豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

海賊

2001-11-11 21:41:11 | 海外旅行
11月11日(日) 快晴

トロピカル・フルーツ・パーティー

寄港地では色々の食材が手に入ります。牛肉やマグロなどは安い寄港地で仕入れて冷凍保存します。果物や野菜はこまめに仕入れます。珍しい果物が手に入るとフルーツ・パーティーが開催されます。ケーキ・パーティーとフルーツ・パーティーは若い女性に人気があります。どちらも太るんですけどね

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海賊


船が港に着くと現地の係官たちが乗船してくる。税関、検疫、出入国の担当者だ。飛行機で入国する時も、この3つの検査は受けなければならない。検査に合格しないと乗員の上陸は認められないし、場合によっては罰金などの処分を受け、次回からの寄港ができなくなったりする。かつての共産主義諸国や後進国の飛行場では不当な嫌がらせや賄賂の要求があったものだ。信じがたいことだが、現在でも一部の国の港湾では係官による不愉快な役得と称する海賊行為が公然と行われている。

彼らは部下や知人や家族など大勢を引き連れて乗船してくる。そして当然のように接待を要求する。レストランで食べまくり、バーで高価な酒だけを飲みまくり、全員泥酔状態でたくさんのお土産をかかえて帰って行く。

南米にはピサロやコルテスを始めとする海賊の歴史がある。彼らはインカ帝国を滅ぼし、インディオを大量虐殺し、大量の金を本国に持ち帰った。以来中南米は長い間ヨーロッパの植民地となり、黒人の奴隷が送り込まれ、インディオと白人と黒人の混血が進んだ。

大航海時代にはヨーロッパ諸国は世界各地で公然と海賊行為を行った。植民地の富を本国に持ち帰り、原住民を奴隷として売り飛ばし、固有の宗教と文化を徹底的に破壊して、キリスト教的価値観を押し付けた。奪う物がなくなり、植民地経営が重荷になると、勝手な国境線を引いて独立させて、知らん顔を決め込んでいる。

アジアもアフリカもヨーロッパに植民地支配された点では同じだが、混血は進まず、独立後白人が引き揚げて貧しい原住民だけが残された。アフリカの政治的、経済的混乱は絶望的でさえある。その点では、白人と彼らの富の一部が残された中南米はまだ近未来的な希望が残されているように見える。

はっきり言うと民主的な政治体制の確立と、経済的自立は国家存亡の最低条件である。混血が良いと言うのではない。部族の対立が良くないと言っているのだ。援助に頼るのは自立への道を遠ざけることになりかねない。第三世界の民衆が解放を求めているのは自明であっても、更にその先が見えてこない苛立ちが僕にはある。工業化、近代化は1つの大勢であった。社会主義化も多くの国の選択肢であった。しかし、そのいずれもが無残な失敗に終わった。過去への恨み言よりも未来への展望こそがアフリカには求められている。



読書: 「都市空間の中の文学」 前田愛

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