《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

「党の革命」というペテン性――「自著『革共同政治局の敗北』を語る」を読んで

2016-03-30 10:16:26 | 『革共同政治局の敗北』の感想、批判
「党の革命」というペテン性
――「自著『革共同政治局の敗北』を語る―党概念のコペルニクス的転覆ができるか」を読んで

福原 銀之助
2016年3月25日

1.『敗北』の補論としての意見

 上記の題名で『流砂』第10号に水谷保孝・岸宏一元革共同政治局員の意見が掲載された。この意見は言うまでもなく『革共同政治局の敗北 1975~2014』(以降『敗北』とする)での水谷・岸両氏による革共同政治局の歴史および現実の検証作業の補論である。親本である『敗北』が左翼本としては驚異的な売り上げを積み重ねており、その影響力は現在なお私の住む地域の図書館での貸し出しが15人待ちであることにも見られるように広まっており、その内容は衝撃的なものである。
 だが、『敗北』で書ききれなかったことや読者の批判などが水谷・岸両氏に寄せられており、それに応じる形で『流砂』に「意見」として掲載されたものと思われる(以降「語る」とする)。なお、この意見は水谷・岸両氏の対談形式となっており、読み手に取って理解し易い工夫がされている。私はここでこの「語る」について読書感想を述べたいと思う。

 その前に2、3点ほど『敗北』にかかわる政治状況の問題点を挙げておきたい。
 まず、現在では革共同中央派の政治的影響力は落ち込む一方であり、その兆しは、1991年5月テーゼとそれ以降一層顕著となった動労千葉特化路線をとって以来、見られていた。その後2007年「7月テーゼ」で、中核派の反帝国主義・反スターリン主義綱領にとって不可欠の党是とも言うべき「血債の思想」を完全に清算する。そして、今現在はと言えば、政治党派としての政治生命は現状の階級闘争の流動状況で消滅か、消滅しつつある。そのような党派を今更批判しても生産的ではない、という意見が私の周辺にある。いわば「過去の遺物にかかわる暇はない」ということだ。
 だが、革共同あるいは革共同中央派が消滅しても元政治局員であった水谷・岸両氏の政治・組織責任はあるのである。そのことからは免れないという現実的な政治的位置と認識を両氏は有しているのである。それ故に今回もまた意見の表明を行ったもの、と私は受け止めている。

 次に確認したいのであるが、政治活動における政治党派の責任性ということである。誰に対する責任かと言えば、プロレタリア人民に対する階級的責任である。このことについて一切の曖昧さ、中間主義、客観主義は許されない。かつて中央派は機関紙『前進』紙上で「われわれは階級的立場に立ち切り、政治的責任を負う」というような大言壮語的な文言をことある度に叫んでいた。だが、中央派が「政治責任を取ったこと」は一度もなく、あらゆる運動の「政治責任」から逃げまくっている。
 そのような中央派の腐敗性と寄生性、欺瞞性に対して、個人となったとは言え一人の共産主義者であることを確認して「責任を取りきる」ことを重要な命題として思想的・政治的に格闘している水谷・岸両氏の立場は、『敗北』を読めば誰でもわかることである。
 責任をとるためには少なくとも自らを鏡に照らして下降分析を行うことであるが、このことは『敗北』では具体的に自己批判としてなされている。それは真剣であればあるほど辛い運動であることは言うまでもない。もちろん人により「そのような自己批判は不十分だ」とか「そもそも自己批判になっていない」などの指摘もあろう。実際、党が陥った誤りと腐敗の問題の根底的な止揚という点からみれば、水谷・岸両氏の格闘もなお革共同であった重みの呪縛から十分に自由になっていないのではなかろうか。だが、左翼運動の大きな存在であった中核派の組織・運動の実相を明らかにしつつ、問題を抉り出す彼らの作業は、今後の左翼運動の再生において「批判的な土壌」とすべきものである。
 以上のことを踏まえて「語る」の読書感想を提示したい。

2.「語る」の構成と内容

●対カクマル戦の意義と陥穽

 「語る」は、1、革共同政治局の「敗北」の実体規定をより徹底的に、2、三里塚基軸論がもつ誤り、3、荒川スパイ問題とその後、4、どのような党を構想できるのか、という風に四分割され、それぞれに項目を立てて対談を進めている。さらに5、2015年安保国会闘争をめぐる最近の政治状況について語っている。
この分割とそれぞれの項目は論理的に自己完結しているようで、自己完結していない。つまり、1975年から2014年までの中核派の組織現実論と、組織運営論を整理しつつそこから何が問題であり、2人の元政治局員はその問題についてどう対処してきたのか、ということを自己批判も含めて明らかにしている。そのことはこの論全般を通底しており、したがって四分割とその中での項目立ては問題の整理のための便宜的なものだろう。

 ここで岸氏が「第四インターへのテロルは政治局会議で決定」という項目において「(前略)…対カクマル戦は今でも必要で、必須のたたかいだと思っている」と述べる。私もそう思うのだが、その一方で岸氏は、水谷氏の「(第四インターに対するテロの行使で)中核派も革マルも同じになった(中核派周辺の多くの人士からの言葉)」との意見を踏まえて、ニーチェの言葉を引用しつつ「(前略)…カクマルという反革命との戦いをやっているなかで、左翼諸党派の党派闘争にテロルを持ち込むというカクマルと同じ考えになっていたことを近年思い知らされた」と述べる。このことは一見、岸氏および水谷氏の総括の立場の「矛盾」のように捉えられるかもしれない。かつて本多延嘉書記長が深い論理とパトスをもって被支配階級にとって「暴力の復権」「暴力の奪還」は人間的・本源的行為であると鮮烈に提起したことは、間違っていないからである。
 だが、よく考えると、「矛盾」として捉えるのではなく、左翼内部の党派闘争の在り方と、そうではなく反革命との闘争の在り方の根本的次元の違いとして捉えるべきであろう。さらに反革命規定の問題を含んでいる。また革命運動におけるテロリズムはたとえ必須のものであろうと、そのテロリズムを止揚しなければ、陥穽にはまるという問題を含んでいる。ここで、対カクマル戦に対する私見を述べておこう。

●カクマルを発生させた創成期革共同の内在的反省が必要

 第一。本多延嘉書記長に対して極めて計画的であり陰湿な虐殺という大罪を犯したカクマル、そしてその虐殺後に手前味噌の「停戦調停」なる芝居をでっち上げて政治的延命を図るカクマルは、左翼党派ではなく明確な反革命である。だが、その反革命は元を辿れば同じ革共同なのであり、その革共同から分裂する形でカクマルが生み出された以上、その反革命を生み出した革共同、正確には創成期革共同に対する内在的反省が必要だろう。

●69年11月決戦に恐怖して敵対したカクマル

 第二。反革命カクマルはある時まで「左翼」だったのであろうか。反権力党派だったのであろうか。
そうではなくて、1962年の革共同三全総直後に黒田寛一が革共同内部フラクを作り(山本派)、分派を組織して革共同から逃亡したのだ。この段階でカクマルは、「〈永遠の今〉の今日的実現形態としての党」というおよそマルクス主義と無縁なカルトに転落する一方で、「党の同心円的拡大が革命運動である」という自己中心的組織・運動論を作り上げた。
 そして、それの実行過程として1969年11月28日、東大闘争欠席判決粉砕闘争を闘う党派が11月決戦で疲弊し戦力的にダウンする状況で、会場である日比谷野音に「八派解体闘争」と叫んで反革命武装襲撃をした。それによりその集会場はカクマルが蹂躙・制圧し、東大闘争欠席判決粉砕集会は破壊された。さらに、翌12月14日糟谷孝之君虐殺抗議人民葬が日比谷野音で開催された。それに対してカクマルは同じように武装部隊を組織して11月決戦を闘った党派に襲撃をかけた。その目的は「集会破壊と八派解体」である。この襲撃は闘う党派の渾身の防衛闘争によりカクマルの野望は頓挫したが、この2回の襲撃でカクマルは決定的に反革命に純化したのだ。70年安保・沖縄闘争の死活をかけた11月決戦を何ら闘わず、それを闘ったものに恐怖し、あろうことか武装襲撃をかけたカクマルの在り方は本質的に反革命と言わなければならない。カクマルは、日本革命の戦略的成否をなす安保・沖縄闘争に全面的に敵対したのであり、この点こそは革命か反革命かを分かつ決定的な分水嶺であったのである。
 これは私自身の体験的「カクマル=反革命」論であるが、闘う者の圧倒的な共通認識ではないだろうか。実例を挙げれば枚挙にいとまがないほど、すでにカクマルは闘う者と同じ陣営とはみなされておらず、ただただ怨嗟の的だったのである。

●カクマルの発生そのものが反革命性を孕んでいた

 第三。繰り返すがこのカクマルの反革命性は革共同からの分派と逃亡に端を発しており、「他党派解体」路線により、それを自らの運動として自己合理化したのだ。この革共同から逃亡した段階でカクマルの反革命性を暴露・批判しなければならなかったと総括すべきである。なぜなら、それは単に革命党からの分派・逃亡という一般的な反動的行動ならいざ知らず、カクマルの理論的・イデオロギー的内実が極悪で醜悪極まる反革命性を有していたからであり、時と状況によりそれを実践することは明らかであったからである。これは今だから言えることではない。当時の本多書記長を始めとする革共同政治局の「脇の甘さ」として総括すべきことだと思う。
 ちなみにカクマルの「首根っこを押さえ・急所を蹴り上げる」論は、1971年12月4日の関西大学における中核派に対する反革命武装襲撃の際に作られた論理ではなく、既に69年11月決戦直後の「中核派及び他党派解体」の反革命的理論と実践が内在的に有していたものである。
 その前の段階=62年三全総からの逃亡でカクマルの反革命性を見抜き、それを宣伝・暴露し、物理的に解体すべき対象ととらえるべきであった。
 さらに付言すると、このカクマルの登場と一定の反動的影響力について、革共同は分派容認という政治責任があるのだ。
 これらの点をもし克服できていれば、岸氏が言う「中核派がカクマルになる」ことは回避できたのだ。
 もちろん上述したことは、革共同第三次分裂を経験していないより若い世代の後知恵かもしれないが、本多書記長は三全総から逃亡したカクマルという分派の発生を当時どう見ていたのか、文献だけではうかがい知れないところもある。十分な歴史的検証が求められているであろう。

3、秋山問題に沈黙する中央派の根本的な思想的誤り

●秋山勝行の犯罪を不問に付してはならない

 次にこれに関連して両氏は「4、どのような党を構想できるのか」という課題で組織総括を「建党運動」の在り方として提起している。共産主義者の党建設がカクマルの言う「自己中心的な同心円的拡大運動」ではなく、三派全学連当時「別個に進んで共に撃つ」という当時のスローガン(これ自体はトロツキーが1930年代に唱えた言葉である)に現れた統一戦線の現実とその内的矛盾の中から「革命党建設の在り方」を述べている。
 ここでは、その問題の前に革共同政治局の党としての度し難い「腐敗と堕落」について触れておきたい。また、中央派の言う「党の革命」というペテン性についても、ここで合わせて確認したい。

 言うまでもなく党組織に限らずあらゆる団体において、財政問題と組織問題とは密接不可分である。今回明らかにされた秋山勝行の財政的・組織的腐敗性と犯行(男女関係も含む)は、党内の「秘密性(権力との対峙関係)」を口実にし、隠れ蓑にした許すことができないブルジョア的腐敗であり、全労働者人民に対する背反行為である。
 だが、このことに対して革共同中央派は今日に至るまで一切沈黙している。沈黙=容認として受け取られてもそれは当然であり、ここにおいても中央派の腐敗性が骨の髄まで浸透しているのだ。
 秋山の犯行が1970年代から行われていたということは、1971年全学連大会での女性活動家の女性差別に対する決起・糾弾とその教訓化は一体何だったのか、と改めて問う必要もあるだろう。それら一切を黙認していた清水丈夫議長は労働者人民に対する責任をどうするのかを明確にする必要がある。また、天田三紀夫書記長は「自分の存在を認めてくれた秋山に恩義を感じている」ということも含めて、真正面から自己批判を行うことだ。
 今日のブルジョア政党、官庁や会社なども、そういう組織犯罪を隠蔽しているが一旦そのようなことが明らかになった場合、ブルジョア的な社会的制裁を受ける。当然のことだろう。いわんや「革命党」を自称するなら党内及び全人民に対して自己批判を徹底的に、より根源的に行うことは自明の理である。

●腐敗の根幹に「血債の思想」への敵対がある

 また、『前進』紙上では「武装し戦う革共同万歳!」、「武徳」、「家族問題の革命的解決」を叫び、下部党員に「オール・オア・ナッシング」を強制してきた革共同政治局に「革命」を語る資格などない。さらに、党の硬直性に胡坐をかき、党の腐敗性を知りながら腐敗性の進行を容認していく「革命党」があろうか。
言うまでもなくモラル・ハザードの進行は一旦始まると加速度を付けて反動化し徹底化する。そういう状況下において06年3・14Ⅱ(『敗北』を参照のこと)を契機に平然と「党の革命」を語る錯誤した精神と思想とは一体どういう組織なのか、ということだ。
 水谷氏は「共産主義者も一皮むけば俗物である」というレーニンの言葉を今回の「語る」で引用している。だからこそ、あるいはそれに加えて帝国主義国での共産主義運動は帝国主義的な汚物と思想の真っただ中にあって、それにまみれる危険と背中合わせに存在していることを自覚しなければならない。それ故に「血債の思想」を基軸にして絶えず自己検証を行い、植民地主義・排外主義と対決する国際主義を鍛え上げ、それを形式的な「階級性」一般に落とし込めてはならないのである。差別との闘争を「党とそこに集まる共産主義運動」の自己検証を行うものとしても位置づけ、差別との闘争を否定してはならないのだ。
 それに対して「血債主義打倒」を叫ぶ中央派の思想とは、日共スターリン主義とどこが違うのか。「血債主義打倒」を叫ぶ中央派とは7・7自己批判をどう主体化してきたのだろうか。私自身それに関して仄聞したことであるが、「血債主義は韓国民主労総との連帯の邪魔になる」という中央派の政治判断があるということだ。また、「血債主義は動労千葉特化路線の障害ともなる」ということだ。何ということだろうか。
 そもそも、「血債の思想」と故中野洋を始めとする中央派が造語した「血債主義」とは似て非なるものだ。「思想」と「主義」とは全く異なる言葉である。それをいとも「原理的に見せかけて」、そこにマルクスの「労働者階級には祖国はない」というテーゼを連発するペテンを弄して「7・7自己批判」の否定を党内に押し付けている。そういう言葉の遊びで「7・7自己批判」で勝ち取った地平を清算することは断じて許されない。韓国の労働運動と連帯する道においてこそ「7・7自己批判」の地平に立ちきり、その地平をもって国際主義的連帯を行うのが「7・7自己批判」の物質化である。
 この流れだけを見ても、中央派の言う「党の革命」とは「党の変節」である。また、打倒すべき対象は血債の思想あるいはそれを実践する者ではなく、清水、天田であり、ブルジョア的腐敗にまみれたその体制である。

4.マイナスからの党建設

●中央派の在り方を反面教師にして

 以上のことを踏まえて水谷・岸両氏が構想する「革命党」の在り方を検討しよう。
 まず、今まで革共同政治局の語るに落ちる腐敗性、反人民性を述べてきたが、この総括として「党の自浄能力」が必要であることは言うまでもない。加えて指導部の組織的位置づけも検討されねばならない。中央派の清水議長は驚くべきことに「最大多数の最大幸福」を自らの組織人としての信条としている(『敗北』第2章参照)のだが、このようにことある度に確信を持って指導できない人は「議長」という責任ある席に着くべきではない。さらに、この組織的・思想的に無内容な清水議長が約40年間もほとんど党大会を開かず「非公然」で党を仕切ることは、ひたすら党をブルジョア的に堕落させる。非公然体制下であろうとも何としても党大会を開催すべく格闘するところに、革命党の革命党たるゆえんがあるのではないか。党大会を開かないということは、非公然体制の重圧にあらかじめ負けてしまっている、したがって権力との対決に敗北しているのだと言わなければならない。
 党、就中政治局の人事権も指導部の一部に握らせては、ブルジョア社会における企業の封建的独占的人事と同様である。その意味で革共同政治局、とりわけ「中央派」の在り様は党組織運営論における全面的な反面教師である。

●「党の不在」をのりこえるために

 それでは、「革命党」の建設とはどうすればよいのか。水谷氏が思いを馳せる三派全学連のような統一戦線を母体にしてそれが果たして可能なのかどうか。あるいはレーニンの4月テーゼというロシア革命の実現に向けて発した号令を受け止めて、ボルシェビキに結集したメンシェビキのコロンタイ(ローザ・ルクセンブルク、カール・リープクネヒトとの人的交流があった)や中間派であったトロッキー(ニューヨークから帰国)のような革命家との合流を期待して、今日的な新たなテーゼを発するのか。それらを一考することも必要である。
 だが、日帝・安倍政権はその政権的腐敗性と堕落性を極めており、それ故に一層の強権政治と国内戦時体制へとのめり込んでいる。これと真正面から対決できる党でなければならない。だが、このような日帝の政治過程に合わせて「革命党」建設はできない。「革命党」の建設はゼロからの建設ではなく、マイナスの地点からの建設なのである。
さらに言えば「革命党」建設に都合よくプロレタリア人民が乗って来るのか、賛同してくるのか、と言えばこれも疑問である。それを思えば思うほど、一時代の先頭に立っていた革共同、好き嫌いを超えて一定の敬意を払われていた革共同、その革共同の犯した階級的犯罪性は深い。また、中央派はそれに対して恥の上塗りを繰り返している。
 したがって、当面「別個に進んで共に撃つ」というスタンスを前提にして「革命党」建設を目標においた議論を起こしてはどうだろうか。そこでは、綱領、現状分析、行動要綱などのテーマについて議論し、排除の論理ではなく、団結の論理で議論を組織化することだ。われわれ左翼の悪い作風として「意見が異なれば排除」の論理が自動的に持ちあがる。それを反省し、相違点と一致点を明確にしたうえで、一致点の面的拡大を目指すことだ。「語る」でも指摘されているが、思えば国際共産党(第三インターナショナル)の初期段階では、ローザ・ルクセンブルク、それに連なるサンディカリズム、グエン・アイ・コック(ホー・チ・ミン)のような民族主義的共産主義も組み込んで幅広い国際共産主義運動が生み出されていたのであった。そこから学び取ることもあるだろう。
 さらに、過酷な労働現場で資本や政府と対峙し苦闘する先進的労働組合や、街頭で闘う様々な運動体・団体もあり、それらの闘争から学びとることだ。いずれにせよ、「党の不在」という現状を乗り越えるさまざまな模索が求められていよう。

4、 最後に

 今回はここまで8000字を超えた。それ故に「三里塚基軸論」、「荒川スパイ問題」は今回割愛した。だが、この2点が孕む問題の重大性も無視はできない。稿を改めてこの問題について検証したい。
 だが、思うに本多書記長暗殺以降失われた40年間は、日本階級闘争にとって取り返しが付かない失地点まで落ち込んでしまっている。その意味では反革命カクマルの思う通りになったのか、とも思う。もちろん、カクマルの政治的・組織的陥没は著しい。何の存在感もない。カクマルも政治組織としてはもう「終わった」のである。だが、その中での救いは2人の元政治局員の『敗北』の刊行であり、今回の『流砂』第10号での意見「語る」である。
 様々な評価があることも、私は織り込み済みである。外野席での意見も無視はできないが、外野席の人も一歩前に踏み込んで建設的な意見を出されるよう期待する。

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5 コメント

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Unknown (NK)
2016-03-31 00:20:22
このブログも、最近の記事は次第に核心を突くような内容の投稿が出てくるようになってきたと思います。やはり「敗北本」の出版が、それだけの衝撃と波紋を引き起こす内容をはらんでいるということでしょう。私にとっても、当時雲の上の存在であった指導部の実態がいくらかでも告白されたことは、驚きでもあり、反面やはり私と同じ「人間」だったのだと、妙に安心もさせられたのでした。確かに、とんでもない行状には違いないが、しかしここのところを、「腐敗」「堕落」と切って捨てたのでは、誰にとっても救われないことになってしまうでしょう。

共産主義社会実現のためにどんな犠牲も厭わなかった人達が、かくももろく道を見失い、確信もなく活動に携わる内に人間としての倫理まで無くしていったのは何故なのか。ここから出直すとしたら、私が思うだけですが、 人類社会の歴史が、共産主義社会を不可避の過程として進行せざるを得ないと言う事を、科学的に理解しなければ難しいでしょう。

外野の戯言です。
Unknown (おーにっちゃん)
2017-03-14 22:34:44
1年弱ほど中核派に在籍していましたが、内部がどうにもおかしく、最初は地区の問題なのかなあと思っていましたが、地区を指導できない指導部の問題であると思うに至り、飛び出て/追い出されてきました。

たとえばとりわけ、このあたりが仰りたい核心なのではないかと考えます。


”清水議長が約40年間もほとんど党大会を開かず「非公然」で党を仕切ることは、ひたすら党をブルジョア的に堕落させる。非公然体制下であろうとも何としても党大会を開催すべく格闘するところに、革命党の革命党たるゆえんがあるのではないか。”

”排除の論理ではなく、団結の論理で議論を組織化することだ。われわれ左翼の悪い作風として「意見が異なれば排除」の論理が自動的に持ちあがる。それを反省し、相違点と一致点を明確にしたうえで、一致点の面的拡大を目指すことだ。”


どうやって団結していくか?を考えたら、やはり相手を知り、相手の悩みを自分が解決する、その繰り返しをしていくしかないと考えます。

中核派にいるとどうしてか「相手の悩みを解決してあげるのではなくて、共闘するのだ」みたいな論調で言いますが、そのくせ、その共闘というのは結局は「党の方針に従っていさえすればいいのだ」みたいな、ものすごく恣意的なもので、中核派自体が労働者の智恵も金銭も全部搾取する主体に成り下がっていると考えています。

意見が異なる者と団結せずに、どうやって過半数を取る”革命”が起こせるのかもよくわかりません。

そもそも一般人が興味ない対革マル戦を、清水議長自身ことさら強調されているようですが、革マルがどうのと目先のことを言うのではなくて、過半数を取るためには何が必要かの、目標を見定める議論をせねば、本当の意味での前進はないと考えます。
ワタシの悩み (おーにっちゃん)
2017-03-14 23:05:32
新しい職種に就こうとしても、過去に殺人歴がある人は雇えても、私は無理らしい

私はそんくらい問題ということや。

いまの会社で、やったことを清算しとるけれど、それは意味がないとめちゃくちゃ言うてくるのがいる。

それで秋葉原駅で、やりたくないのにやむなく議論になって、セントラル整備保障が出てきた。

私は、こんなにしつこく聞いてくるのは、工作の可能性が高いと思う。

もちろんそうでなくても、権力に迎合せねば生きてけないと思うとる人間ばっかやとは思うんやけど。

左も右も相手にして言うんやけど、そんな現実にリアルに対峙して勝てな、革命なんてない。


こんなの、中核派は悩んだことがない課題や。
Unknown (おーにっちゃん)
2017-03-14 23:10:22
中核派に対して距離を置いている人のブログにコメントしてきた。まあ読んでもらえるかワカランけれども、こういうところに名前を残しておくことも必要やろ。

このページに、以下の内容を書いてきた。


「党の革命」というペテン性――「自著『革共同政治局の敗北』を語る」を読んで
http://blog.goo.ne.jp/shiren-shinsayoku/e/960957eed4490ec7b36bd8e764786228
Unknown (おーにっちゃん)
2017-03-16 00:24:12
中核派を批判するブログにはこんなのもあるけどなあ・・・

狂おしく悩ましく 『前進』編集局員の事件録
http://blogs.yahoo.co.jp/hutagoyama_1



コッチのほうが具体的に中核派内部について記載してはあるし、更新頻度も多いけれども、私にはひとつ抜けとることがあると思う。

それは、いまの政治主張やねん。

中核派において自分の意見が認められんかったから辞めた、というのはわかるけれども、どういう理想像を描いていたのか、というのがあんま見えてこん。

戦術としていいものを主張したけれどもダメやった、というのは見えるんやけど、中核派の戦略がそもそもどうおかしいか、そして自分の戦略はどうか、は示されてないと考える。

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