「さかしさんち」で、昔話を書いたら、「懐古」モードになってしまって^^;やや、強制的に離脱したのだけれど、マジモードになったままです。
なので、「あんた、いまさら莫迦ぢゃないの?」という話で、Kenさんちに再トラックバック。
「ネット」は道具です。
道具なので、使い方によっては「傷」を負うし、「血」を流します。
そういう道具なので、「使い方を誤る」と大変なことになりますが、きちんと使えば大変べんりな「道具」です。
「普通」、友達は「探りあい」の中から、生まれます。
新しい「学校」、新しい「学年」、ある人は新しい「住まい」、新しい「職場」。
そういう所で、人は、余程の人で無い限り、「恐る恐る」人間関係の構築を始めます。
少しずつ、「外見」を知り、「性格」を知り、「内面」を知ると言う触手を広げる中で、やがて人は「友達」と出会う、と、私は思っています。
ところが、「ネット」で、適切な「コミュニティ」「Blog」「ML」に到達すると、最初の二つの手順、「名前」を覚え、「外見」を覚え、「どんな奴か」を知る、という行為は、全て省略されてしまうのです。
そう、そこには、イキナリの「友達」がいます。
しかも、これまでの「友人」には言えなかった事まで理解している「友達」です。
で、そこで親しくなった「友人」との関係は、イキナリ「現実」でも発動します。
そのときは、「年齢」も「地位」も何もかもが吹き飛びます。
私も、数回、そういう経験をしました。
初めてお会いしたときは、流石に「おどおど」してしまいましたが、
「あの、アレがこーしたのは、凄かったですよね?」
「あ!アレでしょ!そうなんですよ、もう大変でしたよ!」
数分後には、盛り上がっていました。
「そういう交わりは、希薄なんぢゃないの?」
と、思われる方もいると思いますが、それはある意味、「微妙」です。
元々、「交わる要素」の無かったもの同士が集まってくるのです。
ちょっと気を抜いてしまうと、たちまち、疎遠になります。
が、また、ある日集まると、それはもう「濃い話」に花が咲くのです。
「道具」ですから。
「ネット」を手放しで礼賛する気はありません。
「肥後の守」も、使い方を誤ると大怪我をします。
が、うまく使うことで、「素晴らしい」「新しい」関係が生まれることも事実です。
kenさんのPVは、正に「道具」を「正しく」使った例だと思うのです。
巷には、「危ないネット」とか「事件が起こったのはネットの所為」のような論調がまかり通っています。
しかも、「ネット」という「道具」を使ったことが無い人に、その「良さ」を強調したりすると、「えー何この人」という目で見られかねません。
そういう「論調」や「態度」には、非常に腹が立ちます。
でも、「道具」ですから。
私たちがすべきことは、「世間の論調」に立ち向かうことではなく、ひたすら「正しい使い方」の例を示していくとこしかないのです。
その意味で、kenさんの「PV」に拍手。
明日からは、「スケベ」で「変な」「おやぢ」に戻ります。
なので、「あんた、いまさら莫迦ぢゃないの?」という話で、Kenさんちに再トラックバック。
「ネット」は道具です。
道具なので、使い方によっては「傷」を負うし、「血」を流します。
そういう道具なので、「使い方を誤る」と大変なことになりますが、きちんと使えば大変べんりな「道具」です。
「普通」、友達は「探りあい」の中から、生まれます。
新しい「学校」、新しい「学年」、ある人は新しい「住まい」、新しい「職場」。
そういう所で、人は、余程の人で無い限り、「恐る恐る」人間関係の構築を始めます。
少しずつ、「外見」を知り、「性格」を知り、「内面」を知ると言う触手を広げる中で、やがて人は「友達」と出会う、と、私は思っています。
ところが、「ネット」で、適切な「コミュニティ」「Blog」「ML」に到達すると、最初の二つの手順、「名前」を覚え、「外見」を覚え、「どんな奴か」を知る、という行為は、全て省略されてしまうのです。
そう、そこには、イキナリの「友達」がいます。
しかも、これまでの「友人」には言えなかった事まで理解している「友達」です。
で、そこで親しくなった「友人」との関係は、イキナリ「現実」でも発動します。
そのときは、「年齢」も「地位」も何もかもが吹き飛びます。
私も、数回、そういう経験をしました。
初めてお会いしたときは、流石に「おどおど」してしまいましたが、
「あの、アレがこーしたのは、凄かったですよね?」
「あ!アレでしょ!そうなんですよ、もう大変でしたよ!」
数分後には、盛り上がっていました。
「そういう交わりは、希薄なんぢゃないの?」
と、思われる方もいると思いますが、それはある意味、「微妙」です。
元々、「交わる要素」の無かったもの同士が集まってくるのです。
ちょっと気を抜いてしまうと、たちまち、疎遠になります。
が、また、ある日集まると、それはもう「濃い話」に花が咲くのです。
「道具」ですから。
「ネット」を手放しで礼賛する気はありません。
「肥後の守」も、使い方を誤ると大怪我をします。
が、うまく使うことで、「素晴らしい」「新しい」関係が生まれることも事実です。
kenさんのPVは、正に「道具」を「正しく」使った例だと思うのです。
巷には、「危ないネット」とか「事件が起こったのはネットの所為」のような論調がまかり通っています。
しかも、「ネット」という「道具」を使ったことが無い人に、その「良さ」を強調したりすると、「えー何この人」という目で見られかねません。
そういう「論調」や「態度」には、非常に腹が立ちます。
でも、「道具」ですから。
私たちがすべきことは、「世間の論調」に立ち向かうことではなく、ひたすら「正しい使い方」の例を示していくとこしかないのです。
その意味で、kenさんの「PV」に拍手。
明日からは、「スケベ」で「変な」「おやぢ」に戻ります。
あんなダメダメ記事からこんな素晴らしい意見が生まれるなんて・・・
凄すぎて気の利いたコメントが浮かびません(汗
ネットって危険なイメージもありますけど、
一度はまっちゃうと良いものですよね。
ここで知り合った方々は本名すら知らない人ばかりですけど、
(故郷を離れて一人暮らししているので)
最近では現実の友達より親密度が高い気がしています。
この「良さ」を広めるためにも、自信がお手本になるべきなのですね。
ご意見、とても心に響きました。
ネットの将来性を綴ったことがあるんですけど。
(って、そこまで堅い話でもないんですけど(笑))
私が言いたかったこと、この記事にすべて詰まってます。
ネットを生かすも殺すも、扱う人次第なんですよ。
私がネットしてなかったら、歌ってなかっただろうし、
アナウンサーになることもなかっただろうし、
あやかちゃんと出会うこともなかったでしょう。
そして、ここにこうしていることも。
確かに、微妙ではあります、ネット上での関係は。
でも、自分と共通した思いを持つ人や、
自分の思いを受け入れてくれる人がいるのも確かで。
ネットでのかけがえのない出会いを、
大事にしていきたいです。
(ブックマークありがとうございます!)
募集されたわけでも強制されたわけでもなく、
すべて自発的に、好き勝手に行われていることなのでは
ないかと思います。
> 私たちがすべきことは、「世間の論調」に立ち向かうことではなく、ひたすら「正しい使い方」の例を示していくとこしかないのです。
正に同意です。
しかも、自分自身、あまり「正しい」使い方をしていないので><
でも、「楽しさ」を伝えるには、「百の議論」をするよりも、こういう「モノ」で示せると、とても判りやすくて良いよなー、と思いました。