星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

ていねいな暮らし

2017-05-14 21:27:49 | 日替わり
子供が生まれて小学校に入るまでは今に比べると随分と家事に時間を掛けていたように思う。子供が産まれるとほぼ同時に家を建てたので家が新築だったのもあるが、掃除も週末だけでなくもっとこまめにやっていたし、年末は徹底的に大掃除をして隅々まで綺麗にした。食事も子供ができると体になるべく良いものを食べさせたいと思ってパンなどは毎日ホームベーカリーで焼いていたしお菓子作りもよくやっていた。毎年ひな祭りや節句の時にはかぼちゃを煮たり菖蒲湯を入れたり、ちゃんとお雛さんや兜なども出していた。子供の保育園の上履き入れや昼寝布団カバーなども自分で縫った。裁縫やミシンかけは元々好きだったのでさほど苦では無かったし、ホームベーカリーも炊飯器と同じ感覚だとその時は思っていた。


その頃は家に余分な物が本当に少なかった。母が目が悪く床に物を置くと転ぶ可能性があるので一切床に物を置かなかったのもある。子供がおもちゃを自分達で片付けた後も私がやり直してきっちりしまったし、部屋はいつまて整然としていた。


子供が小学校に上がると自分のことは自分でさせようと、子供の学校の支度も全部自分でやらせたし片付けも手を出さなかった。するとやはり部屋は片付けても片付けても乱雑になってきた。


母がいた頃は家事をだいぶ手伝ってもらっていたので母がいなくなってからは夕食もかなり簡単なものが多くなった。母の作るご飯は言ってみれば昭和の粗食みたいなもので決して品数が多い豪華なご飯では無かったので大差ないのかもしれない。


時短料理も慣れてくるといかに少ない時間でまともなものを作るかと考え、手抜きではあるがそれなりに栄養バランスであったり味だったりがまともになってくる。効率の良さが勝負なので時間が掛かると、あーあこんなに遅くなったと自己嫌悪する。


最近は開き直りというか、家事っていうのはやればやるほどキリがないしかといって手抜きすればいくらでも手抜きできる。時間が余ってる人はとことんやればいいし無いなら合理的に最低限すればいいのでは、と思う。手抜きではない、合理化。


ていねいな暮らし、ってなんなんだろう。そしたらうちは丁寧じゃないのかもしれないけれどまあいいかと思ってる。

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つらいときは…

2017-05-14 17:10:32 | 日替わり
人からよく能天気だと言われる。いや能天気とは直接言われないが長生きしそうだ、とか悩みがなさそうだ、とか遠回しにお前は能天気だというようなことを言われる。こう言ってはあれだけれども、結構辛い人生を送ってきた。勿論もっと大変な思いをして生きている人はたくさんいるだろうし、人なんて楽に生きているように見えて苦労を微塵も見せずに生きている人だっているだろう。


離婚しているので旦那は居ないし、母は認知で老人ホームに入ってしまったので辛いことがあった時に愚痴ったり感情を吐き出せる人がいない。まあ本当に辛いことは例え身内でも人には言えない類のことだろうから、家族に言えるのは愚痴程度のことなのかもしれない。もちろん子供には会社でのちょっとした人間関係程度の愚痴は喋ることはあるけれど、それも滅多に言わない。職場で色々あって憤懣やるかたない時も家に帰ると喋る気が失せてしまう。やはり私は能天気なのかもしれない。


それでも、どうしようもなく、本当にもうどうしようもない位に辛い時もある。正直子供みたいに「そうかそうか」と頭をなでて私の話をただただ聞いて肯定してくれる誰かがほしいと思う時もある。当たり前だけれどそんな人はいない。それでどうしても辛いときは布団を頭から被り涙を流してしくしく泣く。というか辛すぎる時って何故だか泣けてくるのである。でも人に(勿論子供にも)そんなところは見せられないので電気を消した布団の中で泣く。


これはなかなか効果がある。次の日の朝には、なんとかなるだろう、という気分になる。もしかしたら泣いたせいでなく元来の呑気な性格だからかもしれない。

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