前回12月11日「熈代勝覧」(きだいしょうらん)を紹介しましたが、自分自身不満の残るもので、
もう一度写真を撮り、本をよんでみました。
ベルリン東洋美術館蔵のこの絵巻は、文化2年(1805)の活気ある江戸日本橋通りを今川橋から
日本橋まで、東側から俯瞰する構図で描かれています
この絵巻は、紙本着色の1巻からなり、サイズは縦約43㎝長さは約12、30mあります。
「熈代勝覧 天」とあることから、対の「地」の巻きや「人」の巻きの存在が想定されますが
ベルリン東洋美術館へ寄贈される以前に、「天」の一巻のみであったといいます。
行き交うのは1671人の男と女と子供、犬24匹、馬13頭、牛4頭、猿1匹と鷹2羽です
出発点は神田今川橋 橋を渡ろうしている旅人と巡礼の2人連れ
せともの問屋の店先 世は一大園芸ブーム(植木鉢も)買いに来る客、仕入れに来る振り売り 辻駕籠
土蔵造りの商家 明暦の大火以後、町屋にも瓦屋根や漆喰壁が防火構造上奨励された
通白銀町の辻占い、昔も今も手相見の前に並ぶのは女性ばかり 町木戸の前には雪駄直し
蔵 (須原屋善五郎)
菓子立ち売り 刃物研ぎ
刃物直し、その後ろの店は仕出屋、右の店の職種不明 前は菓子売り
右の店は汁粉餅・雑煮屋(藤屋)白銀町用水桶、指物屋の前の道には牛車と武家駕籠
(左)手習い入門に机を持参の父と子、「おいら行くの嫌だよ」と腰のひける子、寺子屋入門時には机持参の習わし
子供の巡礼他領に出向く長旅には鑑札が必要、公用・商用意外に許されたのは、神社仏閣詣でと病気治療の湯治の旅
勧進ひゃくしを差し出して喜捨を有り難く受け、諸国を巡礼、大流行を繰り返すお伊勢参りの途上か。
(右)大工の徒弟と付け木売り、荷物を背負っているのは三井越後屋の小僧
紅問屋・小間物屋(津金)、荷物を背負っているのは貸本屋、肩に担いでいるのは鮨売り 印番所の立派な立て看板
判子社会の江戸時代、判子屋はどこも大繁盛
道場稽古の帰り 托鉢 武家駕籠
お武家一行、馬で登城が許されるのは、ある格式以上の侍 玉鮓・翁屋庄兵衛 「江戸買物独案内」に登場する店
玉の井(鬢付油)売り 鏡師 白粉問屋(三文字屋)
たばこ問屋(太田屋) 虚無僧、魚売り、酒屋の小僧
「青菜はいらんかね」近くのやっちゃ場(市場)から振り売りに。 このあたりから湯島にかけて、牛蒡、芋、葱などの
土物店が集中、裏店の住人の糞尿は、近郊農家に売られて人肥に、それを使って大根などの疏菜が栽培され、
青物市場へ、これぞ百万都市大江戸のリサイクル。
力自慢の竹売り 大量の青竹を抱えて売り歩く竹竿売り、肩にもう一本の梃棒を加え、三点で支えて運ぶ知恵
小柄な江戸っ子が50㌔近いものを売り歩いていたとは、あっぱれ!この青竹建築資材はもちろん、物干し竿などに
重宝された
十軒店用水桶 立て看板 地唐紙卸問屋(丸屋彦兵衛)江戸の町では帳簿に帳面と紙をふんだんに使う、
「紙で鼻をかむなぞ驚くべき贅沢」と外国人の見聞にも、唐紙とは中国渡来の厚地な紙、他にも
揉み紙茶紙と紙全般を商う、各産地から紙が安定供給されるようになり、江戸は一大情報社会に
薬種問屋(保童圓)
春の風物詩十軒店の雛市 雛市については前回紹介したので、前を車椅子に乗って通る「江戸患い」の人物について、
車椅子に乗っているのは江戸患いといわれた脚気やみか「拝み搗きの米を食って」と白米を食べるのは江戸っ子の自慢
おかげでビタミンB1が不足して脚気が多い、農村では飢饉だというのに江戸では侍達が禄米を現金に換えるため
市中に大量の米が出回った
色男の花売り 花売りは美男子と相場が決まっている、悲劇の御曹司や若殿様が身をやつして花売りに、
などとよくあるドラマ
心やさしき男が商う春の花、雛壇にすぐ飾れるよう、桃の小枝が粋に並ぶ、花を売り買いする光景は都会の証拠
女独りの引越し 火事で焼け出されることも多い江戸、身軽な引越しは日常茶飯事、狭い長屋暮らしでは、
所帯道具といってもこんなもの、自分の身の丈に合わせ、住まいをどんどん替えてゆく都会暮らしの自由さ、気ままさ
荷物タクシー、乗掛馬 馬の背には米三俵分、180㌔が上限、左右に振り分けた荷に余裕があれば人を乗せた
こんな素晴らしい絵巻を書いたのは誰か?そして続きは次回です
もう一度写真を撮り、本をよんでみました。
ベルリン東洋美術館蔵のこの絵巻は、文化2年(1805)の活気ある江戸日本橋通りを今川橋から
日本橋まで、東側から俯瞰する構図で描かれています
この絵巻は、紙本着色の1巻からなり、サイズは縦約43㎝長さは約12、30mあります。
「熈代勝覧 天」とあることから、対の「地」の巻きや「人」の巻きの存在が想定されますが
ベルリン東洋美術館へ寄贈される以前に、「天」の一巻のみであったといいます。
行き交うのは1671人の男と女と子供、犬24匹、馬13頭、牛4頭、猿1匹と鷹2羽です
出発点は神田今川橋 橋を渡ろうしている旅人と巡礼の2人連れ
せともの問屋の店先 世は一大園芸ブーム(植木鉢も)買いに来る客、仕入れに来る振り売り 辻駕籠
土蔵造りの商家 明暦の大火以後、町屋にも瓦屋根や漆喰壁が防火構造上奨励された
通白銀町の辻占い、昔も今も手相見の前に並ぶのは女性ばかり 町木戸の前には雪駄直し
蔵 (須原屋善五郎)
菓子立ち売り 刃物研ぎ
刃物直し、その後ろの店は仕出屋、右の店の職種不明 前は菓子売り
右の店は汁粉餅・雑煮屋(藤屋)白銀町用水桶、指物屋の前の道には牛車と武家駕籠
(左)手習い入門に机を持参の父と子、「おいら行くの嫌だよ」と腰のひける子、寺子屋入門時には机持参の習わし
子供の巡礼他領に出向く長旅には鑑札が必要、公用・商用意外に許されたのは、神社仏閣詣でと病気治療の湯治の旅
勧進ひゃくしを差し出して喜捨を有り難く受け、諸国を巡礼、大流行を繰り返すお伊勢参りの途上か。
(右)大工の徒弟と付け木売り、荷物を背負っているのは三井越後屋の小僧
紅問屋・小間物屋(津金)、荷物を背負っているのは貸本屋、肩に担いでいるのは鮨売り 印番所の立派な立て看板
判子社会の江戸時代、判子屋はどこも大繁盛
道場稽古の帰り 托鉢 武家駕籠
お武家一行、馬で登城が許されるのは、ある格式以上の侍 玉鮓・翁屋庄兵衛 「江戸買物独案内」に登場する店
玉の井(鬢付油)売り 鏡師 白粉問屋(三文字屋)
たばこ問屋(太田屋) 虚無僧、魚売り、酒屋の小僧
「青菜はいらんかね」近くのやっちゃ場(市場)から振り売りに。 このあたりから湯島にかけて、牛蒡、芋、葱などの
土物店が集中、裏店の住人の糞尿は、近郊農家に売られて人肥に、それを使って大根などの疏菜が栽培され、
青物市場へ、これぞ百万都市大江戸のリサイクル。
力自慢の竹売り 大量の青竹を抱えて売り歩く竹竿売り、肩にもう一本の梃棒を加え、三点で支えて運ぶ知恵
小柄な江戸っ子が50㌔近いものを売り歩いていたとは、あっぱれ!この青竹建築資材はもちろん、物干し竿などに
重宝された
十軒店用水桶 立て看板 地唐紙卸問屋(丸屋彦兵衛)江戸の町では帳簿に帳面と紙をふんだんに使う、
「紙で鼻をかむなぞ驚くべき贅沢」と外国人の見聞にも、唐紙とは中国渡来の厚地な紙、他にも
揉み紙茶紙と紙全般を商う、各産地から紙が安定供給されるようになり、江戸は一大情報社会に
薬種問屋(保童圓)
春の風物詩十軒店の雛市 雛市については前回紹介したので、前を車椅子に乗って通る「江戸患い」の人物について、
車椅子に乗っているのは江戸患いといわれた脚気やみか「拝み搗きの米を食って」と白米を食べるのは江戸っ子の自慢
おかげでビタミンB1が不足して脚気が多い、農村では飢饉だというのに江戸では侍達が禄米を現金に換えるため
市中に大量の米が出回った
色男の花売り 花売りは美男子と相場が決まっている、悲劇の御曹司や若殿様が身をやつして花売りに、
などとよくあるドラマ
心やさしき男が商う春の花、雛壇にすぐ飾れるよう、桃の小枝が粋に並ぶ、花を売り買いする光景は都会の証拠
女独りの引越し 火事で焼け出されることも多い江戸、身軽な引越しは日常茶飯事、狭い長屋暮らしでは、
所帯道具といってもこんなもの、自分の身の丈に合わせ、住まいをどんどん替えてゆく都会暮らしの自由さ、気ままさ
荷物タクシー、乗掛馬 馬の背には米三俵分、180㌔が上限、左右に振り分けた荷に余裕があれば人を乗せた
こんな素晴らしい絵巻を書いたのは誰か?そして続きは次回です
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