豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

年越しそば

2002-12-31 10:59:57 | Weblog
12月31日(火)晴時々雨

  年越しそば

カウントダウン。23:00からジュビリー・レストランで年越しそばが食べられることになっていたが、20:00には寝たので食べれなかった。23:55甲板が騒々しいので起き出してカウントダウンのセレモニーを見物し、0:10再びベッドへ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

形式論議

2002-12-30 10:58:58 | Weblog
12月30日(月)晴

   形式論議

JGからの指示で、今航海で2日間寄航する港では医務室のどちらか1人が居残り当番を努めることになった。僕は寄港地で船内で手に負えない患者を現地の病院に連れて行くのがだい1の任務だ。従って、寄航日の初日はN門脇が船に残り、第2日目は僕が残ることに決めていた。しかしモンバサでは初日にJGの福利厚生でスタッフのサファリツアーがあるので、N門脇はそれに参加したいとのこと。僕はそれを了承して、救急セットを持参するように伝えた。従来の航海では、医務室のスタッフがツアーに参加するときには、必ず救急セットの持参を義務付けてきた。しかし、N門脇は「仕事で行くのではなくて、休暇でツアーに参加するのだから持参しない」と拒否した。「休暇中でも病人や怪我人が出たら応急手当をするのは当然でしょう」と説得したが、「JGからそんな指示は受けていない」と譲らない。困ったね・・・それって形式論議じゃないかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界の海で泳ぐ

2002-12-29 10:57:37 | Weblog
12月29日(日)快晴後雨

   世界の海で泳ぐ

11:00ポート・ビクトリア入港。午後からビーチで水泳。思ったほど水はきれいではない。魚影も乏しい。18:00ポート・ビクトリア出港。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弁護士報酬

2002-12-28 10:56:23 | Weblog
12月28日(土)晴

  弁護士報酬

日本に生活の基盤がなくなったことは、日本での僕の立場が弱くなったことをも意味する。その弱味に付け込むようにいくつかの挑戦が仕掛けられた。泣き寝入りは厭だから、やはり受けて立たざるを得ない。海外での引退生活もなかなか思い通りには行かない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4つの宿題

2002-12-27 10:51:41 | Weblog
12月27日(金)晴

  4つの宿題

未解決の問題を4つ抱えての乗船である。

①ハリマオ・ラーメン・チェーン
②ユミとの危機
③スポーツセンター訴訟の弁護士費用
④パナニアの空き巣の損害保険の査定
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パソコン

2002-12-26 10:46:07 | Weblog
12月26日(木)晴

  パソコン

N志村からの手紙は医務室のパソコンに入っていた。38回航海で南北朝鮮と北方領土に一緒に行った。その後彼女は39回航海も乗船した。39回からナース1人体制になったので大分苦労したようだ。寄港地でも下船できないのが、かなりストレスを溜め込む原因になっているらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

N志村からの手紙・その2

2002-12-26 10:36:29 | Weblog
12月26日(木)晴

  N志村からの手紙・その2

昨日のパプア二ューギニアで全寄港地が終わりました。このまま、大事もなく帰国を待つばかりです。シドニーは有難うございました。先生と菊千代さんと楽しく過ごせて感謝しています。お礼もしていませんが・・・本当にありがとうございました。私は、先生は陸にいた方が幸せそうに見えましたが・・。昨夜は、デッキで例のクルーズ締めくくりの乾杯・スライドのあと、花火で、ルームメイトは号泣し、その後、踊り狂ってました。私は、夏休みクルーズで感動してしまったので今回はそんなにでもなく、なんだか皆のハイテンションに着いていけず・・・という感じでした。花火も、今回はニューギニアの陸からで、出港し始めて少し離れていたので、もちろんきれいでしたが、前回のサダコ後方からのスリル満点なのも好きでした。


そうそう、薬価表なのですが、どのように定価は決めているのでしょうか。日本の薬価表に基づいてもいないし、仕入れの定価とも合っていないし・・・。田中佐幸さんにも本山さんにも言いましたが、伝票を切る立場だととても気になります。すべてが高い訳ではないですが。


めっきり寒いです。明日は日本・神戸です。こうやって過ぎてしまえば早いもの。後半は楽しかったかな?シドニーで先生に言ったほど、ピースボート、嫌ではなかったかな。まあ、あと2日ありますが、大きな事件もなく終われそうです。良かった。40回クルーズも、無事に終わることを祈っています。新看護師さんもよろしくお願いします。いじめないでやってくださいね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

N志村からの手紙

2002-12-25 10:33:32 | Weblog
12月25日(水)晴

   N志村からの手紙

先生、こんにちは。次回クルーズ、乗ることになったそうで・・・。よく決心しましたね。でも、いいのですか?冬休みを一緒にすごさなくて・・・。きっと、これはオーストラリアで先生にほとんど話してしまうかもしれませんが、忘れないうちに今の気持ちを書いておこうと思いまして。まあ、日記のようなものと思って読んでください。先生の前のクルーズの航海日誌、楽しく読ませていただきました。知識が豊富なので、「ほ~」と思いながら読みました。

大西洋の8日間は気候もいい感じだし、患者さんも少なく非常に良かったです!が、起こりました、最後に、JG・PB批判。そもそも、屋台スタッフがもともとJGともめていて、解雇になったのをパッセンジャーに言いふらし、同情をかってパッセンジャー達が「どういうこと?」と暴動?を起こし、Mサロで午前1時30分まで。そもそも、会社の内輪もめにお客さんを巻き込んだ、という感じで、恥ずかしかったです。同じスタッフとして。まあ、屋台はもう一人を精神不安定に追い込み、2人去ってしまいました。最初から、PB・JGスタッフとも、受診率は高かったけれど、鬱傾向、過労による体調不良はあとを絶ちません。また、PB・JG批判はそこかしこでまだくすぶり続けているのは感じています。

仕事は毎日休みがなくて、辛いような辛くないような・・・。暇な日も少なくないので、それはいいのですが、けっこう夜中に呼び出されます。若者にとって、3時4時も夜中じゃないのが、むかつきます。あと、寄港地は今回は先生と半分半分待機です。なので、船から出れるのは半分だけです。ただ、休みもないので、その時が休むとき。複雑です。やっぱり2人いるべきです。ナース。正直言って、相当きついと思います。私だから病気一つせず耐えてると思います。次回のナースがピースボート初めてなら、人事に言ってやろうと思います。

それにしても船上生活ってこんなにストレスとは思いませんでした。私がお客さんであっても、友人・家族以外の同室って辛いですね。私とルームメイトはけっこう気が合うと思ってるので、良かったです。4人部屋はさぞ大変でしょう。一人部屋ならラッキーですが。その点先生はいいですね。窓付き一人部屋。誰にも会いたくなければ部屋から出なくてもいいし。デッキに出ても、嫌いな人に捕まっちゃったりして面倒です。私はキジーラウンジもけっこう好きですが、またそこも話しかけられるので思いっきり、邪魔しないでというムードをかもし出して本読んだりしてます。

今は半分を過ぎたばかりですが、私にとってPBの体験はいろんな意味で確かに勉強にはなりましたが、すごく有意義かと言えば、そうでもない、と思います。でも、こんな機会はめったにないから良かったのかな?でも期待はずれだったな。期待しすぎた自分もいけないけど。パンフレットにだまされた。同じこと言うお客さんも多いけど。しかし、お客さんも訳あり、精神的にも問題ありの人が非常に多いですね。何かから逃れたくて、と言う人が多いですね。

今の日本自体、そういう感じですものね。私も日本に帰ったら、また同じ仕事か・・・と思うと終わりの見えない生活が不安になります。もっと仕事が楽しいと思えればいいのですが。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

賄い食

2002-12-24 10:29:46 | Weblog
12月24日(火)雨のち曇

   賄い食

フォーマル・ディナーを欠席して賄い食を食べた。正装は苦手だし、食事は賄い食のほうが上等だ。22:00就寝。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 2つのバースデー・ケーキ

2002-12-23 10:27:36 | Weblog
12月23日(月)快晴

    2つのバースデー・ケーキ

22:00よりスポーツデッキでN門脇(31歳、女)の誕生パーティー。厨房でバースデー・ケーキを2つも作ってくれた。実は手違いなのだが・・・。僕があらかじめレストラン・スタッフの小笠原(22歳、女)にケーキを頼んでおいたのだが、厨房員がディナー用に誤ってもう1個作った。JGスタッフのディナーでのバースデー・ケーキ・サービスはやらないことになっているのに。20人以上のスタッフが参加して盛会だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユミへのクリスマスカード

2002-12-22 10:26:32 | Weblog
12月22日(日)雨のち快晴

  ユミへのクリスマスカード


20:30ユミよりTEL。別れたくないと泣いて訴える。

メリー・クリスマス、ユミ

1年以上の努力でやっとユミへの未練を断ち切ったのに、またよりを戻したいと言われて困惑している。嬉しい気もするけど、また失望を深めるだけかなとも思う。

来年の4月にはユミと別れるということで、それまでに新しい恋人を探すのに結構一生懸命頑張ったんだよ。11年前にマキに死なれて、もう生きる望みはないと思って必死に恋人を捜した時と同じだ。あの時にはユミと出会って「この女しかいない」と直ちに決意したけれど、今回はだめだ。何人かの候補者と真剣に話してみたけれど、一緒に暮らしても1ヶ月と持ちこたえそうにない。疲れそうだし、退屈しそうでもう1歩を踏み出せない。既に心に決めた相手がいるとか、約束した恋人がいるなんてことはないよ。だからと言って、ユミとやり直しができるのだろうか?

ユミとの思い出に流されないために、生活臭さの全くないホテルに引っ越すことにしたんだ。8ヶ月間僕たちは単なるフラットメートだった。ユミが僕を嫌いになった以上仕方のないこととあきらめていたが、実際のところ家には僕の居場所はなかった。ユミから冷たく扱われるたびに、僕は船に逃げ帰ろうと思った。一人船室で何も考えないで、波の揺れだけを感じていると心が落ち着く。また以前のように愛し合えるようになることは難しい。原因を放置したままやり直しても失敗するだけだ。

やり残した共同作業もある。ブリースベン、カウラへのドライブ。ダーウイン、タスマニア、ニュージーランド旅行。ピースボートでの世界1周。だけどこれは友達のままでもできるよね。ホリー、前田さん、笠井君、佐瀬、その他世話になった人たちのオーストラリア案内。ユミの両親やタケシもシドニーに来て欲しい。幸せな姿を見せつけてあげたい気もするよね。感傷的なのは趣味じゃないけど、日本の思い出の場所にも行ってみたい気もするよね。特に北海道かな?

以前のように愛し合うというのは、お互いの欠点や失敗を罵らないで、笑って済ませるということだよ。結構難しそうだよね。僕は自信がない。だけどまだ航海は始まったばかりだ。考える時間はたっぷりある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユミに会いたい

2002-12-21 10:21:58 | 海外旅行
12月21日(土)快晴

    ユミに会いたい

1:00シンガポール着。10:00からオーチャド・ストリートのインターネット・ショップでメール・チェック。大事なメールは届いていない。15:00の出港直前にてんかんの乗客(19歳、男)が階段から転落。救急車で病院に転送し、16:00出港。その後指詰め事故の乗客(66歳、女)が受診。

ユミからの2通の手紙は届かなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛ちゃんと斉藤君の航路変更

2002-12-20 10:20:28 | 海外旅行
12月20日(金)快晴

   牛ちゃんと斉藤君の航路変更

夕食はN門脇、太極拳とアママの坂牛(42歳。女)、PC保守係りの斉藤(28歳、男)と同席だったが、斉藤は明日下船する予定だ。ピースボートは卒業して別の仕事に就くそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弁護士への手紙

2002-12-19 10:18:21 | Weblog
12月19日(木)快晴

   弁護士への手紙


A爾先生

FAX拝見しました。ご指示の通り訴訟委任状を自筆で書いて西野工業に送りました。そちらで実印を押した上で先生に郵送することを依頼してあります。

さて弁護士料の件ですが、船に資料を持ってきていないので細かい点まで指摘はできませんが、波に揺られながら僕なりに冷静に考えるように努力しています。

まず第1に明らかなことは、弁護士料に関する契約書はないということです。しかし何の約束もなしに先生に弁護をお願いしたわけでもありません。先生は口頭で「1審判決までは大体2年間です。弁護士料は1500万円で、半額が着手料、残る半額は成功報酬です」と言われています。そして損害賠償請求の拡大の際に「この裁判の弁護士料は1500万円が適当」との文書を裁判所に提出しています。

第2に、先生からコピーが送られてきた「弁護士料の計算書」ですが、これを契約書や同意書であると言うのは無理があります。判決にも先生の弁護活動にも大いに不満がある当方が弁護士料の増額に同意することはありえません。

第3に先生が大きな思い違いをしていることは、判決の評価です。当方では45000万円から53000万円の損害に対して、20000万円しか償還されないことに不満があります。2億円ではなくて4億円返ってきたじゃないかと先生は言われるかもしれません。それならば、9億円から10億6000万円の損害に対して、4億円しか返らないのです。経済的利益が4億円なのではなくて、経済的損失が5億円から6億6000万円なのです。これは先生にも責任があります。医師も医療過誤があると責任を追及されるのと同じです。



この裁判が不満足な結果に終わったのは先生の初期弁護の過ちにあると当方では考えています。この裁判はなにも建築の専門的知識が必要な面倒な裁判ではなく、因果関係の明確な詐欺的な事件なのです。しかしO組との十和田での裁判で先生の熱意は薄く、追及は甘くて敗訴に終わりました。ここで勝っていれば裁判は一気に決着がついたでしょう。たとえ敗訴でも、先生が判決公判に出席していて、O組の仮差押解除に直ちにストップをかければ、結果はもっと良い方向に行っていたと思います。敗訴をひっくり返すのは大変なことです。それに民事訴訟は仮差押の力勝負でもあります。僕のほうには診療報酬という無防備の差押物件がありますが、敵の無防備の差押物件である公共工事代金に手を出せないのです。N父子は資産隠しを図るでしょうし、下手をすると裁判に勝っても1円の補償金も取れない結果になりかねません。その場合には当方では先生に5億円の損害賠償請求の裁判を提起することも射程に入れていました。



このような背景がありますので、先生が「弁護士料の計算書」作成に当たって十分僕に説明して納得の上署名したはずだ、などと言わないでください。「判決には大いに不満があります」と僕は繰り返し申し上げてきました。裁判の結果は上々だった、などと自画自賛もやめてください。現在のところ僕は当初の約束通り弁護士料をお払いするつもりです。その約束さえ「古い話だから覚えていない」と言われると妥協の余地はなくなります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保険会社への手紙

2002-12-18 10:16:28 | Weblog
12月18日(水)曇後快晴

    保険会社への手紙


NRMA御中

7月の盗難の調査に今頃来られるとはとても遺憾です。既に現場の借家は引き払っておりますし、4ヶ月も前の記憶も不鮮明になっております。

① ソニー製品の購入について

私は昨年1月ころに八戸市のパソコンショップでシャープのメビウスを購入してそれを使用していました。昨年9月9日から12月23日までオリビア号に船医として乗船した時にメビウスを持参して業務用に使用しました。オーストラリアに戻ってメビウスの調子が悪いことに気付き、バックアップ用のパソコンも必要だったので、ソニーのバイオの購入を思い立ちました。同時に船内医務室にパソコンを1台設置してくれるようにオリビア号に要望しました。当時私が所属していたメーリングリストで、パソコンを安く斡旋してくれるとの情報があり、4月にバイオとFDドライブとデジカメを市価よりかなり安く購入できました。斉藤由美子はこれらの買い物の事実は知りません。

② 5月2日から8月30日まで再びオリビア号に乗船しましたが、このときには船内医務室に会社側が設置したパソコンが備品として準備されていたので、自分のパソコンを持参する必要はありませんでした。私は自分のメビウスはスキーウエアーの入っているバッグに隠し、バイオ、FDドライブ、デジカメは寝室のベッドサイドテーブルの引き出しに隠しました。ベッドサイドテーブルには私の時計のコレクションも入っていました。何故隠す必要があったのかは以下の理由です。私のパソコンには業務上の秘密の事項や、個人的なメールやアドレス帳が入っているので、他人の目にさらしたくなかったこと。特にメビウスにはオリビア号の乗客のうち癌や精神障害のある方たちの個人情報が実名で入力されていたからです。

③ 6月21日に空き巣が入ったことは斉藤由美子からオリビア号に連絡があって知りました。その連絡が電話かFAXかインターネットメールのいずれであったかは記憶にありません。被害は斉藤由美子の寝室兼書斎の2台のパソコンと電子辞書だったと聞きました。この時点で彼女は犯人が近所の子供でいたずらで忍び込んで、出来心からパソコン類を持っていったのだと考えている様子でした。私は事態をもっと深刻に考えて、直ちに盗難保険に加入すること、セキュリティー装置を取り付けること、大急ぎで引越をすることを彼女に指示しました。

④ 7月8日に2度目の空き巣の被害があり、彼女はパニック状態に陥ったようです。被害は私の寝室と書斎まで及んでいます。彼女は私の時計のコレクションやビデオ装置が盗まれたことは知っていますが、バイオとFDドライブとデジカメも盗まれたことは知りませんし、私もパニック状態の彼女にそれを告げることはしませんでした。

⑤ その後彼女から、パソコンがないと大学のレポート提出などに不便だと連絡があったので、スキー用のバッグにパソコンを1台隠してあることを教え、それを使うように指示しました。

⑥ 私が9月にオーストラリアに戻った時には、犯行のあった借家から既に引越していましたし、犯行の現場を私は見ておりません。私のパソコンが盗まれたのが6月21日なのか、7月8日なのかは明確には分かりません。しかし時計のコレクションが盗まれたのが7月8日なら、同じ日に私のパソコンが盗まれたと考えるのが自然だろうと思います。私は9月になって初めて彼女に、私のパソコンが1台盗まれたことを話したと思います。しかしどこに隠していたかは説明していませんから、それもスキー用のバッグに入っていたと考えているのかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする