《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

著者への便り:反スターリン主義の組織論が求められている

2015-11-06 21:53:24 | 『革共同政治局の敗北』の感想、批判
著者への便り:反スターリン主義の組織論が求められている
小嶋 清一郎
2015年6月17日

※【 】内は管理者の註

いかなる打開の道があるのか、示唆を得た

 『革共同政治局の敗北 1975~2014』を読ませていただきました。

 革共同は、実に陳腐、いや滑稽とさえいえる存在になりはてました。階級闘争の妨害物でしかありません。残念です。
 昨今の『前進』を見ても、一つとして腰の入った論文はなくなりました。その基本路線は現実と無関係にご都合主義を満展開させ、政治的に無害なキーワードのリピートだけで党外の人間にとっては呪文のようです。実践はといえば読むに耐えない報告がならんでいる。他の勢力が国会前闘争などに結集すれば「わが党が闘った結果」とし、自らが組織化した集会が極小化しても「闘っているのは我々だけ」と言い張る。見ていて恥ずかしいかぎりです。権力は高笑いしていることでしょう。

 他方、ブルジョアジーは安倍政権をおしたてて、戦後最大の階級決戦に挑んでおり、けっして万能でも盤石でもないどころかいくらでも弱点をかかえているにもかかわらず、左翼陣営の体たらくゆえに歴史的反動的願望を次々と成し遂げていこうとしているかのようです。

 このような時に、本書『革共同政治局の敗北』が出ました。私自身がすべてのエネルギーを投入してきたと断言できる党への、根底的組織的批判を読みながら、なぜか憎悪がわかず、客観的・冷静に読みこむことができました。著者たちの論理的で実証的な筆の力でありましょう。

 もちろん問題意識は、あの革共同がなぜかくも堕落してしまったのか、という一点です。その総括を明らかにすることを通して日本階級闘争に(またマルクス主義の飛躍に)、いかなる打開の道があるのかヒントになればと思いました。結論的にはまだ消化しきれておりませんが、得るものが多い提起でした。

核心は清水丈夫の対権力日和見主義にある

 部分的な意見・質問はさておき、本論についてのみ、意見を述べたいと思います。

 本書の核心は、清水丈夫が権力との対決激化をたえず避けてきたこと、それは自己の保身を根拠としながら、革命戦略においてもたえず日和見主義を発生してきたこと、その清水が党首として全党を一元的に統制してきたこと、を証明したことにあろうと思います。
 2006年3・14Ⅱへの対応、カクマル三党目処刑への躊躇、1981年五回大会での三里塚基軸論、1991年5月テーゼなどから、清水が戦略的結節環で必ず転向の思想をにじませていたことを論じ、3・14Ⅱはその帰結であり清水自身が生みだしたものであることを明らかにさせたものと受け止めました。
あえていえば、5月テーゼも、安田=中野洋が押し込んだというよりも、清水の側が引き込んだ、飛びついたというような要素もあるということに総括の核心があろうと思います。

 しかしこれを自分は読了当初、素直に飲み込みきれませんでした。その点について書きたいと思います。

天皇決戦における清水の位置とは…

 第一に、90年天皇決戦についてです。日本階級闘争において権力との対決がもっとも激化するのは天皇制をめぐる闘争です。そしてその頂点たる90年天皇決戦を革共同はやりぬきました。清水丈夫は88年・89年・90年・91年のSNG論文【『前進』新年号の1・1革共同政治局アピール】を書いて指導している。87年の二つの斉藤佳之論文【『共産主義者』71号、同73号に掲載】も含めて、日本階級闘争史に輝く天皇決戦を準備し、指導し、総括した責任者は清水丈夫である、と思っていました。その総括としてわけのわからない論理をこねまわして、5月テーゼに進もうとも、革命運動においてそうした「傾斜配分」もありうるはずだ、と。
 ところが著者らは、清水が生来からの対決回避主義者で、転向を無自覚に準備するために三里塚に逃げ込んだと言う。そして「90年天皇決戦過程で清水による積極的な政治的・軍事的指導はほとんどなきに等しい。秋山からの指導もなかった」と書いています。私は、まさに個に死して類に生きる決意を固めて三里塚の武装闘争、そして天皇決戦を全身全霊たたかったわけで、承伏できず考え込みました。

 しかし、考えれば考えるほど、また読み返せば返すほど、そう考える以外にない。全党員が生死をかけて挑んでいった天皇決戦。そこにおいて清水丈夫は年頭アピールでたしかに戦略方針を提起した。しかし裏を返せばそれ以外のものをほとんど書いていないですね。あの2年間は対権力の力関係が刻一刻と変化し、いかに生き延び勝ちぬくのかが日々問われていました。その現場と呼吸し、攻防を俯瞰した決戦論はたしかに出てきませんでした。
 本多さんが70年安保・沖縄決戦を準備していく過程で、こちらが驚くような大胆で新鮮な決戦論を提示し、それを革命戦略の全体像のなかに位置づけ、繰り返し階級全体を鼓舞していったのとは似ても似つかぬ姿です。これが蜂起指導といえるのか? 裏も表も、党全体が生死をかけて闘った決戦に責任をとるべき指導部の姿といえるのか? 清水丈夫選集の第9巻は「90年天皇決戦の路線」と題して出版しているが、逆にこの出版が清水が何もしていなかったことの証明になっているのではないか?
 清水丈夫は自己保身で逃げまくり、なんの戦闘性も指導性もなかったと言われれば、それが真の実態ではなかったのか………

 読了当初の強い異論は、読み返すなかでしだいに消化され、今となっては「恐るべきことだがまったくそのとおりだ」との認識にいたりました。清水丈夫指導のこの点を軸に、昨今の革共同の全事態を総括し深めていくことは、自分にとってもまた階級闘争にとっても、有意義なことではないかと考え直しているところです。

 第二は、清水丈夫の労働運動への関わり方について、言及が少なすぎるように思います。5月テーゼ以降の清水指導の最大の問題の一つは、「労働戦線で勝負する」と号令する党首でありながら、労働運動に関する見識と指導力がほとんどゼロという点にあるはずです。
 その証拠が清水選集各巻序文です。党史を語り、三全総を語りながら、労働運動についてほとんど単語さえでてこないようなありさまです。また第3巻序文で、70年代・80年代を総括するとし、74〜75年恐慌やベトナム敗戦と日本階級闘争を立体的に論じていながら、労働運動という総括軸が存在していない。反マル生闘争からスト権ストに言及もしない。自己の革命戦略のなかに位置づいておらず、関心さえないとしか考えられません。
 また、03年「新指導路線」なるものが「三大決戦総括」からでてきたときに、思い切って労働戦線を総括軸にすえると同時に、清水直轄で労働運動指導をやるといい、各産別の労働者メンバー、また各地方の指導部メンバーを集めて、「直接指導」を行ったことがありました。こうした会議のなかで、労働運動そのものに指導的役割をはたす内容提起がまったくないこと、動労千葉翼賛は天高く行われたとしても、各地で粘り強く行われている諸闘争・諸争議に、方向性さえも出されなかったことは多くの党員が気づいていたと思います。

 こうして考えると、90年決戦をやりきれなかった清水が、その限界につきあたり、また権力の殺意に恐怖さえ感じ、なかば意識的に合法主義に転じていった、というのが妥当かと思います。したがって多くの党員の思いとは裏腹に、労働現場での格闘が党の指導を媒介に革命へと成就していくことはあらかじめありえない構造をもっていると思うのです。この点への言及が弱いように思います。

「左派」の責任をこそ問いたい

 第三は、組織論に関することです。
 これについては僕は、清水以上に政治局内「左派」の責任を問いたい。
 清水論を深めれば深めるほど、その清水全一体制を描き、その形に党を枠はめていったのは左派の人々のようにみえます。党員に対しては「容認し支えていた」以上の強制力さえあったのではないでしょうか。
 三人組【天田三紀夫、坂木(高原洋三)、木崎冴子】の指導内容にいらだちを感じたり、イエスマンだけを持ち上げていくやり方に憤慨してきた党員は少なくありませんでした。一定の決戦指導の経験がある指導部ならだれでも、その水準以前の手法についていけない思いにかられたことはあるはずです。
 そしてついにその怒りが意見書や、会議での批判、方針ネグレクトというような形で現れた時、それを「あとは清水議長に委ねるべきだ」と封じ込めてきたのは他でもない「左派」を自負するあなたがただったのではないですか? 清水を通してしか党内闘争は決着がつかないし、全党方針にもならないという独特のシステムをつくってきたのは左派のあなたがたです。
このことを3・14Ⅱ総括に重ねるならば、中野洋とアマダは3・14Ⅱをもって清水体制を打倒し、奪権をはかったわけです。そして左派はここにいたっても清水決裁を待ったわけです。こうなれば清水がどう動くかは裏切るか否かという問題ではない。3・14Ⅱは左派の組織論の敗北ともいえると思います。

 それでは清水を打倒した、中野亡き後の三人組の組織論はどうなのか。
 これはもう組織論とよぶのも無理があるような、ご都合主義的観念操作でしかない。事実であるかどうかも関係ない。外にむかっては敵である帝国主義国家権力の戦略も弱点も関係ない。
 内に向かっては、自分の敵対物(の可能性がある)か、味方(イエスマン)か、だけが基準である。帝国主義または資本・権力に打撃を与える提起かどうかは一切関係ない。味方が述べれば絶賛であり、不満分子が書けば「路線に問題がある」となる。
 今の革共同は清水丈夫のかつての全一体制組織論でなく、この三人組組織論が支配しています。本当に革共同を解体するためには、お持ちの豊富な材料を駆使して、この点をもっと実証的にえぐっていただけると、さらによいものになったのではないでしょうか。清水はいまや党内に存在感がなく、三人組はどんな問題でも出張ってきます。

新たなスターリン主義とのたたかい

 反スターリン主義とは、共産主義運動内部の反革命的疎外体と闘って打ち破らなければならない、滅ぼさなければならない思想だ、ということを本書を読んで痛感しました。日共スターリン主義を打倒するということ、一国社会主義の反動性をつかみ乗り越えていくことと同時に、反スターリン主義の党の内部における官僚的統制、全一的統制、こうした組織のありかたと闘わなければならない、ということです。それこそレーニンが敗北した課題であり、引き継いで深化させねばならないテーマだったのではないでしょうか。つまりわれわれの反スターリン主義のとらえ方が外在的課題すぎたのではないでしょうか。
 今でも「中央からの統制、規制、たがはめ」への怒りは聞かれます。ただしそれはもはや公の場はもちろん私的な場でさえ声に出すことができなくなりました。これとの闘いが自由主義、解党主義にならないとしたら、それは新たなスターリン主義との闘い(理論闘争も党内闘争の実践も)が豊かに闘われること以外にない。それが徹底化されねば、組織と運動は腐ります。

 いろいろ述べましたが、堂々たる著作を出版され、大きな影響力を発揮されているのは著者らであって、ケチをつける意図はありません。ただこのような労作に対して、意見も述べないのは失礼にあたると思い一筆しました。

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