桜が咲く頃までには

家族と歩む、ちょっと病気の主婦の日記です

静かなる怒りに

2020-12-31 05:11:00 | 日記
今年のうちに全ての嫌なことは置いていこうと思いました。
が、そうはもちろんいかないと思いますけれど笑

ありがたいことに、娘を出産してから今が1番頭がハッキリしています。

ものすごい量の薬を飲んでいて、一体何のことやらと思うこともあるほど、自分の体格や状況を受け入れられていません。
自分がこんなにも弱い人間とは思いませんでした。

今年、とある先生に
「あなたは典型的な、教科書的なクッシングの状態です」
と診断されました。

確かにぶくぶくのブヨブヨで、顔はムーンフェイスバリバリ。
に見えます。
クッシング、ステロイド過多の状態で、私がステロイド依存しているのだと、そういう判断です。

ふざけるなという思いは、あまりに自信がなくて、すぐに打ち消されてしまいました。
主人や母に話したら、誰が好き好んでステロイドを飲むのか!と代わりに怒ってくれました。おかげで楽になって、私はステロイド依存していないと思い出すことができました。


私はステロイドを飲む前に、病気の診断がつくずっと前にガマガエルのような顔になりました。
リンパか耳下腺が腫れたようにしか見えませんでした。
顔だけ突然大デブになったのです。

当時、かかりつけの耳鼻科の先生が、
「ええっ、これ、痛いよね?なんだこれ」
と慌てて検査したものの炎症反応が出ず。
その結果に再び3度見くらいされて驚かれていました。なんだろう、なんだろう、と困惑しながら様子見をしてくれと言ったのはハッキリと覚えています。
あの幼少期からお世話になっている先生が狼狽されるのを、初めて見ました。

体も、確かにブヨブヨしてるので中心性肥満のようです。しかし、ブヨブヨ、ポヨンとしていて、水っぽいのです。
脂肪もありますが、とにかく1日に2キロの増減は当たり前ですから、このブヨが脂肪だけ、では語れない。のです。。

つまり私の体型は何か病気としか思えません。
が、珍しい病気であるため、正しく診断されません。
まさかの治療に必要なステロイドのせいになってしまいました。

私も頭がおかしいし、言い返しても意味があまり、ないんです。
外見がこんなにも大事なのだということを、まざまざと知らされた1年でもありました。
自分が病気であることを受け入れられない自分には、病気であるという自信はなく。さらに見てくれも悪い私には、押し黙るしか方法はありませんでした。


その後、ある日の受診でこの出来事がつらく心にのしかかっていたので、主治医の先生にとぼとぼと、ぼやくように、言いました。
「私は病気ではないと、診察でそのような雰囲気になることはよくあります」
先生は少しして、「え?」と聞き返してくださいました。
「私はステロイドのせいでこうなっていると」
と、かなりボソボソと話したところ、今度は食い気味に
「何だって?」
とこちらをギラリと睨みつけるようなかなり鋭い眼光と、低くうなるような声で発言されました。

この怒りは、私に向けられたもので無いことは明白でしたが、ちょっと怖くて笑、驚きました。
「不勉強だね。」
ハッキリと、キッパリと先生はそうおっしゃいました。
あまりにスパーンとおっしゃるので、私も悩みや迷いの半分くらいスパーンとどこかに飛んで行きました。

先生はその後静かにこの病気について教えてくださいました。
その後何回かの受診で「教科書的」と言われる患者層や症状はまだ研究段階にあって、例外と言われていたことがそうではなくなっていることなど、いろいろ教えていただきました。

私は病状が教科書的ではないのだそうです。
それを告げると
「教科書って何?」
と聞かれて、私は答えられず。
まだこの病気の情報はまとめられておらず、というよりまとめるほど症例がなく、論文段階なのだと知るにいたり、如何に情報が適当に流布されているのかを知りました。

先生のこの怒りは、不勉強な先生方とこの医療のあり方に素直に怒ってらして。
私はこの時の先生の怒りのおかげで、自分は間違いなく病気なんだと認識して生き始めることができました。

まだ受け入れられない自分もいますが、気合いの問題だとか、、私の何かがいけなかったと責める気持ちはなくなりつつあり、今に至ります。

主治医の先生の姿に、主人もかなり影響されています。
私もお医者さんとしてだけではなく、人として尊敬していますし、憧れもあります。
先生、今更気づいたのですが、超お若い!
ファッションとか色づかいとか、私は地味すぎる!とか。
行くといつも何かしら私はダメだなあと反省して帰ってきます。

先生のあの日の怒りは私の生きる力になりました。
今年もこうして生きて、年越しすることができました。
しかも、こんなに頭がハッキリした中で。
感謝しかないです。

まずはしっかりと病気の状況を治して、次に私のやるべきことをやろうと。
来年はそんな1年にしたいと思います。

静かなる怒りを原動力に、ひとつずつ何か積み重ねてまいりたいと思います。