磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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IWANAMI GRAPHICS 7 ヒロシマの証

2008年03月15日 | 読書日記など
『IWANAMI GRAPHICS 7 ヒロシマの証』
   土田ヒロミ、杉原正、兼口芳成(著)/岩波書店1982年

被爆遺品といわれるものを扱われた本といっていいのではないでしょうか?



表紙の説明。下「」引用。

「風呂敷、中村三二さん(当時15歳)の遺品。学徒動員として建物疎開作業中、材木町誓願寺付近(爆心地から450m)で被爆、死亡。」

弁当箱と水筒は絵本のモデルにもなりました。下「」引用。

「折免滋くん(当時13歳)の遺品。動員学徒で建物疎開作業中、本川畔(爆心地から500m)で被爆、死亡、寄贈者 : 折免シゲコさん(母親)
「息子は弁当と水筒の入ったカバンを腰に巻きつけるように死んでおりました。水を飲む間もなかったようです」滋くんを発見したシゲコさんは当時の様子を語る。」

まっ黒なおべんとう

「防空ずきんとカバン」下「」引用。

「舛田幸利くん(当時13歳)の遺品。広島市造船工業学校1年生の時、学徒動員で建物疎開作業中、材木町(爆心地から400m)で被爆。行方不明となる。
寄贈者 : 舛田燿夫氏(父親)・和枝さん(妹)」

妹はカトリック教徒になられていましたが、弟を思う気持ちはやはり変わらなかったそうです。

やはり、人間性を失ってしまうような宗教やイデオロギーの集団は異常だとボクは思います。


--ヒロシマの記念日には、甲子園を毎年やっている頃ですね。下田さん語る。下「」引用。

「いつまでも若者たちが無心に白球を追える時代が続くように……」

部下が200人から300人にいた隊長。
たった一人だけ生き残ったという。
「心の負い目」になっているという。

教員学校には特典があったという。下「」引用。

「教員には兵役免除という特典があった」

どういうわけか、今も教員の給与は下がりませんね……。

コツコツ230点も集めた市民がいたという。
「武田一括資料」証言者・武田学郎氏。

「体内のガラス」のことや、高橋昭博氏の黒い奇形した爪のことも取り上げられていました。

「被爆ピアノ」証言者・金子修郎氏さんのことも掲載されていました。

ミサコの被爆ピアノ










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