『五番崩れ』
永見津平・著/長崎文献社s49年
長崎はキリシタン信仰のころからはじまる
カトリック教徒の歴史がある街ですね。そして、原爆だけでなく、キリシタン迫害というものも残酷なものです。
帯の表にはこう書かれてあります。下「」引用。
「■ナガサキ・ゲンバクとキリスト教を問い直す
新鋭作家20年の思索の結晶!
若き放送局員は、浦上キリシタン末裔の乙女を通して、愛と、ナガサキの傷痕を吾がものとした。浦上天主堂の神父との対決を通して、原爆と、キリスト教の深淵に触れた。
これは現代の歴史小説である。」
対決かどうかわかりませんが……。
キリスト教の深淵に触れたのもどこかわかりませんでした。(-_-;)
帯の裏。下「」引用。
「●小松伸六氏評 ナガサキを背景にした原爆小説だが、単なる被爆体験の悲惨なルポルタージュ小説でもなければ、原爆許すまじの怒号小説でもない。
この小説の絶対的魅力は、「原爆はキリスト教の側から見ないと、その本質がつかめない」と云うこの作者の信念の形姿化である。だからこそ、神の代理人ともいえる梅田神父と、森中青年との対立・葛藤というかたちで、この原爆叙事詩は展開されるのだ。
著者は元長崎放送作家課長、20年にわたってナガサキ・ゲンバクを調べ、考えぬいた人である。そこからこの野心的構図が生れた。
まさに“新人の出現”というのにふさわしい作者だ。」
対決というよりは、対立でしょうね。
でも、ソフトな対立です。
カトリックのことは勉強になりました。
やはりカトリックにはカトリック特有の文化がありますね。
長い歴史のある宗教ですね。
ド・ロ神父のことがよく書かれてありました。
浦上天主堂の「アンジェラスの鐘」は、
この小説では原爆の日まで鳴っていたように
書かれてありますが、戦時中、禁止されていたと
書く本もありました。
どちらが本当なのでしょうか?
--たぶん後者だとボクは思います。
原爆以前は、「アンジェラスの鐘」は二つあって、
ハーモニーをつくりだしていたそうです。
浦上の信徒が差別を受けていたことが理解できる一冊と思います。
そして、その差別は原爆以後にもあったと書かれている本もあります。
また、逆差別だと訴えるサイト記事もあります。
しかし、人数だけで差別となるのでしようか?
相手の人権を重んじないほうが差別していると私は思います。
寺は差別のために働いてきたことを、きちんと反省されたのでしようか?
五番崩れ(原爆)もすさまじいものだけど、四番崩れもとても人間として考えられる手段ではないとボクは思います……。
とんでもない人たちに、このような不仲が悪用されないように願いたいものです……。
しかし、共産党の人にいろいろな人たちがいることはサイトを見ても理解できると思います。
同じ人間にならないと、本当の平和はこないでしょう。
ジョン・レノンの言葉が大きいとボクは思う……。
京都といえば、祇園といわれます。
そして、舞妓さん芸妓さん……。
それを嫌がる人もいる……。
--もちろん、京都はそれだけやおまへん。
そやけど、舞妓さんや芸妓さんを差別なんてしたら、反対にすかれません。
京都にもいろいろな地があり、それぞれのことを誇っています。
そっちが大事や!
長崎の仏教もきちんと仏の教えで、がんばってもらいたい。
仏の教えは、差別ちゃうやろ! 慈悲やろ!?
それなら長崎のカトリックと友好関係になった方が得と、昔の京都人なら話すと思いまっせ。
仏教のないええとこが、カトリックにあり、また逆もいっしょや!
平和でがんばって欲しいでえ!!!
いくら、外国のものを取り入れても、基本が和なら和食や!
また、逆も同様や!
仏教は中国かインドや!
日本は神道や! これも、元は中国という人もおる……。
そやけど、仏教よりは古いでえ!
わしは、元祖・八百万の神の吉田神社の幼稚園を卒園したもんだ!
神様も理性あるなら、仲良くすることやろう……。
けど、ボクは平和に神を出す気にはならない。
同じ人間どうしで作られるもんだという、ジョン・レノンを尊敬している。
ただ、宗教でもめとんで、書いたまでや……。
--いや、もめてもおらんなあー……。
もめるには相手が必要だ。
相手にすらされていないのかもしれない……。
しかし、平和のプラスにならないとボクは思う……。
目次
もくじ
目 次
永見津平・著/長崎文献社s49年
長崎はキリシタン信仰のころからはじまる
カトリック教徒の歴史がある街ですね。そして、原爆だけでなく、キリシタン迫害というものも残酷なものです。
帯の表にはこう書かれてあります。下「」引用。
「■ナガサキ・ゲンバクとキリスト教を問い直す
新鋭作家20年の思索の結晶!
若き放送局員は、浦上キリシタン末裔の乙女を通して、愛と、ナガサキの傷痕を吾がものとした。浦上天主堂の神父との対決を通して、原爆と、キリスト教の深淵に触れた。
これは現代の歴史小説である。」
対決かどうかわかりませんが……。
キリスト教の深淵に触れたのもどこかわかりませんでした。(-_-;)
帯の裏。下「」引用。
「●小松伸六氏評 ナガサキを背景にした原爆小説だが、単なる被爆体験の悲惨なルポルタージュ小説でもなければ、原爆許すまじの怒号小説でもない。
この小説の絶対的魅力は、「原爆はキリスト教の側から見ないと、その本質がつかめない」と云うこの作者の信念の形姿化である。だからこそ、神の代理人ともいえる梅田神父と、森中青年との対立・葛藤というかたちで、この原爆叙事詩は展開されるのだ。
著者は元長崎放送作家課長、20年にわたってナガサキ・ゲンバクを調べ、考えぬいた人である。そこからこの野心的構図が生れた。
まさに“新人の出現”というのにふさわしい作者だ。」
対決というよりは、対立でしょうね。
でも、ソフトな対立です。
カトリックのことは勉強になりました。
やはりカトリックにはカトリック特有の文化がありますね。
長い歴史のある宗教ですね。
ド・ロ神父のことがよく書かれてありました。
浦上天主堂の「アンジェラスの鐘」は、
この小説では原爆の日まで鳴っていたように
書かれてありますが、戦時中、禁止されていたと
書く本もありました。
どちらが本当なのでしょうか?
--たぶん後者だとボクは思います。
原爆以前は、「アンジェラスの鐘」は二つあって、
ハーモニーをつくりだしていたそうです。
浦上の信徒が差別を受けていたことが理解できる一冊と思います。
そして、その差別は原爆以後にもあったと書かれている本もあります。
また、逆差別だと訴えるサイト記事もあります。
しかし、人数だけで差別となるのでしようか?
相手の人権を重んじないほうが差別していると私は思います。
寺は差別のために働いてきたことを、きちんと反省されたのでしようか?
五番崩れ(原爆)もすさまじいものだけど、四番崩れもとても人間として考えられる手段ではないとボクは思います……。
とんでもない人たちに、このような不仲が悪用されないように願いたいものです……。
しかし、共産党の人にいろいろな人たちがいることはサイトを見ても理解できると思います。
同じ人間にならないと、本当の平和はこないでしょう。
ジョン・レノンの言葉が大きいとボクは思う……。
京都といえば、祇園といわれます。
そして、舞妓さん芸妓さん……。
それを嫌がる人もいる……。
--もちろん、京都はそれだけやおまへん。
そやけど、舞妓さんや芸妓さんを差別なんてしたら、反対にすかれません。
京都にもいろいろな地があり、それぞれのことを誇っています。
そっちが大事や!
長崎の仏教もきちんと仏の教えで、がんばってもらいたい。
仏の教えは、差別ちゃうやろ! 慈悲やろ!?
それなら長崎のカトリックと友好関係になった方が得と、昔の京都人なら話すと思いまっせ。
仏教のないええとこが、カトリックにあり、また逆もいっしょや!
平和でがんばって欲しいでえ!!!
いくら、外国のものを取り入れても、基本が和なら和食や!
また、逆も同様や!
仏教は中国かインドや!
日本は神道や! これも、元は中国という人もおる……。
そやけど、仏教よりは古いでえ!
わしは、元祖・八百万の神の吉田神社の幼稚園を卒園したもんだ!
神様も理性あるなら、仲良くすることやろう……。
けど、ボクは平和に神を出す気にはならない。
同じ人間どうしで作られるもんだという、ジョン・レノンを尊敬している。
ただ、宗教でもめとんで、書いたまでや……。
--いや、もめてもおらんなあー……。
もめるには相手が必要だ。
相手にすらされていないのかもしれない……。
しかし、平和のプラスにならないとボクは思う……。
目次
もくじ
目 次