《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

清水記者会見の意図はどこにあるのか ――権力に向かって政治党派として完全降服を表明

2021-02-08 12:45:54 | 日本の新左翼運動と共産主義運動をめぐって

清水記者会見の意図はどこにあるのか

――権力に向かって政治党派として完全降服を表明

▲清水丈夫氏(1月27日、日比谷コンベンションホール)共同通信から転載

 

【Ⅰ】革共同中央派の議長・書記長が揃って記者会見

 新聞やテレビの報道ですでに多くの人がよくご存じのように、2021年に入って1月27日、清水丈夫氏が「革共同新春政策発表会」と銘うった記者会見を行いました。1時間半超にわたる記者会見は、清水氏にとって長年の組織活動において初めての試みであり、記者会見ならではの本人のありのままの人間性(卑劣きわまる人間性!)もよく出たユニークかつ歴史的に記念碑的なものとなりました。

 60年安保闘争の伝説の全学連書記長という新左翼のレジェンドの登場であり、近年は政治党派として大陥没している革共同中央派の議長が51年ぶりに非公然生活に終止符を打って公然化したのですから、記者会見場の日比谷コンベンションホール(日比谷図書文化会館地下1階)には多くのメディア、ジャーナリストが駆け付けました。写真・動画撮影も録音もオーケーということでしたから、よけいに関心が高まったのでした。当然にも、その様子はすぐにYouTubeにアップされ、誰もが記者会見の一部始終を観ることができることとなっています。下記のURLからご確認ください。

◎51年も非合法・地下潜伏!革命の神が遂に表舞台に降臨!

https://www.youtube.com/watch?v=z8CjnPutPmQ&feature=youtu.be

 さて、この清水記者会見は、「清水議長が公然化した理由を説明する」ということが主題でしたし、どうしても清水氏に関心が集中しますが、じつは中央派の議長と書記長が二人揃っての会見であることが第一の大きなポイントです。

 書記長の秋月丈志氏の発言内容、質疑応答も決定的な問題点があらわとなっており、また清水氏の発言のことば足らずを補足するものとなっています。つまり、これは清水氏個人の見解ではなく、革共同中央派の組織としての言い逃れのきかない公式の態度表明であるということです。

 この点で、秋月氏が記者たちにむかって、清水議長公然化の理由を説明(何の説明にもなっていません)した後、「内ゲバ、テロ・ゲリラ、暴力革命を今も認めているのかをお聞きになりたいのでしょう」と問いかけ、また「警察や右翼反動や警察は平和な民主主義社会に危険をおよぼすテロ・ゲリラ集団、民主主義を破壊する暴力革命をめざす極左暴力集団と宣伝したがっていますが」と問題を設定して、それは誤解ですといわんばかりの弁解を述べています。ここは非常に注目すべきところです。
 秋月氏は要するに、現在の革共同中央派は内ゲバの党、テロ・ゲリラの党、暴力革命の党ではありません、平和な民主主義社会を脅かす政治集団ではありませんとアピールしたいわけです
。これは左翼組織としては国家権力への完全な降服宣言でなくてなんでしょうか。

 そして、この点こそ、清水氏の51年ぶりの公然化の真の、かつ最大の理由なのです。秋月氏はいみじくも、「議長の公然化を実現できるような国家権力との力関係をつくることができた」と発語しています。「力関係」とはよくいったものです。この意味は、国家権力による逮捕、追及、弾圧にたいして非公然化して厳しい防衛戦争をしなくてもいいようになった、すなわち今後は国家権力との力関係を乱すようなことはしませんという意味以外ではありえません。

 しかも、秋月氏はよりによって「初代首相の伊藤博文」を取り上げ、そのテロリズムを「非難するつもりはありません」「こうした被抑圧者が抑圧者に抵抗する暴力を断固として認めます」と明言したのです。彼は伊藤博文だってテロを振るったではないかといいたいのでしょう。だが、幕末期~戊辰戦争期の士族階級内部の尊王攘夷派が幕府権力に抑圧されている被抑圧者だというのでしょうか。とんでもない錯誤です。戊辰戦争とそこへ至る階級構成および内戦構造への無知、近代日本史の曲解もはなはだしいかぎりです。

 

 清水氏の基調発言は、この秋月冒頭発言を前提にし、それを受けたものなのです。実際、清水氏は「公然化した理由」について、真実をはぐらかす物言いしかしていません。

 いわく。「資本主義をぶっ飛ばすためにたたかわなきゃいけないというところに党の役割がある。自分の誤りをきっぱりと認めて、正しいことに全力を挙げる。こういう場を含め、全労働者階級人民にたいして、今の情勢にたいしてこういうふうにたたかおうじゃないかということを全力を挙げて訴えようと、公然化することに踏み切った。」

 清水氏よ。では、なぜ今まで51年間も非公然でい続けたのか。何のための非公然だったというのか。その51年間は「資本主義を倒す」ためにたたかっていたのではなかったということなのか。「正しいことに全力を挙げる」ものではなかった、誤りだったというわけなのか。51年間のすべてが誤りだと認めるというのか。まったく説明になっていない。

 清水氏よ。これまで資本主義打倒に全力を挙げてこなかった人間が公然化したからといって、資本主義打倒に全力を挙げることなどできるわけもないではないか。まして、労働者階級人民に共感され、揺り動かすような訴えができるわけもないではないか。

 全体としても、時間をたっぷりとった記者会見ですから、取材するメディアの向こう側に存在する膨大な労働者人民に向かって訴えるスタンス、語りかけるべき政治・思想内容が出されてしかるべきでしょう。しかし、まったくそうではなくて、メディアを通して日本帝国主義国家権力、とりわけ警察・治安当局に中央派の政治意志を伝えるというスタンス=狙いが明らかなものなのです。

 このように、清水氏と秋月氏は揃って、「中央派はもうテロ・ゲリラなど武装闘争はしません」「暴力革命の思想、路線は捨てました」と表明したわけなのです。私だけでなく、多くの革共同関係者は、あまりにも愚劣、何たる恥ずべきことかと怒り、嘆き、驚いていることでしょう。

 

【Ⅱ】武装蜂起や七・七自己批判の質疑応答で大失敗した清水氏

 第二の大きなポイントは、最初に秋月氏が約15分の冒頭発言、次いで清水氏が約15分の基調発言をした後、質疑応答が約1時間ありましたが、この質疑応答で彼ら中央派の政治的・理論的・思想的貧困さ、階級的道義に照らしてほんとうに最低・最悪の腐敗堕落ぶりがあらわとなっていることです。動画を観ればすぐに誰もがすぐに気づくことですが、記者たちから質問はほとんどが中央派の痛いところを衝いた鋭いものです。清水氏や秋月氏もあらかじめ返答が難しい質問はある程度は想定していたでしょうが、不意をつかれた質問に戸惑う場面がいくつもあります。

 たとえば「ゼネストだけを強調するが、武装蜂起という革命のイメージはあるのか」「政治闘争はやめたのか」「71年11月渋谷暴動闘争の指導の責任はいかに」「緑荘暴発事件(1975年9月)の犠牲者にかけることばはありや」「先制的内戦戦略はやめたのか」「新自由主義ということばが全面化しているが、帝国主義規定をやめたのか」「七・七自己批判の立場は捨てたのか」「黒田寛一および松崎明せん滅にストップをかけたのか」などの質疑応答場面は、まさにハイライトといえます。

 今回の記者会見は、清水氏や秋月氏ら政治局と政治・イデオロギー各部門(前進編集局、出版局、党学校、ICT部局など)で事前にかなりの協議をした企画のはずですが、その誰もが記者会見を甘く見ていたのです。とりわけ清水氏は現代日本のメディアの中には誠実なジャーナリストが少なからずおり、彼らはラディカル左翼(新左翼)や社会運動について日ごろから分析・研究していること、そして彼らが優れた見識をもち、権威を恐れない気骨をもっていることを想像することもなく、まったく侮っていたのです。ジャーナリストを見下し、ときに敵視するという、いやしくも左翼を名乗る公党としてはほんとうに最低の党派に成り下がっているのです。

 前記したような質疑応答場面は、清水会見のハイライトをなしています。ここでは、武装蜂起についての弁明だけを取り上げますが、私個人は”清丈よ、よくぞいったり”と思いました。

 彼は基調発言で、「コロナ×大恐慌情勢となり革命情勢が今、到来している」と何度も強調しながら、その一方で、質疑応答で「ゼネストと武装蜂起は矛盾しない」と苦しいいい逃れをしつつ、重ねての質問に窮し、「革命軍…、ちょっとそういうんじゃないんです。武装蜂起に向かって今から準備するというものではない」と感情をあらわにして、つい本心を吐露してしまったのです。

 要するに、歴史的な清水丈夫記者会見は、”革共同中央派は革命情勢の到来にあたって武装蜂起を準備しない”ことが党としての立場・路線であると明言してしまったのです。そこに清水浮上の真の理由があることを露骨に示すものとなってしまったのです。これは、「革命党」の看板だけは掲げつつ問題をあいまいにしておきたかった中央派としては大失敗でしょう。

 多数の人前でしゃべることにあまりにも苦手意識が強い清水氏がいざしゃべると、こういう大失敗をしてしまうのです。

 

【Ⅲ】帝国主義論の放棄を始め没理論、無思想、無気力の極み

 清水記者会見が国家権力および資本への完全降服の表明であることは、以上のことから明らかでしょう。それゆえ必然的に、発言内容全体がほんとうに没理論、無思想、理性と感性の欠如、政治的無気力、一かけらの創造性も積極性なし、といったものなのです。革共同中央派が組織的・個人的にここまで退廃し、何の進化もしていないという姿をさらけ出すものです。共産主義革命の目標を捨て、革命に背を向け、労働者階級人民と被差別人民、被抑圧民族を裏切ると、こうなるのです。これが第三の大きなポイントです。

 この問題を箇条書き的に記します。

 

●資本主義自動崩壊論を純化、本質的無気力さが顕著

1)かつて本多延嘉書記長がレーニン帝国主義論を継承して構築した革共同の帝国主義論(論文「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」)をすっかり忘れ去った清水氏は、新自由主義規定に乗り換えたのである。とはいえ、新自由主義とは何かの説明がまったくない。アメリカ帝国主義による世界支配、その国家意思、そしてグローバリズムとその植民地主義的侵略の展開を無視し、現在の帝国主義を一国主義、経済主義に一面化している。それゆえに資本と行政権力による生態系の暴力的破壊、COVID-19など感染症の継起的発生の意味を理解できない。同時にまた、金融資本的蓄積様式の今日的な独特かつ破綻的な展開と構造を解明しようともしない。

 

2)日本帝国主義、その総資本と国家権力を打倒対象としてまったく措定していない。安倍・菅政権の評価を問われ、「どうしようもない政府、低水準、幼稚、脆い、政治家としてどうしようもない」などと答え、何の階級的批判もできず、自らの低水準ぶりを露呈した。これでは、安倍政権・菅政権――日米安保同盟、沖縄差別支配、北朝鮮敵視と対韓国排外主義、原発再稼働と核戦争体制、天皇制・天皇制イデオロギー、自民党世襲議員の特権階級化、日本会議と在特会型ヘイトスピーチ、差別・「障害者」差別、無制限の金融緩和と絶望的赤字財政、大資本優遇の財政支出、医療・福祉の切り捨て、自衛隊の海外侵略拡大、資本の中国・インド・東南アジア・アフリカ・南米侵略、帝国主義的労働貴族の労働組合制圧、非正規雇用化と極限的労働強化、国内労働者・女性労働者・外国人労働者・海外労働者の重層化された差別支配構造、多民族・多文化共生社会化への反動圧力、公明党=創価学会与党化、日本共産党の体制内秩序派の深まり、そしてたえざる改憲攻撃……などを条件とし要因として成り立っている――にたいする階級的対決などできるわけもない。

 

3)現在の情勢について、「資本主義が終わりに向かっている、資本主義を終わらせる」「いつか必ず崩壊する」「革命情勢が到来している」と客観的根拠や主体的条件を何もいわず、ただ無内容なことばを重ねている。情勢の主体化と主体の情勢化という革命論が全く消え失せ、ただただ「資本主義自動崩壊」論に流れてしまっている。革命への本質的・現実的な積極性、能動性がまったく欠けている。

 

4)「政策発表」と銘うちながら、「革命勢力として全力を挙げる、労働組合に結集して労働者の利益のためにどこまでもたたかう、徹底的にやりぬく、資本主義をぶっ飛ばす」という、ただ掛け声をかけること以上の何もうち出さなかった。すなわち、打倒対象と打倒主体を規定し、革命の究極目標とその過渡的目標、その過程と方法を明らかにするという革命戦略が何もないことを露呈した。

 

5)中国について、「侵略してくる可能性もある」などと答え、帝国主義的な中国脅威論に棹さしているのである。ここでは何の言及もなかったが、中央派は「米中対決」論―中国脅威論で世界を描いており、ほとんどカクマルと変わらない。

 

●1960年代・70年代・80年代の激戦激闘は悪夢なのか

6)激動情勢の実例として、自分が小学校4年生のときの1947年2・1ゼネストに何度も繰り返し言及しながら、2・1ゼネストがGHQの命令に屈して決行されず、戦後日本革命の敗北を決定づけた事実、2・1ゼネスト挫折をいかにのりこえるのかを何ら語らなかった。

 

7)他方、基調発言と質疑応答をとおしてきわめて顕著であるが、自らも渦中にいた1960年安保闘争、1960年代・70年代・80年代の激動の時代について一言も言及しなかった。それを牽引した革共同の激戦・激闘、その過程で払った犠牲の重さと大きさをまるで語ろうともしなかった。無責任の極みであり、それには二重三重の大きな問題点がある。

 

8)80歳を越えて議長として第一線に復帰したが、中核派でもっともよくたたかった世代がみえないがと問われ、まるでブルジョア政治家のように「不徳のいたすところです」と答えた。清水氏においては、とりわけ1960年代・70年代の激闘を担った世代が大きく離反し、また彼らを切り捨ててきたという無残な組織的現実を何ら総括しようとしていないのである。このように「不徳」な清水氏は、もはや革命家ではなく、組織者でもなく、理論家でもなく、大衆運動家でもなく、「革共同」という看板を利用するだけの醜悪な政治ゴロでしかない。

 

9)1971年11月渋谷暴動闘争と機動隊員の死について問われ、「必要な闘争、否定なんかしない」「仕方ない」と応ずるのがやっとで、11月沖縄返還協定粉砕闘争の政治的・階級的正義性と沖縄奪還論(沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒の戦略路線)の積極性、そしてそこでの機動隊せん滅を掲げた決死のたたかいの飛躍性――内乱にむかって政治と軍事を高度に統一する戦略思想の具体的実践のたたかい――について完全に消し飛んでしまっている。

 

10)二重対峙・対カクマル戦について、「カクマルが疲れ果てた組織を後から襲撃した」「一種の正当防衛」と正当防衛論を述べた。このことは、私たちが第二の11月決戦と呼んだたたかいからさらに第三・第四の11月決戦へと進んでいこうとしていたことを「疲れ果てた」などとするものであり、たたかいへの冒涜といわなければならない。そして、この戦争をたたかったことそのものへの決定的な裏切りである。基本的に、対カクマル戦の言い訳に終始したのである。こともあろうに本多延嘉書記長虐殺の3・14反革命にまったく言及せず、カクマルへの根源的な怒りがない。

 

11)対カクマル戦において、完全せん滅対象とした黒田寛一と松崎明をテロるチャンスがあったがゴーサインを出さなかったというのは事実かと問われ、意表を突かれたのだろうが、「そんなの答えるわけない、愚問です」と答えた。これは、実質的にその指摘を認めたものである。総じて、1960年代・70年代・80年代は清水氏にとって悪夢なのだ。

 

●政治局の組織的犯罪と崩壊の責任をとらず

12)革共同2019年問題――国労共闘解体=動労総連合づくり、中央WOBメンバーによる性暴力・女性差別、天田三紀夫書記長ら5人の政治局員の不信任・打倒あるいは逃亡、政治局崩壊――の真相の隠ぺい=清水責任の隠ぺいに終始した。「7回大会の誤りに手を貸した」「これで合格だという人格ができるものじゃない」という言及は、とんでもない傲岸不遜な開き直りである。何よりも清水氏自らが7回大会の議案作成にすべてかかわり、その最高責任・最終責任をもっているにもかかわらず、あたかも部分的な責任に過ぎないかのような党史の偽造をなすものである。

 

●黒田カクマルとそっくりの敵の出方論

13)暴力革命、プロレタリア独裁、議会闘争など革命のイメージを問われ、「ゲバルトだけじゃない、労働者が団結して大きな力をもって立ち上がることも一つの暴力」「団結する力が決定的、労働者が団結する威力」と答えた。これは、06年3・14Ⅱ(差別主義的テロ・リンチによるクーデター)以降、中野洋氏が主導した「団結、団結、究極の団結が革命」なる団結=革命論を再び前面化するものである。同時にまた、かつて黒田寛一が「プロレタリアートの最大にして最高の武器は、ほかならぬ彼ら自身の団結の力にある」「先進資本主義国における革命において、まっさきに武器などをつかわねばならぬというような事態が発生することはむしろプロレタリアート敗北の一要因に転化するだろう」(「レーニン『国家と革命』にかんする疑問」)と書いたことをほうふつとさせるものである。かつて1961~1963年に黒田主義者であった清水氏の地金が現れている。

 

14)先制的内戦戦略を放棄したのかと問われ、「放棄していない」とは答えたものの、「ある局面である路線をとる、その時々に提起する」と応じたこと。こともあろうに、典型的な「敵の出方」論にすり替えてしまったのである。

 

15)帝国主義打倒の政治闘争はやらないのかと問われ、「職場・生産点でのたたかいをベースにして、学生の力を軸に展開していたときとは違う現れ方をする。労働者が主力であり、労働運動を基軸として、その力を軸として政治闘争を組織していく」と答えた。ここでは清水氏の頭と身体から、反戦派労働運動と反戦労働者による政治的・武装的決起がまるですっぽり抜けている。たたかいの歴史の歪曲もいいかげんにしろ、といいたい。詭弁を弄しているが、要するに政治闘争としての政治闘争はしないと言明したに等しい。

 

●7・7自己批判の現在的・現代的意義を理解できず

16)七・七自己批判を取り消すのかと質問され、七・七自己批判の思想と路線を完全に否定したのである。いわく。「差別糾弾がすべてという運動ではない。労働者が主体」といい放った。これは、被抑圧民族や被差別人民が差別糾弾・自己解放の主体であり、労働者階級とともに日本革命・アジア革命・世界革命の主体であるということ、労働者階級と被抑圧民族および被差別人民の連帯闘争としてプロレタリア革命―プロレタリア独裁―共産主義社会への道を切り開くということを完全否定したのである。このように単純かつ浅薄な七・七自己批判否定の立場では、全世界的に発展している#MeToo運動や共感と支持が広がっているBLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動の深刻で創造的な意味と意義を理解することもできない。七・七自己批判はまさに現在的で現代的な、人間の人間的解放のたたかいなのである。

 

●たたかいの中で斃れた犠牲者を切り捨て

17)1975年9月4日の神奈川県横須賀市不入斗町の緑荘での消火器爆弾暴発事故で犠牲となった母子について遺族にかける言葉はないかと問われ、数秒間絶句した後、「かける言葉はない」と平然と答えた。当時その取り組みの組織責任者であったのが清水氏である。この問題が公に質問として出された以上、清水氏は真摯に応じなければならない立場にある。この事故では人民革命軍・武装遊撃隊の隊員であった山本道有同志、稲葉昌生同志、小松慶子同志が斃れ、同アパート階上に住んでいた佐藤みどりさん、けい子ちゃん母子が死亡した。この事実を党的責任をもって明らかにし、これまで沈黙してきたことを自己批判せねばならない。彼らへの痛切な追悼のことばを表明せねばならない。そうではないのか。それをしなかった清水氏は、革命家を名乗る資格はなく、階級的・人間的・道義的に最低の卑劣人間である。

 

18)渋谷暴動闘争でせん滅され死亡した機動隊員について、秋月氏が清水氏の応答ではまずいと、より右翼的立場から判断して、「失われた人命がどうでもいいということではない」と答えたが、実はこれには重大な問題が孕まれている。星野奪還闘争は、清水議長・天田書記長・辻川慎一政治局員・金山克巳事務局の指導体制でやられた。その中で、仮釈放のためにと称して、星野文昭同志がきっぱりと拒絶したにもかかわらず、死んだ機動隊員への「謝罪」を強制したという事実が明らかとなっている。『前進』第3028号(2019年4月15日)に「文昭さんから暁子さんへ」という星野同志の「手紙」が掲載されており、そこでは「沖縄を闘い、戦争・搾取のない、誰もが人間らしく生きられる社会を実現していく、その圧倒的な正義と無実の無期への怒り、あまりの不当性を中心にしつつ、デモリーダーとしての責任も明らかにして、被害者への謝罪も人として当たり前のものとして深めていく、そうすることで仮釈放運動と再審運動をさらに飛躍的にかちとっていきたいと思っているよ。」と書かれている。それは中央派が党として星野同志に権力への謝罪=屈服を強制した証拠である。秋月発言は、この事実と軌を一にするものであり、星野同志を冒涜するものでなくて何だというのか。

 

19)質疑応答が終わったところで、司会が清水答弁のあまりの狭さ、低水準に危惧を抱き、たたかいの中で亡くなった人たちへの思いはいかにと質問したことにたいして、清水氏は意味がわからず、頭をひねった後、星野同志について「すごいと思う、よくやってくれた」といった。清水氏には獄中44年の星野同志の無念が理解できないのである。その無念の死を心から追悼し、国家権力への復讐を誓うという立場のひとかけらもない。だから、星野同志に権力への謝罪・屈服を強制したのだ。本多書記長の虐殺死について「衝撃を受けた」といいながら、「犠牲を受けて頑張った人は一杯いる」などと論点移動している有様である。あの3月14日、本多さんが最後の瞬間まで出刃包丁をもって襲撃者のカクマル白色テロリストどもと格闘したその無念の死への何の感情も示さず、国家権力とカクマルへの復讐の念が一かけらもないことを露わにしたのである。清水氏の階級的罪はあまりにも深い。

 

【Ⅳ】清水丈夫は変わったのか、一貫しているのか 

 清水・秋月会見は、以上のように、本質的に国家権力への命乞いであるのです。以前にも指摘したように、清水・中央派は“永遠の体制内変革運動”でやっているのです。中央派はすでにかの革共同ではないのです。そこにあるのは、「革共同」という歴史的存在を自己の延命のための道具にしている政治ゴロ集団の醜悪な姿です。

 しかし、かくも卑劣さ、堕落、退廃を露わにする清水丈夫という人物を私は長きにわたって「師匠」として従ってきました。自分の官僚主義と権威主義、愚かさとだらしなさ、不純さを痛感しないわけにはいきません。ゆえに、この機会に清水丈夫氏その人に関する分析・解剖をしておきたいと思います。前々から明らかにすべきテーマとして考えてきたのですが、「この約60年間、清水丈夫は変わったのか、それとも一貫しているのかというテーマです。

 では、このテーマは稿を改めて記すことにしましょう。

 

水谷保孝

2021年2月6日


最新の画像もっと見る

コメントを投稿