月のたび

日々の日記

恒例年末ウォーク

2018-12-30 20:36:21 | しみじみ(滋)

今日は年末の恒例ウォークに行った。

芝川駅まで車で行き、そこからひたすら富士川沿いを遡上。

歩けば無心になれる。新たな発見がある。

8時半に出発したが、日陰はとても寒いし、冷たい風が時折強く吹くような日だった。

それでも、普段仕事優先の生活なので、こうして気晴らしに一日中ひたすら歩くような休みはたまには必要だし、楽しい。

来年はどんな年になるのだろう。

早く北朝鮮に拉致された方々が帰ってこられるといいのに。それができずに今年も暮れるのが残念だ。

今年の舞台劇「めぐみへの誓い」で、田口八重子さん役の半井さんが、除夜の鐘の意味について北朝鮮スパイの教育係として説明する場面があったのを思い出した。すべての日本人にとって、年末とお正月は特別な時期だ。それと同じで、ほとんどすべての日本人が、拉致された日本人が早く帰って来てほしいと思っているに違いないのだ。

なのに、テレビが偏向報道をして、いまだに国民を洗脳して、力ずくで取り返すことさえできないようにしているのは、本当にいけないことだ。人としての当然のはずの感性がわからなくなっている今の国民は危険な状態だと思う。よこしまな隣国はこういう弱点に付け込んでくるからだ。

平成が終わる

2018-12-26 05:34:23 | 政治(・・・?)

先日の天長節に初めて皇居で直に天皇陛下を見に行った。

寒くてやや小雨ぎみで、待ち時間も長いので、理解も興味もない人と行くより、一人のほうがいいので、単独で行った。そういう人が多かった。

これはささやかな私事で、平成の最後に見に行けて、一生の思い出になった。

たいへんなこと、困難なこと、いろいろある中で、こうしてささやかな自分へのプレゼントができてよかった。

大変な人出で、2mくらいの幅の行列が500mくらい続き、そういう列が何本もできて、早く出かけたのに、皇居の手前の信号も渡れないほどで、最後のお出ましにやっと間に合った。

誰かのために

2018-12-17 04:51:16 | 政治(・・・?)
12月15日土曜日は政府主催の拉致問題シンポジウムがあり、自宅から各駅停車を乗り継いで参加した。

曇りの寒い日で、この冬初めての厚いコートでも、冷えた。

どうして拉致問題に関心を持つのだろうか?

きっかけは、ちょっとしたことだ。

普段の何気ない生活で、気がつかない何か大事なものがあると思ったからだ。

自分でもよくわからないし、とても説明しにくいのだが、大事な何かを見失って生活している気がするからだった。

「一体、自分は何の為に生きているのだろう?」ってよく思う。けれど、よくわからないので、考えないのが普通だ。

「何がしたいのだろう?」も、よくある。それもわからない。

けれど、大事な家族が拉致された方々がいて、間近に目にして、心の中のありようを聞いていると、失ってはならない大事なものを感じる。

それでも、この人たちは、家族がいなくなってしまったけど、こうして自由に発言できたり、互いに助け合ったり、できることだけでも、幸せな充実した人生を生きている気がする。自由があることが、どれだけ人にとって大事なことか。ではこの私はどうか、本当のところ、わたしだって、すでに幸せのはずだ。

もう十分幸せである自分がいて、なのにまだ満たされない気持ちがあるのはどういうことだろう?

おそらく、「誰かのために」というのが本当なんだろう。自分が幸せだと思ったら、誰かのために手助けする。そうすればもっと幸せになれる。

人のために自分の大事な命や時間を使うのが本当だと思ってきている。それが、拉致被害者のご家族を見て、いつも思うことだ。

この自由な社会に生活できて、困難だけれど、支えあえる仲間がいるのは、なんて幸せなことだと思わないだろうか。その場に居合わせることができる私も心から本当に嬉しい。

遠い昔の名もなき恩義

2018-12-11 05:54:34 | 政治(・・・?)

今朝は早起きした。私は早起きが大苦手だ。それでも起きられた。

遠い昔の就職氷河期のOB訪問で出会った、ある企業の先輩がいて、新入社員で、就職してみてああだの、こうだの、ものすごい苦労話をしてくださって、その結果、私はますます自分自身がわからなくなって、結局、就職を自ら放棄するような形になって、卒業はしたけど、何かを探すように独自の感性でただなんとなく社会を渡り歩いて、今に至る。

あれからもう20年以上が過ぎたけど、ふと今朝起きがけに、その時の名も忘れてしまった先輩のこと、思い出した。

あの時の先輩、大企業に入って一年目、クリスマスの晩に残業で2時3時までプラントの図面を描いてたこと、私に話しながら、仕事のありさまを洗いざらい話して下さるのね。まるで目の前の珍しいものを、大学生の目線で、一緒に観察するかのように、親切に解説して。

その時の様子が、今でもありありと思い出されてきて、あれってあんなに鮮明に私の中に残っているのは、きっと本音で接してくれてたんだってことが、今わかってくると、気持ちや誠意やこころって、いつまでもキラキラ輝く一度きりの大切な思い出だ。

あれからもう20年以上が過ぎた。もうその先輩に会うこともないだろう。名前も覚えていないもの。

そして、私はやっぱり今も怠け者で、けれど、自分のことをもっと知りたかった。どういう生き方がふさわしいのかを。

今では後悔していない。気持ちは明るい。ただ、その時の恩義を返すことができないでいる心残りが、だんだん高まってくるのだ。

昨日、安倍総理の会見があって、ネットで見直して、不安な入管法改正について必要だという呼びかけを聞いたが、ただ、必要性を訴えるだけで、気持ちは届かなかった。まあ、そんなものだろう。いろんな考えの人がいるのだから、全員が等しく納得するようにはできない。

そうして一晩過ぎて思うと、受け入れたくない気持ちや、不安な未来と、不安定な政治に対して無力な私がいて、そういうのって、いつのまにか、すごく怖い気がしてきた。

けれど、これまで長い歴史のなかで、日本人はいくつもの大きい勝負をしてきたことを思えば、無力でも自分が何かしらの形で立ち上がるのが一番大事なことだろうな。それって、必ずしも政治活動するだけじゃなくて、単に自分のために何かに一生懸命専念することでもいいと思う。「負けられない!」って思って、がんばれ!そうして、見知らぬ誰かの為に社会が幸せに回れば、それで満足できるかもしれないのだろな。