日本海側では雪がすごいらしい。
私の暮らす街では雪さえ降らない。ふらないというと嘘かも知れない。パラパラと降るくらいだ。
積もらない。
暮らすように旅をする。
私の中で今、もっともやりたい旅のスタイルだ。
チェンマイでもエディンバラでも有名な観光名所へ行くよりかは、人と過ごした時間のほうが思い出に残っている。
例えばそれはチェンマイで紹介されたタイ人の家に遊びに行かせてもらった時のこと、ヤム・ウンセンが食べたいという私をタイ人の友達はバイクに乗せて露店へ連れて行ってくれた。
露店は同い年くらいの女の子がやっていて、具の紹介や、ソースの酸味や辛さの調節をしてくれた。
言葉は通じなくても、私にソースの味見をするようスプーンを差し出してくれる。
笑顔の素敵な子で、すぐに仲良くなれそうな気がした。
「コップン・カー(ありがとう)」
ヤム・ウンセンを袋に詰めてもらい、私はバイクの後部座席にすわり、店を後にした。
今でもヤム・ウンセンを食べるたびに彼女のことを思い出す。
エディンバラのアパートではきっと一階の住人の犬たちが美しい花の咲く庭を駆け回っていることだろう。
朝、小鳥たちのさえずりで目を覚ますと窓の外では洗濯ものが揺れていた。
通りをはさんだ向かい側のおばあさんは今もウィスキーレモネードをのみながら白い犬と一緒に住んでいるのだろうか。
かなりのヘビースモーカーだった。遊びに行くと「何をのむ?」と聞かれるがそれはウィスキーレモネードをすすめているのだ。
彼女が作るとかなりヘビーなものができるので、「自分でやるよ。」といって作る。
友達にそのやりとりをおしえてもらった。
彼女が語ってくれた昔話は、タータンチェックのスカートをはいた勇敢な戦士たちの愛おしい笑い話だった。
帰りしな、彼女は犬と一緒に窓から見送ってくれる。
窓からのシルエットが今も焼きついている。
暮らすように旅をしたい。
先日、フリーペーパーを書いているT石さんとそんな話をしていた。
仕事をはじめると、人生のうちにどれくらいそのような経験ができるのだろうかと思う。
いろんな事情があるから、数は限られてくるだろう。だからこそ、訪れたチャンスは大切にしたい。
そして私は、山でのテント泊も「暮らすように旅をする」というスタイルだと思っている。
テント泊は山との一体感が味わえるからだ。
その一体感は博物館の中でみる様々な国の居住空間や人類の移動の歴史、遊牧民たちの暮らしを少しだけ体感しているような気持ちになり、彼らの生活に思いをはせるのである。
4年前、私は小屋仲間のたっくんと二人で上高地から蝶ヶ岳へ登り、徳本峠までテントをかついで山行をした。
テントの張り方から、過ごし方、生活の知恵をたっくんにおしえてもらい、初めてのテント泊は充実した時間となった。
その時はついていくことやテント暮らしに一生懸命だったが、家に帰ってぼんやりするとそのときの感覚がけっこう鮮明に思いだされ、「ああ、またあれやりたいな。」という気持ちになるのだ。
暮らすように旅をする。
山小屋もいいけど、暮らすように旅をするなら、またテント泊で行きたいなぁと最近よく思うのだ。
私の暮らす街では雪さえ降らない。ふらないというと嘘かも知れない。パラパラと降るくらいだ。
積もらない。
暮らすように旅をする。
私の中で今、もっともやりたい旅のスタイルだ。
チェンマイでもエディンバラでも有名な観光名所へ行くよりかは、人と過ごした時間のほうが思い出に残っている。
例えばそれはチェンマイで紹介されたタイ人の家に遊びに行かせてもらった時のこと、ヤム・ウンセンが食べたいという私をタイ人の友達はバイクに乗せて露店へ連れて行ってくれた。
露店は同い年くらいの女の子がやっていて、具の紹介や、ソースの酸味や辛さの調節をしてくれた。
言葉は通じなくても、私にソースの味見をするようスプーンを差し出してくれる。
笑顔の素敵な子で、すぐに仲良くなれそうな気がした。
「コップン・カー(ありがとう)」
ヤム・ウンセンを袋に詰めてもらい、私はバイクの後部座席にすわり、店を後にした。
今でもヤム・ウンセンを食べるたびに彼女のことを思い出す。
エディンバラのアパートではきっと一階の住人の犬たちが美しい花の咲く庭を駆け回っていることだろう。
朝、小鳥たちのさえずりで目を覚ますと窓の外では洗濯ものが揺れていた。
通りをはさんだ向かい側のおばあさんは今もウィスキーレモネードをのみながら白い犬と一緒に住んでいるのだろうか。
かなりのヘビースモーカーだった。遊びに行くと「何をのむ?」と聞かれるがそれはウィスキーレモネードをすすめているのだ。
彼女が作るとかなりヘビーなものができるので、「自分でやるよ。」といって作る。
友達にそのやりとりをおしえてもらった。
彼女が語ってくれた昔話は、タータンチェックのスカートをはいた勇敢な戦士たちの愛おしい笑い話だった。
帰りしな、彼女は犬と一緒に窓から見送ってくれる。
窓からのシルエットが今も焼きついている。
暮らすように旅をしたい。
先日、フリーペーパーを書いているT石さんとそんな話をしていた。
仕事をはじめると、人生のうちにどれくらいそのような経験ができるのだろうかと思う。
いろんな事情があるから、数は限られてくるだろう。だからこそ、訪れたチャンスは大切にしたい。
そして私は、山でのテント泊も「暮らすように旅をする」というスタイルだと思っている。
テント泊は山との一体感が味わえるからだ。
その一体感は博物館の中でみる様々な国の居住空間や人類の移動の歴史、遊牧民たちの暮らしを少しだけ体感しているような気持ちになり、彼らの生活に思いをはせるのである。
4年前、私は小屋仲間のたっくんと二人で上高地から蝶ヶ岳へ登り、徳本峠までテントをかついで山行をした。
テントの張り方から、過ごし方、生活の知恵をたっくんにおしえてもらい、初めてのテント泊は充実した時間となった。
その時はついていくことやテント暮らしに一生懸命だったが、家に帰ってぼんやりするとそのときの感覚がけっこう鮮明に思いだされ、「ああ、またあれやりたいな。」という気持ちになるのだ。
暮らすように旅をする。
山小屋もいいけど、暮らすように旅をするなら、またテント泊で行きたいなぁと最近よく思うのだ。