磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

ちくまぶっくす36 「原爆一号」といわれて

2008年05月12日 | 読書日記など
『ちくまぶっくす36 「原爆一号」といわれて』
   吉川清・著/筑摩書房1981年

この著者は高橋さんの本などにも登場してきます。有名な人であったと思います。平和運動でも、バクチのような平和運動のようにボクには思えました……。



手術の失敗が書かれてありました。下「」引用。

「ケロイド手術の失敗
 私たち夫婦の日赤入院生活は、一九五一年(昭和二六年)の春さきまで続いた。」

原爆「一号」とマスコミに書かれて、あらぬ噂がたったという……。下「」引用。

「これでまた、あらぬ誤解とうわさの種になってしまった。--吉川は、外人たちからいつもドルをもろうとるらしい、というのである。たしかに、私を見舞い、激励してくれる外人からドル紙幣をもらったことはあった。」

--内部告発があったという。
米国シュモー博士寄贈住宅入居者(広島市皆実町二丁目五八○番地」は、水産課長、建設総務課長、秘書課長、広島城管理事務所所長。(広島市江波町二本松皿山住宅)建築指導課長、建設総務課主任技師、建築指導主任技師、用度課検査係長。

日本の行政に関わる人たちは特権階級と思われているのは昔からですね。

--立ち退きのことがあったが、病気が回復しなかった。
長田新・広島大学教授から紹介された学生が来て、原爆ドームの下に四坪ほどのバラックが建てたという。

大田洋子から電話があったという。
--大田洋子の指摘は繊細でもあり、誤解する人もいるだろうが、正しいのは大田洋子だとボクは思う。その意味を著者が理解できていたかはボクには疑問。
大田洋子が指摘したことは、事実、そうだったと書く人もいたと思う。

index

東京の雑誌社の写真部に勤務していた男が、商売の邪魔をするという。
--被爆者でもないのに、被爆者と語ってもいたという。下「」引用。

「--広島では、ゲンバク、ゲンバクというて大さわぎしておるが、原爆で死んだ者はみんな極楽死じゃ。なぜかというと、あっというまにいっぺんに何万という人が殺されたので、なんの苦しみもなかった。そこへいくと、焼夷弾はちがう。雨あられのように降ってくる下を逃げるのは、死にもの狂いじゃ。そのために、気の狂った者さえおるのに、ピカじゃそんな者はおらん。といったりした。
 近所の人の話では、この夫婦はたしかに戦後やってきたので、原爆にはあっていないということであった。
 男はさらに、--この先の店では、ゲンバク、ゲンバクと大仰にいっておるが、あれはピカを宣伝するアカじゃ。あの男にだまされてはいかん。とまでいうのであった。」

その男はメチルアルコールを飲み失明したという。

ケロイドを見せものにしてなぜ悪いと著者。下「」引用。

「腕にある大きなケロイドを見せて、原爆の恐ろしさを説明することもあった。私としては、私の身体に焼きついた、醜いケロイドを見せることによって、一人でも多くの人に原爆の恐ろしさを事実によって知ってもらいたかった。そしてそれが、原爆反対と平和へとつながってゆくと考えていたのであった。しかし、少なからぬ人たちからは、--吉川は自分のケロイドを売り物にしている。と非難された。」

メチルアルコールで失明した男は、吉川の店のそばに誹謗中傷する看板を立てたという。

吉川は二葉あき子と広島県双三(ふたみ)郡布野(ふの)村の小学校で同級生だったという。

吉川は店をやっており、若い女の人のホステスをやとっていたが、高給で困っていたという。

原爆ドームの下のバラックに住んでいたので、映画『原爆の子』のロケハンと親しい間柄となったという。

「ひろしま」と「原爆の子」は当たらなかったという。下「」引用。

「この二つの映画は、十分に伝えられていない原爆被害の実相を描こうとしたものではあったが、広島の被爆者の反応は冷やかであった。被爆者たちが身をもって体験した原爆のおそろしさは、これらの映画に出てくるような、あんな生やさしいものではない、というのであった。」

「原爆乙女」を東京でなおすというのを非難していた著者。
また、ここでも、映画「生きてよかった」の長崎の15、6歳の少女のケロイドを広島市内の外科医が招き、手術をほどこしたという。長崎にも医者がいるのにと非難。

チェルノブイリの子どもたちや、ベトナムの人たちも遠くからやってきましたね。
--それは手術だけを目的とするのではなく、われわれに被害を伝えてくれもしたのですね。彼女やベトちゃんドクちゃんも、民間の平和大使だったのですよ。
友好も大切なことではないでしようか?

日仏合作映画「二十四時間の情事」に出演。

映画「ヒロシマ一九六六」では出資を頼まれたという。
--暴力団の組長が出資をするというが、断ったという。

映画「はだしのゲン」は大成功。

永井隆博士批判。下「」引用。

「私はそれに反発を感じていた。私は永井博士に返書を送って、広島と長崎に原子爆弾を投下したことは、理由はどうであれ神にそむく行為であって断じてゆるされるべきことではありません、と書いた。博士からの音信は絶えた。私は永井博士の著者は被爆体験を風化させ、人びとにあきらめの気持をひろげるものだと思いこんでいたのだった。」

目次

神の律法も学ばず、自分がすべて統治されているような王様のような言い分。
--もちろん、神がゆるされるわけがないが、復習するは我(*神)にありと聖書に書かれてある。
怒りではなく、愛で平和をつくろうとした永井隆博士。

ゼロサムゲームのような、平和運動をしている著者。
--ゼロサムゲームではなく、キリストの愛をとき、それを実践した永井隆博士。
音信不通といっても、彼は重篤な病気であり、そして亡くなられたことを察してほしかった……。

何しろ、文献を読んでください。
--永井隆ほどの文献を残している人物はいません。

Index

土門さんの写真集「ヒロシマ」にも著者はとりあげられたそうです。

関連記事






Index

Index





エンタメ@BlogRanking



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。