TBS 世界ウルルン滞在期2007年3月18日
ドイツ国際平和村
戦争で傷をおった子供たちを癒す……
ドイツは40年前から戦場で傷ついた子供たちを国際平和村でいやしてきた。
お腹を撃たれた子ども。弾はとりだしたが、大腸をぬうことはできなかったので、ドイツに送られてきたという。
親と離ればれで病をなおす。
アフガニスタンで膝を撃たれた少年。
1999年2000年東ちづるが訪問。
八年間の記録をみていく。募金活動も続けてきたという……。
世界各地から傷ついた子供たちがやってきているという。
1967年、ドイツ国際平和村、ベトナム戦争で傷ついた子供たちをいやそうと設立。
2万5千人の子供たちの命を助けてきたという。
【8年前(1999年)、8か国150名、定員80名】
アンゴラから来た少女マリアンナ(当時14歳)、転んで怪我をしたというが、銃弾の跡が三つ。6回のオペで一生まがらない膝になっていた。
アンゴラから来たパルーシャ(当時12歳)、右足を失っていたが、左足も手術を繰り返していた。義足をつけて、二年ぶりに歩きはじめる……。兵士が機関銃を乱射したからだという……。
爆弾の熱風で指が癒着、耳が聞こえない子供……。
マリアンナが帰国できることになる。パルーシャは帰れず。
「アンゴラに帰りたい」と泣くアンゴラの子供たち。
親たちも銃弾に倒れて、亡くなっているとも……。子供たちはそれを知らされていないという。
【アンゴラ共和国】
今も内戦が続く。
国土の85%に地雷がうまっているという。
【2000年、アンゴラから63名ドイツ平和村へ】
左目を銃弾で撃ち抜かれた子供。
骨盤が腐りかけている子供……。
ドイツに来て三日、何も食べない子供……。
【2001年 アフガニスタンから】
9.11事件からアフガニスタンの子供たちが傷つき国際平和村へ。
イズマエルくん(当時4歳)は爆風で顔面がやけ、下唇がない。
子供たちは戦争がわからないので、敵というのもわからないという。
【2003年】
イズマエルくん(当時6歳)は頭の皮膚を顎に移植していた。
帰国、アフガニスタン・カブール。
滑走路には爆撃機の残骸が。
シビルハーンがイズマエルくんの故郷。
遠く両親は迎えにこない。
二ヵ月後に、おじさんが迎えに来たという。
◆現在の子供たち……◆
アフガニスタンは今も戦場。
イズマエルくんは小学校に通っているという。
エリサンドラ、国へ帰り、母と再会。明るい笑顔。
アンゴラでは、コレラが流行っているという。
マリアンナは、看護学校に通っているという。
パルーシャは義足が使いこなし、父と暮す。
【ムーシャ(アフガニスタン)】
2001年、両肘を地雷でなくす(当時11歳)。
自分で物をつかめなかった。
クルッケンベルグ法で物をつかめるように……。
2003年、手術をうけていた。
◆グルジアにカメラ入る◆
少数民族どうしの紛争続くという。
人々は逃げるのみ……。
【シーラ】
別れるとき、東に「わたしはあなたになりたい」
呼吸器に障害をもっていた。
外交官になるのが夢だという。
ドイツ語、英語も学んでいるという。
【タマリ】
テラビに住む。
大人ぽくなっている。
母親は治療のお礼と、娘がドイツにいってるときとても寂しかったという。
耳は次の手術で補聴器できこえるようになるという。
シーラとタマリからの贈物に涙する東。
◆国際平和村の今◆
三階建てになる。300人が生活できるようになったという。
8年間で日本からのボランティア71名。
ボランティアから平和村職員になった中岡さん。
日本からの募金の担当になっているという。
継続して協力する企業も。
毎月300万円も入っているという。
各国にみあうように、教育をしているという。
以前、教育はしなかったという。
日本のボランティアはいろんなことを教えたがる。
日本のボランティアは抱っこなどもしはじめる。
抱っこもいいのではないか? となったそうである。
数億の赤字があるという。
募金を訴える東ちづる。
わたしたちを忘れないで ドイツ平和村より
index
もくじ
もくじ
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戦争で傷をおった子供たちを癒す……
ドイツは40年前から戦場で傷ついた子供たちを国際平和村でいやしてきた。
お腹を撃たれた子ども。弾はとりだしたが、大腸をぬうことはできなかったので、ドイツに送られてきたという。
親と離ればれで病をなおす。
アフガニスタンで膝を撃たれた少年。
1999年2000年東ちづるが訪問。
八年間の記録をみていく。募金活動も続けてきたという……。
世界各地から傷ついた子供たちがやってきているという。
1967年、ドイツ国際平和村、ベトナム戦争で傷ついた子供たちをいやそうと設立。
2万5千人の子供たちの命を助けてきたという。
【8年前(1999年)、8か国150名、定員80名】
アンゴラから来た少女マリアンナ(当時14歳)、転んで怪我をしたというが、銃弾の跡が三つ。6回のオペで一生まがらない膝になっていた。
アンゴラから来たパルーシャ(当時12歳)、右足を失っていたが、左足も手術を繰り返していた。義足をつけて、二年ぶりに歩きはじめる……。兵士が機関銃を乱射したからだという……。
爆弾の熱風で指が癒着、耳が聞こえない子供……。
マリアンナが帰国できることになる。パルーシャは帰れず。
「アンゴラに帰りたい」と泣くアンゴラの子供たち。
親たちも銃弾に倒れて、亡くなっているとも……。子供たちはそれを知らされていないという。
【アンゴラ共和国】
今も内戦が続く。
国土の85%に地雷がうまっているという。
【2000年、アンゴラから63名ドイツ平和村へ】
左目を銃弾で撃ち抜かれた子供。
骨盤が腐りかけている子供……。
ドイツに来て三日、何も食べない子供……。
【2001年 アフガニスタンから】
9.11事件からアフガニスタンの子供たちが傷つき国際平和村へ。
イズマエルくん(当時4歳)は爆風で顔面がやけ、下唇がない。
子供たちは戦争がわからないので、敵というのもわからないという。
【2003年】
イズマエルくん(当時6歳)は頭の皮膚を顎に移植していた。
帰国、アフガニスタン・カブール。
滑走路には爆撃機の残骸が。
シビルハーンがイズマエルくんの故郷。
遠く両親は迎えにこない。
二ヵ月後に、おじさんが迎えに来たという。
◆現在の子供たち……◆
アフガニスタンは今も戦場。
イズマエルくんは小学校に通っているという。
エリサンドラ、国へ帰り、母と再会。明るい笑顔。
アンゴラでは、コレラが流行っているという。
マリアンナは、看護学校に通っているという。
パルーシャは義足が使いこなし、父と暮す。
【ムーシャ(アフガニスタン)】
2001年、両肘を地雷でなくす(当時11歳)。
自分で物をつかめなかった。
クルッケンベルグ法で物をつかめるように……。
2003年、手術をうけていた。
◆グルジアにカメラ入る◆
少数民族どうしの紛争続くという。
人々は逃げるのみ……。
【シーラ】
別れるとき、東に「わたしはあなたになりたい」
呼吸器に障害をもっていた。
外交官になるのが夢だという。
ドイツ語、英語も学んでいるという。
【タマリ】
テラビに住む。
大人ぽくなっている。
母親は治療のお礼と、娘がドイツにいってるときとても寂しかったという。
耳は次の手術で補聴器できこえるようになるという。
シーラとタマリからの贈物に涙する東。
◆国際平和村の今◆
三階建てになる。300人が生活できるようになったという。
8年間で日本からのボランティア71名。
ボランティアから平和村職員になった中岡さん。
日本からの募金の担当になっているという。
継続して協力する企業も。
毎月300万円も入っているという。
各国にみあうように、教育をしているという。
以前、教育はしなかったという。
日本のボランティアはいろんなことを教えたがる。
日本のボランティアは抱っこなどもしはじめる。
抱っこもいいのではないか? となったそうである。
数億の赤字があるという。
募金を訴える東ちづる。
わたしたちを忘れないで ドイツ平和村より
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もくじ
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今年、最後のイベントです。
明日、10日から来月の25日まで、
お台場、パレットタウンのトヨタの前にブースを借りて、
ドイツ世界平和村を多くの人に知って頂く為のチャリティーイベントとして、
大きなクリスマスツリーを飾り、
その周りに平和村の写真を飾る事にしました。
ドイツの世界平和村とは、
戦争の巻き添えで怪我をしたり、手や足を失った子供達を救済する施設です。
アフガニスタン等では、今でも毎日、多くの子供達が手当てを受ける事が出来なくて亡くなっています。
もう少し、お金が有れば、多くの命を救う事が出来ます。
僕は中間と共に、
少しでも役に立ちたくて、今回のイベントを立ち上げました。
この記事を見て、
私も協力出来る事が有ればと考えています。
2007年の11月のことですね。
ぼけーと考えていたら、ドイツ国際平和村のクリスマスのお話しができました……。
私も協力できることがあればいいのですが、非力なもので……。
今朝のテレビに東つづるさんが出ていたので書き込みされたのですかね。
このパレットタウンで行ったクリスマスイベントは日本パームの浅海社長が自費で遣ったイベントです。
私も誘われて会場に行き始めてドイツ世界平和村の事をしりました。
今でも少しですが協力させて頂いています。
多くの方が協力してこの活動が広まればと思っています。
追究しても仕方がないと思いますが……。
善意からだと思いますので、アップしました。