磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマ いのちの伝言

2007年12月30日 | 読書日記など
『ヒロシマ いのちの伝言
   被爆者 高橋昭博の50年』
     高橋昭博・著/平凡社1995年

半藤一利は、文藝春秋の専務だった人。しかし、彼は「司馬遼太郎の担当」だったと書くのが好きであるようだ……。高橋さんも元・原爆資料館館長と書いてもいいところなのに、被爆者と書かれている。二人の価値観というのもわかるというものですね。人は、権威主義に陥りやすいもの……。



やはり特筆するのは、平和運動に関する先見性というものです。

高橋さんはラブ&ピースの人といっていいのではないでしょうか?

ラブといったからといって、もてるというわけではありません。
--それなら、ボクなど書く資格もないでしょう。

ハワイでの高橋さん。下「」引用。

「全員英語は解せなかったが、理解できた単語から推測すると、家族や親戚が太平洋戦争で亡くなったことを語っているようだった。
 私は胸が痛んだが、この心の交流に勇気を得て、ほかの四人に提案した。
「ノーモア・パールハーバー、ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ピースを訴えて、もう一度、被爆体験集、原爆写真集を配りましょう」
 私たちは手分けして三○人余りの中に入っていった。すると、どうだろう。外国人は私たちが手渡すのを笑顔で受け取って、口々に「ピース、ピース」などと言いながら肩をたたき、握手さえ求めてきたのだ。
「国は違っても、肌の色は違っても、言葉は通じなくても、態度で心は通じ合い、理解し合える」
 私は感激し、まさにこの「思いやりのある心と心のふれあい」こそが平和の原点なのだとかみしめた。」

目次


1994年の広島でのアジア大会は、ヒロシマ不在だったという。
それは「戦争責任」をむしかえしたくなかったからという。
--共同通信社は、アジア大会の参加者が原爆資料館をみて、「原爆投下は当然だった」と約半数が答えたと伝えたという……。
大会は成功したが、“ヒロシマらしさ”を出す“気配り”に欠けていたという。

アメリカの莫大な巨費をかけた『原爆神話』を信じ切っている人たちといっていいのではないでしょうか?

index

もちろん、日本軍の残虐行為などが帳消しにされることは永遠にないとボクは考えます。

被爆者にも、醜い面もたくさんあるという高橋さん……。
--山本亘さんとの“分かりっこない”ということについてもくわしく書かれてありました。
どうもそれは、高橋さんが『ヒロシマ・ノート』の被爆者に対するものが、きれいごとで書いてあるので評価しないと。
それに対して、山本さんは、貴重な入門書だと……。
そこで、「あの地獄を体験していない人には分かりっこありませんよ」と話されたそうだ。

五つのメッセージ(真に平和な社会をつくってもらいたいと思う)
1 出会いを大切に生きてほしい
2 人の痛みをともに分かち合う心を持ってほしい
3 憎しみで憎しみを消し去ることはできない
4 一人の力は決して無力ではない
5 勇気とチャレンジ精神を忘れないでほしい

--1979年7月、エノラ・ゲイ貴重ポール・チベッツと会う。
それを切り出したのは、中国放送の渡辺記者。

1970年から、チベッツが中心になり全米各地で行なった模擬爆弾の投下ショー。
そのショーとチベッツに興味をもって取材していた渡辺。
チベッツは声の収録も一切拒否。そして「命令されてやったことで、罪の意識はない」と答えたという。

当時、タフツ大学準教授だった秋葉忠利衆議院議員が通訳。
高橋「私は長い間、戦争を起こした日本軍国主義の指導者と、あなたに原爆投下を命令したトルーマン大統領をはじめとするアメリカの指導者に憎しみを抱いて生きてきました。しかし、憎しみで憎しみを消し去ることはできない。憎しみのあるところに、平和は生まれない。苦しくても憎しみを乗り越えるなければならいと考えるようになりました」
チベッツ「あなたの気持ちはよく分かります」とうなずいたという。

アメリカ上院議員でも、いろいろな人がいます。下「」引用。

「アメリカ政界の良識派を代表するマーク・O・ハットフィールド上院議員(共和党)。「ヒロシマの訴え」に理解を示し、核軍縮を叫び続ける政治姿勢の“原点”は、被爆直後に目にしたヒロシマの廃墟にある。」

--「米国被ばく退役軍人協会」のオービル・ケリーさん。
ケリー「核実験に参加した兵士は臓器提供に応じるのをやめよう。放射能におかされた私たちの臓器の提供は、新たな犠牲者を生み出しかねない」と呼びかけた。

--日本の役所や病院は、日本人にもひどいと書きましたが、アメリカ軍も同様のようです……。


永瀬隆さんに招待された元捕虜の英国人が広島へ来られて、虐待や目撃した残虐行為を非難。
永瀬さんは、カンチャナブリの“悲劇の地”に日本軍の犠牲になった人たちの供養のために慰霊施設建立。
--カナチャナブリの名誉県民に選ばれた永瀬さん。
自らは捕虜に対する虐待行為をしていないのに、謝罪の気持ちを続ける永瀬さん。
--不誠意を告発された日本政府。

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