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集英社新書0192 ヒロシマ--壁に残された伝言

2008年09月27日 | 読書日記など
『集英社新書0192 ヒロシマ--壁に残された伝言』
   井上恭介・著/集英社2003年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「広島市の小学校の、剥げ落ちた壁の奥に、白墨でかかれた伝言が見つかった。それはかつて原爆資料館でも展示されていた菊池俊吉撮影の「被爆の伝言」写真の、その現物が、二○世紀の末になって再び人々の前に現れた奇跡の瞬間だった。著書はNHK広島放送局のディレクターとして取材を始める。
 一九四五年八月、辛うじて倒壊をまぬがれた袋町国民学校は、被災者の救護所として使用された。安否をたずね、消息をしらせる短い伝言。長い年月を凌いできた縁者が、初めて直に伝言に向き合う瞬間。半世紀を経て蘇る「あの日」。覇権とテロのせめぎあう時代に、改めてヒロシマを問う。」



袋町小学校にその伝言は書き残されていた……。下「」引用。

「広島市の中心、本通商店街のアーケードからほんの百メートルのとろこにその校舎はあった。長方形の白い鉄筋コンクリートの建物。たしかに古いが、爆心地からわずか四百六十メートルで強烈な熱線を浴び、爆風にさらされたとは思えないほど、すっきりと立っていた。その姿全体で「原爆の悲惨」を訴えかける原爆ドームとは対照的だ。」

それは建て替えをしようとした時に発見された。下「」引用。

「広島市の中心部にある袋町(ふくろまち)小学校という学校の壁の下に「被爆の伝言」が数多く残されているのではないか。その可能性が突如注目されるようになったのは、平成十一年春のことだった。校舎の建て替え工事に先立つ壁の点検中、階段近くの壁が偶然はがれ、その下から文字らしきものが現れたのだ。よく見ると、「寮内」という字が読めた。」

チョークで書けた理由。下「」引用。

「校舎の中の壁は、廊下や壁に張られていた末の板材が焼けた時の煤で真っ黒になっていた。床にはチョークで転がっていた。伝言は、この真っ黒なコンクリートの壁面を黒板代わりにして、白いチョークで書かれた。
 建てられてまもないため表面に凹凸か少ないコンクリート面にチョークで伝言がかかれたこと。それが伝言が保存されることになった重要な「条件」だったと三浦教授は指摘する。」

そして、関係者には理解でき、涙が……。下「」引用。

「名前はいくつか読めるが、書いた人の名前なのか、探している人の名前なのかもわからない。その人がその後どうしたのかはもちろんわからない。次から次へと疑問が湧いてくるばかりだった。
 しかし取材が進み、家族などの関係者が見つかって、彼らと一緒に書かれた文字の前に立った時、驚くべきことが起こった。彼らはいとも簡単にそのかすれた文字を読み、「ああそうだったのか」とつぶやいた。そして涙を流した。」

よく知られていた菊池俊吉氏撮影の「被爆の伝言」の写真

その伝言に姉の名を発見した人もいた……。

袋町小学校平和資料館があるという……。下「」引用。

「袋町小学校には新しい校舎が建ち、伝言の書かれた場所は、伝言の書かれた壁を見てもらおうための資料館になった。平成十四年春のオープニングセレモニーには、日高重治さんや、同窓会の中川太芽雄さんなど、なつかしい顔がそろった。マスコミ各社の記者も駆けつけた。」



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