに、わたしの中にある、自分でも意識していなかったものを見出して唖然としたってわけ。
そこから、すっと・・・本当に、すっと、キムヨナに抱いていた偏見は消えた。胡散霧消って感じに(^^ゞ
それからあとは、キムヨナが韓国人であろうが、日本人であろうが、イタリア人であろうがロシア人であろうが・・・どんな国籍・民族でも同じ内容になるだろうと感じる意見のみ、自分自身で正当と思えるようになった。
で・・・そこからあとは楽しかった(^^)
キムヨナの素晴らしさが見えてきたから。
なるほど、フィギュアスケートは面白い。
キムヨナは、わたしにとって、自分自身を見つめるきっかけをくれたスケーターなのだ。
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