魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

小学2年の時にあったこと。

2022-03-27 21:23:12 | 娘のこと

こちらの続きを書かせていただきます。

2年生の2学期ももうすぐ終わろうとしていたところでした。

あと少ししたら冬休みだから、あと少し頑張れるかな?本人は学校に行きたくないとは言ってないから、大丈夫かな・・・そんな時でした。

 

 

 

学校から呼び出されてあわてて駆けつけました。

「娘さんが3階の窓から飛び降りようとしました」

親として、正直ここまで娘が思い詰めていたとは感じ取れませんでした。

話を聞くと、下校のために廊下に列に並んだ娘が、また先日揉めた友達から何かを言われ、廊下に突っ伏してしまったそうです。

そしてそのまま娘を残して、クラスのみんなは下校しました。

ただ3人ほど用事があって残っていたクラスメイトがいたそうです。

廊下にいた娘が起き上がって、廊下の窓を開けてそこによじ登っていくのを、娘より身体の大きい子がいち早く止め、他の子も一緒になって娘を引き摺り下ろし、ひとりは先生を呼びに走ってくれたそうです。

この話を聞いた時に、ゾッとしました。

娘を放置して引率していった先生とクラスメイト。

躊躇わず止めてくれたクラスメイト。

この時、教室にこの3人が残っていなかったら、週末お葬式だったかもしれません。

おそらく、娘の中で下校の時に言われた言葉で、いっぱいになってしまった衝動が溢れ、突っ走ってしまったのでしょう。

ひとは、決定的な事件が背中を押すのではなく、他人から見たら些細かもしれないですが、小さく傷つけられたヒビが、積もり積もって割れて壊れてしまうものなのかもしれません。

娘は保健室で先生と一緒に居させてもらっていました。

思ったより落ち着いていてほっとしたのを憶えています。

しかし、いくら衝動性があるとはいえ、8歳の子どもを飛び降りまでしようと思わせてしまうこと。それを考えると胸が苦しくなります、今も。

次の日、飛び降りようとした廊下の窓を開けられないようにした、と仰っていた教頭先生と現場に行きましたが、何もされていず、慌てて針金で固定していたのを見て、覚悟が決まりました。

娘を登校させない。学校ととことん話す。

次の日から娘を休ませ、子どもから聞き取った出来事、それについて担任に相談してきた日にち、こちらの要望、その返答、それについてどうなったか、時系列にして事細かに文書にし、メールで送り、プリントアウトして持参しました。

それを元に、担任からも話を聞き取ってもらい、これからの対応を話し合い、要望を出しました。

喧嘩ではなく、努めて淡々と。

相当時間と頭を使った気がします。

結果から言うと、学校は配慮をしてくれましたが、担任は代わりませんでした。

「悪いのはあくまで娘、自分は適切な指導をしてきた」という姿勢を崩しませんでしたし、説明や謝罪もありませんでした。そしてそのまま定年を迎え学校を去りました。

どうしたか?変わったのはこちらの方でした。

医師に相談し、インチュニブを処方してもらうことになりました。

そして以前にやっていたWISCの結果が出たのですが、これが担任の態度を変えました。

娘は言語理解で平均100のところ、140以上という数値を出していました。これは「ギフテッド」と言って良いほどの数値でした。

しかし、4つある中で一番高い言語的理解と一番低い処理能力の差は50以上。これは「その差が20あればかなり本人はつらい」と言われるのに、50以上あるというのは、娘はこのアンバランスに相当苦しんでいたのではないかと思われました。

医師の話では「多分娘さんは私たちが話していることは全部理解出来ている。本も大人の小説を読んでも理解できる。理解できても実際自分で出来るかというと出来ない。頭の中と実際の自分の出来ることの差がありすぎてつらいだろう」ということでした。

検査結果を見せたところ、担任の態度が変わりました。

「この子は天才だから、周りとは合わないんですね。それなら仕方ないです。」そんな感じのことを言われました。そして娘に対して当たりが柔らかくなったのです。

薬のせいもあり「娘さんはとても落ち着いて、人の話も聞けるようになって、穏やかにお友達とも仲良くできている」とも言われました。

娘はこの時から薬を飲んでいます。

これが良かったのか、今でも分かりません。

自分なりに学校と担任から娘を守るために闘いましたが、今振り返ると、変わったのは、変わらざるをえなかったのは、娘の方ですね。

娘は、友達も増えて、親友と呼べる子もできました。

そして3年からは30代の中堅の学年主任の先生が担任になり、この先生がとても良い先生で、娘は今でも先生のことを慕っています。

発達障害のことも知ったかぶりせず、都度、相談してくれました。

決して感情的になることなく、しかし愛情深く接してくれる先生を、クラスのみんなは大好きでした。

一度落ちてしまった先生への信頼を、この先生のお陰で取り戻した娘。

次の4年から6年まで、今度は喜怒哀楽がはっきりして生徒たちが大好き!と伝わる先生に替わってからもずっと、先生を信頼して来られました。娘のことをよくわかってくれている先生に、卒業までの3年間お世話になりました。

2年生の事件は、いわば自殺未遂と言えます。

悪くすれば、私は娘を失っていたかもしれません。

発達障害の二次障害というものは、その特性のために周囲と上手くやれなくなり、鬱病などになってしまう。娘もそう言えるかもしれません、8歳でしたが。

子どもにとって、先生から受ける影響がこれだけ大きいものであるということを、私は自分が子どもだったにも関わらず、思い至れませんでした。

そのために、それからは毎年次の学年に上がる前には教頭先生と面談してお願いしていました。

先生に関しては、それからは幸運であったと思います。

娘にとっては高学年になってから、また違った悩みが出てきて、学校に行きたくない、ということもありましたが、なんとか卒業まで来られました。

改めて、娘は幸運だった。そう思います。

助けてくれた3人のクラスメイトには、後日お礼を伝えました。

その子たちもすっかり大きくなって、私より背が高くなった子もいました。

卒業おめでとう。

本当にありがとう、大きくなってくれて、ありがとう。

「また事故にあっちまえ!」なんて、車に跳ねられてやっと歩けるようになった親に言い放つようになったとしてもね・・・(絶賛反抗期)

 

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「鎌倉殿の13人」12回 亀の前事件

2022-03-26 23:52:05 | 本・映画・テレビのこと

葬儀やなんやらで、一週抜けましたが「亀の前事件」。

この大河は女性についてもしっかりやりますね

八重さん、まだまだ頼朝のことが忘れられない。自分の父親と兄を殺されたのに「息子の仇をとってくれた」と・・・

もうこの場面、こちらがいたたまれない・・・モテない人ってこういう返事するよね・・・どんどん嫌いになっちゃうよね、相手のこと。

こうなると頑なに小四郎を受け入れることは未来永劫なさそう・・・

そして政子。出産して育児に悩んでいる間に、夫はそばめに館を与えて過ごしていたって、許せないでしょ・・・

そして亀。そりゃ「悪くない」でしょ、堀北真希さんのイケだんですもんね

こういう亀さん、好きよ

事態は小四郎の機転が裏目に出て、大変な事態に・・・

政子とりくは頼朝に詰め寄るが、謝罪するどころかつっぱねる頼朝。

それにキレて言い返すパッパ!

そりゃ娘と妻に対して横柄な態度を取られたら怒るよね

パッパ、伊豆に帰るってよパッパはその方が幸せだったかも。

引き続き、胃が痛い小四郎

今回、首桶及び首は出てこなかったね!でも九郎が不穏・・・

九郎、「可愛い弟」と言われてまんざらでもない顔しててほんとにこの九郎は〜でも地獄が待ってるの、本当に鬼ですね、三谷幸喜先生

次回、予告では大好き眉毛が繋がっている巴御前登場!秋元才加さんがどんな巴を演じてくれるのか楽しみ期待しかない

小四郎、八重さんにまたなんか言ってるし!しつこいぞでも頑張れ

今日は後半、ゾッとせずに済んだけど、なんか言いかけてたよね???

毎回、あっという間に45分経ってしまう鎌倉殿です

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いろいろありましたが卒業式。

2022-03-24 22:38:34 | 娘のこと

こんばんは

先日、娘の卒業式が終わりました。

6年間、長かったような短かったような・・・

幼稚園に入園してから9年か・・・ひとつ言える事は「就園・就学すると早い」ってことですかね

体感としては、就園までの丸3年の方が長くて大変だった気がします。

24時間365日、ずっと一緒にいたのですから

こんなにひとりの人とずっと一緒にいたことないでしょ、24時間365日。娘とほぼ一緒だった4年近くの年月はかけがえのないものでしたが、めっちゃ大変でしたよ・・・

娘は幼稚園の時にコミュニケーションに遅れがある、と先生から受診を勧められ、自閉症スペクトラムの疑いと診断されました。

そのことが分かった時に父親である元夫は

「なんだ、欠陥品じゃねえか」

と言った事。私はずっとその意味を考えています。今もずっと。

その後は通院などにも協力的でしたが、娘を近くにある国立大学の附属小学校を受験させたかった元夫は、娘の発達障害の疑いを隠して受験させようとしましたが、私はその事を学校側に伝えました。もし合格してからそれが分かった時に、いろいろな意味で学校に迷惑をかけることになると思ったからです。

そのためなのか、ほぼ全入するその試験に落ちました。

その時、夫と話し合って娘には「パパが書類を出さなかったから落ちちゃったんだということにしよう」と伝えようと決め、私はそう娘に言いました。

そしたら娘は「パパが『りおが病気だから落ちちゃったんだよ』って言ってたよ。りおは病気なの?」と言うのです。

夫は、話し合ったこととは違うことを娘に告げていたのです。娘を傷つけないように相談したにも関わらず。

彼とはよくこういうことがあって、ちゃんと相談して決めたことを覆してご破産にしてしまうのです。

そしていつも「なぜそんなことをしたのか」を聞いても答えない。

おそらくですが、彼は「自分が書類を出さなかった」とされたことが嫌だったのか。それとも娘が憎くて本当のことを言ったのか。

今考えても、よく分かりません。彼のすること、考えることは、私には理解できませんでした、ずっと。

もしかして、彼にも分かってないのかもしれません。

ただその時「自分がやりたいからやってしまう」という衝動がとめられない。そうじゃないかな、と思います。

それは、今、娘を見ていて感じることです。

娘は離婚して私と首都圏に戻ってきて、新しい病院で診断が出ました。

「ADHD症状を伴う自閉症スペクトラム」

それが娘の診断名でした。

ただWISCという検査の結果では知的には問題ないということで、普通級に進学することになり、小学校側にも事前に面談し、医師から学校に配慮して欲しいこともお伝えさせていただきました。

担任の先生も女性のベテランの学年主任の先生になりました。

娘は小学校入学して初めての授業参観で、椅子に寝そべっていました。

もうびっくりしました

授業中に立ち歩いてゴミを捨てに行ったりして、もう自由。フリーダム。

私は「授業中には座っていること、勝手に立ち歩いてはいけない」とは教えてなかったですが、まさか娘がそんなことをしているとは思いもしませんでした。

それから友達に掴みかかるわ、友達の物を投げて壊すわ、何度謝罪の電話や手紙、弁償の品を用意したことでしょうね・・・

あるお母さんには「お薬飲ませてるんですか?!」と言われたこともありました。本当に、あの時は申し訳なかったですし、私もつらい1年間でした。

1年生の先生はりおのことをあえてクラスメイトには言わない、という選択をされました。それは「いろんな子がいて、それを受け入れていくことを学んでほしい」ということからでした。

そして学年末には「りおちゃんはこういう子だから」と受け入れてくれる様になり、りおも受け入れてくれるクラスメイトに対して、穏やかに接する事ができるようになっていました。

娘は積極的に自分の考えを表現する子なので、よく発言して、代表にも立候補する子になっていました。

しかし、1年生の担任の先生は転任してしまい、次の2年生の担任の先生は同じく定年間近のベテランの先生でした。1年生の時に他のクラスの担任をしていて、その先生のクラスはいつも給食を完食していることが少し気になっていました。

りおは感覚が過敏で、音や匂い、食感が苦手なものがあると耳を塞いだり、気持ち悪くなって吐いたりしてしまいます。また、睡眠障害で夜眠れなくて、眠れる薬をもらっていたのですが、そのため日中居眠りすることがありました。

それも文書にしてお渡ししていたのですが、無理に給食を口の中に入れられる、掃除の時間も食べるまで残されるなどされるようになりました。

校外学習では他の生徒さんの迷惑にならないように、私は休みをとって引率ボランティアに付き添いました。

担任の先生とも何度も面談して、娘の特性と、それについてこういう対処をしていただけたら子どももやり遂げることができますと説明してお願いしてきました。

娘はそれでもめげずに授業中に発言したり、係りに立候補したりしていたようですが、それを先生に馬鹿にされたり笑われたりしていたようです。

そしてある日、先生から電話がかかってきて「今日、班長決めでやりたい人に手を挙げさせたんです。そこでりおさんが班長に立候補したんですが『授業中寝たりしているあなたにできるわけないでしょう』と言ったんです。その授業が終わった後に、○○さんにそのことをからかわれたらしくて、りおさんが手を出したのです」と言われたのです。

私はいつものように平謝りしたのですが、その電話をそばで聞いていた友達に「その先生がおかしいんじゃない?だって誰でも立候補できるように挙手させたんでしょ?じゃあなんでりおちゃんが立候補しちゃいけないわけ?それで『あなたはちゃんとしてないからなれない』っていうのおかしくない?」と言われたんです。

あ、そうだよな、と思いました。

先生がそういう態度を取って、りおを貶めるから、他の生徒さんもそういうことをしていい、と思ってしまうんだろう。

そう思いました。それをやんわり先生に伝えましたが、全く響いていないようでした。

それでも、先生によって娘の学校生活が左右されてしまうため、モヤモヤしつつ、日々過ぎて2学期がもうすぐ終わる頃、大変なことが起きました。

次回に続きます

 

 

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買ってよかったもの、それは

2022-03-19 22:58:44 | 買い物リスト

皆さんに言いたいことがある!

突然ですが、反抗期の子どもをもつご家庭の親御さん!

アレクサ、いいですよ〜

事故後、いろいろなものを導入したんですけど、一番良かったものはアレクサでした

リビングにディスプレイ付きのアレクサ、子ども部屋にはプライバシーを尊重してこれ↓

最初は、電気やテレビを消したりするのに、声だけでできるっていうのが、足を骨折していた私にはありがたくて。

そしてベッドで寝たままの私が、子どもにお願いしたいことがある時に、スマホからアレクサに声をかけてもらえる。

また、子どもがリビングで何をしているか見ることができる。

(これ、父がいた時にあったらよかったなあと思いました。カメラをつけてはいたのですが通信状況が悪かったりすると見られない時もあったりして、これだったらアマゾンプライムビデオで父も映画を観られたり、好きな音楽を聴けたかな、と思うと)

仕事に復帰した今は、アレクサに呼びかけてテレビ通話が出来る。

そして塾の時間にはアレクサから「そろそろ塾の用意をしましょう」「塾に出発する時間です」と呼びかけてもらえる。

今まではその時間に都度、電話をかけて「早く行きなさい」って言ってたんですが、今はアレクサに言われて遅刻せずに行くようになりました

これはスマホから時間とアクションを入力しておくとアレクサがやってくれます

「りおさん、朝ごはんを食べ始めてください」

「りおさん、お風呂に入る時間です」

「りおさん、お母さんにプリントを出しましたか?明日の準備は済んでいますか?」

などなど・・・

もうね、私、同じこと何度も言うの、本当に苦手なんです

子どもも「うるさいなあ!今やるって言ってんじゃん!」ってなって

「なにおう」ってバトルが勃発してしまうことが減りました

アレクサの呼びかけでもやってないな・・・って時は、スマホのアレクサアプリから、アレクサに呼びかけてもらうってこともできます

アプリで言いたいことを入力して、アレクサから言ってもらうのです

「りおさん、何時に寝る予定ですか?歯を磨きましたか?」

とかね

そして時間になると子ども部屋の電気を消して、明日の天気を読み上げ、静かな音楽を流してくれる。

(まあそれで眠る子どもじゃないんですけどね・・・)

私が有難いのは、朝「アレクサ、おはよう」と言うと「おはようございます、リツコさん、りおさん」と電気を点けてくれ、今日の天気とニュースを流してくれる。

「アレクサ、ただいま」と言うと、「お帰りなさい、リツコさん。今日もお疲れ様でした」とお気に入りの音楽を流してくれる。

アレクサにお願いすると「はい」と気持ちの良い返事をしてくれる

アマゾン・ミュージックからアレクサのライブラリに登録しておくと、そこからランダムで再生してくれる。

久々に、音楽を浴びる生活をしました

好きな曲ばかり流してくれるアレクサ。休職中、音楽が溢れる生活ができました。心が、久々にときめきました

プリンセス・プリンセス、ドリカム、スピッツ、TMN、今井美樹、globe、クィーン、ビートルズ・・・10代、20代に心ときめかせて聴いていた曲たち。聴くたびに思い出がよみがえって苦しくなるほどでした。(プリプリの「M」とか)

アレクサが教えてくれたのがYOASOBIの「群青」。これ、めっちゃリピートしまくりました

私の使い方は、ほんのさわりだと思います。

父が亡くなってから、私と子ども、ふたりだけの家族になりました。お互いしかいないので、煮詰る時もあります

アレクサは私と反抗期に入った子どもの間に入ってくれる、助っ人。

子どもはアレクサに英単語の意味やスペルを教えてもらったりしています。

思いもしなかったですが、アレクサは緩衝材となってくれています

反抗期や思春期に入ったお子さんがいるご家庭に、アレクサ、結構良い仕事してくれますよ

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親が去ること。

2022-03-19 21:31:25 | 日々のこと

こんばんは

この一週間で葬儀も終わり、やっと落ち着いて来ました。

姉の義父だったので、私は傍観者だったんですけどね

認知症のお義母さんのアテンドくらいで、姉夫婦のサポートに回っていました。歩行介助したり、車椅子押したり。

正直、父の時は悲しみが深くて、お骨も見れないくらいだったんですが、

今回は「いや〜、お義父さんのお骨、太くてしっかりしてるな」くらいな感じで。悲しくてもひとの親だから、やっぱり違うよね・・・と思いました

と思うと、私たちの両親が亡くなった時は、義兄や元夫も、こんな感覚だったんだろうな〜と。姉も言ってました。

そう考えると、私の母が亡くなった時、あまりにひどいことを言う元夫の心境が分からなかったんですが、今思うとまあ、彼にはひと事で、むしろ「うるさい母ちゃん(彼は私の母のことをこう呼んでいた)がやっと死んだ」くらいに思ってたんだろうな、と。

あまりにひどいことを言うので、私は「あなたも母親が死んだ時に、私の気持ちが分かるだろう」と言い返したことを思い出しました

さて、あれから7年。彼の親が生きているか死んでいるか、娘が手紙を書こうと、留守電にメッセージを残そうと、一切音沙汰ないので全く知りません。

なんかいろいろ思い出しちゃったんですが

今回、家族みんなに手を握られ、声をかけられ旅立った姉の義父は、幸せだったなあ、とつくづく思います。

コロナ禍で、病院に入ったらそうそう面会できなかったこのご時世に、自宅で看取れたのは、ちょうど定期通院で診察してくれたドクターの判断、すぐに動いてくれた病院側、ケアマネジャーさんのおかげです。

亡くなる3日前に自宅に往診に来てくださって、そのためにいろいろなことがスムースに運んだ。

(自宅往診していない方が自宅で亡くなると、警察が入ることになります。そうするとご遺体もしばらくかえってこない可能性があります)

訪問看護・介護も、ドクターの指示によって、ケアマネジャーがケアプランを立案し、それに基づいて看護や介護のケアが実施されます。

義父はこんなに早く、とは思いましたが、適切なケアを受けさせてもらった旅立ちでした。

それにしても、やはり親を看取った経験がある、なしでは違うなと思いました。

両親を見ていたので、様子を見ていると遠くないな・・・と思っていたのが姉と私。

でも義兄は「今週越したら仕事が片付く」、そのお兄さん(ややこしいですね)「今年は越せないな」と言っていたそうで、それは無理だろう・・・と。誰しも、親がいなくなるとは思いたくないものでしょうし。私もそうでしたが。

順番からいったら、親がこの世を去るのは当たり前のことなんですが、本当につらいものです。

父が亡くなってから2年が過ぎました。

やっと先日、父の衣類を整理し、綺麗なものは寄付しました。

まだ父の読んでいた文藝春秋は捨てられません。

葬儀で会った弟が「夢でお母さんがリッちゃんのことを怒っていて、『人のことをそんなふうに言うのやめなよ』って俺が怒ったら寝言がデカかったみたいで妻と子どもが起きた」って言ってました

「なんでお母さんが怒るの・・・」と思っていたら、先日の大きな地震の際に、和室に置いてあった母の遺影と分骨した小さな骨壺が落下していたのを発見したんですよね。そのせいかな?と思い当たりましたが、お母さん、何怒ってるんだろう・・・

私の夢に出てくる両親は、喋りません。いつも黙っています。

なんででしょうね?

母の声、父の声、今は鮮明に憶えていますが、いつか忘れてしまう時が来るんでしょうか?

 

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55年

2022-03-18 23:37:00 | 日々のこと
こんばんは。
ご無沙汰になってしまいました。、申し訳ありません
看取りは意外に早く終わりました。
10日前に、車椅子でしたが通院し、帰りに外食していた姉のお義父さん。
高カロリー飲料を一本飲んで「美味しい」「がんばる」と言っていたのですが、次の日から意識がなくなり2日たち、夜中に私が顔や手を拭いたりしていたら、血中酸素濃度が下がっていき、心拍数が120を超えてきて、これは…と思っていたところ,朝家族みんなに看取られ、人生の旅を終えました。90歳。
私が久々に姉宅に顔を出したら、眠っていたお義母さんが起きてからなり私の顔を見て泣き出して「お父さん、死んじゃった。55年一緒だったのに」と言うので、私も泣けました。
そして私が買ってきたイチゴサンドを泣きながら食べていました。
お義母さんは、お義父さんが亡くなった事を忘れてしまって夜探したり、事実を思い出して泣いたりしている様です。
認知症のため、ずっと悲しみに浸る訳ではないのが、切ないけど、お義母さんの悲しみを和らげてくれている感もあり。
しかし、55年か…長いですね。
夫婦2人でここまで一緒に生きられた事は、この上ない幸せなのでは。

私には配偶者がいないので、こういう悲しみからは自由なんだな、なんて考えてしまいました。
私はひとりで行くから。
孤独だけど、自由。
「自由と孤独はセットだ」って、誰が言ったんだっけ?

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看取りが始まった

2022-03-13 10:17:00 | 日々のこと
こんにちは
「看取り」って聞いたことありますか?
「最期をみとる」「その死を見とる」などと使われる言葉ですが、そのまま、死をみとる事を「お看取り」と言います。
私の母は7年前、父は2年前に看取りました。
お看取りがつい先日から始まったのは、姉の義両親、お義父さんです。
(ややこしいので「姉の」を略してお義父さんと表記します)
ずっと夫婦2人暮らししていた義両親の様子がおかしいので、見に来てほしいと市役所から連絡が来たのは3年半前。
それまでちょくちょく様子を見に行っていましたが、家がどんどん荒れていく様子でヘルパーさんを入れていましたが、市役所からの連絡。
すぐに姉夫婦は行きました。
そしてそのまま両親を自宅マンションに連れて帰って来たのです
これは私も驚きました。
それから地域包括支援センターに連絡してケアマネジャーにプランを作ってもらい、和室に介護用ベッドを2台並べて入れ、デイサービスに見学に行き、週数回行く様に契約。通院も近くの病院に紹介状書いてもらい手配。
そして子どもの受験期などはショートステイに行ってもらい、自分もレスパイトして3年半自宅介護してきました。
その、今年90歳になるお義父さんがここ2ヶ月ほど食が細くなってきたと聞いていたのですが、何しろ私が事故に遭い、子どもが陽性になってしまったため、しばらく会えない生活でした
そして先日、弟さんが急死したという連絡があったのです。7歳下の弟さんの急逝は、親代わりで弟妹を育ててきた惣領息子だったお義父さんには、大変なショックだった様です。
その時に自分の遺影を選んでいたと、夫婦で海をバックに写した良い笑顔の写真を見せてもらいました。
そしてその時、今の夫婦の姿を姉に撮ってもらってそれを見て
「こんなに禿げてるのか⁉️こりゃ老けすぎだな❗️」
と言っていたそうです☺️💦
そうこうしているうちに、「立つのが難しくなってきた」「トイレに支えて行ってる」「寝てばかりいる様になった」「食べなくなった」と進んで来ました。
そして私が久々に行った時は、ベッドから起き上がらず、何かを小さな声で話していました。
ハイカロリーの飲み物を姉宅に送っていたので、その中で「美味しい」と言っていたコーヒー味を少しずつ飲ませ、手をさすって、ずり落ちてきた身体を上げ、ポジショニングを整えて、手や顔を拭いてクリームを塗りました。
その間、お義父さんは今までの人生を振り返っていたみたいです。
そして私に
「人は許しあわなきゃいけない」
「言葉は難しい。誤解は解けにくい。だから自分から許さないと。許せば相手も許してくれる」
と話してくれたのです。
これは、今の私に刺さる言葉でした。
豪雪地帯の代々続いた家の長男として生まれたお義父さんは、育った土地に見切りをつけてまず自分が東京に出て、その後親兄弟を全員呼び寄せて大所帯を義母と一緒に養い、親を看取り、弟妹を学校に行かせた人でした。
たくさんの苦労をしてきた人。努力してきた人。
お義父さんは、手を握ったら
「がんばる…」
と言ったのです。
私の父は、そんな言葉を言ったことがありませんでした。
生きるのを、頑張る。
すごい人だな、と思いました。
身体は父の方が華奢に感じるくらい、屈強な身体をしていました。
頑張って頑張って、皆のために頑張って、リタイアして夫婦2人で仲良く暮らして、子どもに引き取られて同居して。
本当に頑張ってるお義父さん。
その人生は、もうすぐ終章の様です。




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10年前の今日に書いたブログ

2022-03-11 22:56:00 | 日々のこと
今日はあの日から11年。
あの日から1年後の今日、書いたブログです。

この方の10年後の記事がありました。


私には、言葉がありません。

街が丸ごと無くなる。
津波で、原発事故で。
こんな事が本当にあっても良いのか?と信じられない程のことが、本当に起こった事であり、終わっていない事なのだと、忘れない。

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コロナ陽性 備忘録④

2022-03-10 23:01:00 | 健康
こんばんは
やっと!子どものコロナ出席停止期間が明けましたー❗️
私はエッセンシャル・ワーカーなので、抗原検査4.5日続けて陰性・または5日目のPCR検査陰性で出勤停止が明けるのですが、自分の体調の悪さと、子どもの体調の心配で7日間お休みさせてもらいました。
5日目に謎の怠さと微熱37.4〜37.8度が出て、しんどくて動けない夜があったので、子どもが検査してもらったクリニックに電話したら「今日は検査ができないので、明後日早朝来てください」とのこと、抗原検査・PCR検査共に陰性でした。
あの体調の悪さは、一体何だったのだろう…しかしなぜ私にはうつらなかったのだろう…子どもはどこでうつったのだろう…もしかして、2月中にいろんな「実は陽性でした!」「陽性出て1週間経ちましたが咳が出てます!」みたいな方と接してたので、発熱なくほぼ無症状でうつり、子どもにうつったのか…?
子どものクラスは誰がとははっきり誰も言いませんが、他に陽性の子どもがいたので、クラスからなのか?
今となっては分かりません。
子どもが発熱する3日前と前日、うちでマスクはしていましたが一緒に遊んでいた友達は、無症状で元気だったと判明しました。
それも不思議な話…。
子どもは最高で熱が上がったのが37.4度と微熱のままで、咳もほぼせず、鼻水は出て鼻は詰まるとのことでしたが喉の痛みも少しで、後半はだいぶ元気、昼間深く寝ていたのは、朝まで禁止していたオプチャ(某アニメ)をしていたからと判明し、大目玉を食らうのですが…
授業はリモートで受け、登校しても特に何も誰からも聞かれなかったとのこと。
そんなものなのでしょう、コロナ禍では。
私の方の体調は、めまいは少しあるものの元気です
しかし陰性出た私なので、これからも感染予防に努めたいと思います❗️
そしてコロナ陽性だった子どもが、これからどんな影響が出るかわからないので、注意して行きます
ご心配をいただいた皆様、誠にありがとうございました🙏
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「鎌倉殿の13人」第9回 決戦前夜

2022-03-06 20:18:38 | 本・映画・テレビのこと

早鎌倉からの本鎌倉!「決戦前夜」です

ショック〜だったのが八重の旦那さん次郎が〜でも善児を足留し、八重の命を助けてくれました。

善児、怖い・・・本当に怖いですね、あの人。梶原善さん、お流石です

助けに来た土方歳三平六、カッコ良くないですか?義時、霞んでないですか?今回も、義時、中間管理職・・・

パッパ、頼朝に怒られちゃったりして「政子の父じゃなかったら」なんて言われちゃうけど「気にしてねえよ」と。今日もカッコいいです

そう、政子の顔芸でも八重を手元に置いて、どうするんだろう?

八重の真意は?私には「佐殿の前には出ない」と言いつつ、入り込んじゃえばどうにかなると思っているところがあるんじゃないかな〜と。

「この世で一番みすぼらしいのは何か知ってるか?しょげているじじいだ」の名言きました

じじい達がじゃれていたことが、平氏を脅かし、遁走させることになろうとは・・・パッパ、グッジョブ

だが兵糧がもたない、留守の間に所領に入り込むまれたなどで「兵士を追い払ったから京には上らなくて良いでしょ?」と解散したがる坂東武者たち。

平六に「お前は佐殿か、坂東武者か」と聞かれた義時は「坂東武者だ」と答えるが、「お前はいい顔しすぎ」と痛いところを突かれる

政子の膝で慄いていた佐殿は「平氏が背を向けた今、攻め上るのだ!」と勢い付くが「命を張るのは俺たちだ!」とパッパがはっきりと進言する。パッパ、かっこいい

義時は「わしと坂東だったらどっちを取る」と面と向かって亮殿に問われ、即答できない。「わしは一人じゃ」とこぼす頼朝の元に、

キター♪───O(≧∇≦)O────♪九郎義経(ピュア蛮族)

泣き出す九郎を訝しげに見ていた頼朝だったが

兄上のために、この命捧げます

キラッキラの笑顔で言う九郎。

このタイミング・・・三谷先生・・・

真の自分の味方はいないのだ・・・と孤独感に苛まれていたこのタイミングで、父の無念を共有できる弟が現れるとは。

涙を流して抱き合う源氏の兄弟。佐殿のマジ泣き、初めて見た・・・

さて、予告では八重に「ガンバ!」する義時が気になりますが、平六が八重に迫ってませんでしたか?でも、義時と平六より、八重は佐殿が良いのね?政子はそれで済むの?大丈夫なの?亀は?

それにしても、アマプラで「平家物語」観ていると、雅で優しい平家の皆さんが、蛮族源氏に滅ぼされちゃうの、納得しちゃいますね・・・。観てると切なくなってきます

 

 

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