サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

手相の線が無くなったお話

2017-02-05 16:00:46 | 日記
悲嘆と歓喜は心の波立ちでしかありません。
心は身体と感覚に関わり合う時にのみ、影響され、波立ち、変化します。
酒に酔えば痛みは感じないと言われていますが、その時、心は身体から離れているので、身体の感じる苦痛や不快を気に留めないからです。
それと同じく、覚者の心はアートマンにどっぷり浸っています。
彼は心を訓練して心の平安と静寂とを確立することが出来るのです。
覚者は自分自身のアートマンから完全な至福を得ます。
彼は、彼以外のいずこからも至福を求めることはありません。
実際、彼は外界のいかなるものの中にも歓喜を見出そうと望んだり、外部に歓喜を見つけようと計画することすらありません。
彼は自分の手に入れた内なる歓喜に満足しています。JV

ポニョ:以前、手相見の話をしたけれど、このブログとすまさんのブログがまたシンクロして最近同じ手相のエピソードを載せておられるぜよ。

ヨシオ:最近、サイセンターのニュースレターとシンクロしてたよな。面白い。

ポニョ:星やんとか酒田さんに手相を見てもらったけれど、あれからおいらの手相の線は全然変わっていないぜよ。もう少し霊的に伸びたかなって期待してたんやけれど。

ヨシオ:手相の線を見たら霊的に進化してるって分かるんか?

ポニョ:おいらが昔、飲み会で聞いた話は、感情線が中指の下で終わっていたら自己中な性格で動物から生まれ変わったばかりの人なんやて。

ヨシオ:環状線はどこまで行ってもくるくる回っているから終わらないんと違うんか。

ポニョ:あのね環状線の天満駅に住んでいたからといって呆けないでくれますか。それで人差し指と中指の間で終わっている人は、少し進化して、割とシャイで人間関係を上手くやって行くのが難しいって言われているけれど、人が人生経験を積み、人との摩擦や軋轢を解決出来る能力を持ち始め、自分のエゴを無くして行けば、その線がだんだんと伸びて来て、最後に下向きになって生命線とくっ付いてしまうんや。するとその人は、かなり自分というエゴを克服した愛情溢れる性格な人って言えるんやって聞いたけれど。ちょっとあんたの線を見せてくんろ。あれあれ〜。線が下向きになりなって生命線とくっ付いておるじょー。おいらが聞いた話は間違っていたぜよ。あんたが愛情溢れる性格って事がないもんな。ちょっと意外でヤンス。

ヨシオ:なんでやねん。うるさいわ。ああ、この線か。でも生命線にくっ付いているってええ事なんやな。俺が聞いた話は感情線の下にある短い線が頭脳線の間にあったらめちゃ利己主義者って聞いたけどな。

ポニョ:おいらはその自己中線と同じところに、自己中線の代わりに神秘の十字架線があるんやで。ざまあみやしゃんせ。

ヨシオ:神秘の十字架線って守護霊が護ってくれていて、神さんの方に導いているけれど、本人はオクラの天ぷらばかり食べて死んだらいつも餓鬼地獄に出入りしている人のことやろ。

ポニョ:あのね。餓鬼地獄は無いでしょう。神秘の十字架線を持っている人は少ないんでヤンスよ。おいらの誇りなんや。

ヨシオ:そうですか。それは良かったですね。一度ババさんの手相の線もどうなっているか見たいよな。まあ、本当はどっちでもええけど。

ポニョ:手相の話をしていて思い出したけれど、手相に関して面白い奇跡の話を聞いた事があるぜよ。ある帰依者の生命線がとても短いので、その人は自分の人生が残り少ないのでは無いかと心配していたんや。サイババさんにインタビューに呼ばれた時にその心配事を言ったら、サイババさんは「どれどれ、ちょっと手相を見てあげよう」と言われてその人の手のひらを見ながら、「確かに君の生命線は短いね」と言われて生命線を人差し指でなぞられると、なんと生命線が長くなって行ったんや。その人はとても驚いて「これで私も長生き出来ます。スワミ!生命を下さって有難うございます。」と言って喜ばれたんや。それを聞いて部屋にいた人はどっと笑ったんや。

ヨシオ:それって手相に頼り過ぎと違うか?線を長くして欲しかったら、整形外科に行って線を長くしてもらえばええやないか。ナイフを持って来てくれたら俺でもやったるで。ちょっと血だらけになるけどな。それに人は手相や占星術で運命判断してもらって悪い結果が出ると、とても悩む人がいるけれど、自分の運命を神さんに祈る事によって変えることだって出来るんや。

スワミは皆さんに霊性修行をするよう強く勧めているのです。
ナガラ・サンキールタンは帰依者に処方されているサーダナの一つです。
いつ自分の死が近づいてくるかはだれも知りません。
死の縄を投げるとき、ヤマはその人がそのとき何をしているか、彼が良い事をしている時か、悪い事をしている時かは考慮しません。
ナガラ・サンキールタンをしている最中でさえ死ぬことはあるのです。
ですから、人は神の御名を唱えて、いつヤマに会ってもいいように準備をしているべきです。
カルマ・パラから自由になれるよう、霊性修行を始めて神の恩寵を得るようにしなさい。
がっかりして自分の運命を甘んじて受ける必要はありません。
人は真摯な祈りによって容易に運命に打ち勝つことができるのです。
すべては神の恩寵しだいです。21/7/05

ポニョ:神の恩寵は全てに勝るって言うもんな。

ヨシオ:そういや俺もそれと似たような話を聞いたことがあるな。このエピソードはさっきも言ったけれど、最近のすまさんのブログにも詳しく載せておられたよな。
http://ameblo.jp/smanalo/entry-12244112025.html
占星術師で手相見の権威として活躍されている人がカレッジにやって来て講義をする事になったんや。それで学生たちは手相見の権威と言われている人の講義を聞こうと講義室に集まって席についていたんやけれど、その手相見の権威さんは講義が始まる時間が過ぎてもやって来なかったんや。しばらく待つと興奮した面持ちでその権威さんが講義室にやって来て、学生たちにどうして遅れたのか説明し始めたんや。その権威さんは、実は講義の前にサイババさんにインタビュールームに呼ばれていて、サイババさんに手相の話をしようとしていたら、サイババさんがその手相見の手を突然取って、その手相見の手のひらの上をさっと撫でるように手を動かしたんや。するとその手相見さんの手のひらにあった線が全て消えてしまったんや。

ポニョ:線が消えたって…生命線とか運命線とか頭脳線とか結婚線とか…

ヨシオ:もうええっちゅうに。全部って言ったら全部なんや。

ポニョ:という事は手のひらが、ツルツルでのっぺらぼうになったって事なんですか?唖然…汗がタラタラ…

ヨシオ:何がタラタラや。その手相見の権威さんは、ブラミンカーストで子供の頃から手相を見る訓練をされて来た人で、人の運命鑑定とかして生計を立てて来た人なんや。そして自分の手相を見る才能にとても誇りを持っていて、プライドがとても高い人やったんや。なのに、サイババさんが手相見の手のひらの上を一振りしただけで、自分の全ての手相の線が消えてしまった事にとても驚き、一体自分がこれまで研究してきた事は何の意味があるんだと思い、講義の為に持って来た全ての手相見に関する本を放り捨ててしまったんや。そして、すぐにサイババさんを神と認め「これは神による恩寵だ。過去のカルマを取ってもらった」と言って、とても興奮しながら講義室にやって来るなり、事の顛末を学生たちに話したんや。

ポニョ:そんな話を聞いたら誰でも驚くよな。

ヨシオ:そうなんや。その手相見は、自分の手相をサイババさんが消し去った時点で、自分というエゴが死に、これからの人生を全て神に捧げなくてはいけないと悟ったんや。

ポニョ:それって面白い奇跡やぜよ。初めて聞いたぜよ。のっぺらぼうの手ってなんか変やな。自分で見ても気持ち悪いぜよ。指紋も消えたんやろか?

ヨシオ:指紋は消えないやろ。消えたらツルツル滑って物を掴めないやないか。

ポニョ:鼻クソもほじくりにくいぜよ。ツルツル滑って。

ヨシオ:一体何を想像してるんや。人の事を心配しなくても、サイババさんはまたその後元の手に戻されたんや。ポニョは人の手の事より自分の頭の事を心配した方がええのんと違うか。ツルツルして来てるで。

ポニョ:ひまし油をつけたらまた毛が生えて来ましたよーだ。

運命に従って、起こるべきことは何であれ起こるのです。
ならば、どうしてそのことを気にしたり、悲しんだりするのですか?
生死は自然なことです。
生死はすべてのものに共通であり、特にこの人にはあるが、あの人にはない、というものではありません。ですから、人は平然と運命の審判に向き合い、何が起こっても落ち着きをもって受け入れなさい。
人は運命のせいで苦しむのではなく、欲望と執着のせいで苦しむのです。
もしこの世のものへの執着があるなら、あなたは必ず喜びと悲しみを交互に体験することになります。
苦楽は二元的な世界の切っても切れない部分なのです。
すべてのものごとは神の意志によって起こります。
神が望むものを、神が望むときに、神は与え、神は取り戻します。
皆さんは気づいていないでしょうが、体がこの世に送られてきたとき、体に返却日が押されます。
その日が来れば体は元の場所に戻っていく――それだけです。
このように、生があれば死もあります。
二つが自然な一組を形成しているのです。
ですから、人は死のために悲しみに道をゆずるべきではありません。23/5/2000