しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

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「興福寺仏頭展」

2013-12-01 07:09:52 | 美術館 博物館

                    白鳳の微笑みに惹かれて会いに行きました。


                

             法相宗は弥勒菩薩を鼻祖とし、玄奘三蔵によって中国にもたらされ、
             奈良時代に興福寺に伝わり、「興福寺」は日本の法相教学の中心
             寺院として発展しました。


        

                厨子入り木造弥勒菩薩半跏像


           

                      今回厨子からお出ましでした

                              

                        弥勒菩薩像の光背は 

                

                 檜材と銅を組み合わせて作られ、五方向に三条づづ
                 射光をだす特異な形式。
                           


                  

                厨子の中の絵を見ることができました、正面・左右側面などに
                法相祖師・十大論師の諸像が描かれています。
                これは左奥扉の絵、左側上から三段目が玄奘三蔵です。

                

                 台座は12方6段の華麗な蓮華座で、連弁一つ一つに
                 弥勒菩薩坐像一体を描き、下敷茄子に獅子像一体を
                 あらわしている。 
 

     
                 今回の展示の中でユーモラスな表情がとても気に入り
                 大好きになった 国宝 板彫十二神将を紹介します。


        

             厚さ3cmの檜材の平板から彫りだした12面のレリーフです

        

             大将像は正面向きから左方、右方があり、いずれも岩座に立ちます

        

                表情や姿勢も様々で変化に富み

        

          目鼻・口腔の起伏や手足の重なりがわずかな厚みの中にも奥行きを感じます

        

            右の迷企羅像は肩紐で吊る短衣をつけていますが、他はみな着甲です

        

          下顎を出し歯を食いしばる伐折羅大将、武器を持ち威嚇する宮昆羅大将

          この板彫十二神将像の、豊かな表情に親しみがわきました。
           


           もう一組の十二神将も紹介しましょう。

           木造十二神将立像

       板彫十二神将と同名の大将ですが、十二神将像はその表記、発音、並び順序、
       十二支獣との関係などが決して一様ではなく、興福寺の木造十二神将立像は
       頭上にいただく十二支獣との関係からこの順番になったそうです。


    

      鼠を頭にいただいき、遠くを見やるような仕草でしょうか、細い指先が意外でした

    

       いづれもポーズがある立像で、その姿も側面、背面からも見られ魅力的でしたが、
       特徴ある頭部分のみの紹介です

    

          顔の表情から想像できないほど頭にのせた十二支がかわいいのです

    

          そしてその表情から頭の動物を意識しているようにも見えました

    

            こちらの木造十二神将にもとても親しみを感じました

    

        犬を頭上にいただく大将は、正面から見ると剣を振りかざす姿ですが、
        上半身を少しかがめて、やや腰をひねる後姿に、いかつさは見られません。

 
        今までに仏閣・仏像の展覧会でも多くの十二神将が展示されてきましたが、
        二組の国宝が同時に展示されることは、最初で最後でしょうということでした。

        十二神将はどちらかというと脇役の傾向があるので、その特色など知られて
        いないようです。
        私も十二像の名前は言えませんし、憤怒の表情の名脇役をこんなに興味深く
        見たのは初めてでした。

 

               この十二神将がお守りするのが国宝「銅造仏頭」です。


               

             
            興福寺東金堂の薬師三尊像の本尊・薬師如来は東金堂の火災で
            失われましたが、それから500年以上を経た昭和12年(1937)


               


            現在の東金堂の本尊台座の内部から頭部のみが発見されました。
            それがこの国宝 銅造仏頭です。

            通常は興福寺国宝館に収蔵・展示されているので、今回の展示では
            東金堂に伝わる木造十二神将と久方ぶりに一堂に会したことになります。

                

                   視線は遠方のかなたに向けられています

               

            仏頭には左耳上の頭髪部にたてに入った鋭角的な深い窪みがある、
            この損傷は、堂が焼けて落下した時に何かに当たった打撃の傷で、
            左耳の下辺部も折損しました。

               

             仏頭は、鼻筋から眉にかけての描線がきれいで、青年のような
             若々しさが感じられます。
             口端を窪めて微笑みを浮かべ、品格のあるおおらかな表情の
             美しい仏頭でした。

             
             木造十二神将が広く配置され、その中央に十二神将に護られる
             かのように「仏頭」が置かれ、すべての像が側面も後面も全部
             見られるのが魅力です。

             心に残る「仏頭展」でした。
             

 

               

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「花開く江戸の園芸」展

2013-08-23 06:42:57 | 美術館 博物館


           今から150年前に来日したイギリスの植物学者、ロバート・フォーチュンが
           驚いたこと、それは日本人がみな花好きであるということ。

           花や緑を愛する心や、上手に育てるための技術は、大名から町人、農民まで、
           身分を越えて大切にされていました。

          

            江戸東京博物館で開催中の「江戸の園芸」展、えど友で見どころ解説を
            聞いてから見ることが出来ました。

        

           慶長八年(1603)、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられて、江戸時代は
           幕を開ける。
           そして266年という長きにわたって平和が続いたことにより、さまざまな
           文化芸術が大きく発展した。

               

           園芸、花作りも例外ではなく、日本人の細やかな感性と美意識によって
           多くの園芸植物や品種が生み出された。


                  花と緑の行楽文化

 

       

         隅田川花見 (錦絵)   歌川国芳

    江戸時代の人々は、信仰と娯楽をかねて江戸の名所を巡る文化を育んでいきましたが、
    江戸で人気を博した名所の大半は、松や桜、梅といった伝統的な樹木が植えられた
    寺社の境内でした。

 

              浅草奥山四季花園入口光景

     花卉園芸が普及し、より多様な植物えの関心が高まると、町人が開設した庭園である
     梅屋敷、花屋敷、百花園などといった新しい名所が登場してきます。

 

                 植木鉢の普及と高まる園芸熱

           庶民が栽培を楽しんだり、生活を飾るために植物を購入し始めたのは
           江戸時代のことです。

          

            武江染井翻紅軒霧島之図 (ぶこうそめいほんこうけんきりしまのず)
            五代目伊兵衛が、浮世絵師に自宅の庭を描かせた図。

             巣鴨染井の伊藤伊兵衛
            庭の造園、維持管理のために、植物の生産と植え留め場、そして
            植木職人の居住などが近郊数箇所にあった。
         
            その中で一番大きな生産地となったのが、巣鴨染井村であった。
            中でも霧島屋伊兵衛が頭角を現した。
            (伊藤姓を名乗り、染井の種樹屋として代々伊兵衛を継ぐ)

   
           
          春宵梅の宴   三代豊国画

     江戸時代城郭庭園には梅が多く栽培された、果実は梅干に加工貯蔵し、籠城時には
     生木でも燃料になる、花は厳冬期に咲き、清廉高潔、凛とした美しさは武士を象徴する。

             

                見立て松竹梅の内  うえ木屋の梅

            園芸植物が商品となると、栽培にも創意工夫を凝らすようになり、
            より洗礼された品種の生産が促進されてゆきました。

            こうした変化の一翼を担ったのが植木鉢の普及です。
            植木鉢は植物の運搬を容易にし、販売と栽培の両面からそれまでの
            園芸のあり方に大きな変化をもたらしていきました。

     

             団扇絵上臈の松の雨      歌川芳虎画

           ジョウロで植木に水をやる女性が楽しそう、庶民も花を育て、愛でた。

                   江戸中期以降には、瀬戸、有田など陶器の産地で植木鉢が量産され、
           鉢植え物が大流行するようになりました。

            

             

            

                    四季花くらべの内 秋      三代歌川豊国画

              上) 初代坂東しうか 中) 八代目市川団十郎 下) 三代岩井粂三郎

 

            ゑん日の景        歌川国貞 (三代豊国)

       夜の縁日、虫売り、金魚売り、植木売りを楽しむ庶民の姿が抑えた色調の中に
       格調高く表されている。

            武士の愛した不思議な植物たち

       江戸時代の鉢植え植物の中でも、とても美しく、かつ珍しい植物は”奇品”と呼ばれて
       珍重されました。
       様々な種類や品種が作出されやがて世界的に類例のない「珍草奇木」として、
       オモトや変化朝顔などが発達した。

  

       万年青7種・金魚葉椿・班入り薔薇  (おもとななしゅ・きんぎょばつばき・ふいりばら)
                        関根雲停画             (下段右端)   (下段中)

           水野忠暁撰  関根雲停画  架蔵7紙の内1紙

        武士たちが限りない愛情を栽培に注いだ奇品は、花の美しさを基準とする
        現在の感覚からみれば到底美しいと形容できるものではありませんでした。

                

                  玉青堂愛翫竺蘭真写 (ぎょくせいどうあいがんじくらんしんしゃ)

     
              武士たちは手間と時間を惜しまず、葉の形や斑の入り方・色などに
              こだわり、ほかに類を見ない珍奇な植物を育てることに熱中しました。

   

                   江戸園芸三花  -朝顔・花菖蒲・菊ー

              江戸の花卉園芸の中でも特異な発展をみせた朝顔・花菖蒲・菊の
              三花、これらはいずれも武士が深く関わって園芸品種の基礎を作り
              やがて植木やがこれを受け継ぎ、発展させていきました。

            

             

                    三都一朝   

            三都から出品された変化アサガオの珍花図譜、彩色図86種を収める。
            
            江戸下谷の植木屋・成田屋留次郎は変化アサガオの品種改良や
            普及に情熱を注ぎ、朝顔大流行のもとを作り出した。
            今に残る入谷の朝顔市の元祖でもある。

            およそ朝顔と思えないほど変化を遂げた朝顔です。

           

                   花菖蒲画賛    松平定朝(菖翁) 筆

              園芸植物として最も著しい発展を遂げたのが、ハナショウブです。
              一人一代でこれを世界の園芸種に育て上げたのが松平定朝。

              天保(1830~44)の初めに優れた花は百種を越えた。

          

               花菖蒲培養録    松平定朝 著

            左は「宇宙」(おおぞら} 右は「げい裳羽衣」(げいしょううい)とともに
            定朝一代の傑作、品種が現存する。 (天女の羽衣という意味)

 

            百種接分菊 (つぎわけぎく)   歌川芳国   

        1本の菊にすべて異なる100種類もの菊を接ぎ木したもの。  弘化2年秋、
        今衛門の作品。 色とりどりの菊を数えるとちょうど百本あり、すべての花に
        花名を記した短冊がついています。
        1本の菊で百花繚乱 江戸の園芸技術の高さをよく示しています。
        

                  園芸文化の明治維新

        江戸から明治へと移り行く時代の流れの中で、江戸の園芸文化は大きな
        曲がり角を迎えます。

        西洋から輸入された洋薔薇の美しさは文明開化の日本において急速に
        受け入れられていきます。

        これと対照的に斑入り常緑植物にあれほど惚れ込んでいた奇品栽培家の
        姿は次第に影を潜めてゆきました。

                (小笠原 左衛門尉亮軒著「江戸の花競べ」も参考にしました)

 

             

                  
            花や緑に親しむ人々が描かれた浮世絵や屏風、現代と変わらない
            技術が満載の園芸書、丹精込めて育てた自慢のひと鉢が描かれた
            刷物などを通して、平和な時代に花開いた江戸時代の園芸文化は
            思った以上に興味深いものでした。

            江戸博を出るとすっかり暮れていました、いつもこの道を通る時は
            江戸時代に思いを馳せた後で、平成の世に戻る道でもあります。

         

                  江戸東京博物館  開館20周年特別展 
                        「花開く江戸の園芸」は9月1日まで。


         

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ファインバーグ・コレクション展

2013-07-29 07:48:04 | 美術館 博物館

                江戸東京博物館で開催されていた「江戸絵画の奇跡」は
                興味深かった。

                江戸博「友の会」で学芸員による解説を聞いた後に見学の
                予定でしたが、残念ながら解説は聞けませんでしたが、
                江戸好きのお仲間とゆっくり見学できました。

                

             江戸絵画を蒐集したロバート・ファインバーグ夫妻が初めて日本画を
             購入したのは、1972年のこと、ニューヨークメトロポリタン美術館で
             行われた南蛮屏風展を宣伝する2ドルで買ったポスターでした。
             
             それまでほとんど何も知らなかった日本の美術や歴史を初めて垣間見て
             すっかり魅了されたそうです。

                   日本美のふるさと 琳派

             17世紀初頭、京都の町人俵屋宗達により日本の古典美術復興の
             機運が高まり、その流れは18世紀初頭の尾形光琳、19世紀初頭の
             酒井抱一、そして20世紀前半の神坂雪佳へと受け継がれてきました。

                    

                           俵屋宗達   虎図

                  墨だけで描かれた虎、虎が生息しない日本では、虎を
                  身近な猫のように描くことが多い。

                  特に琳派の絵師が描く虎は、軟らかな水墨表現や丸みを
                  帯びた描写から、とりわけ優しく、可愛らしい印象となる。

                  大胆な接近構図にひょうきんな虎の顔も印象的です。

                  

                       尾形光琳     白菊・雪蘆図団扇

                 秋を象徴する菊と、冬を象徴する雪を乗せた蘆、菊の枝葉は
                 琳派の絵師が得意とした、墨の濃淡のにじみを効果的に
                 あしらった描法”たらし込み”で描かれている。

                 雪蘆図は薄茶色に枯れた葉を近泥で美しく表現し、白く雪が
                 乗っている。 
                 背景の金泥にはさまれた素地部分は川をイメージしたもの。

                 団扇絵を得意とした光琳、実際に団扇として使われたもので
                 あることがわかる、もともと雪蘆図を裏側として1本の団扇の
                 両面に貼ってあったものと思われる。

            

                    尾形乾山     百合図扇面

              二つの花を咲かせた、1本の白百合を描いた扇面画。
              百合の花は変色が進んでいるが、もともとは爽やかな色彩の作品で
              あったことが想像できる。

              この絵を描いた乾山は光琳の弟で、陶工としての仕事が主であった、
              晩年になって絵を描くようになった。

 

     

                

                   鈴木其一   群鶴屏風図

        光琳の作を源泉とする、金地に意匠化した川と鶴の群れを描いた屏風は
        琳派の画家たちに描き継がれています。

        4枚の襖絵であったと思われる、横に並べたとき、中二枚が後ろに隠れると、
        左右端の鶴が見詰め合うようになる(ちなみに左が雌、右が雄)

        独特の群青の水の流れは描き継がれ、S字状に曲げた鶴の首や繊細に描かれた
        細い足など其一の群鶴の特徴のようです、解説を聞くとまた興味がわきます。

 

                  中国文化へのあこがれ  文人画

            はじめは武家の知識人によってうながされた日本文人画の歩みは、
            町人の池大雅や農民出身の与謝蕪村など庶民によっても受け継がれ、
            日本人独特の感性をのびやかに発揮した新鮮な美の領域を開拓して
            いきました。

                

                    池大雅 
 
              中国の高士の帽子や笠にまつわる故事を描いた屏風画の一部。
              池大雅は日本文人画の大成者として知られる。
              自らの生き方と一致する中国古代の文人達に敬意と共感の心を
              込め、異例ともいえる大柄な人物像を、のびのびとユーモラスに
              描写している。
          

                      

                       与謝蕪村  竹斎訪隠図屏風
                               2曲の小さな屏風の一部

                      池大雅と並び称される日本文人画の大家
                     

                       

                         与謝蕪村   高士渡橋図

                 「笠をになって橋を渡るこの人は、仙人にも通じるような
                 世捨て人を訪れようというのだろう」と、七言絶句の漢詩を
                 記している。

                    
                        写生と装飾の融合  円山四条派

                      

                         岸駒     滝に鷲図              
                     
                    三山堂々の鷲、鋭い爪で岩をつかむ。
                    滝に沿って目を右下に移すと、そこには慌てふためいて
                    逃げる小鳥が一羽。
                    深山を背にした緊迫の一瞬を見事に表現している。

                       

                          鈴木松年    月に雲図

                 見学の時、ボールのような月に少し話題になった絵でした。
                 鈴木松年は日本画家上村松園の最初の師です。

 

                     都市生活の美化、理想化    浮世絵

            上から目線で庶民の生活相を報告した絵画は存在しましたが、 
            画家が同時代の人々の生き様を率直に写し出した真の意味の
            風俗画は、16世紀後半以降生まれました。

            京都で流行した風俗画は、浮世絵という新しいジャンルによって
            江戸で受け継がれてゆくことになります。

 

      
                

                   菱川師宣    吉原風俗図  (2枚が横につながっている)

           幕府公認の唯一の遊郭、吉原の揚屋の光景を描いたもの。 揚屋とは
           吉原にやってきた客が高位の遊女を遊女屋から呼び寄せて、酒宴を開いたり
           遊女と一夜を共にする施設である。

           画面下には勝手口より揚屋に入る遊女の様子、揚屋の台所における調理
           風景、そして上の絵は遊女と客の床入りの様子となっており、3場面を
           巧みに一画面にまとめて描く。

           師宣は吉原の風俗を画題とした絵巻や屏風などの作品を複数残しているが、
           この作品は師宣自身の手による特別注文品と考えられる。

         

   
             
                       

                       菱川師平     花見遊楽・吉原風俗図屏風 (部分)

            花見風景の部分では、今も昔も変わらない桜の下での遊興振りが
            展開する様子が描かれています。

            屏風や掛け軸など、組となる作品に季節を描き分けたり、それぞれに
            江戸名所を当てはめた画題は、江戸時代を通じて好まれた。

           

                    英一蝶     若衆と遊女図

            遊女に杯を差し出す若衆。  向き合う二人の間には、親密な距離感以上に
            濃密な空気を感じることが出来る。

            このような濃彩で、男女二人の姿のみを描いた浮世絵の作品は珍しく、
            特別注文品と思われる。

           

                 懐月堂安度     遊女と禿図(かむろ)図

            脇息に寄りかかってくつろぐ遊女と、遊女の世話をする禿を描く。
            よく見ると禿は左手に小さな香炉を持っており、薄く煙が立ち上っている。
            遊女は右手を差し出して香炉を受け取ろうとしているようだ。

                        

                         松野親信  立ち姿美人図

               懐月堂に強く影響を受けた美人図。 メリハリのある描線、大胆な
               着物の柄、すっきりと胸を反らして立つ姿は、懐月堂派の特徴を
               受け継いでいる。着物の描写も共通する。

                      

                       歌川豊国(初代)  
                         三代目瀬川菊之丞の娘道成寺図

               歌舞伎舞踊の演目のひとつ「娘道成寺」の舞台を描く、「娘道成寺」は
               安珍という若い僧に裏切られて怒りのあまり大蛇と化した清姫が、
               道成寺の鐘の下に逃げ込んだ安珍を、そのまま焼き殺してしまった
               という伝説によるもの。

               ここに描かれるのは、その後新たに造られた鐘の下で踊る、清姫の
               怨霊が化けた白拍子の姿である。踊っているのは三代目瀬川菊之丞。
               豊国は役者絵の名手といわれた絵師である。

                  

                      

                        歌川広重   隅田河畔春遊図

                  桜の季節の隅田川の渡し場付近を描く。 周りの景色から
                  隅田川東岸の桜の名所、三囲稲荷(みめぐりなり)前の
                  竹屋の渡界隈であることがわかる。

                    

                      葛飾北斎    源頼政の鵺(ぬえ)退治図

               平安時代末、夜な夜な一群の黒雲とともに不吉な泣き声で御所を
               おびやかす怪鳥がいた。
               源頼政が命を受け、見事に射落とした話が「平家物語」に出てくる。

               その名場面で北斎は怪鳥を直接描くことはせず、頭上から射す
               二筋の赤い光線で暗示した。   
               意表をつく構成が、頼政の雄々しさをクローズアップしている。

                         *   *   *

               江戸時代の日本絵画は、政治的な権力を握っていた武家政権と、
               文化的な権威をなお保持していた宮廷や有力寺社とが、専属の
               画家集団を雇って彼らの権力と権威とを厳かに、また華やかに
               荘厳させていた。

               その一方で、経済活動や農村経営で富を築くようになってきた
               都市の町人や、田園地帯の農民は、彼ら庶民の率直な美意識や
               嗜好を代弁してくれる在野の独立した画家たちを支持し、育成
               したのであった。

               ファインバーグコレクションは、そうした上下二層に分かれた
               江戸時代絵画の中にあって、時代を通して自由な絵画表現を
               競い合った後者の絵画を中心に形成されている。

 

               ロバート・ファインバーグ氏とその妻ベッツィーさんは、米国在住で
               日本の江戸時代絵画を格別に愛する数少ないコレクターに属して
               いる。
               中でも個性的な画家による自由な造形を好み、中国や西洋など
               外国の影響を可能な限り排して日本人としての感性を存分に
               発揮した作品を偏愛し、尊重してきた。
               鋭い審美眼と日本的な美意識の感受能力は素晴らしい。
               

 

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大神社展

2013-06-23 07:33:28 | 美術館 博物館

                 

                  東京国立博物館で6月2日で閉幕した「大神社展」

 

           

              全国の神社パワーを集結した神社美術展は閉幕3日前でしたが
              私と同じ駆け込み見学者でしょうか賑わっていました。

 

                

             日本人は古来、自然の中に人知を超えたものを感じ、山、岩、木など
             自然の中に神を見出し、敬ってきました。

             やがて神々を祀る神社が建てられ、神々の調度品である神宝や、
             祭神の姿を表した神像などが作られました。

                  

                    唐織 紅地鳳凰桜雪持笹模様 (重要文化財)
                    安土桃山時代・16世紀  広島・厳島神社

                    神の御料とされた女房装束でしょうか、色鮮やかで
                    美しい織物でした。

              

                 富士浅間曼荼羅  江戸時代・17世紀 富士山本宮浅間神社

                宮曼荼羅、参詣曼荼羅など神社特有の思想や往時の風景、風物を
                見ることが出来ました。

             * 富士山が世界遺産に決まりました。古来、日本人の重要な信仰対象で
                あり続けてきたことに加え、江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎らの
                作品の題材になって海外にも影響を与えた芸術の源泉としての価値が
                評価された。  (6月23日朝刊より)
                 

 

                  神々の姿

                  

                     吉野御子守神像        子守明神像

                   礼拝像に相応しい形式と   和装姿が美しい女神像の
                   威厳を備えた女神。       代表的作例。

 

                       

                           女神坐像  

                       色白で豊満な美しさの中に、神の厳しさも
                       表現されています。

                      

                           女神坐像

                      ふくよかな顔立ちながら、鋭い眼差しが特徴

 

                     

                        男神坐像

                    最初期の神像、威厳ある姿は男神の典型として
                    引き継がれます。

                      

                      家津美御子大神坐像(けつみみこのおおがみ)

                      神像独自の表現が確立する時期の貴重な作品

                  
                      ほんとうは目に見えない日本の神、その姿は
                      男性、女性、母、子どもなどさまざまなかたちで
                      表されてきました。

 

                   

                    春日神鹿御正体  (かすがしんろくみしょうたい)

                  春日大社の使いの鹿です。 印象に残る美しさでした。

 

            

                     獅子・狛犬

               角があるのが狛犬で、角がないのが獅子だそうです、
                                           これも初めて知りました。

              神社は、地域の生活や文化の中心となる神聖な場所として尊崇され、
              神像や宝物が大切に守り伝えられてきました。

              会期の前半と後半で作品の入れ替えもあったようですが、見応えある
              「大神社展」は、会場でもパワーがいっぱいのよな気がしました。
              そして我が家の近くの富岡八幡宮が一層身近になったように思えます。



 

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「ミュシャ展」 パリの夢  モラヴィアの祈り

2013-05-09 07:09:05 | 美術館 博物館

                

                     「ミュシャ展」  パリの夢 モラヴィアの祈り

              

                チェコ人ミュシャ

 

                   

                      パレットを持った自画像

                  1860年、今日のチェコ共和国、モラヴィア地方にある
                  小さな村で生まれた。

                  チェコ人というアイデンティティと祖国愛は生涯変わらぬ
                  精神的支柱であり、画業を通して祖国のために働くことが
                  夢でした。
                  その決意はスラヴ統一を象徴するロシア民族衣装を着て
                  自画像や写真に現れることやミュンヘン、パリ、ニューヨーク、
                  シカゴなど行く先々でスラヴ協会を結成し、コミュニティーの
                  リーダー的存在となっていたことからもうかがえる。

              

                サラ・ベルナールとの出会い

 

                      

                          ジスモダン

                   挿絵画家ミュシャがデザイナーとして一躍有名になる
                   きっかけとなったポスター。
                   女優サラ・ベナール主演のポスターがパリの街頭に
                   飾られるや評判になった。
                   

                

                   椿姫               ロレンザッチオ

              ミュシャがベルナールのために製作した2作目のポスター(左)
              初めて男役ロレンザッチオを好演した時のポスター  (右)

                 

                  メディア               トスカ

                 ミュシャは血塗られた刀剣を持つメディアが死体を前に
                 立ち尽くす鮮烈な情景を創造。

                 トスカはのちにプッチーニによってオペラ化され、
                 三代歌劇のひとつとなった。

              ミュシャ様式とアールヌーボー

            印刷技術の飛躍的な発展と、ベル・エポックの消費文化の恩恵を受けて
            ポスターは新たな視覚文化のジャンルとなり、黄金時代を迎えた。

            企業間の商品競争が高まるにつれ、自社製品を消費者にアピールする
            必要から宣伝ポスターの需要が急増し、多くの画家がポスターのデザインを
            依頼された。
            この新たなジャンルに登場したのがミュシャである。

         

           カサン・フィス印刷所   ルフェーヴル=ユティル ビスケット:シャンペン風味

     ミュシャはサラ・ベルナールのポスター以外にもさまざまな商業ポスターを手がけている。

     ルフェーブル=ユティル社はフランス有数のビスケットメーカー、ミュシャは同社の公式
     画家であり、ポスターやカレンダーのほか商品のラベルやパッケージのデザインも
     手がけている。

                 

                        ショコラ・イデアル

 

                

                       ムーズ川のビール

                 片手で泡立ったビールのジョッキを持ち、もう一方の手を
                 顎に添えてひじを付いた女性。
                 ミュシャのよく知られた画風に比べて、よりリアリスチックな
                 調子で描かれている。

                 ムーズ川はフランス北東部を水源とし、ベルギー、オランダを
                 経て北海に注ぐ川。
                 

                  

                        モナコ=モンテカルロ

                   この作品は、パリ、リヨン、マルセイユを結ぶP.L.M.
                   鉄道のための観光ポスター。

                

                   モエ・エ・シャンドン;ドライ・アンペリアル
                                ;ホワイトスター・シャンペン

               ドン・ペリニヨンをはじめ世界的に有名なシャンペンのメーカー。
               同社の2種類のシャンペンのために製作されたのがこの2点の
               ポスター。

           

               ネスレ社の奉祝ポスター (ヴィクトリア女王即位60年記念)

 

            

                  ウェイヴァリー自転車

              アメリカのインディアナポリスにある会社の製品だが、ヨーロッパの
              主要都市で売られていた。

     

      ルフェーブル=ユティル                  ビスケット;ブドワールの箱
              ビスケット;マディラ酒風味の箱

           

                  フランス香水<ロド>のセット

 

                  美の探究

             ミュシャのポスター作家としての名声を不動のものとしたのは、
             装飾パネル画の成功であった。

             装飾パネル画とは、宣伝ポスターから広告の文字要素を取り除き、
             純粋に室内装飾と観賞を目的として製作された。

        

                  夢想

           花と女性の芸術家ミュシャの典型的な作例のひとつ。
                    1898年の迎春用にパリのシャンプノワ社から依頼されてデザインした
           社名入りの作品、その後画面上端の飾り枠にあった社名など文字が取り
           除かれ、一般向けの装飾パネルとして販売するためにアレンジされた。

               

                 パリスの審判 (ヴィエマール印刷会社のカレンダー)

               万年カレンダーとして企画された作品。 画面下方の3つの
               マスクの口内に日付が現れる仕組み、枠内には古代ギリシャ
               神話の物語が表されている。

           

              サロン・デ・サン ミュシャ展         ノートルダム石鹸の習作


                パリ万博と世紀末
         
             1900年パリ万国博覧会は、前世紀の人類の偉業を讃え、新世紀への
             さらなる躍進を願って開催された世紀のイベントであった。

             1896年から本格的な準備の始まったこの大事業は、アールヌーボーの
             広がりと並行して急ピッチで進み、この最先端の芸術精神が展示品から
             会場の建築物に至るまで席巻したパリ万国博覧会は、後に「アール
             ヌーボーの勝利」と評される。

                  

                   パリ万国博覧会の公式晩餐会のメニューの下絵

            パリのアートシーンの注目を集めていたミュシャにも仕事の依頼が殺到した。
            しかしミュシャにとって、このイベントは華やかで豊かなるヨーロッパ文明の
            陰に潜む闇の部分を再認識させられる契機となった。

            スラヴの同胞のための仕事を渇望していたミュシャは当時オーストリア=
            ハンガリー帝国の占領下にあったボスニア=ヘルツェゴビナのパビリオンの
            内装を請け負うことを喜んだが、祖国がオーストリアの植民地政策にあるのに
            自分がパリ画壇でもてはやされ、帝国を代表する芸術家としてプロジェクトを
            請け負う矛盾した現実に悩み、 ミュシャは祖国とスラヴの同胞のために働く
            決意を新たにした。
                

            パリが博覧会の準備で沸いていた1898年、中世の石工ギルドに起源を
            発するともいわれるフランスのフリーメイソン組織フランス大東社に入団した。

            1918年にチェコスロバキア共和国として独立すると、ミュシャはそれまで
            抑圧されていたチェコのフリーメイソン活動を復活させ1923年には初代の
            グランド・マスター(最高大総監)に就任する。

                 

                      <月と星;月> 月の下絵

           ミュシャ様式の中の女性の姿も、世俗的な誘惑者あるいは美の化身から
           形而上的な存在えと昇華されてゆく。

 

        

               ヤロスラヴァの肖像

           1909年アメリカ滞在時代にニューヨークで生まれたミュシャの娘、その後
           15年にプラハで生まれた息子のジリと共に繰り返し描かれ、チェコの紙幣の
           デザインにもモデルを務めている。

           力強い視線のヤロスラヴァの目を引く頭に巻かれた白い布は、チェコの
           民族衣装。
             

              ミュシャの祈り

           
           1904年最初の訪米のあとミュシャは活動拠点をアメリカに移し、資金
           集めに奔走していたが、資金援助を得て「スラブ叙事詩」を実現する
           ために、1910年に長年離れていた祖国へ戻った。

 

                

                   モラヴィア教師合唱団のポスター

            プラハで再出発したミュシャは、新築のプラハ市民会館の装飾に着手、
            1911年その仕事を終え、以後17年の歳月を<スラヴ叙事詩>の
            製作のために費やすことになる。

            これに並行して愛国的なイベントのポスターや民族的なテーマを描いた
            絵画を次々に制作してパリでの決意を実行に移してゆく。
              

                 

                     チェコスロバキア共和国独立10周年記念

                今回ミュシャのチェコ民族衣装コレクションも展示されている。

                        

                           スラヴ叙事詩展

                 「スラヴ叙事詩」は基本寸法6x8mの大作20点にも及ぶ、
                 ミュシャの後半生を代表する大規模な連作である。
                 アメリカの富豪の資金援助により1911年から製作が開始され、
                 最終的には20点すべてがプラハ市に寄贈されたのは、チェコ
                 スロバキア共和国独立10周年の年1928年であった。

                 叙事詩という表現形式に大きなインスピレーションを与えたのは
                 アメリカ滞在中に聞いたボストン交響楽団の演奏によるスメタナ
                 作曲の交響詩「我が祖国」であった。

                 ミュシャは芸術を通してスラヴ民族の文化を世に知らしめ、
                 スラヴの団結を促す仕事に余生を捧げる決意をしたという。

                 

                    母と子;子守唄 (プラハ・ハラホル合唱教会の壁画
                                      歌のための習作)

              
            

                 

                   参考図  プラハ聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの窓
                   
                           (最終下絵が紹介されています)

              1933年ヒトラーが台頭すると、「スラヴ叙事詩」の中に「希望の光」を
              モチーフに使って戦争の恐怖をテーマにした作品に取り組んだ。

              さらに1936年、迫り来る戦争と祖国の将来に心を痛めたミュシャは
              人類の叡智への願いを込めて三部作<理性の時代><叡智の時代>
              <愛の時代>に着手した。

              しかし1939年の春ドイツ軍がプラハに侵攻、祖国は再び独立を失う。
              3月15日、ミュシャはゲシュタボに逮捕される。
              5日間尋問された後、帰宅を許されるが、前年から肺炎を患っていた
              ミュシャの健康状態は悪化する。
              79歳の誕生日を迎える10日前、7月14日プラハにて死去。
              ミュシャの三部作も未完に終わった。

              ドイツ軍に集会や演説が禁止されていたにもかかわらず、弔問に
              訪れ大勢の人々の前でチェコ芸術アカデミー会員マックス・シュヴァ
              ビンスキーが追悼演説を行った。

 

              音声ガイドから流れるスメタナの交響詩<我が祖国> が印象に
              残り、図録を見ながらも流れてくるような気がしました。
              「アルフォンス・ミュシャ展」 素晴らしかったです。

                 (森アーツセンターギャラリーで5月19日まで開催)
              
              
              
             

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特別展 飛騨の「円空」

2013-03-27 07:27:54 | 美術館 博物館

                   癒しの円空仏100体に会いに行きました。

 

        

            東京国立博物館前の広場は工事も終了してきれいになっていました

 

                

                       「円空展」は本館で開催です

 

                

                    

                         

                       江戸時代に、近畿から、北海道まで諸国を
                       行脚し、行く先々でその土地の民のために
                       仏像を彫り続けた僧、円空。

                    円空仏の魅力はその素朴で愛らしい作りにあります。
                

                  

                           円空   (1632~1695)

                  美濃の国(岐阜県)に生まれ、法隆寺、園城寺、輪王寺などで
                  受法し、修験者として霊山に登り、そのとき立ち寄った集落で
                  膨大な木造仏を造りました。

 

             

                      両面宿難座像 (りょうめんすくなざぞう) 部分

                 「日本書紀」に登場する異形の飛騨の怪物、ひとつの胴体の
                 前後に二つの顔、4本の手足を持つといわれる。
                 この像は正面に顔を二つ並べ、手を4つ表し、刀を佩き、斧を持って
                 岩の上に座す姿。

                 光背を備え、正面に二つの顔を並べるのは、礼拝の対象として
                 造られたからでしょう。     円空入魂の傑作です。
                 
              * 本当は剣と弓矢を持つはずなのに、円空は斧を持たせた、斧は
                 山に生きた飛騨の人々の必需品だからと思われるそうです。

 

            

                    不動明王および2童子立像

              不動明王の両手は握った中心に穴を空けてあるので別製の剣と索を
              持っていたと思われる。
              二童子は小悪と小心という性格が表情によく表れています。

           * この3体は下から見ると年輪がつながるので、1本の木から造られたと
              分かる。

 

           

                 千手観音菩薩立像

               脇手を別の木材で作って貼り付けてあり、丸削りが多い円空には
               珍しい像、頭上に8面、脇手は左右20本(左は6本なくなっている)
               体の前面に僧形像を伴う。

 

                   

                          宇賀神像

                    古事記にも登場する日本古来の雨乞い、招福を祈る神
                    蛇のからだに老人の頭をつけている。
                    上から下にとぐろを巻き頭を持ち上げる姿です。

                    雨を待つ村人の切実な願いに応じて作られたのでしょう。

 

 

                           

                        龍頭観音菩薩立像と聖観音菩薩立像

                     この2体は、体の木の半分をさらに縦に2つに割って
                     作られたもの。

                     龍頭観音は大きな龍の頭部を頭上に表している。

                     聖観音の目の周りに刻みをいれる円空独特の怒りの
                     表情を作っている。

 

                           

                              如意輪観音菩薩坐像

                          この像のからだは、のみ跡を残さず
                          滑らかに仕上げられている。

 

                         

                           金剛力士(仁王)立像吽形

                       地面に生えたままの立ち木を彫刻した像、
                       現在の高さは2mを越えます。

                         

                       円空伝の一節に「袈裟山にも立ちながらの
                       枯れ木をもて作れる二王あり」で描いた挿図。
                         
                       今から150年ほど前に、根元が腐朽したので
                       切り取られ、仁王門に置かれました。
                       「阿吽」一対揃っていますが、保存の良い吽形が
                       展示されました。

 

                            

                                不動明王立像

                       右手に持つ剣を含めて丸彫りで表されています
                       両脇下、剣と体の間を彫り透かしています。
                          (剣の先は顔に付いています)

 

                    

                        三十三観音立像

                   木を断ち割った切断面を生かして眉目を線で表し、鼻口を
                   簡潔に彫っている、両手を胸の前で組み合わせるこの型は
                   多くの像を作るための工夫だと考えられる。

                   33体あったはずですが、31体しか残されていないのは
                   近隣の人々に貸し出して戻ってこなかったからだといわれます。

                   見よい写真ではありませんでしたが、とても愛らしく、ほっとする
                   観音さまたちは印象に残りました。
                   病人が出た時など借受け枕元に置いたと言われるように
                   身近な観音さまたちだったのです。
                   

                           

                               秘仏「歓喜天立像」

                       雌雄象が抱き合う姿のインドの神。密教と共に
                       日本に伝えられた。 この像を本尊とする祈祷は
                       ひそかに行わなければ効果がなくなるため秘仏で
                       あることが多い。
                       
                       円空は小さな木片に簡略な彫りで頭部、牙、腕を
                       表している。   

                       7年に一度しか公開されない秘仏「歓喜天立像」
                       始めて厨子からだして展示されました。

                        

                      幾世代にも渡って子供の遊び相手も務めているうちに
                      傷ついた円空仏は人々の暮らしに溶け込み親しまれて
                      いたからこそ、ぼろぼろになったりしました。

                      現在は5000体を越える作品が知られ、出生の地
                      岐阜県と隣りの愛知県に集中します。

 

                     各地の霊山を巡り、生涯で12万体の仏像を彫ったという円空、
                     素朴で優しい円空の仏は江戸時代以来村人に親しまれ、今も
                     多くの人の心を惹きつけます。

   

       

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エル・グレコ展

2013-03-20 20:47:57 | 美術館 博物館

       

        3月19日の気温は25度にもなり、上野の桜はもう3分咲きほどになっていました

 

        

                 間もなくこの桜の木の下は賑やかななることでしょう

 

                

                    かわいい散歩の列も見かけました

 

                  

                  2月に国立西洋美術館研究員の方の、エル・グレコ展を
                ”より楽しく見るために”という講演会に参加していたのです。

 

            

                    上野の「東京都美術館」 

 

                 

                      この日の目的地はこちらでした

                  

                  

                   日本では25年ぶりとなるエル・グレコ大回顧展
                   没後400年を迎えるスペイン絵画の巨匠の回顧展です。

                   プラド美術館、ボストン美術館、トレドの美術館など
                   世界から集まった油絵とテンペラ画51点を展示。

                

                 第Ⅰ章 スペイン・トレドで人気画家として活躍していたころ

                   

                   白テンの毛皮をまとう貴婦人 (1577-90年頃)

                     内縁の妻を描いたという説もある作品

                    一流の知識人に支えられて肖像画家としてかなり
                    成功していた。

 

                    エル・グレコはスペイン・トレドで半生を送ったが、
                    1541年ギリシャのクレタ島生まれ、1560年代には
                    独立したイコン画家として活躍していた。

                      (エル・グレコとはギリシャの人という意味)

                

                    Ⅰー3   見えるものと見えないもの

                           宗教画にあらわれる天使やキリストなど
                           「目に見えない世界」に属するものを
                           視覚芸術としていかに表現するか。

       

                聖アンナのいる聖家族   (1590-95年頃)

         エル・グレコは幼子イエス、聖母マリア、養父ヨセフの3人に聖アンナ(マリアの母)
         洗礼者ヨハネ、マグダラのマリアを添えた「聖家族図」を数多く残した。

         それらの画面は常に家族の愛情に表れ、この作品でも、マリアはイエスの顔を
         優しくなで、ヨセフは幼子を保護するかのように左手を差し出している。

         一方マリアによる授乳の場面が描かれ、背景には女性が自ら子供を育てるよう
         促す人文主義的、養育論的な意図もあったといえよう。  (絵の解説より)

 

                  

                      悔悛するマグダラのマリア  (1576年頃)
                         
                   キリストと出会いそれまでの放蕩な生活を悔い改めた
                   マグダラのマリアを表した一枚、スペインに渡る前後の
                   作品だそうです。
                   

 

                  

                     フェリペ2世の栄光    (1579-82年頃)

                    エル・グレコの作品の中でも最も珍しい宗教寓意。

                  最前景に黒衣のスペイン国王、フェリペ2世を中心として、
                  人々が跪き神の裁きを受けるべく天上に浮かぶIHS
                  ~キリストの御名を表す~に祈りを捧げている。

 

                   第Ⅱ章   クレタからイタリア、そしてトレドへ

               イコン画家(聖画像)として活躍していたギリシャ・クレタ島を離れ
               ヴェネチィアへ渡ったのは1567年

 

                  

                       受胎告知      (1576年頃)

               ヴェネチィアからローマへ、ローマ時代の最後に描かれた作品。
               グレコの作品の中でも構図や色彩、人体表現において際立った
               古典的調和を見せる作品で、イタリア時代の画業の総決算とも
               いえる主要作品である。

               1576年スペインに渡り、翌年トレドに移住する。
               トレドはスペインの古都で、カトリック教会の中心地です。

               
               

                      第Ⅲ章   トレドで宗教画:説話と祈り

 

                    

                           聖衣剥奪  

                 トレド大聖堂からの注文作、「聖衣剥奪」が完成した(1579)。

                 キリストが十字架にかけられる直前に衣服を剥がされる姿が
                 描かれたものですが、大聖堂側は気に入らなかった。

                 前列にマリアが3人登場したり、キリストの顔より群衆の位置が
                 高く描かれていることなどの理由から大聖堂と支払いの額を
                 めぐって紛糾、訴訟に発展、最後にはグレコが提示した額の
                 約3分の1で受け入れた。
                      (実際の絵より小型の作品を出展)

                 1582年にスペイン国王フェリペ2世からの{聖マウリティウスの
                 殉教}完成するも国王はこれを気に入らず、翌年撤去などの
                 エピソードもあったそうです。

 

                 第Ⅳ章    近代芸術家エル・グレコの祭壇画、建築家として

 

                    

                      福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り
                                  (1595年頃)

 

              

                   無原罪のお宿り  (1607-13年)  347x174

              大胆な縦長の構図、聖母マリアの曲がりくねった長い体、極端な角度で
              描かれた天使の翼。  見上げる人に絵全体が動いているかのような
              ダイナミックな印象を与える。

              聖母マリアの頭上の鳩と光は、聖霊と神の恵みとしての光を示している。
              エル・グレコはこの絵を礼拝堂の高い窓の下に配し、窓から自然の光が
              絵の中の神聖な光と一致するように工夫したという。

              「無原のお宿り」とは、聖母マリアが母アンナの胎内に原罪を免れて宿った
              とするカトリック特有の教義。
              とりわけスペインでは今でも篤い信仰を集める。 ユリやバラはマリアの
              純潔の象徴。

              聖母マリアの足元に描かれている風景は、エル・グレコが30台半ばから
              死ぬまで居を構えたトレドの町並み。
              発注主のトレドの教会の意向を受けて、描きこんだ可能性もある。

              エル・グレコ展を楽しく見るための講座でも、この大きな絵の解説は
              ひときわ熱がこもっているようでしたから見るのが楽しみでした。

 

                エル・グレコは教会や修道院の祭壇画を手がける際には、
                祭壇を取り付ける祭壇衝立の設計も行った。

 

                死後、一度は忘れられたエル・グレコが欧州で再評価されて
                約1世紀。
                ギリシャのクレタ島で生まれ、ヴェネチィアからローマ、そして
                スペインのトレドに定住。
                1613年 「無原罪のお宿り」完成。
                1614年 トレドで死去 (73歳)
              
       
                 

                            

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ミュンヘン  ドイツ博物館

2013-02-14 07:31:05 | 美術館 博物館

              かなり早くから機械化が進んだドイツの科学や文明の発達の
              歴史をなるべく実物を用いて、説明してい博物館だそうです。

              展示物によっては自分で触って仕組みを確かめることも可能。
              そんなドイツ博物館にこの日も息子とKahoさんの3人で出かけた。

 

        

                イーザール川の中洲に立つ建物

 

               

                    ドイツ博物館

 

               

                  かなり広い展示場に 船と上には飛行機

 

               

 

               

                      実物でしょうか、そんな大きさです

 

         

                 写真によると建物にあった像のようです

 

           

                   上等の船室でしょうね

 

           

                こちらは薄暗い船底でしょうか

 

           

           

                 きれいなモノレールの模型でした

 

           

 

           

 

           

 

           

                     ここは航空機関係の広いスペース

 

                 

                    窓から外を眺めたらイーザール川の雪景色

 

           

                   中庭には船が見えました

 

                 

                   ルフトハンザ機の輪切り状態、構造がよく分かります

 

           

                ジオラマの部屋が見つかりました

 

 

             14時に動かすという情報にここに戻りました、大きな鉄道模型でした

 

           

                  駅です、特急列車も機関車も停車します

 

           

              辺りが暗くなるとシュシュと音を立ててこんな列車がゆっくり動きます

 

           

              動画もたくさん撮りましたが、あまり上手とは思えず、UPは諦めました

 

           

               コンピューター制御でしょうが、次から次へと見事な動きです、
               解説はドイツ語なので分かりませんが、見物者は大人ばかり
               10人ほど、全員列車好きのようでした。

 

        

           バーナーでガラスを加工しているところもありました、これは私の分野です、
           といいましても現在はとんぼ玉作りは休んでいますが、かわいい作品が
           並べられていました。

 

          

               こちらは和紙製作の道具など、障子は日本の雰囲気ですよね

 

                 

                    立ち寄りませんでしたが、ちょっと気になりました

 

             

              グランドフロアから3階まで、展示室は60ほど、とにかく広い!
              迷子状態、途中の廊下から見えたのは教会のようです。

              建物の中は暖かくて、邪魔になったコートはクロークに預けました、
              有料でしたが、身軽になり、いっそう楽しめました。

 

            

                  こちらは牛が歩いて回す水車のようでした

 

                 

                   色がきれいだったので撮りましたが、何だったか
                      難しくて分からなかった展示物でした。

 

        

         中庭、白い小さな建物2棟がチケット売り場、その向こうの建物は別館の図書館。

         4時間ほど過ごしたでしょうか、私も博物館好きですから、息子たちと最後まで
         付き合いました。

         農業、工業、航空工学から鉄道、機械、宇宙に至るまで、ドイツの科学技術を
         若い世代に引き継ぎ学ばせるための博物館のようでした。
         敷地面積5万km2、 1万7千点以上もの展示品、見ごたえのある博物館でした。
           

 

 

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大英博物館展 グリーンフィールド・パピルス

2012-09-30 21:40:53 | 美術館 博物館

             エジプト展第三章 世界最長「死者の書」グリーンフィールド・パピルスは
             全長37m、100以上の章を含んでいる。

             エジプトの葬送文章の中でももっとも丁寧に記され、美しい挿絵を
             伴ったもののひとつである。
             現在の名前は、以前の所有者だったハーバード・バンズ・グリーンフィールド
             夫妻に由来している。

   

            

            今回のエジプト展で37mの全章が展示されます、解説の村冶先生が会場の
            六本木ヒルズ森タワー52階のギャラリーでは見やすく展示されていますから
            ゆっくり楽しんでくださいと言われていました。

            テーベを中心に上エジプトを支配していたアメン大司祭パネジェム二世の娘
            ネシタネベトイシェルウの「死者の書」です。

 

            

               第1章の冥界の王オシリス神を礼拝している場面、ここから死者の
               冥界の旅が始まるのです。

            

                  左上の葬送行列の様子 ミイラとなって墓に運ばれる

 

                   

                  真実を意味するヒエログリフの形をした台座に置かれた
                  玉座に座るラー・ホルアクティ神は、2本の角と円盤が
                  ついたアテフ冠を被り、手にアンクを持っている。

                  前にはトキの頭をしたトト神が立っている。 トト神の頭上には
                  三日月と満月の円盤が載っており、重いかつらを被っていると
                  思われる。 頭上には「トトよ、知恵の神よ」と記されている。

            

             

            口開けの儀式を経て、行く手を邪魔するヘビやワニを撃退「審判」となります。
            オリシス神の前で、死者の心臓が天秤にかけられる、反対側には真理の
            女神アマトの小像。(冥界の旅路のクライマックスシーン)

 

                 


               死者が生前、正しい行いをしていたかどうかの判決が下る場面が
               描かれる。
               ネシタネベトイシェルウの心臓が計量されている。 アヌビス神が
               釣り合うかどうかを監督しトキの頭をしたトト神が判決結果を記録
               している。
               釣り合わなければ、天秤の下にいる、頭はワニ、体はライオン、
               下半身はカバの姿をした怪物アメミトによって心臓を食べられて
               しまうのだ。
               これが人々が最も恐れた「第二の死」である。
               (グリーンフィールド・パピルスでは審判の場面が二回登場する)

 

            

           イシス女神とネフティス女神がそれぞれ真実の象徴である羽を頭に載せ
           右手にパピルスの杖、左手に生命の象徴アンクを持っている。

           柱の上にトト神を表すヒヒが座っている。左の皿にはネシタネベトイシェルウの
           心臓反対側の皿にはアマト女神の小像が置かれ、アヌビス神は天秤が
           釣り合うかどうかを監督する。

           左には自分の心臓を計量されるのを見守るネシタネベトイシェルウ、後ろに
           怪物アメミトが、死者の心臓を狙っている。

           天秤の近くには4頭のヒヒが守護する炎の湖が描かれている、これはこの章の
           挿図で、第二の死を余儀なくされた者の運命を暗示している。

            

                イアルの野

     

            審判により再生・復活を果たした死者は、冥界の楽園であるイアルの野に
            住むことを許される。 雌牛をつかって畑を耕し収穫を祝うなど、前世と
            同じ肥沃な土地で永遠の命を享受した。

            場面は下から上へと展開する。 楽園にたどり着いたネシタネベトイシェルウ
            が2頭の雄牛と畑を耕し、刈り取りをする場面が描かれている。

            裕福の象徴であるベヌウ鳥を礼拝し、祈りを捧げているが、その後ろに
            大麦と小麦を前に座る姿が描かれている。

            上段では、本人と彼女のカーがネコ、ヘビ、雄牛の頭をした神に向かって
            礼拝をしている。
            続いて供物台を載せた船を漕いだ後、ハヤブサの頭をしたホルス神のもとで
            ミイラ姿の女神を礼拝している。

 

          

           二手に分かれて3柱の神々が船を引っ張っている。右にはたっぷりとした
           衣服をまとったネシタベトイシェルウが、船の中にいる太陽神を礼拝している。
           彼女の前に置かれた供物台とワインを神に捧げようとしている。
           受け入れられれば、彼女は船に乗り込んで、神と共に旅をすると思われる。

 

              

           階段上の玉座に腰掛けるオシリス神。祝祭用の衣服を着てかつらを被った
           ネシタネベトイシェルウが聖なる住処に入ろうと歩みを進めている。

 

                

                 ネシタネベトイシェルウがオリシス神と向き合っている、
                 オリシス神は真実を表すアマトのヒエログリフの形をした
                 台座に立っている。
                 いまやネシタネベトイシェルウは冥界の旅路を終えて、
                 オシリス神の隠れ家で対面している。
                 左のネシタベトイシェルウは、聖杯とロータスの花とともに
                 立ち、大広間の入り口に向かって礼拝している。そこには
                 42柱の陪審員が並んでいるのだ。

 

 

    ヘリオポリスの天と地の始まりを描いた場面は、<グリーンフェイールド・パピルス>の
    最大の特徴ともいえる場面。

    つま先と指の先を大地につけ、曲線を描くように中央に大きく描かれているのは
    女神ヌウトで、つま先は東、指先は西を指しているとされる。

    足元には大地の神ゲブが横たわる。 大気の神シュウと湿気の神テフヌウトから生まれた
    2柱の神々は、初めは互いに重なっていたが、父シュウ神の嫉妬を買い、引き離される
    ことになった。

    ヌウト女神の下で両手を左右に挙げているのがシュウ神である。
    これによって天は上に、大地は下に、その間に大気が存在するようになったとされる。

    この場面を礼拝するかのように、トキやヒヒ、ネズミやヒツジの頭をした神々が周りを
    囲んでいる。
    右下に描かれた黒髪の女性がネシタベトイシェルウで、その左には彼女のバーも
    描かれている。

 

              第四章 「死者の書」をめぐる研究

            「死者の書」は19世紀のエジプト学者が命名したもので、実際には
            「日のもとに出現すること(の呪文)「ペレト・エム・ヘルウ」と呼ばれていた。
            古代エジプトでは「死者の書」だけでなく「洞窟の書」や「冥界の書」などの
            数多くの葬送文書が存在している。

 

           

            第21,22王朝では地位の高い故人の埋葬には「死者の書」だけでなく
            「冥界の書」からの抜粋を記したもう1本のパピルスがしばしば納められた。
            「毎回の書」の中でも最も古く、重要な「アムドュアト書」の簡略版が
            記されている。

            「アムドュアト書」は西の地平線に沈んでから夜明けの東の地平線に
            再び現れるまでの地下を進む太陽の夜の旅を物語っている。

 

           

                「死者の書」   (冥界の洞窟)

              死者の書の中に含まれているが、実は関連性がない。
              この章は冥界に数多く存在する洞窟とその住人である神々を記載した
              ものである。

                      

                   このパピルスの所有者の名前は、黄色の顔料で丁寧に
                   覆われており、その正体は謎であった。
                   赤外線技術のよって隠された文字が明らかとなった。

                   何故名前が消されていたかは不明、パピルスの代金が
                   未払いで、パピルスを製作した職人が他の者に売ろうと
                   名前を消したのかもしれない。

 

                       

                          死者の書を記す書記長

                   古代エジプトにおいて、識字階級は特権的なエリートであった。
                   書記の地位は誰もが認める望むべき職であり、肉体労働を免れた
                   快適な生活を意味した。

                   書記は足を組んで床に座り腰布を膝の上にしっかり張って、
                   即席の机にしている。
                   その上で左手でパピルスの巻物を開き、右手は葦のペンか筆を
                   持っているかのように置かれている。

 

 

                    

                  古代エジプトでは、人は死後に冥界の旅を経て来世で復活すると
                  考えられていました。 「死者の書」とはさまざまな試練が待つ
                  旅路で死者に守護の力を与える呪文集、未来へのガイドブック
                  です。
                  その多くは美しい文字や挿絵で彩られたパピルスの巻物として
                  死者に捧げられました。

                  「大気や水を得る」「ヘビを追い払う」「神の怒りを取り除く」など
                  現在までに確認されている呪文の数は約200に及びます。

                  

                  
                  大河ナイルのほとりで神々の加護を受けながら日々安全に
                  暮らすことが古代エジプト人の切なる願いでした。
                  
                  

         

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大英博物館 古代エジプト展

2012-09-26 07:06:18 | 美術館 博物館

           

          「古代エジプト展」の解説講演を聴いたのは7月でした。 講師の村冶笙子先生

 

           

             古代エジプト研究会でヒエログリフの研究をされている先生だそうです

 

                 

                 ギザの大地にピラミッドが建造されてからおよそ千年後の
                 ファラオがスフインクスの前に記念碑を奉納した。

 

            

               長年準備してきたそうで「古代エジプト展」の解説には情熱が感じられ
              予定時間をオーバーして、エジプトのこと、ヒエログリフのことなど
              聴いている私たちも引き込まれました。
                          

 

           

          この棺は内装が見えるように鏡をつかったそうで、実際に見るのも楽しみでした。

          砂漠のイメージが強いエジプトは雨の少ない地域ですが、ナイル川のおかげで
          青々とした豊かな畑も広がっています。

          この大河ナイルのほとりで神々の加護を受けながら日々安全に暮らすことが
          古代エジプト人の切なる願いでした。
          この考えが古代エジプト人の来世観によく反映しています。

 

           

                 大英博物館 

             年間60万人が訪れる大英博物館は1753年に創設された世界最古の
             国立博物館、所蔵品は800万点以上、中でもエジプト部門は有名な
             ロゼッタストーンをはじめ、貴重なミイラ棺、副葬品、膨大なパピルス文書
             など質量ともに世界屈指のエジプトコレクション数とされています。
              

                  

                パピルスに描かれた「死者の書」に焦点をあて、永遠の生命を
                求めた古代エジプト人の来世観が紹介されています。

 

                                  第一章     古代エジプトの死生観

                         永遠の命を求めて

                       

                         オリシス神像

                     古代エジプト人にとって、現世は仮の世界であり、  
                     来世への準備期間であるとみなされ、埋葬のための
                     準備がされた。

 

                  

                      木製供養碑

              生前の行為によって、死者の判定がされた。 その結果死者は死後に
                          再生・復活をし、永遠の命を得るものと信じられていた。

              死者が再生・復活して永遠の命を得るのにあたりとくに重要な神々は
              太陽神と冥界の王オシリス神である。

              太陽神は日中に天を航行して地上の住人に生命を与え、落日で死を
              迎える。   夜の間に西から東へ冥界を旅すると、夜明けにふたたび
              新たな生命を得る。
              古代エジプト人はこの永遠のサイクルに自分も加わることを望み、
              多くの葬送文書に太陽神への礼賛を記した。

 

           

                解説で興味を持った木製棺 

           王以外の人々の間に「コンフィン・テキスト」(棺柩碑文)-死者の書の前身ーが
           登場し、棺の内側に呪文が記されるようになる。
               
               
             

                 

                   棺の内側
                
           王族でない死者の場合、最も重要な葬送文書は棺の表面に記されていた。
                 
                
                      

                        棺の内側の絵と「コンフィ・テキスト」

 

     

          人形(ひとがた)棺に記された「死者の書」

    第25,26王朝の間、多くの木製の棺には「死者の書」からの抜粋がインクで記されていた

 

               第二章  冥界の旅

          死者が旅する冥界の環境は、現世のそれに似ていると考えられていた。
          死者が新しい命に目覚めた時に再び使えるように、墓には衣服、化粧容器と
          パレット、道具類、武器といった日常の品々が供えられた。

 

                

                     旅立ちの儀式  口開けの儀式

           墓の前で行われる儀式の様子が大きく描かれている。

           フウネフェルの死を嘆いている二人の女性(妻とおそらく娘)、ミイラに向き合う
           ように二人の神官が口開けの儀式のための道具や器を持っている。

           二人の後ろで、ヒョウの毛皮を着て香を炊き、注ぎ口のある容器から供物に
           水を注いでいる人物は喪主と思われる。
           
          下段には、母牛が嘆き声を上げている目の前で子牛が生贄にされ、召使が
          まだ鼓動を続ける子牛の心臓と前足をミイラに捧げようと運んでいる。

 

                  

                     ペスエンムウトの供養碑

                  供養碑の意味合いは、単なる墓標から特別な力を持つ
                  重要な存在へと発展した。

 

                      旅への装い

                  冥界の旅に備え、死者は埋葬室の中で守護の力を持つ
                  副葬品によって守られた。

 

                    

                         神官の人形棺

                棺に描かれた図像では、死者を復活に導く重要な儀式が
                再現されている。

 

   

           ミイラマスク   

      このマスクは、死者である所有者の穏やかな理想的な永遠の姿を現しており、
      黄金に輝く肌は、神格化した新しい姿を示している。
      喉には小さなアンク(生命のシンボル)の護符が描かれ、頭頂部には太陽円盤を運ぶ
      有翼スカラベが描かれている。

      マスクの後頭部には名前の記されていない神が並んでいるが、2番目の神は明らかに
      オシリス神、鶏の姿のバーと太陽神を現すハヤブサも描かれている。

 

         

              カノボス容器の模型

         ミイラ作りの際に、心臓を除く内臓はすべて取り除かれた肝臓、肺、胃、腸は
         防腐処理が施されたこれらの内臓はエジプト学者が「カノボス容器」と呼ぶ
         4つの容器に入れられ墓に埋葬された。

         模型として作られた鮮やかに色彩されたカノボス容器は副葬品の中で
         象徴的な重要性を持っていた。

         蓋の部分は伝統的に容器の中身を守護すると考えられたホルス神の4人の
         息子の頭をかたどっている。

 

                

                      船の模型

             主人のために食事や飲み物などを用意する召使を表した模型の像が
             しばしば置かれた。 同じようによく見られたのが船の模型であった。

 

                

                     紅玉髄とガラスの首飾り

                異なるタイプのビーズをつなぎ直したもの、外側の連なりは
                ケシの果皮の形をした30粒の紅玉髄のペンダントで出来て
                いる美しい色の首飾りでした。

 

          

         トカゲ型の護符の金製ネックレス

    宝飾品は生前から身につけられ、なくなった際にも遺体の上に置かれ、墓に収められた。
    金箔を使い型に入れて作られた2種類のペンダントで出来ている。

    トカゲは手足や尻尾が傷つき失われてもすぐに生えてくることから、再生の象徴だったで
    あろう。   しずく形のペンダントはナツメヤシの実を表していると思われる。

 

             セネトゲーム   

         冥界は一連の超自然的存在と出会い、自分が前に進む資格があることを
         証明するための場である。
         その課程を表す比喩の一つが「セネト」と呼ばれる盤上遊戯で、「通路」
         あるいは「通過」という意味を持った。

 

     

        セネトゲーム(複製)

    生者と死者のつながりが継続していること、また境界を越えて両方の世界を自由に往来
    できることを示し、しばしば墓に描かれた。

 

         

                 

              

               

                    動物風刺パピルス

          古代エジプト風刺画では、人間の行為を行う動物の描写が典型的な例として
          見られる。  このパピルスでは、アヒルやヤギの群れを飼育するネコや
          ハイエナに混じって、ライオンとガゼルがセネトゲームで遊んでいる。

 

    

          

             イトイネプの人形(ひとがた)棺

          死者は、ミイラにされて埋葬の儀式を通過することで、神と同一の存在となった

 

                   

                  ホルアアウシェブの人形型棺と女性のミイラ

                  X線調査の結果、この棺に入っているミイラは
                  若い女性のものであることが分かった。

 

         

           上半身は花模様の襟飾りで覆われ、ハヤブサの姿をした太陽神が翼を
           広げている下半身は、横方向にいくつかに区切られている。

 

         

        アニの「死者の書」; 審判 (複製)

 幾多の困難を呪文の力によって乗り越えてきた死者は、いよいよ冥界の旅のクライマックスに
 立ち向かう。 「二つの真理の間」で行われる冥界の王オシリス神の審判である。

 42項目にわたって生前に罪を犯してないことを宣言する(「罪の否定告白」)
 審判を無事通過した死者は永遠の生命を約束されて楽園に入る資格を得るが、さもなければ
 天秤の横で待つ怪獣に心臓を食べられて消滅し、人々が最も恐れる「第二の死」を迎えるか。

 現実には生前に何らかの悪いことをした心当たりは誰にでもあっただろう、しかし42の罪悪を
 否定することでそれをなかったこととし、また心臓に沈黙せよと命じることで、古代エジプト人は
 神々から自分の悪事を隠しとおせると考えたのである。

 アニのパピルスは、心臓の計量の場面がもっとも完全に描かれている作例で、他のパピルス
 ではしばしば省略される細部まで含まれている。

 

               

                   銀製の天秤皿

            審判の場面で欠かせない天秤はなじみのある品であったと思われる

 

      

          心臓スカラベ付き首輪

        「死者の書」の呪文は、審判のときに心臓が死者に不利な証言を防ぐもので、
        通常スカラベの形をした護符に刻まれている。

        首輪は蛇の形を表現しており、留め金を止めると蛇が自分の尻尾をくわえている
        形になるが、これは永遠を表現している。
           

 

            未来の楽園

 

           

                トゥイの「死者の書」;  太陽の船の旅

            死者が叶えたかった目的のひとつは、太陽の神の船に乗って永久に続く
            天の旅をする特権を得ることである。
            このパピルスのこの部分には、この願いを叶える重要な呪文が記されている

 

             

                   精霊バーとミイラ (部分)

            古代エジプト人が1人の人間を構成する要素と考えていたものが5つあった。
            そのひとつは「バー」で、死後も墓から出て自由に動き回れる霊魂と考え
            られた。
            「死者の書」にはこのバーが「日の中に出てゆくための呪文」という言葉で
            始まっている。
               * バー 古代エジプトにおいて人間を形成する要素のひとつで、
                      「精霊」「魂」を意味する。
                      人の死とともに肉体から離れ、自由に動き回ることが
                      できる。  頭は人間で体は鳥で現される。

 

                  

                      ヘヌウトヒメトのシャプティ

                シャプティは重要な副葬品として登場した、これらのシャプティは
                アメンの歌い手ヘヌウトメヒトのために用意された40体セットの
                一部である。

 

                  

                     ヘヌトヒメトのシャプティ・ボックス

                  厨子の形を模した木箱、これは4つの箱のひとつです

 

                注目の世界最長「死者の書」  <グリーンフィールド・パピルス>に
                続きます。
     

     
         

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