つれづれ読書日記

SENとLINN、二人で更新中の書評ブログです。小説、漫画、新書などの感想を独断と偏見でつれづれと書いていきます。

アヒルで悪いかっ!

2005-04-25 15:14:09 | SF(海外)
さて、何とも分類し難い第146回は、

タイトル:みにくい白鳥
著者:アルカージイ&ボリス・ストルガツキイ
出版社:群像社

であります。

本作はロシアの兄弟船――ストルガツキイ兄弟の書いた長編SFです。
初出はなんと1967年(つまりソ連時代)、しかし全く古くささを感じさせません。
読後感としてはファンタジーに近かったのだけど、一応SFとしておきます。

『雨の専制帝国
 腐り果てた大人たち――
 子供の反乱』

オビ文って難しいよね。

決して間違ってるわけじゃないんだけど、これだとハリウッドになっちゃいます。
体制の豚と化した大人に対して、近代兵器で武装した子供達が反乱を起こす。
そういう話ではありません。

舞台は雨が降り続くとある町。
主人公のヴィクトルは最近とかく利発になった一人娘イルマのことで妻のローラになじられていました。
イルマは最近増えてきた賢い子供グループの一人で、大人びた口調で無知な親を馬鹿にするのです。
賢い子供達が認めるのは、〈濡れ男〉と呼ばれる癩病院の患者達だけ。大人達にとってはどちらも薄気味悪い存在でしかない。
ヴィクトルはイルマの事で頭を悩ませつつも、酒と愛人のダイアナに溺れ、他の大人達と同じように問題から眼を逸らし続けます。
そしてついに子供達が大人を見限り――。

異なった二重構造を持つお話です。
一つは、上記の粗筋から読み取れるように、新人類と旧人類の対立を書く話。
もう一つは、大人を本能の象徴、子供を理性の象徴とした話。
どちらの見方でもヴィクトルは中間に立つ人間としてガイド役を果たします。

問題は、それが上手くいってないこと。

残念ながら、非常に中途半端な実験作で終わっていると思います。
主人公が旧人類である以上、彼が理解できることは限られてくるのですが、それにしても新人類の情報が少なすぎる。一応、ヴィクトルと子供達が会話をするシーンはあるのですが、新人類の話す言葉としてはちとお粗末な印象。
象徴的な意味でとらえた場合、結局のところ、人間は理性と本能を行ったり来たりするものだということを示しただけで終わっています。
新旧の明確な激突もなく、飽くまでヴィクトルが新人類の世界を垣間見ただけで、全体的にぼやけた感じの印象を受けました。

じゃ、面白くなかったのかって? いや、面白かったですよ。
ヴィクトルが単なる狂言回しに過ぎなかったのなら、実際、面白くなかったと思うのですが、幸い、この作品には隠し味として彼の影が三人出てきます。
未読の人のために一部伏せ字にしておくと、××××ガと×××ムと××××××ル。

彼らはエンディング後のヴィクトルの姿を表しています。
旧世界もしくは本能を選んだのなら××××ガ。
新世界もしくは理性を選んだのなら×××ム。
中間点で迷うことを選んだのなら××××××ル。
そして、物語は再び1頁目に戻るのです。

もし気に入ったのなら、もう一度チャレンジしてみて下さい。
上の解釈で読んでみるとかなり印象変わります。
もっともこんな変な読み方するのは私だけかも知れないけど。



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