のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

国語のテスト

2007-11-30 18:29:09 | 小学校国語
妹ちゃんの持ち帰った国語のテスト。字が雑で減点があるのがいかにも妹ちゃん。
でも、読解に優れた彼女が読解で10点も落としているのは解せなくて、しっかりチェックいれました。

題材は国語の教科書でよく取り上げられる「お手紙」。がまくんとかえるくんの物語です。

「がまくんが、悲しい気持ちになるのはどうしてでしょう?」という問題に、
「毎日、待っていてもお手紙がもらえないから。」と書いた答えの「毎日」部分がいらないと、×になってました。

指定ページには書いていないことだったかな(教科書の何ページから何ページまでを読んで答えなさいという指示があるテストでしたの)と確認したんですけど、入ってるんだなぁ、「毎日」という要素。

テスト会社は「抜き書き」を意識したのでしょうけど、妹ちゃんはトータルで読み取る子供なのでね標準的回答ではなかったという事なのでしょう。それはわかります。
でもね・・・

がまくんが、お手紙を待つ時間になると悲しくなるのは、
毎日毎日「やっぱり今日も来なかった」ということを体験しているからで、
だからこそ、かえるくんが「もう少しお手紙待っていようよ」と言っても
頑に「くるわけないよ」と言っていたわけで、
『毎日』を理由に×にしちゃあいけないわなぁ。

学校でお直しをしてきた本人に「なんで間違いか分かった?」と聞いてみると、案の定「わかんなかった。」だよねぇ。

妹ちゃんは「気にしない子」なので、そのままにしようかとも思ったのですけど、「気にする子」達の今後の事も考えて、
「これは、どうして駄目なんでしょうね」と、親の判子(返却されたテストは親が見た証拠に判子を押して先生にだすんです)の横に小さく書いておきました。
先生からのお返事はまだないですけど、次の丸つけの時に、「×にして大丈夫かなぁ。」と、ちょっと手が止まってくれればいいなと思います。

生きるを基本にすえると

2007-11-27 15:46:50 | 母の作戦、考え
「生きのびる」にこだわる子育てといっても、
今の日本で、横井正一さんのような「生きのび方」を期待するのは
あまり現実的ではないと思います。

大木のようにたくましいこに育ったとしても、
山ごもりして誰にも見つからずに一人暮らすなぁんていう方向にいくとは思えませんね。
特に、東京という人のゴチャゴチャしたところで生まれた娘達は
やはり「人の中」で生きていくことになるのだと思います。
「人の中」で「生きのびる」ために必要な力。

将来、本人が大きくなって無人島に篭るというならそれはそれでいいんですけど、
それは成長した子供が自分の持っている力や自分の性向を見極めて判断すること。
親が想定するのは、この日本の社会で無事に生きのびる力をつけるところまででいいのではないかなと思います。

「挨拶のできる人にしたい」「礼儀正しい人になって欲しい」と
子供を持った親御さんは良くおっしゃいますよね。
それはどういうことなのかなって考えてみます。

「挨拶」とか「礼儀」というのは、
人が、たった一人で暮らすときには必要のないことです。
他があって初めて発生するもの。
「挨拶」ってね、「私はあなた方の敵ではないですよ。攻撃対象にはしないでいいですよ。」という表明なのだという話がありますね。
子供に「挨拶」や「礼儀」を身につけさせる事で、無用なトラブルに合うのを防ぎ、
子供が「生きのびる」チャンスを増やす。
親の望みにはそういう事が含まれているのかもしれません。

「賢くあって欲しい」「優しくあって欲しい」
もそうですね。
生きのびるためにうまく立ち回る智恵をつけて欲しい。
人に優しくすることで、人からも優しくされ、社会の中で軋轢を産まない子供に育って欲しい。
そういうことなのかなって思います。

では、「個性的であって欲しい」「有名になってほしい」「自分を曲げない人になって欲しい」は「生きのびる」という観点からはどう捉えましょうかね。

この当たりを突っ込んでいくと着地が見えませんので、先に行きます。


人間社会の中で生きのびていくために、学校生活というのは大事な訓練期間だと思うのです。
家庭の中で人数の少ない、思考や趣味に共通点の多い人間とだけ過ごしているよりも
はるかに多くの事を子供に体験させてくれるのが学校です。
親が教え切れない事を、体験から学んでいくのが学校並びにその周辺(我が家の場合は学童と併設の児童館)なのだと思います。

だから私は、のんびりちゃんの学校選びには結構力をかけます。
「居続けられる所」それが学校選択の大きな目安になります。
小学校も中学校もそうして選んできました(運良く、そういうところが見つかったのはありがたいことです)。
でも、それでも「居心地の悪いこと」というのは起きるものです。
のんびり娘の場合は小学校の4年生で、かなりきつい状態になりました。

「どんな状況でも生きのびるこ」にすることが目標なのですから、
ここで死なせてしまったり、生きる気力を無くさせてしまったりしては
意味がありません。
生き長らえられないような状況になりそうなら、不登校も転校も視野に入れます。
でも一方で、そうした時のデメリットも考えます。










英語で時計

2007-11-27 08:05:14 | 英語
英会話の授業では、日時の言い方を繰り返しお勉強しているようで、
今日は、時刻の数字と針が書いていない12個の時計と、針があって、時刻が書いていない12個の時計のプリントを持ち帰りました。
そう、英語(数字混じり)でかかれた時間を時計に針で書くのと、
時計の針を読んで、英語で書くのが宿題なんですね。

本人も周囲も、「英語が変換できないから出来ない」
と思ってますけど、どれは大違い。
聞き取り力はかなり高いし、数字くらいなら何とか聞き取れるんですよね。

でも、聞き取った数字を時計の針で示せないのよ。ここが問題。

本人気付いてないようだから、「君が出来ていないのはそこよ。」と指摘して、
さぁ今日もお勉強開始。
まずは、「どっちの針から読むんだっけ?」からおさらいです。

この辺りのやり方は、2年生算数に書いてありますけど、
今の彼女は、分針は5とびで数える事はわかっています。
昔教えたときよりは随分楽。
あと、理科や数学の経験を積んで、目盛りの読み取り方がだいぶわかってきていますので、1時と2時の中間に短い針を置くときの見当のつけ方などを教えても混乱しなくなってきました。

そう。1時55分なんていう時間を針で書くとき、素直に時の針から描くと、
1に向けて短い針があってなんだか変な感じになります。
どうしたらいいのかを、実際に動かせるアナログ時計で示しても
かつては良くわからなかったんですよね。

今回、やはり時の針を素直に1の所に書こうとする娘を
「ちょっと待て!」と止めまして、
手元の時計を動かして見せます。

で、そこから先はまず分針を書き込み、その分針の位置を見て時針の位置を考えるように仕向けていきました。
数直線で、10と20の真ん中が25ってわからなかった時期が随分長くありましたけれど、
今はそれがわかるので、注意を促せば、時針の位置を自分である程度見つけてくる事が出来ます。

「どうしても出来ないところは、働きかけを続けながら脳の成長を待ちましょう。」
2年生のときの担任の先生から言っていただいた言葉の意味を、
実感している毎日です。

あっ、もちろん昨日一日で時計読み+英語表記が完璧になったわけではありませんよ。
ひとつずつひとつずつ、クリアできればいいと思います。

基本を「生きる」にすえると・・。

2007-11-24 22:48:23 | 母の作戦、考え
のんびり娘が生まれる少し前に、「阪神大震災」がありました。
朝、いつにない揺れに目を覚まし、テレビをつけ、状況を見守りました。
のんびり娘の出産後、退院して数日後に「地下鉄サリン事件」がありました。
私も夫も通勤で使う電車で起きた出来事でした。

そんな事があったためかもしれませんし、
それ以前からかもしれません。
「どんな状況でも生きのびろ」ということを私は強く意識してきたと思います。

他の親御さん達も、もちろんそうなのだと思いますけど、
「生きる」という当たり前な事は、普通の生活では見過ごされ、
「よりよく生きる」ために「優しい子であれ」とか「賢い子であれ」とか
「素直であれ」とか「挨拶のできる子であれ」とか
そちらの方がなんだか大きくなっていくのではないかと思うんです。
私の場合は、かなり小さい頃から極端な事を考えるのが好きでしたから、
そんな事を強く思ったんだと思います。(電車のホームで、「今後から押されたら・・」と考えて対応策を練るなんていうことも好きですねぇ。)

さて、「生きのびろ!」と強く思った私は、まず私の流儀で生きのびる力をつけようと画策しました。
賢く、強く、柔軟に切り抜ける力を娘に期待したんですね。
ところがねぇ、のんびり娘は私とはまるっきりタイプの違う人間で、
「賢く」の部分は幼いうちは良くわかりませんでしたけど、
「強く」の部分では、もう最初から、これはかなり違うぞ・・と。

なんと言いますか、私の期待した強さというのは、
大木の強さなんですね。
風が吹いても嵐がきても、地面にしっかり根を張ってびくともしない強さ。
でもね、のんびり娘はそうじゃないんだな。
これは、育てていくうちに感じる事なのだけど、
この子をどう育てても、私に似る事はないだろうというような確信があって。
それは、決して嫌なことではなかったのだけど、
というより、面白い事だったのだけど、
「強い」という点では、ちょっと不安に思う事で・・。

でもそのうちに、「強さ」にはいろいろあるんだと彼女を見ていて思うようになったんです。

幼児期の彼女は、電車でもどこでも、色んな人に声をかけてもらえる子で、
いろんな人に助けてもらえる子で、
あぁ、これもひとつの「強さ」だなって、大木の強さではないけれど、蔦の強さなんだなって、そんな風に思えるようになったんですね。

生きのびるのに、「一人で」という条件は別にいらないです。
人に助けてもらったって、生きのびればそれで目的達成です。
だから、こういう強さもありなんだと、そんな風に思いました。

私が一番大事に思っていた「強さ」について、こんな風に捉える事ができるようになった事で、自然と他の要素、例えば「賢さ」とか「柔軟さ」についても、割合融通が利く捉え方ができるようになっていったんだと思うんです。

このブログの紹介部分に書いてあるように、
のんびり娘は、十円が2つで12円といった子です。
きゃ、きゅ、きょの類はいまだに間違えます。
4年生で調べたIQは70に届きませんでした。
でも、この子を「馬鹿」だと思った事、「遅れている」と思った事は
無いように思うんです。(「ぶぁか者!!!」とはよく言いますけど・・)
「駄目だ!」と思った事もないです。
「そうくるか。」とか、「メンドクサイなぁ。ショートカットせんかい!」と思う事はよくありますけどね。それはそれだけのことです。

「柔軟さ」についても、「頑固な脳みそやなぁ」と思う事は多々ありますけど、
それは「損」だろうとは思っても、「悪い」とは思わないのです。
「こちらの考え方の方が、こういう点でお得だぞ」という提示はしますけれど、
それはもう繰り返ししますけど・・、
「頑固は頑固で、生きていくのに役に立つ場面もあるよな。」って、そう思う私もいるわけです。
なんだっていいのよ。あるものをうまく使って生きのびられさえすればそれでいい。
自分の持っている力を、今よりももうちょっと効率良く上手に使っていけるように、まだしばらくは鬼母の元で修行を積んでくださいなと、そんな風に思ったりするわけです。



最近、「生きる」という事についていろいろと考えさせられていますので、
ついこういうタイトルで書いてしまいましたけど、このタイトルだとなかなかまとめに向かえませんね。
今日はここで送信します。












英語

2007-11-22 07:54:44 | 英語
のんびり娘の中学校は、英語にかなり力を入れています。
英語と英会話で週に8時間。
ほぼ毎日宿題も出ます。

あー、たいへん。

でも、教材の組み立てはとてもわかりやすく
私のような英語大嫌い人間にも教えやすくて助かります。

このところの学習は、
一般動詞の3人称単数、
命令文
人称代名詞(主格、所有格、目的格)

などが中心ですが、勉強していると彼女の弱みが良くわかります。

人称代名詞を選ぶタイプの問題などは、
人称代名詞の一覧表を横において、そこから探す形でやらせるのですけど、
それでも間違える。

何故か?

まず、主格と、目的格の違いをしっかりつかまえられないんですね。

「~は」と「~を」の、「は」と「を」に注目させる必要があるわけです。
これに注目することができるようになっても油断は禁物、
「私の父は」のような文になると、「私の」の「の」に引っ張られて、
代名詞に「My」を選んだりもしちゃうんですね。

主語や目的語に線を引き、円で囲み、
その言葉の最後に「は」がつくのか「を」がつくのか
しつこくそこを繰り返して学習しています。

それがわかりさえすれば、選択は出来るし、
この程度の人称代名詞なら記憶も出来る娘です。
今の段階では、わからないのは「英語」ではなく「日本語」なんですね。

あと、英文訳の問題では、主語を省略した文章などで
やはり????になってしまいます。

「はい、そうです。」
は、何でもかんでも「Yes,I do.」になったり、

「はい、あらいます。」
だと、「Yes,wash.」と、主語が抜けてしまったり、

「誰が、何が」を意識するように毎回働きかけてはいるのですけど、
そういった「書いてないけど、あるはずのこと」が、心にパッと浮かぶまでに
まだまだトレーニングが必要なようです。


ホームレス中学生購入。

2007-11-21 16:02:12 | 母の作戦、考え
しばらく更新しないでいました。
コメントへのお返事もすっかり遅くなってすみません。

今日は本の話。
標題の本、超有名ですね。
書店ではどこへ行っても平積みです。

私の場合、平積みの本は殆ど購入しません。
ベストセラー本は、読みやすいものが多く、
大概のものは30分位の立ち読みで読めてしまいますので
買う必要を感じないんです。
最初はね、この本も「立ち読み」で済ませるつもりだったんですよ。
立ち読みで、あっという間に読めそうでしたしね。

でも、読んでいるうちに
「立ち読みでは申し訳ない」
という気になりまして、
購入に至ってしまったわけです。


ツボはどこかというと、
「幸せのハードルの低い人生を僕は愛しています」
というところでしょうか。


「生きろよ」という思いをもって子育てしている私からすると、
子ども達の中の「生きたい」が減っていくのは困るわけです。

あぁ、今ふと思い出しました。
「幸せを数えたら、片手にさえ余る。不幸せ、数えたら両手でも足りない~。」
っていう歌。
そんな人生は「生きたい」を減らしそうですよね。


一方、ホームレス中学生は、

「お湯だぁ。お湯に入れるんだぁ。水じゃない、お湯で体が洗えるんだ。」
と、それだけが嬉しい。
「一口のごはんを咀嚼し咀嚼し、ドロドロに解けお米の味がなくなっても、
なお噛み続けて、最後にふわっと口の中に広がるごはんの味に感動する。」
それが嬉しい。


そう、幸せのハードルがそれほど高くならなければ、
「生きていく」事は発見の連続で、なかなか楽しいものなんだと思う。

だけど、今の子ども達は何でもかんでも持っている。
親は子どもの幸せを思って、いろんなものを用意する。
落ち着ける部屋、楽しく過ごせる玩具。温かい食事、習い事。
全ては子どものしあわせのため。

でもね、そうした暮らしが子ども達の幸せのハードルを高くしてはいないだろうか。

本当はいっぱい持っている
小さな事を面白がって、小さな事に幸せを見つけられる力を奪ってはいないだろうか。


女の子二人、
「将来のために公園暮らしを体験してきなさい」
とはいえないけれど(このところ、不審者情報多いのです)、
この本は読んでおいたらいいなと思いました。

お金が無いとき、ねぐらが無いとき、どうやって生きのびるか。
ちょっと真剣に考えておいて欲しいのよね。

生きること。

2007-11-16 20:03:00 | 母の作戦、考え
子供を産んで、色んな事を考えますけれど、
最初から私の中で迷いのないこと。
それは、「生きろよ」という事なんです。
「優しい子に」とか「逞しい子に」とか、「頭のいい子に」
とかというのは、重要度の点ではずっと後です。
「生きのびる」ために役に立つなら「頭も良くなれ」「優しくもなれ」「逞しくもなれ」
という感じですね。目的ではないの。

私より先に死んではいけない。
(ちなみに私はかなりな丈夫に出来ていますので
長生きする予定ですが・・)
子ども達に望む事は、究極それだけです。

「生きる」ためには「食べものの確保」が出来ないといけません。
一人で確保するのが難しければ、人に頼ってもそれはかまわないのですけど、
自力調達ができる方が、生きのびる確率は高まるだろうとも思うのですね。
いま話題の「ホームレス中学生」ではないですけど、
極端な話、ゴミをあさってでも生きのびる力が欲しい。
でもね、そのゴミに当たって死んでは何にもならないから、
ゴミの見極めができる五感や智恵は鍛えておきたい。
少々のことでは壊さないお腹も持っていて欲しい。

生まれた子どもの顔を見ながら、そんなことまで考えてしまう私は、きっと変わり者なのでしょうね。わかってます、はい。


実際のところ、公園などでサバイバル状態で生き抜くのは、通常より研ぎ澄まされた感覚と多くの智恵を必要とします。
空き缶を集めているおじさんやおばさん達だって、どこのマンションのゴミ置き場は何時ごろに行くと鍵が開いているのか。どういうルートで動けばライバルを出し抜いてたくさんの缶を集められるのか、どうしたらよりたくさんの缶を自転車に積んでいけるのか。
あらゆることを考えています。
それでいて実入りは少ないから、今度は「節約」という智恵も使わなければなりません。
結構難しい道なんです。

だから、子ども達にはもう少し楽な生き方のサンプルも見せていきたい。
大学でたり、資格とったりして、「安定した職業」なるものについてもらうのも
悪いことではないなぁと思います。
でもね、「生きる」ために「稼ぐ」という点で、職業に差はないだろうとも思うのです。
何したっていのよ、それで生きのびられるならね。


その一方でこうも思うんです。
仕事は一日の大半を占める事が多いから、自分が楽しめるものがいい。
楽しめる仕事を選んでつくのでも、どんな仕事でも自分で楽しんでしまうのでも
それはどっちでもいいんです。

出きれば、「何でも面白がれる」ように育っておくと、本人の選択肢が広がって楽になるかなと思うんですけど、これは本人のもともと持っている性質もありますから、
こっちの作戦通りにはいかないかもしれませんね。

親が立てた作戦を、裏切っていくのも子どもの力。
私より長生きするのなら、それも良しなのです。








働く大人

2007-11-15 23:09:40 | 母の作戦、考え
働く大人に育てたい。
これは、別に娘がのんびりちゃんだから特にそう思うのではなくて、
私にとってはごくごく当たり前に湧いてくる思いでした。
私にとって「働く」という事がとても面白い事だからかもしれません。
私の両親もまた働く事が好きだったからそう思うのかもしれません。
働く大人に育てたい
ということは、私の中で人生を面白く過ごす大人に育てたいというのと
ほぼ同義語なのかと思います。

どうしたら、働く大人に育つのでしょう。

大学を出てもなかなか働き出さない大人が増えてきた事がいろいろいわれ始めたころ、思いました。
自立すれば、自分の生活を維持するためのお金がかかる。
これまで自由に使えた小遣いが、かえって減ってしまう。
自由な時間も大幅に減るのなら、何のためにわざわざ仕事をするのだろうと考える人間が出てもおかしくはないなぁ・・と。

で、我が家では・・
家の居心地は悪くする。個室はないし、勉強はリビングテーブルだし、
テレビも規制するうえにゲームの類は買っても殆どやらせない。
余分な小遣いなんぞ持たせない。

「独り暮らしになったら好きなテレビ見ていいの?」
「そりゃぁそうよ。自分のお金で買ったテレビを、自分の払う電気料金で見ているんだもの誰も文句は言わないでしょう。」
「ゲームをやってもいいの?」
「そりゃぁ、自分で買ったものを自分の時間にやるのに誰も文句は言わないでしょう。」
「そうかぁ、そうなんだ。」
なんて会話がうちではあります。

不自由であればあるほど、将来自立した時の楽しさは一入になるでしょう。
1日も早く、母親から離れて自活したいと思うでしょう。
それが狙いです。


職種を選んでいつまでも就職しない若者がいます。
やってみなければわからない事をクダクダと考え込み、最初の一歩が踏み出せないのは勿体ないと思うので、これも阻止したいところです。

子ども達が幼い頃から刷り込んできた意識。
綺麗な格好をして親の脛をかじる人間よりも、
自転車にアルミ缶を山盛りにして、あちこち歩いて回るおじさんの方が
ずっとかっこいいのだという事。
年をとっても、年金生活でも、毎日毎日お掃除の仕事を続けているおばちゃんの
プロとしての仕事が、私たちの生活をどんなに気持ち良くしてくれているかという事。
(入居当時からうちのマンションをきれいにしてくれているおばちゃんは本当に気持ちのいい仕事をする人です。身近に、こういう「お手本」がいてくれる事を、とてもありがたく思います。)


人生に大事な事は「生きる」こと。
「生きる」ためには「食べる」こと。
「食べる」ためには「稼ぐ」こと。
格好ばかりつけて、そこをおろそかにする大人にはなるなよ。


そういうメッセージを娘達には送り続けていたい。
が、それをどう受け止めていくのか、どう解釈していくのか。
それはそれで今後のお楽しみかな。


















玩具

2007-11-11 22:04:36 | 教材&参考書籍
妹ちゃんの誕生日にパパが買ってきた玩具。近くの超激安ショップで一箱880円で売っていたものを3箱ゲットしてきたそうですが、これが実に良い玩具なんです。
カラフルな磁石の棒とパチンコ玉の組み合わせで、色んな形が作れるの。
写真は、妹ちゃんの作品。立体図形の理解によさそうでしょ。
あと、磁石を何本もつなげて刀にし、戦いごっこをすると、同極同士では剣先がたがいを避けてにげまわるのがわかるし、片方をひっくり返して違う極にすると、スッと引っ張られてくっつくのが解ります。目に見えない磁力を感じることが出来るのね。
あと、長く繋げて磁気ネックレスなぁんて使い方もできて、なかなかお徳な玩具なのでした。


わかりやすい対比としての苦虫先生

2007-11-07 16:56:20 | 先生方に②参考になれば
ちょっとお気の毒ではありあますが、苦虫先生の図工の授業での出来事を少し・・。

スーパー先生のクラスで作品が出来上がりつつある頃、
苦虫先生のクラスでも、展覧会に向けて作品作りが始まっていました。

紙版画は、切った紙をのりで重ねて凸凹を作り、それを和紙に版画でするところから始まるのですが、このクラス、まずのりで重ねて自分と動物を作るところまでいっていました。

で、この時間はそれをするところから始まるのですけど、
苦虫先生が、
「紙版画の続きをします。」
といったとたんに、
「わたしおわってるぅ。」「おれも。」「わたしもおわってる。」
とあちこちから声が・・・。
「つづきがあるのよぉ!」
と、またまた苦虫の先生ですけど、
つまりは、子ども達に最終目標を示していなかったっていうことなんですよね。
見通したてずに子ども動かしていいことはないよ。

で、この時間は版画になるのですが、
「先生、これって水で薄めるんですかね?」
と聞かれてしまいました。
これって、インクのことです。
図工なんてやった事はないから一瞬戸惑いましたけど、
どう考えてもインクを薄めたらまずいだろうと、
「いえ、たぶんそのまま使うと思いますよ。」
と答えました。
(大体、油性インクは水と混ざらないよね。)
和紙の裏表も、隣のスーパー先生のクラスまで私が聞きに走りました。

つまりね、子ども達に作らせるのに、事前に自分で試す事もしてないっていうことです。
や、それを責める気はあんまり無いんですけどね。私もかなりアバウトにその場しのぎで生きていますから、ただね、その割りには子ども達を責めるじゃないって、そう思うからついね。

さて、この日は、この時間と次の時間まで使って、一人ずつ印刷。
待ち時間には算数のプリントを2枚。終わった人は自由帳でした。
この自由帳に、出来上がりを考えて背景の絵を描く。
なぁんて指導があればいいんじゃないかなって思ったんですけど、
担任の先生は「好きな絵を描いていて」というので、きっとあとで
一斉に時間をとってやるんだろうなって思ったんですよね。

ところが・・・。

苦虫先生が急な御用で1日休暇を取ったその日に、
一気に仕上げまで進めることになったんです。
補助にはいる先生方に何をして欲しいかのメモを残し、
子ども達への指示を書いた紙を残し、
そうして、5時間の授業のうち3時間を使って
背景書きから、台紙に貼り付け題名と名前を書いて仕上げるところまで。

1時間目、TTで入りましたけど、
背景書きに関しては、ただ
「クレヨンで色をぬります」という指示だけ。

どんな場所で遊んでいるのかを考えて、
まず鉛筆で下書き、
先生がチェックして足りない部分などをアドバイス
合格したらクレヨンで塗る
そのときにも塗り方に関して実際にやってみながら丁寧指導

していたほかの2クラスとは大違いわけです。
しかも自分はいない・・。

あまり悲惨な事にならないように、補助の先生と必死で回りましたけど、
背景の絵に解説の「言葉」を入れちゃう子などもでて、大変でした。


で、翌日かな。
「大丈夫でしたか?」
と尋ねてみると、
「ありがとうございました。何人かひどいのがいるんでやり直させようとは思いますけどおかげでかなり進みました。」
だそうです。

ちっとも気付いていないんだなぁ・・・。

展覧会で、他の2クラス(特にスーパー先生のクラス)と出来上がりを比較して
自分に何が欠けていたのか気付いてくれればいいなと思うんですけど、どうでしょうね。