磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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「ヒロシマの母の記」史樹の死を生きて

2008年06月08日 | 読書日記など
『「ヒロシマの母の記」史樹の死を生きて』
   名越操・著/平和文化1985年

この本をよんで、政治家や官僚などの人権・人道とはいったい何なのだろうか? とボクはまた思いました……。彼らのシステムを守るためのものが、人道とは私には思えません! システムの奴隷に人道など無きが如しではないでしょうか? いつものことを思いました……。システムもまた道具にしかすぎませんね……。




マッチ工場に学徒動員で働いていた母。下「」引用。

「昭和二○年八月六日。私は一五歳だったる毎日学徒動員で、マッチ工場ではマッチ棒揃え、糧秣廠では缶詰磨き、被服廠では血膿のついたボロ布のよりわけ、まともに学校に通ったのは女学校の二年までで、青春などというものはなかった。」

母は弾丸づくりもしていたという。下「」引用。

「二五年には朝鮮戦争がはじまり、私たちが戦争中に動員で弾丸づくりをした日本製鋼では、そのときすでに兵器の再生産をしていたことなどなど、一連の事実について知るべくもなく、また、大して関心もなかった。」

史樹(ふみき)はボクと同じ年、1960年に生まれた。
好きなものも、ボクと似ている……。下「」引用。

「史樹の好きだったもの
マンガ……石田国松『ハリスの旋風』
テレビ……『赤穂浪士』『いじわるばあさん』『船場』『青春とは何だ』『パーマン』『ウルトラQ』」

テレビに出演した母。下「」引用。

「母の日記 一一月二二日
 二五日七時三○分、NHKテレビ『ある人生の記録・がん博士と二十日ねずみ』がという。出演してほしいと言うのを何度も断ってきたが、とうとう断りきれず、今日テレビカメラで写された私であったが。どういう編集をするのか。舌足らずの点があったとしても、私は精一杯訴えたつもりである。
 私は被爆者であり、不安な毎日を送っていること。子供の白血病は原爆のせいではないかということ。少しでも長生きして、その間にいい治療法がみつかって欲しいということ。-略-」

テレビを見た父。下「」引用。

「父の日記 一一月二六日
 二五日の午後七時三○分、NHK三チャンネルにダイヤルをまわした。『ある人生』の番組が始まる。「ガン博士と二十日ネズミ」に取組む井田先生を中心に、ガンと二十日ネズミのたたかいが展開されてゆく。
 広島大学付属病院のカルテが画面に出る。一年一か月目、死亡。葬式でなげく母親がクローズアップされる。そして突然、妻がスクリーンに出る。-略-」

非難されたという。下「」引用。

「その後、史樹のことが『ぼく生きたかった』(絶版)という本になり、ペギー葉山さんの歌になり、劇団でも上演されました。私が好むと好まざるとにかかわらず、被爆二世の問題は新たな問題として歩きはじめたのです。全国の方々から暖かいはげましの手紙もいただきました。
 しかし、同じ被爆者の口から、「なぜ本にしたのか」とか、行政当局も、「胎内被爆者・被爆二世を守る会」の被爆二世援護の申し入れに対し、「差別を助長することになる」として、積極的な対応を拒みました。」

裏表紙には、引揚で原爆投下後の広島を見た、脚本家の早坂暁さんが「推薦文」を書いています。


ぼく生きたかった 被爆二世 史樹ちゃんの死

ぼく生きたかった

合唱構成・あの星はぼく





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