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八王子城

2013-02-23 19:52:41 | 日本100名城めぐり

 八王子城は北条氏照が 小田原攻撃に向かう武田信玄に攻められた際に
  滝山城の防衛の限界を感じ 標高445mの深沢山に築城された中世山城で
  1571年頃より築城し 1587年頃に本拠として移ったそうです
 

 「八王子城ガイダンス施設」 です 日本100名城のスタンプがあります




ガイダンス施設の館内です 入場料は無料
模型や映像で八王子城の概略や 八王子城合戦の解説をしています




山頂付近に本丸があります  このあたりの頂上
913年に華厳菩薩妙行が山頂で修行中に 牛頭天王と8人の王子が現れた因縁で
 916年 この城の山頂に八王子権現を祀ったことから八王子城と名付けられたとか
 このことは今の「八王子」という地名の由来にもなっています




いよいよ実質的な八王子城散策開始です    管理棟です




「八王子城跡の説明」 です クリックすると大きな写真が出てきます
  出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真が出てきます
山頂に置かれた本丸、松木・小宮曲輪など 何段もの曲輪を配置した要害地区
 城山川沿いの山腹に御主殿などの館を構えている居館地区
 城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区で構成されていました
  そして 織田信長の安土城を参考に 石垣で固めた山城構築が施され
  北条氏の本拠である小田原城の 重要かつ最大規模の支城となります




「八王子城の概要」 です クリックすると大きな写真が出てきます
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 「八王子城合戦」 について・・ 1590年天下統一を進める豊臣秀吉の小田原征伐で
八王子城は前田利家・上杉景勝隊ら北国勢1万5千に攻められました
 それに対する八王子城側は 城主の氏照と家臣団は小田原本城に入っており
 城内にはわずかの兵と 領内の農民・婦女子を加えた3000人が立てこもったそうです
 豊臣側は前田勢が大手口(元八王子町)から 上杉勢は搦手(下恩方町)から侵攻し
  秀吉の指示のもと徹底的な力攻めをおこない その日のうちに城が落ちました・・
   正室を初めとする籠城した婦女子は自刃 あるいは城内の御主殿の滝に身を投げ
   滝は三日三晩 血に染まったと言い伝えられています・・




八王子城跡ボランティアガイド 是非お願いしてみて下さい
担当の方に城内を 親切&丁寧に案内してもらえます




居館地区に入る前に さっそく要害(花籠沢) を渡らなくてはいけません
この橋は往時存在していません 後から架けられたものです




花籠沢です 切掘りとして利用されていたことでしょう




 「山下曲輪」 です 八王子城の居館地域を守る初めの曲輪で
  八王子城合戦の際には 最初の激戦が行われたところといわれています




この広さ・・ 大きな屋敷などがあったことでしょう




初冬に訪れました・・ ふかふかの落ち葉が気持ちい~
豊臣方の先鋒として この曲輪に攻め込んだのは松井田城や松山城の投降兵・・ 
つまり元々北条軍だった将兵です




御殿谷川にかかる仮橋を渡ります




大手門前の広場です さすが国指定失史跡 きれいに整備されています




 「大手門跡」 です 形状は薬医門だったそうです




大手門の前は大規模な空堀で防御されていました




大手の門跡の説明です




大手門跡から 大手門前の広場をみています




八王子城の居館跡を さらに奥に進みましょう




 「大手道」です 当時御主殿へ入る道として使われていました




       途中でみかけた堀切です




石垣の跡です 大手道にも石垣が使われていたんですね




山城ですから春~秋には 熊・ハチなどの動物との遭遇も・・
落葉してからの方が 城の全容がわかりやすいというのもありますが
この時期訪れたのは これも理由の一つです




昭和26年 国の史跡に指定され 発掘調査や整備が進んで
御主殿跡付近の石垣・虎口・曳橋などが復元されています




古道と曳橋の説明です




この曳橋は資料不足から 橋脚以外のところは
戦国時代の雰囲気を考慮して復元工事されたものとのこと




曳橋をわたります




橋台と曳橋の説明です





「虎口」 です 石垣や石畳は当時のものをそのまま利用して
  できるだけ忠実に復元されているそうです




御主殿虎口の説明です
全面に石が敷かれているのは 八王子城独特とのこと




ひと際おおきな敷石がっ




四脚門(櫓門)の跡です   4つの基礎石が残っています     




四脚門(櫓門)の跡の説明です




 八王子城は織田信長の築城した安土城を参考に
  石垣で固めた山城構築を行ったそうです




 「御主殿入口の冠木門」 です
  当時の門をイメージし復元されました




 「御主殿曲輪」 です 
  礎石のなどの位置がわかるように 部分的な復元が行われています




八王子城跡から出土した物の中には こんな物もあったそうです




御主殿曲輪からみた 曳橋です 本来の位置はここ?




御主殿曲輪には 城主の氏照の館などがあったそうです






「復元的整備解説」 です クリックすると大きな写真が出てきます
  出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真が出てきます




庭園も復元するのでしょうか




御主殿跡のつぎにまわったのがこちら・・
心霊スポットとしても有名な「御主殿の滝」です




 徹底的な力攻めをうけ落城する際に 八王子城の婦女子や武将らが
  滝の上流で自刃し 次々とこの滝に身を投げた言われています
 この戦いによって 城山川の水が三日三晩血に染まったそうで
 麓の村では この川の水で米を炊けば 米が赤く染まると伝えられたとか
これが起因して 先祖供養にあずきの汁で米を炊いたあかまんま(赤飯)を炊いて
供養をする風習が現在でも続いているそうです




「御主殿の滝」 の滝つぼ
立ち入り禁止ということで これ以上は近づけませんでした




御主殿の滝から この工事用のダート道を10分くらい下って
八王子城の管理棟にもどります
今回はガイダンス施設などがある根小屋地区と 城主の館があった居館地区を廻りました
もう一つの要害地区は未踏です・・ 本丸まで40分くらいとのことでしたが
この日の足元の悪さや標高差を考えまして・・ 次の機会ということでっ
次回は 「 関宿城博物館 」 をUPします  



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