日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ラオスの学校

2008-07-08 13:19:55 | 私の雑感あれこれ
話を聞いたのは、30歳になろうとしている青年から。
だから、彼の就学時期と現在とでは、多少の変化があるのかもしれない。
そこのところを含んで読んでください。

ラオスの学制
小学校5年
中学校3年
高等学校3年
その後、大学進学する人は1年間勉強するなかで、自分の専門を定めていくそうです。学問の領域としての文系の分野はそもそもないから、成績優秀者=数学・物理の成績上位者らしい。留学希望の学生は、募集される国別コースを目指して、猛勉強する。就学率が低いし、中退、落第も頻繁な国だから、ここまで頑張るメンバーはどんどん少ないくなっていくのです。

で、そんなメンバーの一人として勉強に励んだ彼が自分の教科書を持てるようになったのは高校3年。その時に初めて父親から教科書を買ってもらったそうです。
それまでは、教科書を持っているのは先生だけ。
生徒は、教科書がない。
だから、当然先生は教科書を音読するところから勉強が始まる。
授業の8割が、先生の教科書音読に費やされる。
学生も教科書があれば、各自が目を通すことができるのに。
先生が説明する時間をたくさん取れるのに。
先生の教科書には、エクササイズが沢山ついているのです。でも、時間がないから、一つふたつのエクササイズしかできません。
(多分「練習問題」という日本語を使ったことがない彼は、エクササイズといいます)
先生が教科書を読む間、聞きとってノートに写すのに必死で、疲れてしまい、大変だった―と、語ります。

小学校の頃、先生の教科書を遠まわしに覗くと、教科書にきれいな絵があるのが見えて、あんな本があればなー、と思ったものだと。

教科書を持たないでの授業だから、数学も物理も語学も、聞き取り、書きとり、と少しばかりのエクササイズ。

その彼が中国の大学に留学して、奨学金で自分の教科書を買い揃えた時、世の中にこんな(各自が自分の教科書を持っている)ことがあるのかと、思ったという。

産まれた国が違うとこんなに環境が違うのです。
この日曜日、目の前の青年が語った話です。
彼は私の子供の世代です。

そして、
ラオスの学校教育の外国語は、ロシア語だったそうです(1970年代の革命後、それ以前は領主国のフランス語)。
1990年頃のペレストロイカで、ソ連からラオスへの支援経路が訝しくなったためか、外国語はかつての領主国のフランス語に戻ったそうです。
しかし、フランス語は短期間で取りやめになり、英語(※)が採用されたそうです。

※ラオスはベトナムに加勢してアメリカと戦っているから、ソ連の崩壊後即英語に転換とはならなかったのでしょう。

で、彼の高校時代はちょうどそのフランス語採用の時期。
中国への留学試験にはフランス語でなく、英語が必須とのことで、1年間の突貫勉強をしたらしいのです。

大学卒業後日本の企業に就職。
その時点で日本語能力はゼロです。
仕事の現場はIT企業だから、英語で何とかなる、と思っていたらしいのですが、
日本の理系大卒のITの職場で英語が通じない、と困って、日本語の特訓。

で、流暢とは言えない日本語ながら、上記のような話を聞くことができました。

「蛍の光、窓の雪」で勉強に励んだという話、ウソー、大袈裟なと思うところがありませんか。
小学校も中学校も教科書が持てなくて、留学先で大学生のみんなが自分の本を購入するということに驚くって、日本人だったら、その彼に、驚きませんか。

ここまで、読んでくださったとしたら、ありがとうございます。
下書きから、投稿まで1日置いたので、最新投稿の順番が逆になってしまいました。



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