《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

日本の攻撃型戦争国家化を「平和」と免罪する政治手法――天皇明仁の誕生日会見を弾劾する‼(その2)

2019-01-17 11:53:06 | 天皇制・右翼
「平成は戦争のない時代」ではなかった‼ /天皇明仁の誕生日会見(2018年12月20日)が批判されるべき問題点はまだまだあります。マスメディアが強く押し出したフレーズ、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と語ったことこそ、その最大の犯罪性といえるでしょう。この言葉には何重にも犯罪的な意味があります。 /ちなみに、新聞各紙やニュースサイトのメーン見出しは次のようです。 /「戦争のない平成に心から安堵/沖縄 犠牲への思いこれからも」(朝日新聞)。 /「平成 戦争なく『心から安堵』 天皇陛下きょう85歳」(読売新聞)。 /「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵 天皇陛下85歳/沖縄へ 皇后さまへ 声震わせ在任最後の誕生日会見」(東京新聞)。 /「天皇陛下85歳 誕生日会見(全文)/平成が戦争なき時代として終わろうとして安堵」(YAHOO!ニュース)。 /ほとんどのマスメディアが明仁の「平成が戦争のない時代、心から安堵」というフレーズを一番にもってきていることは、今回の会見の核心がどこにあるかをじつによく示すものだといえましょう。まさに、明仁の言とは逆に、「平成は戦争のない時代」ではなかったのです。明仁はこの現実を隠蔽し、現実から人々の注意をそらせています。これは明らかに意図的な政治行為ではないでしょうか。 . . . 本文を読む

島津家の末裔・天皇明仁は最悪の偽善者――天皇明仁の誕生日会見を弾劾する‼(その1 つづき)

2019-01-03 22:48:40 | 天皇制・右翼
●島津の琉球侵略から410年目を迎えて /2019年は、薩摩藩が琉球侵略を強行した1609年から410年目にあたります。薩摩島津家による琉球支配は、その後、270年にわたりました。それを引き継ぎ、さらに質的・量的に強化する形で、近現代史において日本国家は一貫して、琉球-沖縄を暴力的に侵略し、差別し、同化を強制し、切り捨てる植民地主義を続けてきました。 /その中で、天皇明仁と美智子は、皇太子時代から今日まで、あたかも沖縄の理解者であるかのように振る舞っています。しかし、彼らが「沖縄に心を寄せる」と語れば語るほど、実は琉球-沖縄の人々の怒りと憎しみがおのれに向かうのを恐れていることを示しているといっていいでしょう。そのことも含め、明仁は琉球-沖縄問題に非常に強いこだわりをもたざるをえないのです。 /この問題を明確にさせておきたいと思います。 /明仁は、よく知られているように、琉球を武力で侵略し、排他的に支配せんとした薩摩島津家の直系の末裔でもあります。 /明仁の母である良子(ながこ。死後に香淳皇后と追号)は、父が久邇宮邦彦(くにのみや・くによし)、母が島津俔子(ちかこ)であり、その長女として生まれました。島津俔子は、第12代薩摩藩主で、廃藩置県によって公爵となった島津忠義の七女です。つまり明仁の母方の曾祖父は、最後の薩摩藩主・島津忠義なのです。 . . . 本文を読む

沖縄に「犠牲に耐え続けよ」と発言。父・裕仁以上に悪徳・卑劣な政治屋、沖縄差別主義者にして狡猾きわまるペテン師――天皇明仁の誕生日会見を弾劾する(その1)

2019-01-03 17:09:00 | 天皇制・右翼
天皇明仁の誕生日会見(2017年12月20日)については、すでに多くの方々が鋭く批判し、強い怒りを表明しています。誰もが感じたように、それはまさに、“朕は日本国家の頂点に立つ君主なるぞ、汝ら臣下に勅語を与えるぞ”というような高みから物申す、実に傲慢不遜なものです。最も根本的な問題は、第二次世界大戦とそこにおける日本の戦争に言及しながら、自らの父・天皇裕仁の超A級戦犯たる戦争責任・植民地支配責任・弾圧迫害責任を覆い隠していること、かつアジア人民・日本人民への謝罪の立場、その言葉の一かけらもないということだと思います。これは、とうてい許すことができないものです。 /その会見の犯罪性はいくつもありますが、私がとくに指摘したいのは、沖縄に言及した下りです。 /そこで明仁は、戦後の日本が「平和と繁栄を築いてきました」と述べ、「そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。……沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私ども(明仁と美智子のこと)の思いは、これからも変わることはありません」と語っています。 /この下りを聴いて、私は何と政治主義的な狡猾な発言かと思いました。 /第1に、明仁がこれまで沖縄について言及した他の発言と合わせてみると、「実に長い苦難の歴史」「耐え続けた犠牲」というのは、1972年(昭和47年)までのことを指しており、復帰以後の米軍基地の存続を不問に付し、この問題は含まれていません。 . . . 本文を読む