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広島城

2019-06-09 20:51:56 | 日本100名城めぐり

 広島城は毛利輝元が 太田川河口のデルタ地帯に築いた平城です
毛利輝元が初めて上洛し大坂城や聚楽第を訪れた際に 新しい城づくりを決意したと言われています 
1599年(慶長4年)に完成 堀を三重に巡らせた大坂城に匹敵する規模だったそうです


 毛利輝元が関ケ原の戦いで減封されて広島を去ったのち
 福島正則が入城したが 無届け改築を武家諸法度を破ったとがめられ改易
その後 浅野家12代の居城となり 明治時代に至るまで約250年間続きました



 広島藩42万6000石は西日本有数の所領
 5重の天守と3重の小天守群のほか 櫓が88基も建てられていたそうです
 また名古屋城や岡山城と共に 日本三大平城ともいわれています



太平洋戦争末期まで 天守や数多くの櫓や門が現存し
昭和6年(1931)1月には 天守閣が国宝に指定されました



現在の広島城は 本丸跡と内堀 二の丸跡と三の丸跡の一部が残っています



 「史跡広島城跡の案内図」です  クリックすると大きな写真が出てきます    
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「裏御門後」です では本丸に入っていきましょう



 天守に登っていく階段です 大天守を中心に3階建ての小天守が2つ
 連結させてあったそうですが 明治期に小天守は取り壊されたそう



「広島城の天守閣」です
 現在の天守は昭和33年に完成した 鉄筋コンクリートによる外観復元天守です



「天守閣第五層の展望室」です 天気によっては宮島も望めるとか
 (天守閣内の博物館の展示室は写真撮影禁止です)



広島城天守閣から北側の景色です



広島城天守閣から東側の景色です



広島城天守閣から南側の景色です



広島城天守閣から西側の景色です



「広島護国神社」です
広島城本丸内にあり 祭神は戦争で亡くなった広島県西部(旧安芸国)出身者
毎年の初詣参拝者数は50万人を超え 中国地方で最も多くの初詣客が訪れるそうです
また広島カープが必勝祈願のため チームとして参拝することでも知られています



 「史跡 広島城跡 二の丸跡の説明」です  クリックすると大きな写真が出てきます    
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 「史跡広島城跡二の丸表御門の説明」です  クリックすると大きな写真が出てきます  
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「中御門跡」です ここから先は二の丸です



 平成6年に原爆で焼失した 二の丸の表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓(写真中央左)が
 戦前の写真・図面や発掘調査の成果を元に 木造で江戸時代の姿に復元されました



  多門櫓                 平櫓   表御門



御門橋    表御門   平櫓     多門櫓  太鼓櫓



完成した翌年に関ヶ原合戦が起こり 長門萩に減封となった毛利輝元・・
どんな気持ちで広島を去ったのか
もしもそのまま治めていたら なんて考えてしまいました

次回は 「 原爆ドーム 」 をUPします