豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

映画「オッペンハイマー」

2024-04-18 22:38:57 | 歴史

4月18日(木)曇

第二次世界大戦下の米国。極秘に立ち上げられたプロジェクト「マンハッタン計画」に参加したJ・ロバート・オッペンハイマーは、優秀な科学者たちを率いて世界初の原子爆弾を開発する。しかし、原爆が実戦で投下され、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩する。その後、冷戦や赤狩りなど、激動の時代の波に飲み込まれていく…。米国で興行成績は、伝記映画としては空前のヒットとなった。これまでの伝記映画の興行成績首位は、英ロックバンド「クイーン」の軌跡を描き、日本でも大ヒットした2018年公開の「ボヘミアン・ラプソディ」だった。原爆の被害者意識を乗り越えて、やっと日本でも公開に踏み切った。広島は2月に訪問済み。来月には長崎に行く予定。

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小泉八雲

2024-04-10 21:26:52 | 歴史

4月10日(水)快晴

松江は宍道湖と堀に囲まれて、緑に富み、水鳥の多い街だ。武家屋敷を歩き回り、小泉八雲記念館へ。「怪談(KWAIDAN)」を著して、日本便化を世界に紹介した「小泉八雲」の「八雲」は出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」からきている。アイルランド系ギリシャ生まれの新聞記者、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、英文学者。1890年(明治23年)、米国の出版社の通信員として来日。来日後に契約を破棄し、日本で英語教師となる。翌年、島根県尋常中学校の教頭のすすめで、松江の士族小泉家の娘・小泉節子と結婚し、三男一女を授かる。米国時代の16歳のときに怪我で左眼を失明して隻眼となって以降、白濁した左目を嫌悪し、晩年に到るまで、写真を撮られるときには必ず顔の右側のみをカメラに向けるか、うつむいて、失明した左眼が写らないポーズをとっている。

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吉野千本桜

2024-04-04 22:31:16 | 歴史

4月4日(木)曇

明日、アパート(町内会)の吉野千本桜見物ツアーに参加する。吉野山には過去3度登ったことがあるが、桜が咲いている時期に行くのは初めてだ。開花予想によれば、明日は下1000本と中1000本は満開らしい。恐れ多いことではあるが、僕は右翼的な桜見物や社寺詣でには、あまり興味はない。しかし多少の予備知識を得るために、今週は数冊の本に目を通した。案の定、太平記も義経伝説も退屈極まりないものだった。

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神に頼るなかれ

2024-02-18 21:46:57 | 歴史

2月18日(日)快晴

親友のM氏は十和田市の出身。クリスチャン一家で、福山と広島のカトリック系高校で歴史の教師をしていた。竹林の古民家に住んで、ユミと僕が訪ねると、得意の腕を振るって手の込んだ筍料理を振舞ってくれた。ロータリークラブの同僚でもあり、一緒にネパールで井戸掘りの奉仕活動をした仲間だ。一家で十和田にやって来ると、僕の家に長期逗留。僕は、夏季にはホタテの鉄板焼きやメヌケ鯛の唐揚げ、冬季には鮭のちゃんちゃん焼きやアンコウの吊るし切りなど、豪快な料理で歓待した。しかし25年ほど前に胃癌に罹患。「神は我を見捨てた」と嘆きながら逝った。

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吉備の大古墳展

2024-01-13 23:59:58 | 歴史

1月13日(土)晴

JR岡山駅の東口には田舎町にしては上出来な地下街があり、松坂屋、ビックカメラ、イオンモールなどに雨天でも濡れずにアクセスできる。西口は空中回廊を通って地下2階・地上19階建てのリット・シティービルに至る。ここにはANAホテル、NHK、岡山シティーミュージアム、コンベンションセンターなどが入居している。僕は西口方面の街歩きに疲れると、休憩を兼ねてシティーミュジアム常設館を一周する。現在展示中の大古墳展は岡山にある10か所以上の大古墳の出土物を展示中。吉備と呼ばれた岡山の地には詳細不明の大豪族が群雄割拠し、勢力誇示のために大和にも劣らない大古墳を建造。だが645年の大化の改新以後には、天皇中心の政治、仏教尊重の広まりにより、宗教や葬儀も古墳から寺院へと推移した。

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戦災の碑と手漕ぎポンプ

2023-12-27 22:28:54 | 歴史

12月27日(水)晴

我家から徒歩5分、西川緑道公園に隣接する下石井公園の片隅に戦災の碑がある。終戦直前の昭和20年6月29日に岡山市はB29の空襲で市街地の大半を焼かれ、1700人以上の市民が焼け死んだ。戦災の碑のすぐ横に手漕ぎポンプ(井戸)があるが、これは災害時協力井戸(防災井戸)には未指定のようだ。僕は青森在住の20年間ロータリークラブに所属し、ネパールの井戸掘り事業に参加した。当時のネパール国民は、深い谷を徒歩で下って水汲んでいた。現在も途上国では生活用水や農業用水の欠乏に苦悩している。

ポカラ 

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朝鮮人受難碑

2023-12-26 21:23:33 | 歴史

12月26日(火)快晴

福田英子の石碑から西川用水を挟んだ対岸に朝鮮人受難碑がある。1923年9月1日の関東大震災から今年で100年。死者・行方不明者は10万5000人に上り、混乱のさなかに5000人以上の朝鮮人が、軍や警察、自警団によって虐殺された。内務省警保局が9月3日に海軍船橋送信所に「朝鮮人は各地に放火し、爆弾を所持し、放火する者あり。厳重なる取り締まりを加えられたし」との電文を持っていき、各地方長官に送られたことが虐殺に油を注いだ。政府が流言を否定せず、虐殺を容認する空気がつくり、新聞もデマを扇動・拡大した。

僕の故郷の暗い過去   

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福田英子の石碑

2023-12-25 10:44:36 | 歴史

12月25日(月)快晴

西川緑道公園は岡山市内中心部を南北に流れる西川用水とその支流の枝川用水の両岸を緑道として整備した全長2.4㎞の園。緑道のほぼ中央部に隣接する野田屋町公園に石碑を発見。福田英子(1865‐1925)は岡山藩士の娘。明治維新を契機に自由民権運動に目覚め人間平等、男女同権を唱えて、平民社に加盟し、私塾「蒸紅学舎」を開設。「世界婦人」を創刊。治安警察の弾圧に抗して一生を婦人解放運動、朝鮮解放運動、足尾銅山鉱毒支援運動などに捧げた。

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吉村昭「冬の鷹」

2023-12-01 22:05:21 | 歴史

12月1日(金)曇

癌が見つかってから、ジョギングと水泳はやめて街歩きに転向。年間500本見ていた映画も、年間500冊読み刻んでいた読書も半分以下に減った。体調は悪くはないので、この程度の道楽は許されるのだろう……。わずかな手掛りをもとに、苦心惨憺、殆んど独力で訳出した「解体新書」だが、訳者前野良沢の名は記されなかった。出版に尽力した実務肌の相棒杉田玄白が世間の名声を博するのとは対照的に、彼は終始地道な訳業に専心、孤高の晩年を貫いて巷に窮死する。わが国近代医学の礎を築いた画期的偉業、「解体新書」成立の過程を克明に再現し、両者の劇的相剋を浮彫りにする感動の歴史長編。

ハヤブサ  

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ケネディー暗殺

2023-11-22 21:29:36 | 歴史

11月22日(水)快晴

1963年11月22日金曜日、テキサス州を遊説中の米大統領ケネディがダラス市内をパレード中に銃撃され、死亡した暗殺事件。このニュースは、すぐに世界に衛星生中継された。この日は日米衛星生中継の初日だった。僕たち2000人の医学生は60年安保闘争で敗北・解体した全学連再建のために岡山大学に結集していた。集会の冒頭で議長から「ケネディーに黙祷を捧げよう」との提案があり、全員が立ち上がった。「異議あり!」と僕は叫んだ。「ケネディーはベトナム侵略戦争の指揮者=帝国主義者だ。ベトナムの殺戮者だ」黙祷は中止となり、たちまち僕は新左翼の指導部にデビューした。その日の夜には2000人を指揮して岡山大学から旅館街までデモをした。その旅館街がどこにあったのか調査中だ。

焼き付けられた記憶  

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曹源寺

2023-11-18 22:34:00 | 歴史

11月19日(日)晴

昨日は快晴だったが、日中の気温が10度以下で、凍えるような強風が吹く1日だった。北海道から九州まで、各地で降雪、竜巻、高潮などの被害も続出。そんな悪天候の中、「岡山紅葉探検隊」はユミ隊長以下2名が勢ぞろいして、バスに揺られて40分、岡山城主・池田家の菩提寺の曹源寺を訪れた。反宗教の僕が教会や神社仏閣を見物するのは、歴史的建造物や周囲の自然環境や芸術作品を眺めに行くのであって、芸術性に欠ける仏像や権威・権力の象徴の十字架を拝むことはない。言い訳はともかく、この寺も紅葉はほぼゼロ。落ち葉が舞うだけだった。

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「ニコライ遭難」

2023-10-19 10:01:33 | 歴史

10月19日(木)快晴

 抗癌剤の副作用の腹部症状はまだ続いている。不眠と全身倦怠感もあるが、僕の対処法は読書。吉村昭の「ニコライ遭難」と関連書を読み流す。明治24年5月、国賓のロシア皇太子を警護の巡査がサーベル刀で襲った。この非常事態に、近代国家への道を歩み始めた日本が震撼する。極東進出を目論むロシアに対し、当時日本は余りにも脆弱であった。非常に細部にまで史実にこだわった小説というより歴史書。 前半は、ニコライの長崎入港→鹿児島→瀬戸内海を通って神戸→陸路で京都→大津での切り付け事件。後半は犯人の巡査を死刑を主張する天皇・内閣と法曹界の暗闘。日本の海運や獄窓体験の豊富な僕には興味深い作品だ。

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楠本高子(1852-1938)

2023-10-07 21:03:10 | 歴史

10月9日(土)晴

長崎市出身。シーボルトの孫娘で、楠本イネの娘。高子が後年書いた手記によると、彼女は、母イネが、師の石井宗謙に強姦されて宿した娘とのこと。異母兄・石井信義の元で産科学を学んだ。しかし、医師・片桐 重明に強姦され男児を出産するという子2代にわたって悲劇に見舞われ、医業の道は断念した。その辺の詳細は、女性解放運動作家の羽仁悦子「シーボルトの娘たち」参照。

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楠本イネ(1827-1903)

2023-10-06 22:41:29 | 歴史

10月6日(金)晴

シーボルトと日本人遊女・オタキとの間に生まれたイネ。 女に学問は必要ないという時代の中で、偉大な父の血を引く者として医学を志す。西洋医学を学び、日本初の女性産科医となる。父はイネが2歳のときに国外追放となったが、追放処分が取り消され1859年に再来日。京都で大村益次郎が襲撃された時には彼を看護しその最期を看取っている。福沢諭吉の推薦で宮内省御用掛となり、金100円を下賜され明治天皇の女官・葉室光子の出産に立ち会うなど、医学技術は高く評価された。

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シーボルト(1796-1866)

2023-10-05 21:01:22 | 歴史

10月5日(木)晴

江戸末期の1823年に、日本の文化・地理・植物などの調査の密命を帯びて、長崎の出島にやってきたドイツ人医師。当時の日本では、外国人は出島から出ることは厳禁だったが、長崎町内に無料診療所やオランダ塾を一般公開して、自由に出入りできた。1826年オランダ商館長の江戸参府に同行し、将軍にも謁見。旅の途中で日本の文化、植物、産業などを調査。収集した資料に伊能忠敬が著した日本地図などの禁制品があったために国外追放された。彼は日本人妻のオタキを「オタクサ」と呼んでいたが、オランダ塾付近に咲くアジサイにオタクサという学名をつけた。

国外追放   

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