磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆乙女 Hiroshima Maidens

2007年08月30日 | 読書日記など
『原爆乙女 Hiroshima Maidens』
  中条一雄・著/朝日新聞社1984年

この本は日本語と英語で書かれてあります。

目 次


表紙からは日本語で、裏表紙からは英語です。



被爆されたことを、「無数の焼きゴテが降り注いだよう」と書かれてあります。

--被爆された方の火傷は、熱線だけではありません。
放射能の影響もあるといいます。

ケロイドが発生する確率も高く、そしてただの熱傷のケロイドよりも、ひどいものが多かったといいます。

この本での“原爆乙女”は、1955年5月に、米国のボランティアに招かれて、約一年半にわたってニューヨークで治療を受けた人たち。

--25人いる。
……1人は手術中に米国で死亡。
帰国数年後、一人は胃がん、もう一人は自殺で死亡。

--手術されてからも安楽な道を歩まれたわけではありません。
そして、筆者は書く。下「」引用。

「彼女たちの傷は、いかに近代医学をもってしても、決して元通りにならなかった。」

差別されたことが書かれてあります。

流川の教会では「死にたい」と思った人たちが集まったという……。

--ユダヤ系住民がたてた創立1852年の「マウント・サイナイ」病院。
病院名は日本語でいうと、「シナイ山」。
カズンズとヒッチングが熱心に説得。
同病院で入院治療を無料としてくれたという。

原田東岷外科医は渡米するか「原爆の子」の長田新に相談したという。
二人はその時まで一面識もなかったという。
長田新はいいアドバイスをしている。

もくじ


カズンズは、ジャパン・タイムズ社長の東ヶ崎潔らと話し合い、米軍機で米本土まで運んでくれと交渉。
社長はマッカーサーと知り合いで、その後任のハル司令官に頼みこむ。

アメリカの原爆乙女の生活を支えるために、イーダ・デイが奮闘されたようです。イーダの夫のリチャードの発言。下「」引用。

「米国人の中には、原爆を落としてよかったという人もある。しかし半分の人は、恥ずかしいことだと思っていた。だが、だれも彼女たちの人生を元に戻してあげることはできない。精いっぱいつくすしかなかった。たった二十五人しか、お世話できなかったが、小さなロウソクが将来どんな大きな火を放つようになることか、とフレンズの人たちはみんなそんな夢を持ち続けていた……」

……これは、クエーカー教徒の環境であるとボクには思えます。

そして、アメリカの平和運動にとってもプラスの作用があったという。









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