磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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自由への補助具-介助いらず、ひとりでできる喜びを

2011年01月18日 | 読書日記など
『自由への補助具-介助いらず、ひとりでできる喜びを 補助具作りが生きがいの加藤源重と福祉工房あいち-』
   矢吹紀人・著/本の森・編/本の森2002年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「右手を失った機械工、加藤源重。
「もう一度、箸で豆腐が食べたい」を原動力に次々と生み出した自助・介助補助具は、多くの人の不自由を自由に変えた。人の手を借りずに日常生活がもっと便利で楽しくなる“バリアフリーを実現する発明品”の数々を紹介。」



三十年送れている作業療法。下「」引用。

「日本の作業療法士の教科書は、世界レベルからみたら三○年送れている。教科書にさえ、『傷めたほうの手は支えに使いなさい』とある。これでは、障害者の残された機能を活かす補助具など生まれてこない。福祉の世界は、障害者が中心にならないと変わっていかない」

自分の手で。下「」引用。

「これではだめだ。こんな状況だったら、ワシが書いた構想図に反応を示すはずがない」
 新聞を閉じた源重の心の中には、ふつふつとある思いがわきあがっていた。
「日本の義肢が三○年遅れているのなら、その遅れをワシが取り戻してやろう。自分の手で、自助具を作りだしてやろう」
 ここから加藤源重の、ものづくりへの果てしない挑戦が始まった。」

「万能固定器「はさむくん」が特許に」

「数えきれない受賞作」 下「」引用。

「コンテストで受賞する秘訣は、まず第一に審査員にわかりやすく、応募用紙に簡潔明瞭に内容を書くことだという。だが、ほんとうの秘訣は源重自身が語っていたように、「新奇性、独創性に富み、なおかつ魅力的で誰が見てもなるほどと感動を受けるような発明品」であることが最大の理由なのではないだろうか。」

「食器台」 下「」引用。

「武田さんの抱えてきた「食器台」は、手の不自由な人でも自分が食事ができるようにと源重が考案したもの。腕を切断する手術を施した岡崎市民病院の医師が名古屋の国際福祉機器展に展示しているのを目にし、作業療法士を通じて源重に依頼してきたものだった。」

人に合わせて、「二作目」製作。下「」引用。

「話をきいた源重は、とりあえず二作目の「多機能食器台」をもって市民病院を訪れた。片手のマヒしている人が、茶碗を持たずに食事ができるようにと源重が考案したものだった。」

好む言葉。下「」引用。

「源重の好んで使う言葉は、「ひらめきは一%、努力は九九%」という表現がある。」よじ

デンソーと……。下「」引用。
「デンソーではまた、会社としてボランティア活動や、福祉への支援活動などもしている。そのような点からも、源重の自助具に教えれることは多かったと中川さんは言う。
「障害者にとっては、コンピュータが使ってあったり、むずかしい操作が必要な装置は決してやさしくないんだってわかりました。自分たちは、『より便利なものを』と思うと、コンピュータがないとだめ、電気がないとだめ、とどんどんハイテク化の方向にいってしまう。でもそれは、私たちの意識が新技術に汚染されているからに過ぎないんですよね。」

デンソーの技術フェスティバルで源重を招いたという。

新藤兼人と源重の対談があったようだ。『障害者』ではなく『生活挑戦者』と呼んでほしいと源重。下「」引用。

「新藤兼人氏は感心したように、うなずきながらこう応じた。
「いや、いままで簡単に『障害者』という言い方をしていた自分が、ほんとうに恥ずかしくなりましたよ」
 源重は語る。
 健康な人だって、いつも前向きに生きようとしている人は「生活挑戦者」。まして、不自由があれば生きていくくことそのものが困難なのだから、誰もが日々、生活に挑戦しながら生きている。」

「技術者のネットワークを地域へ…藤田和道の思い」 下「」引用。

「一色街の藤田和道が源重と出会ったのは、源重が自助具を作り始めたばかりのころにさかのぼる。」

NHK教育テレビ「きらっと生きる」に出演した、源重。

安く作るというのが理念の一つ。

決定!第12回FNSドキュメンタリー大賞 大賞受賞作品






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