しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

平家物語を彩る女性たち

2012-03-31 15:23:08 | 旅行

                  平家物語の中で清盛と関係の深い3人の女性、
                  その女性たちを語り継ぐ寺院を辿ってみました。
                     (長楽寺~清閑寺~平等寺)

                   

                    長楽寺

 

                

               円山公園の少し奥、静寂さが漂う長楽寺は朝もやの中でした

               延暦24年(805)最澄が創建したと伝わります。
               壇ノ浦で救われてしまった建礼門院は長楽寺の僧のもとで剃髪。
               安徳天皇が入水する直前まで召していた形見の直衣(のうし)を
               幡に仕立て寺に奉納しました。

 

            

             朝の光が差し込む境内を散策したのですが、静かで人の気配もありません

 

                 

                     平安の滝
                  法然上人の高弟隆寛律師や建礼門院などの修行の場
                  

                 

                      相阿弥作の園地

 

                 

                        建礼門院坐像

                   5月にここ長楽寺で剃髪し、9月には大原の寂光院へ。
                   このとき建礼門院は29才でした。

               

                 

                 かつては我が世の春を謳歌し、錦の衣を重ねていた女人が
                 黒染めの衣に身を包んでのわび住まい。
                 ここから大原草生の里、寂光院に移られた建礼門院のことを
                 思う、あまりにも静かな長楽寺でした。

 

                     清閑寺

                  清盛の栄華の影に悲劇の女性あり

            

                 六条天皇 高倉天皇清閑寺陵の横の階段を上ると「清閑寺」があります

               以前清閑寺山内町というバス停がありましたが、今回はここに行く
               バスは無いといわれて、タクシーで行き、帰りのことが気になり、
               運転手さんに意外な道を教えてもらい、安心して参詣できました。

 

                  

                  ここ清閑寺も平家物語にゆかりの女性小督(こごう)が
                  尼となったのちに住んだと伝わるお寺です。

 

                       

                         小督の局の供養塔が楓の木下に
                         ひそやかに立っています。

 

                  

               塞いでいた高倉天皇に徳子が宮廷一の美女、小督を差し向けます、
               天皇は、琴の名手でもある美しい小督を溺愛します。

               小督の元恋人、藤原隆房の正妻も清盛の娘だったことから、清盛は
               二人の婿を取られたと小督を憎んだのです。

               小督は天皇に迷惑が及んではと嵯峨野あたりに身を隠します。

 

                 

            小督を忘れられない天皇は、笛の名手国仲に探させました。月の美しい
            夜のこと、国仲は、こんな夜は天皇のことを想い琴を弾いているに違い
            ないとおもいつつ馬を進めます。

            「峰の嵐か松風か、たづぬる人の琴の音かおぼつかなくは思えども」と
            かすかな琴の音を頼りに小督を捜し出しました。

            その楽曲は夫を想い慕う「相夫恋」。 小督は内裏へ迎えられますが、
            それも束の間、清盛によって尼にさせられてしまいました。
            墨染めの衣にやつれ果て、痛ましいことであったと物語に記されています。

 

                 

                       境内の要石

 

                      

 

 

                 

                  要石の側に立つとそこを要として扇を開いたような形の
                  眺望が楽しめました。

 

                 

                    まったく人気のない本堂にお参りをして下山

 

                 タクシーが拾える場所ではないので、運転手さんに教わった
                 近道とやらに入りました少し寂しい道でしたが見えてきたのは

 

                 

                    清水寺でした、清水寺に抜けられる細い道でした

 

                 

                  清水寺の舞台の下を通らせてもらい五条通りに出ました

 

                    因幡堂 平等寺

                  もう一箇所、特別公開の平等寺に立ち寄ることにしました。
                  烏丸通、四条と五条の間の一本裏通りにあります。

 

                 

                寺伝によると、橘行平(たちばなのゆきひら)が夢のお告げで
                海中から引き上げた薬師如来を祀ったのが寺の起こり。

                そのご利益で行平が因幡(いなば)の国の国司となったことから
                「因幡薬師」としてしられました。
 

            

               承安元年(1171)高倉天皇から勅額を賜り平等寺となりました

 

                       

                       今も因幡堂のほうがなじみがあるそうです

                   通常非公開の小督の愛用の品、硯箱は金の高蒔絵の
                   楓とつづらの文様でした。
                   小督愛用の琴や小督の髪で作ったと伝わる「毛髪織込
                   光明真言」など多くの寺宝が特別公開で見られます。

                   

                    

                      ご本尊薬師如来立像も公開されていました

                 藤原時代の一木造で、頭巾をかぶった印象的なお姿です。

            

                 ゆかりの場所はあと一箇所回りましたが、長くなりました
                 次回にしましょう。


                  

              


「平家物語」でたどる東山散策

2012-03-31 07:35:28 | 旅行

                平家一門の栄華と滅亡を描いた「平家物語」 その前半は
                平清盛を中心にして京都で繰り広げられる出来事が多くを
                占めます。

                800年余り前の平安末期、京都でもっとも熱かった歴史の
                舞台を歩いてみました。


                

           京都市街を東西に貫く四条通の東の突き当たりに、八坂神社があります。
           7世紀半ばの鎮座とされ、天皇家など朝野の崇敬が篤く、平清盛も1147年
           田楽の奉納をおこないました。

 

                

                      八坂神社境内にある 忠盛燈籠

 

 

 

            

                    六波羅蜜寺  天暦5年(951)に空也上人が開創

             六波羅蜜寺は平家一門の館があったところ、忠盛が六波羅蜜寺の塔頭に
             兵を留めたことにはじまり、一時は館の数が5200余りにもおよんだという
             平家の拠点です。

             寺域は狭くなりましたが、鮮やかな丹塗りの本堂に多くの参拝者を集めて
             います。 昭和44年に解体修理されたとき、五輪塔の形をした泥塔が
             8千基出土しました。
            
             これらは高倉天皇の中宮となった清盛の娘、徳子の安産と男子出生祈願で
             奉納されたものだと記録にありました。

 

                  

                  宝物館に展示されている、経文を読む清盛坐像、出家して
                  51才頃の姿と考えられ、くつろいだ表情の中にも意思の
                  強さが感じられます。 (重要文化財)

 

                        

                          空也上人立像 (重要文化財)

                    同じ宝物館に展示されているこの像は鹿の杖をつき、
                    膝を露に草履をはき、念仏を唱える口から6体の
                    阿弥陀が現れたという伝承のままに洗練された
                    写実的彫刻の空也上人像。

 

                   六波羅蜜寺から鴨川沿いに出ると、神と仏に護られる
                   長講堂(ちょうこうどう)があります

 

                        

                  

          

            

              後白河法皇六条御所の中に建てた持仏堂がはじまり。
              京の冬のたび(3月18日まで)非公開文化財が特別公開されていました。

 

         

              後白河法皇御影殿には数珠を持つ法皇木像が安置されています

 

              川原町通り、七条通を経て三十三間堂へ。

 

            

              正式には「蓮華王院」といい、後白河法皇の命で清盛が建てた仏堂です

 

            

                 長大な本堂は南北約120m

 

            

              国宝千手観音坐像を中心として千体の千手観音立像(合計千一体)が
              ご本尊、そして風神・雷神と28部衆像が安置されています。

 

            

                この日3月12日は朝から雪が舞う寒い日でした。
                

 

                  

                  何回も訪れている三十三間堂の庭を見るのは初めてでした

 

            

               三十三間堂の東隣に後白河法皇の眠る法住寺陵があります
               ここは法皇の御所があった法住寺殿の一角で、じつは三十三間堂も
               法住寺殿の敷地内にありました。

 

         

             本堂で行事があったようで、中には入れませんでした。   
             本堂には「身代わり不動」と呼ばれる不動明王を安置してあるようです。

 

 

         

                後白河法皇法住寺陵

           平家物語ゆかりの東山散策はここまでです。

 

          寂光院を最初に紹介してしまいましたが、続きは平家物語を彩る女性たちと
          ゆかりのお寺を紹介します。

              

 


大原の里 宝泉院

2012-03-28 21:13:28 | 旅行

                声明(しょうみょう)の根本道場として栄えた勝林院の前を通り
                   

 

                 

                       橋を渡ると

 

                 

                  宝泉院の山門の前に出ます、勝林院の住職の坊として
                  平安末期に建てられたそうです

                 

                 

                平安末期に法儀声明の修学地(声明の里)として有名になる

 

            

               お茶を頂きながら客殿から柱を額に見立てて観賞するのですが、
               他にお客さんがいて正面からの撮影ができず、チャンスを待ちます

 

 

         樹齢700年の五葉の松を正面から観賞、こちらも紅葉のシーズンには五葉の松の
         周りが赤く染まる額縁の観賞になりますが、このあと少し雪が舞ったこの時期でも
         力強い景色に圧倒されました。

 

           

                  こちら側は竹林より大原の里の風情を観賞

              <この寺の 竹の枝間を うちこして 吹きくる風の 音の清さよ>

 

                

                  客殿から見た五葉の松の額縁に収まりきれなかった
                  部分を横から見たらこんな形でした

 

                

                    大原の里は冷え込みも厳しいのです

 

                

                  法然上人衣掛けの石 (法然上人は昨年800年忌)

 

         

              最近作庭された宝楽園は<仏神岩組雲海流水回遊花庭>を趣向し、
              地球最古の創世に遡り、その原初の海を想像した庭園だそうです

           
              静かな大原の里も、紅葉時には川沿いの道に人の列ができます。
              
              まだ寒い日でしたが、開け放たれた客殿でお茶をいただきながら
              静かに過ごしたひと時は、華やかな季節と違う趣がありました。
              

 

 


大原 三千院

2012-03-28 07:31:56 | 旅行

                 今回の京都旅行の目的のひとつは、大河ドラマ放送中の
                 「平清盛」を見て、苦手だった平家物語で京都をたどって
                 見たいと思いました。
               
                 予定していたコースは変更しましたが、ゆかりの寂光院から
                 始まり、久々の大原だったのでバス停を通り越して三千院に
                 向かうことにしました。

 

                  

                 川沿いの細い一本道を10分ほど上ると御殿門の前に出ます

 

            

                    客殿よりの 聚碧園は池泉観賞式庭園

 

            

               春の訪れの遅い山里ではまだ冬の装いのままのような宸殿は
               声明による法要を今に伝える道場です。

 

 

            

                    松龍謄空図    鈴木松年 明治38年

             12面10m以上の画面を余すところなく使う豪快な筆力は松年の真骨頂、
             行者の念力で松が龍に化ける、龍に化ける松は松年自身の人生を仮託
             したものらしいと解説にありました。

 

 

                  

                         往生極楽院  

                    三千院の歴史の源ともいえる簡素なお堂です。
                    平安時代に恵心僧都が父母の菩提のために
                    姉の安養尼と共に建立したと伝えられます。

 

                  

                「阿弥陀三尊像」の中尊は阿弥陀如来、右の観世音、左に勢至の
                両菩薩像、大きい阿弥陀三尊像を納める工夫として天井を舟底形に
                折りあげています、その天井には極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の
                姿が極彩色で描かれていますが肉眼で見難くなっているその絵の
                復元模写を円融蔵内で見ることができました。

                 (美しい青い空に舞う天女や諸菩薩は
                        まさに極楽浄土の世界のように見えました)
                

 

                  

                   有清園は池泉回遊式庭園  上部中央近くに細波の滝

 

                  

                      池のほとりにほほ笑みを浮かべたお地蔵さま

 

         

         木立の中のお堂や庭園、紅葉の季節や新緑の季節は美しいですが、まだ冬色の
         この季節です鮮やかな椿の彩りに思わず足を止めました。

 

           もうずいぶん昔のことですが、まだ大原に観光客があまり行かなかったころ、
           ~京都 大原三千院 恋に疲れた女がひとり・・・~という曲がヒットして
           三千院が有名になり多くの観光客が訪れるようになったと聞きました。
           
           今では有名観光地になりました、ふとそんな歌を思い出し、口ずさんで
           いました、もうそんな時期は遠い遠い昔のことですが・・・。

 

                 

                  

                  この日、勝林院は遠くからのお参りだけで通過、その奥の
                  もう一箇所行きたい所がありました。

                  そこで日本中が祈ったその時を迎えました。


 


京都 大原 「寂光院」

2012-03-25 15:06:20 | 旅行

                    3月11日、祈りのときを京都で迎えました。

 

                     

               その日、京都市内では「京都マラソン2012」が開催中でした、
               知らずに計画してしまい、到着後混雑を避けるため行く先を変更、
               まず地下鉄烏丸線終点の国際会館まで行き、そこからバスで
               大原に向かいました、この日市内はかなり混雑していたようです。
              

 

                

                  大原でバスを降り、「寂光院」に向かいます

 

                

                    民家や畑のある道を15分ほど歩くと

 

                

                    この階段、紅葉の時期は大変美しいのです

 

                

                その時、清光山玉泉寺 寂光院の山門の周りが赤く染まります

 

                

                その先の本堂、まだ新しい建物です、それは平成12年5月
                火災により消失した本堂が17年6月に落慶法要となりましたが、
                当時放火により消失と報道で知り大変ショックでした。

 

           

            左側の切られた木は千年姫小松、焼けてしまい再生は無理だったようです。
            前回火災で焼失のすこし前訪れた時は、本堂の左前のタイサンボクの木に
            大きな白い花が咲いている時期でした、その木もなくなっていました。

 

                 

                    本堂に安置されている新建礼門院像

                   8百年余り前の平安時代末期の源平戦乱の末に敗れた、平清盛の娘徳子
            「建礼門院」は我が子安徳天皇と共に長門壇ノ浦に入水されたが、ひとり
            助けられました。

            その後出家して大原草生の里に隠棲され、寂光院にて夫高倉帝や安徳帝
            平家一門の菩提を弔いつつ念仏三昧の短い生涯を静かに閉じられました。

 

                 

                        新阿波内侍像

             寂光院で女院に仕えた侍女が5人、最も側に仕えたのが阿波内侍です

 

                

                  新本尊地蔵菩薩立像            旧菩薩立像、今は境内の
                                            奥深くに安置されています

 

           

                   平家物語 「大原御幸絵巻」  

             「かかりし程に文治2年の春の比、法皇、建礼門院大原の閑居の御すまひ
             御覧ぜまほしうおぼしめされけれ共」で始まり、「内寺の尼参りつつ、
             花がたみをば給はりけり」で終わる全文をのせる。

 

           

         庵の左手の山路を下ってくるのは法皇の御幸を知らぬ女院と大納言佐であった。

         建礼門院のもとを後白河法皇が訪れた話が「平家物語」の最終を飾る「潅頂の巻」
         である。  
         突然の法皇の御幸に、はじめ逢うことを拒んだ女院であったが、阿波内侍に
         説得され涙ながらに法皇と対面する。

         先帝、御子、平家一門を弔いながらの今の苦境は後世菩提のための喜びである
         と述べ、六道になぞらえて己が半生を語る女院に、法皇はじめ共の者も涙する
         ばかりであった。

 

                  

                         琵琶法師図   

                 「平家物語」を平曲として世に広めたのが琵琶法師であった。

                 平安時代末期以来多くの絵巻ものなどに、盲目の琵琶法師が
                 琵琶を背負い杖をついて歩く姿が描かれる。

                 寂光院には琵琶法師図と琵琶二面が伝来している。

 

                 

                        西方正面の池

 

         

                   茶室 「孤雲」

          大原草生の地に寂光院が建立されたのは、京都に平安京ができる以前のこと、
          聖徳太子が父用明天皇の菩提を弔うためであったと伝わる。

          草生の里寂光院の名が歴史上にあらわれるのは、文治元年(1185)秋に
          建礼門院徳子が寂光院に閑居してからである。

          女院寂後の寛喜元年(1229)に旧本尊の地蔵菩立像は建立されたが、
          その後の寂光院は女人寺として建礼門院の遺跡を大切に守り伝えている。

 

         

             寂光院のすぐとなりには 建礼門院徳子 大原西陵  (宮内庁管轄)

             建久二年(1191)2月中旬ごろ、女院はこの地で往生の時を向かえ
             その生涯をそっと閉じた。

             現在でも静かな山里、都を遠く離れた洛北の地大原寂光院に閑居し
             短い余生をおくられた建礼門院ゆかりのこの地は何度となく訪れたく
             なるところです。

 

 


写真展 「日の光」 

2012-03-24 21:15:32 | Weblog

                    東日本大震災チャリティー写真展「日の光」が
                    開催されています。

 

                   

                         ” 君へ、希望と勇気を照らしたい”

                  いつもコメントいただいている、雲母舟さんと写真のお仲間たち
                  15人によるチャリティー写真展の二回目です。

 

            

                  今日、土曜日の午後は賑わっていました

 

            

                 メンバーの方一人2作品が展示されています

 

      

           風景、動物などそれぞれの作品の絵葉書がチャリティーになっています

          
           ここでも東日本大震災チャリティーの輪ができています、そしてそれが
           確実に広がっていました。

           開催は明日、日曜日16時まで、お出かけいただけたら嬉しいです。

             会場 ギャラリー サロン ド フルール
            
               港区南青山5-7-2  ラ・フール南青山1F
                TEL 03-5485-8748
           

 


3月22日有楽町に桜が咲きました

2012-03-23 10:02:56 | Weblog

               「桜を見上げよう」 Sakura Project 日本の春を有楽町に。

 

 

      47都道府県の「桜」を集めたイベントが有楽町ルミネの広場で22日からはじまりました

 

                 

                     プラントハンター西畠清順氏の指揮により

 

                 

                   各都道府県から集められた枝には札が付いています

 

         

                  宮城県南三陸町とか仙台市というように

         

         
         
                 

                     山口県の桜はさくらんぼがなる木なのでしょうか
            
                     故郷のひと枝を捜している人も見かけました。

 

           

           この時期にこんなに美しく咲かせるのには苦労があったようです

 

                

                ソメイヨシノより遅く咲く八重の花も美しく見せてくれました

 

                

                     みんなが見上げています

 

                

                      

                        子供たちは何を感じたのでしょう

 

          

            桜を見上げて、”47都道府県がひとつになれた”  都会の寒空のもと
            美しく咲いた桜に目頭が熱くなりました。
           

           特別出展の東北の息吹を感じる商品が並べられた出店で食品を買いました。
           ささやかですが、あらためて復興を願い、美しい桜を見せていただいたお礼の
           気持ち、列に並んだ人たちの思いは同じだったと思います。

             「桜を見上げよう」のイベントは25日、日曜日まで。