横沢氏の居城跡
一関市中心部と気仙沼市を結ぶ国道284号線(気仙沼街道)。
一関市室根町の室根西小学校と国道を挟んだ向いの小高い丘、松山寺の墓地が並んでいるところが城跡です。
中世、横沢氏の居城跡です。
横沢氏は、建久年間頃よりこの地に住み、以後葛西氏滅亡まで居城したと云われています。
小高い丘陵に建つ城跡です。
頂部には平場がありますが、周辺は墓地となっています。
浜横沢城跡脇には神社があります。
横沢氏は、葛西氏の家臣で「葛西奉賀張」には「二貫文横沢平重持、同宗重」と花押を見ることができます。
また、中尊寺に大永五年奉納の「横沢又次郎平碑広持」の巡礼札が見られます。
記録によると、明応七(1498)年、葛西氏の家臣であった薄衣城主の薄衣氏は大崎探題側に立ったため、周辺の葛西家臣大原肥前守、本吉信濃守、小泉備前守、世田米伊豆守、鱒沢越前守など諸将に攻め立てられ、薄衣美濃入道の籠城した薄衣城は風前のともしびとなり支援と要請したのです。
応援を要請したのは領主葛西氏ではなく大崎教兼(義兼)や伊達成宗でした。
これは「薄衣状」と呼ばれる書状として残されています。
薄衣氏は、細川三河守、数流沢摂津守、横沢式部大輔と共に大崎探題側にとして対戦したものの、伊達成宗は動かず、ついに降伏したものとみられています。
【浜横沢城跡MAP】
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