豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

ベ平連三羽ガラス

2001-11-10 21:40:35 | Weblog
11月10日(土) 快晴

ウクレレ教室

オリビア号では有料の語学教室やパソコン教室があります。時間がたっぷりあるので上達も早いようです。乗客の自主講座は無料です。陶芸、藍染、スポーツ、ダンス、芸能、各種の勉強会、県人会、単なる飲み会もあります。楽器の部ではウクレレと太鼓が人気が高いようです。やはり海に向いているんでしょうか。「ギターを持った渡り鳥」なんて古すぎですか。

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ベ平連三羽ガラス

0:00ベレンを出航。ベレンのついでにベ平連に触れておこう。

鶴見良行が6年前に死んだことを今日知った。彼は小田実、吉川勇一とともに「ベ平連三羽ガラス」と呼ばれていた。3人とも強烈な個性の持ち主であった。市民主義運動家で無政府主義者の僕とは立場が違っていた。しかし共産主義者同盟よりも身近な存在であったとも言える。

僕と三羽ガラスに共通していたのは、物書きでかつ活動家だったこと。そして、既成の国家の概念にとらわれないインターナショナルな視点を持っていたことだ。反国家、反権力の思想とともに、反学会、反権威の姿勢を保持し、書斎で沈黙を守ることをインテリゲンチャーの社会的任務を放棄した恥ずべき行為と信じていた。文献漁りや修辞学的な解釈オタク学者ではなく、プラグマティストと非難されようとも、自分の足と眼で取材した。既成の学問の範疇にとらわれることなく、雑学的に物事を捉える姿勢はいまだ新鮮さを失っていない。青年に優しい目を向け、後進の育成に励むのも共通している。

「アメリカやヨーロッパよりももっと身近なアジアに眼を向けよう」と吉川はいつも繰り返し言っていた。

「日本にいて新聞や本を読んでもしゃーない。世界は見えてこない。世界に飛び出せ」と小田は「何でも見てやろう」で青年たちに訴えた。

「知なき力は暴走し、力なき知は象牙の塔にこもる」と鶴見は言う。「あらゆる哲学は行動的でなければならないし、あらゆる行動は哲学的でなければならない」と言う僕の主張と同質なのであろう。

青年たちが海外旅行や海外駐在員としてではなくて、ワーキング・ホリデイやホームステイ、ファームステイ、留学・NGO活動などで海外で現地人と同質の生活を体験することを僕は積極的に支援する。



読書: 「ナマコの眼」 鶴見良行

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