2冊続けて、紙の本です。増田さんの本の前にこれを読んでいました。
一応、心に残っていることを書き留めておきます。
41歳で脳梗塞になった著者の体験記です。彼の職業はルポライター。著書には「最貧困女子」など。取材を基本とする仕事なので、社会から落ちこぼれた人々と多く接した経験の持ち主でした。
そんな体験をもっている彼が、脳梗塞により、体のあちこちに麻痺症状、後遺症が出ます。まだ若年で是非とも社会復帰しなくてはならないので、日々リハビリに励む様子が、当事者ならではという視点で書かれています。身体的な機能回復してきても、高次脳機能障害が残り、これまで無問題にやってきたことができなくなっていることに呆然とします。記憶力の減退がはなはだしく、集中力が続かなかったり、その場その場での的確な判断ができなかったり。彼にとって普通の生活を送ることが、とても大変なハードルになってしまうのです。
これまで、かれが取材してきた貧困に陥っている者たちのなかに、程度はさまざまだけれど発達障害を抱えているケースがあることを感じていました。実は彼らは、障害のない人が無問題なことでも、当たり前の判断に行き着けなかったり、早い段階で考えることをあきらめたりしているのではないか、と書いています。結果として、選択すべきではない方向に向かってしまうこともあるのではないだろうか、と。
脳梗塞からのリハビリに取り組む彼には、微にいり細にいるように、各担当の医療技術者の指導が受けられる環境が整っています。専門家のサポートで回復する自分を確認しながら、では(軽度のため治療対象となっていない)発達障害を抱えているであろう人たちのサポーターでなんとかならないだろうか。ミスが多かったり、短気だったり、も脳のちょっとしたトラブルでそうなっているとしたら、我慢できずに軽犯罪をしてしまう彼らも、サポートで、救えないだろうか、とか。社会で迷いながら、犯罪の道に陥っていくというケースを減らせるのではないだろうか、と。
自分がこんな病を得たからこそ、これまでの取材対象だった人たちのおかれている現実がより深く見えるように思う、と綴っています。
男の子の貧困は、万引き、かっぱらいなどの犯罪につながり、女の子の貧困は性風俗に行く、確かそう言い切っています。
先日見た、テレビドキュメンタリー番組の「ばっちゃん」も、同じことを言っていたのを思い起こしたりもしました。。
読み返していて、その社会におけるサポーターってのが、今年で100年目を迎える組織、民生委員なのですね。
(自分が就任するまで知らなかったけれど、100年前から、弱者救済の下支えを考えていたというこの国はすごいと思います)
毎月、福祉課の担当者から月例報告を聞いている立場としては、頭で理解できても、実際に役立つ、というのは、距離があるものだと感じます。
私の担当場面ではゼロですから、耳に入るのは数字だけですが、「虐待○件で、ウチ○件は現在親子分離で様子を見ています」などと、接点がないわけではない立場です。でも、福祉課等につながらないものも多々あるのでしょうね。
昨今は、長期ひきこもりも多くなっている問題も話題に上りました。
綴った内容が、本をチョイスした時と、違う方向へ行ってしまいました。(いずれにしても駄文ですから)
また、本意あたりは別の機会にして、今回はこれで「結」とします。
一応、心に残っていることを書き留めておきます。
41歳で脳梗塞になった著者の体験記です。彼の職業はルポライター。著書には「最貧困女子」など。取材を基本とする仕事なので、社会から落ちこぼれた人々と多く接した経験の持ち主でした。
そんな体験をもっている彼が、脳梗塞により、体のあちこちに麻痺症状、後遺症が出ます。まだ若年で是非とも社会復帰しなくてはならないので、日々リハビリに励む様子が、当事者ならではという視点で書かれています。身体的な機能回復してきても、高次脳機能障害が残り、これまで無問題にやってきたことができなくなっていることに呆然とします。記憶力の減退がはなはだしく、集中力が続かなかったり、その場その場での的確な判断ができなかったり。彼にとって普通の生活を送ることが、とても大変なハードルになってしまうのです。
これまで、かれが取材してきた貧困に陥っている者たちのなかに、程度はさまざまだけれど発達障害を抱えているケースがあることを感じていました。実は彼らは、障害のない人が無問題なことでも、当たり前の判断に行き着けなかったり、早い段階で考えることをあきらめたりしているのではないか、と書いています。結果として、選択すべきではない方向に向かってしまうこともあるのではないだろうか、と。
脳梗塞からのリハビリに取り組む彼には、微にいり細にいるように、各担当の医療技術者の指導が受けられる環境が整っています。専門家のサポートで回復する自分を確認しながら、では(軽度のため治療対象となっていない)発達障害を抱えているであろう人たちのサポーターでなんとかならないだろうか。ミスが多かったり、短気だったり、も脳のちょっとしたトラブルでそうなっているとしたら、我慢できずに軽犯罪をしてしまう彼らも、サポートで、救えないだろうか、とか。社会で迷いながら、犯罪の道に陥っていくというケースを減らせるのではないだろうか、と。
自分がこんな病を得たからこそ、これまでの取材対象だった人たちのおかれている現実がより深く見えるように思う、と綴っています。
男の子の貧困は、万引き、かっぱらいなどの犯罪につながり、女の子の貧困は性風俗に行く、確かそう言い切っています。
先日見た、テレビドキュメンタリー番組の「ばっちゃん」も、同じことを言っていたのを思い起こしたりもしました。。
読み返していて、その社会におけるサポーターってのが、今年で100年目を迎える組織、民生委員なのですね。
(自分が就任するまで知らなかったけれど、100年前から、弱者救済の下支えを考えていたというこの国はすごいと思います)
毎月、福祉課の担当者から月例報告を聞いている立場としては、頭で理解できても、実際に役立つ、というのは、距離があるものだと感じます。
私の担当場面ではゼロですから、耳に入るのは数字だけですが、「虐待○件で、ウチ○件は現在親子分離で様子を見ています」などと、接点がないわけではない立場です。でも、福祉課等につながらないものも多々あるのでしょうね。
昨今は、長期ひきこもりも多くなっている問題も話題に上りました。
綴った内容が、本をチョイスした時と、違う方向へ行ってしまいました。(いずれにしても駄文ですから)
また、本意あたりは別の機会にして、今回はこれで「結」とします。