ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/10/10 玉三郎と菊之助に泣いた泣いた-10月歌舞伎座昼の部

2005-10-11 02:03:26 | 観劇

いつもはクールなお茶屋娘さんと並んで3階席から観たのだが、ふたりとも泣かされた。私も歌舞伎でちょくちょく泣いているが、こんなに泣いたのは初めてだった。袖口でぬぐっていたが間に合わなくなりタオルハンカチまで取り出した。双眼鏡も曇ってしまうので何度もぬぐってまた釘づけになる。玉三郎と菊之助にまいりましたm(_ _)m

『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』
松竹歌舞伎サイトのみどころより以下抜粋。
「女忠臣蔵」の異名を持つ敵討ち話で、「草履打ち」など名場面にも事欠かない人気作。才色兼備で人望も厚い一方、思いつめる内向性と高いプライドの持ち主である尾上に玉三郎、高飛車で意地の悪い憎まれ役の岩藤に菊五郎、きびきびと元気で主人想いのけなげな少女お初に菊之助と、魅力的な顔ぶれが揃いました...とのこと。

容楊黛作の浄瑠璃を歌舞伎に移した作で、原作は加賀騒動を仕組んだ全11段の大作。そのうちの脇筋の6・7段目を独立させて補綴を加えたのが今の通し上演。さらに玉三郎の工夫がある。浄瑠璃に立ち返り、歌舞伎になって加わった場面=入れ事を省いている。
このブログで『桜姫』の時に紹介した木原敏江の漫画集の中にもこの話があり、予習しておいたのだが、玉三郎の工夫で趣がずいぶん違っていた(詳細は後述)。漫画の紹介記事はこちら
菊五郎の岩藤のメイクは他の方の岩藤の写真で見たメイクと異なり、目がつりあがったように書いたりはしていなかった。政岡で見たメイクよりちょっとコワイめ。ところが台詞回しが相当憎憎しげ。この初役、いいんじゃないと気に入る。
大姫(隼人)の前で尾上をいびり、武家奉公でたしなんでいるはずの武術の試合を受けろと町人出身の尾上に迫る。求女(松也)が助け舟を出すが、ぴしゃりと封じて「さあ」「さあ」と尾上を追い込む。そこに尾上の部屋子お初(菊之助)が登場し、尾上の名代として試合を受けて岩藤方の腰元たち(全員立役がコミカルに演じる)を散々に打ち据え岩藤にも勝ちそうになるが止められ、尾上に下がるように言われて立ち去る。菊之助、溌剌としてとてもいい。最初の菊・菊父子対決もなかなか面白くきまる。

「草履打ち」場面では玉三郎の辛抱の演技が凄味あり。尾上が預かる蘭奢待の香木がなくなっており岩藤に盗みの疑いがかかるように企んだと言われ、満座の中で草履で何度も何度も打ちすえられる。一人残された尾上の引っ込みは舞台中央から花道の鳥屋までを無言で足取りの重さを表わす足袋が畳をこする音だけが歌舞伎座中を響き渡るという演出。こ、これが1階席でないと観ることができない演出なのか!

「尾上部屋」での尾上・お初主従のやりとりの温かさと切なさ。下がってくるのが遅い主を心配するお初。屋敷の中で尾上の辱めは噂になりお初の耳にも入っている。忠臣蔵のエピソードにかこつけて主の短慮なきように諌めるお初。ここが噂の強すぎる演技かと思われるが、8年前の勘九郎のお初ならもう少し愛嬌を盛り込んでの諌めとなると想像できるが、若い菊之助である。まあ若さゆえの硬さということで私としては許容範囲。主従でありながら人間的な親愛の情に結ばれた関係性が十分に伝わってくる。
尾上に実家に手紙を届けるように言いつかり、明日早朝に届けると頑張るがそれならもう主従の縁を切るとまで言われてやむを得ず屋敷を離れる。見送りに「怪我のないよう気をつけていきゃ」と声をかける尾上の玉三郎の情感こもる芝居のあたりから、私の涙腺はもうダメ。
そこから自害までの玉三郎の独壇場。先立つ不孝をする親を思い、主を思うお初を思い、しかし町人出身だからとてこの辱めを受けたままではいられないとそれらの思いを振り切って仏壇の前へと向かうのだ。玉三郎は懐紙で涙を拭きながらひとりで語っていく。息を吸う時にはすすりあげる音が混じりながらも台詞はきちんと情感と共に伝わってきて、こちらも涙、涙。

使いに出されたお初は胸騒ぎがして仕方がない。灯りも消えた夜の塀の外で蘭奢待をめぐってのだんまりに紛れることとなり、封印された文箱が開けられ中から草履と書付が出てくる。主人の決意を確信して戻るお初。
そこでの「入れ事」は自害してもすぐに命がつきなかった尾上のところへ岩藤がきていろいろあったり、お初が尾上の最後に間に合ってまたいろいろあるという場面追加のようだ。それを一切やめて、お初が部屋に戻ると尾上はこときれて横たわっている状態に。玉三郎が以前にそのような工夫をした時には批判もあったというが、その入れ事を省いたことによって大きな効果があったように思った(漫画との比較で言っていて恐縮だが)。

そこからはお初の独壇場になる。尾上の亡骸を見つけて「遅かった」「遅かった」「遅かった」と嘆き、内掛けをかけ屏風で亡骸を隠し、尾上の残した書付などで状況を把握し、敵討ちの決意を固めるまでのひとり芝居。菊之助も3階席からだと双眼鏡でもよく見えないのだが汗か涙かのしずくを光らせて落としながら、すすりあげながらの長台詞。玉三郎のひとり芝居をきちんと観ているのだろう。このふたりの師弟関係がよく現れるような情感の高まった二人のひとり芝居の連続の見事さに私の心は波立つばかり。

最後の「仕返し」の場で、岩藤とお初が対決し、余裕たっぷりだった岩藤がお初に討たれるのだが、ここの菊・菊父子対決も素晴らしい。敵を討った後、自害しようとしたお初を求女がとめ、尾上の二代目を名乗るように上意を伝え、めでたしめでたしで幕となった。
これはすごい舞台を観たという興奮がなかなか引かなかった。夜の部の玉三郎・菊之助の舞踊も楽しみが増してきた。

『廓三番叟(くるわさんばそう)』
本当はこちらが先の演目だが後から書き足す形になった。「三番叟」ものも初めての私だったが、いきなりかなりの変化球バージョン。
松竹歌舞伎サイトのみどころより以下抜粋。
天下太平や五穀豊穣を祈る神事をルーツに持つ「三番叟」には、翁、千歳、三番叟の三役が登場するのが約束。神聖さが身上の舞台をあえて艶やかな遊郭に移した趣向で洒落てみせる本作では、翁が傾城(芝雀)、千歳が新造(亀治郎)、三番叟が太鼓持(翫雀)にあたる...とのこと。
芝雀が雀右衛門によく似た雰囲気だなと感心し、亀治郎もきびきび踊っていて対照的でいいなと思った。翫雀、もう少しダイエットしないと二枚目は観たくないなときつい感想をひとこと。

10/26千秋楽に写真を筋書表紙の『加賀見山...』の錦絵にさしかえ。
元の写真は「能 狂言」HPより転載の菊之助画像。現代っ子っぽさが漂っていていいなあ。その転載元はこちら