総理がコジキでコジキがソーリィー![]() 205 マルティン・ニーメラー 「あるわよ、アンネ・フランクのことを知りたくって勉強したのよ。三沢くんのように、いい点を取りたいし、それをきみが間違っているとはいえない。だけど、ドイツのプロテスタントの良心のある牧師は回顧して反省の言葉を述べたことを、私は思い出すわ」 「どんなことを思い出すんだよ」 「『アンネ・フランクはなぜ殺されたか』という本に書かれてあるんだけど、“マルティン・ニームラーはドイツのプロテスタントの牧師で、ユダヤ人を守れと発言する勇気があったことが原因で、およそ9年間を強制収容所で送った人よ」 「それは有名な言葉だね。忘れたくないことでもあるね」 「もしかして、ソーリィー覚えているの?」 「ああ……。ちょっと待ってね。彼は自分の人生と生きてきた時代について、つぎのようにいった。 『ナチスは最初共産主義者たちを襲った。 しかしわたしは共産主義でなかったので、異議を唱えなかった。 それからナチスはユダヤ人を襲った。 しかしわたしはユダヤ人でなかったので、異議を唱えなかった。 次はナチスは労働組合の活動家たちを襲った。 しかしわたしは労働運動家でなかったので、異議を唱えなかった。 その次にナチスはカトリック教徒たちを襲った。 しかしわたしはプロテスタントだったから、異議を唱えなかった。 その次はわたしの番だった。 もうその頃には、異議を唱える者は一人も残っていなかった』 と書かれてある」 これはニーメラーがみてきた歴史でもある……。 しかし、ここに教訓があるだろう……。 「意義ある言葉ね。差別主義者を味方にするということは、このように恐ろしい目に結局は自分もあうという教訓よね」 沙也加は父を味方にしていては幸せは手に入らないと思っていた。 それは正しかった。 父を味方と思わなくなった時、心に平安が訪れた……。 三沢少年はソーリィーに聞いて、紙切れにメモしていた……。
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