ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】フランケンシュタイン

2009年08月04日 22時00分57秒 | 読書記録2009
フランケンシュタイン, メアリ・シェリー (訳)森下弓子, 創元推理文庫 532-1, 1984年
(Frankenstein; or, The Modern Prometheus. by Mary Shelly 1831)

・「フランケンシュタイン」と聞くと、思い浮かぶのは藤子不二雄作のマンガ、『怪物くん』に登場する「フンガー」としか言わない怪物 "フランケン"。そんな風に誰しも、その怪物に対する何らかのイメージがあるのではと思いますが、その「フランケンシュタイン」の名は、実は原作においては怪物の名ではなく、それを作り出した人物の名前であることを知る人は多いかもしれません。しかし、実際にその原作を手にとって、著者は女性であること、作品の発表は今から約200年前である、怪物を生み出す人物は大学に通う学生(若者)である、怪物は人間以上に細やかな感性を持ち、頭脳明晰でその動きも俊敏であることなどなどまで知る人は少ないのではないでしょうか。かく言う私も、以上挙げたような点について誤解していました。そして、ここまでトンデもない小説だとも思っていませんでした。もっと広く読まれてもいい、歴史的名作だと思います。
・鉄腕アトムのように人間とは見分けのつかない機械仕掛けの人造人間を、果たして「人間」と呼べるのか。いくら精巧に創ったとしてもこれを人間と呼ぶことに抵抗を覚える人は多いでしょうが、では、もし100%人間の生体組織を用いて創った人造人間なら? 人間との違いは、その命を吹き込んだ者が、"神" であるか "人" であるかのただ一点。「人間とは何か?」という大きな難問をはらんでいる作品です。
・巻末に作者の年譜付き。
・「先に申したとおり、わたしはいつも、自然の秘密をきわめたいという熱い憧れで一杯でした。現代の知者たちの刻苦精励と驚くべき諸発見にもかかわらず、わたしはきまって、不満な飽き足らぬ気持で勉学からさめるのでした。サー・アイザック・ニュートンは自分のことを、まるで真実という未探検の大海原のふちで貝殻集めをしている子供のような気分であると告白したといいます。自然科学の各分野でわたしが知っているニュートンの後継者たちなどは、子供のわたしから見てさえ、同じ作業に精出している初学者としか思えませんでした。」p.52
・「「この学問の古い時代の教師たちは、不可能を約束し、何ひとつ実現しなかったのであります。現代の権威はほとんど約束をしない。金属を金銀に変えることはできないと、また生命の霊薬は幻想であると、承知しているのであります。これら科学者たちの手は泥いじりのためにのみ造られ、目は顕微鏡やるつぼをのぞくためにのみ造られていると見えるかもしれない。だが彼らこそ実際に奇跡をなしとげてきたのです。彼らは自然の深奥を看破し、自然の隠れ家における営みを明らかにする。彼らは天にも昇ってゆく。血液の循環が、われわれの呼吸する空気の性質が、すでに明るみに出されております。科学者の得た力は新しく、ほとんど無限と言ってもよい。天のいかずちを支配することも地震を真似ることも、不可視の世界に本物そっくりの影を造ってみせることさえも、できるのであります」  これが教授の言葉でした――いえ、これがわたしを滅ぼすために発せられた宿命の言葉だった、と申しておきましょう。」p.62
・「科学の魅力は、味わった人でなければ想像もつかぬものがあります。他の学問なら、今まで他人がやったところまでは行きつけるが、その先はもう知るべきことがありません。しかし科学の研究にはつねに発見と驚異の糧があるのです。」p.66
・「わたしがとりわけ興味を惹かれた事象のひとつは、人体の構成、および生命をあたえられたあらゆる生き物のそれでした。わたしはよく自問したものです。生命の根源はどこにあるのか? それは大胆な問いでした。」p.67
・「昼も夜も信じられぬような苦心と疲労をかさねたすえに、わたしは発生と生命の原因を解き明かすことに成功した、いえ、それどころか、この手で無生物に生命を吹きこむこともできるようになったのです。」p.68
・「人生の出来事はさまざまだと言っても、人の心くらい変わりやすいものはありません。ほぼ二年近くも、無生物のからだに生命を吹きこもうという一年で励んできたわたし、そのためにはわれとわが身の休息も健康もとりあげ、中庸をはるかに越えて熱い望みを抱きもした。それが、なしおえた今、美しい夢はどこへやら、息も止まる恐怖と嫌悪で心は一杯でした。」p.75
・「傷ついた鹿がぐったりしたからだをひきずって、踏み入るものもないどこかの藪へ這入ってゆき、そこで身をつらぬいた矢をじっと眺めて、そして死んでゆこうとする――ほかならぬそれがわたしの姿でした。」p.126
・「忘れるな、おまえは自分よりも強くこの身を創った。身の丈はまさるし、関節はしなやかだ。だが、おれはあんたに刃向かうような真似はしたくない。この身はあんたの被造物、そちらさえ当然果たすべき役割をつとめてくれれば、生まれながらのわが主、わが王に、おとなしく従順にだってなるつもりだ。おお、フランケンシュタイン、他の者すべてに公正で、おれひとりを踏みつけにするのはやめてくれ。この身こそ、あんたの正義を、いや、あんたの情と愛をさえ受けてしかるべきなのに。忘れてくれるな、おれはあんたの被造物、あんたのアダムであるべきなのだ。だがこれでは、悪行をおかしもせぬのに喜びから追われた堕天使だ。幸福はいたるところに見えるのに、自分ひとり閉めだされて、どうにもできない。自分は優しく善良だった。みじめさがおれを鬼にした。幸せにしてくれ、そうすれば徳に立ちかえろう」p.134
・「心にはっきりとした観念はなく、何もかもがごっちゃだった。光と、飢えと、渇きと、闇を、自分は感じた。耳には無数の音が鳴り響き、四方からいろんなにおいがやってきた。はっきりとわかるものといったらあの明るい月ただひとつだったから、自分は嬉しい気持でじっとそれに目を向けた。  「何回か昼と夜とが入れかわり、夜の光がだんだん細くなるころには、自分の五感それぞれの違いがのみこめてきた。」p.138
・「この優しい人々が不幸だというのはなぜだ? 気持のよい家はあり(と自分の目にはそう見えた)、あらゆる贅沢品も持っている。寒ければ暖まる火があるし、腹ぺこならばうまいご馳走がある。すばらしい服も身につけている。そしてなにより、おたがい同士一緒にいて話ができ、毎日、愛情と親切のこもったまなざしを交わすことができるではないか。あの涙の意味は何だ? 本当に苦痛のあらわれなのか? これらの疑問を初めは解くことができずにいたが、たゆまぬ注意と時間とが、最初謎のように見えたものをいろいろ自分に解き明かしてくれた。  「かなりの期間が過ぎてやっと、自分はこの愛すべき一家の心労の種のひとつを発見した。それは貧乏だったのだ。」p.147
・「「そのうちさらに重大な意義のある発見をした。この一家はおたがいに経験や気持を意味のある音声で伝えあう方法を持つことに気づいたのだ。しゃべる言葉が聞いた者の心と顔に、喜びや苦痛、笑みや悲しみをもたらすことがあるのを知った。これこそ神のわざだ。自分もそれを知りたくてたまらなかった。だがそのためにする試みは、いつも挫かれてばかりだった。」p.148
・「「この人々の完璧な姿かたちに自分は感嘆したものだ――その優美さ、その美しさ、繊細な肌の色。だがこの自分の姿を透明な池のなかに見たときの恐ろしさは! 一瞬自分はぎくりと身をひいた。鏡に映ったのが本当にわが身であるとは信じられなかったのだ。そして自分が現実にこのとおりの怪物であると納得するにいたったときには、落胆と屈辱のにがい思いがこみあげてきた。おお! だがこのみじめな奇形の致命的な結果を見にしみて知るのはまだ先のことだった。」p.151
・「だがこの自分は何者だ? 自分の創造のことも創り主のことも、自分はまったく知らなかった。ただ金もなければ友もなく、財産らしいものもないことは知っていた。そのうえおれは、恐ろしく醜悪で嫌悪をもよおす姿かたちをさずかっている。性質さえも人間並みとは違っている。人よりも敏捷で、粗末な食べもので食いつなぐことができるし、極端な暑さ寒さにもそれほど害を受けずに耐えられる。体格は彼らをはるかにしのいでいる。まわりを見ても、自分のようなものは見えもしないし、聞かれもしない。それでは自分は怪物なのか。大地のしみ、人はみなおれから逃げだし、誰もがおれを打ち棄てるのか?」p.158
・「「ある夜のこと、通いなれた近くの森で、食べものを集め庇護者たちに薪を持って帰ろうとしていた自分は、地面に革の旅行鞄があるのを見つけた。なかには衣類が数点と数冊の書物が入っていた。自分は夢中で獲物をつかみ、それを納屋に持ち帰った。さいわい書物は自分がこの家で初歩を学んだ同じ言語で書かれていた。それは『失楽園』と『ブルターク英雄伝』の一巻そして『若きウェルテルの悩み』とからなっていた。この宝を持つ嬉しさはたとえようもないものだった。これらの物語を読むために、友人たちがふだんの仕事に精出しているあいだじゅう、たゆまず学び頭を働かせた。」p.167
・「『この身が生を受けたその日が憎い!』苦しさのあまりにおれは叫んだ。『呪われた創り主よ! おまえまでがむかついて顔をそむける、そんなおぞましい怪物を、なにゆえに創りだしたのだ? 神は哀れんで人をみずからの姿に似せ、美しく魅惑的に創りたもうた。だがこの身はおまえの汚い似姿で、似ているからこそいっそう身の毛もよだつのだ。サタンには仲間の悪魔どもがいて、崇め、勇気をあたえてくれた。だのにおれは孤独な嫌われ者なのだ』」p.171
・「天使のような彼らの顔が慰めの微笑をふりまいた。だがしょせんはみな夢の話。悲しみをなだめ、思いをわけあうイヴはいない。自分はひとりだ。創り主にうったえたアダムの願いが思い出された。だがおれの創り主はどこにいる? 彼はおれを捨てたのだ。そこで自分は苦しさまぎれに彼を呪った。」p.172
・「おれを哀れんでくれぬ人間に、こちらが哀れみをかける理由があるなら、教えてくれ。」p.190
・「フランケンシュタインが哀れだった。哀れさはつのって恐怖になった。わが身がぞっとするほど憎かった。だがこの生命と言うに言われぬ責め苦との両方を創りだしたその男が、大胆にも幸福を望もうとしていると知ったとき――おれの上には不幸と絶望を積みかさねておきながら、彼ひとり、この身が永久に閉めだされている恩恵から感情と情熱の喜びを得ようとしているのを知ったとき、無力な嫉妬とにがい憤怒が、おれを飽くことのない復讐欲で満たしたのだ。」p.292
●以下、解説「『フランケンシュタイン』の過去・現在・未来」新藤純子より
・「そして、ゴシック小説がイギリスの小説史では比較的マイナーな存在として扱われるのと同様、『フランケンシュタイン』もまた、文学史上ではマイナーな作品として見られている。実際、誰もが言うことだが、フランケンシュタインの名を知らぬ者はないが、原作を読む者は欧米でもまれなのである。」p.300
・「進化論は神の否定につながり、そこから人間による生命創造の可能性も、当然、生まれてくるであろう。進化のプロセスがわかれば、人は神にかかわりうるのではないか。『フランケンシュタイン』は人が神にかわって生命を造ってしまう話である。そして、こうして生まれた新人類(怪物)は、やがて子孫を増やして人間を滅ぼすかもしれない。なにしろ、怪物は容姿以外はすべて、人間より勝っているのだから。この、人は神にかわりうるか、という問題は、DNA革命の現代おいて、今までになく現実的な問題になってきている。」p.301
・「『フランケンシュタイン』を読み解く鍵としてよくあげられるのは、孤独のテーマ、知識を得ることに関する主題、科学者の責任の問題、ウォルトン=フランケンシュタイン=怪物の間の対応関係とドッペルゲンガー、などなどであり、これらが先程の語りの構成によって効果的に表現されている。」p.304
・「どちかがどちらだかわからない、ということに関連して、この小説は、人間の二面性、科学の二面性をも示唆しているように思われる。フランケンシュタインの周囲の人々はみな善良な人々である。が、怪物の出会う人々はことごとく残酷で野蛮だ。フランケンシュタインのまわりには善良な人々が、怪物のまわりには悪人がいたのだろうか。そうではない。同じ人間が、善良さと残酷さを同時に持ち合わせているのだ。」p.312
・「最初に述べたように、『フランケンシュタイン』は小説の歴史の上ではマイナーな存在である。これまで述べてきたさまざまな要素も、芸術品として完全に昇華させられているわけではない。それぞれの要素は二百年近くたった現代の読者にとっても多くの示唆に富み、予言に満ちているが、全体的な完成度はと言えば、今一歩と言わざるを得ない。だが、この小説の真価はそれ自体の完結、古典としての完成度にあるのではなく、それ自身がひとつの可能体であり、さまざまな "子供たち" を作り得る、その可能性にあると言えるだろう。実際に、フランケンシュタインの子供たちは作者と原作の手を離れて、さまざまな方向に進んで行った。ひとつは映画へ、もうひとつはSFへ。」p.314
・「『フランケンシュタイン』の中に描かれたさまざまな要素は、必ずしもSFのテーマと限定できるものではないのだが、その後のSFの中に非常によく取り入れられている。なかでも、科学者が自分の造った人造人間に殺される、人間が自分の造ったものに復讐されるというモチーフは、ロボットもののSFのひとつのパターンとなってしまった。」p.317
・「ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は、何から何まで人間と同じように造られた意識のめざめという点で、また、登場人物の幾人かにドッペルゲンガーの要素が見られる点で、『フランケンシュタイン』の主題をひきついではいるが、それらは類似の段階にとどまっている。むしろディックのこの小説が秀れているのは、人間とアンドロイド、適格者(レギュラー)と特殊者(スペシャル)、本物の動物と機械の動物、機械じかけの共感と本物の共感といった、幾重にも重なる本物とにせもののパラレルを通して、いったい、どれが本物でどれがにせものかわからなくなってしまうほどの、その卓越した叙述である。」p.321

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2 コメント

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『撰集抄』 (罪子)
2009-08-04 22:48:50
孤独に耐えかねた西行が、「同じく浮世をいとふ花月の情をわきまへむ友恋しく覚えしかば」と、鬼に習って人の骨を取り集め、人を造り上げたという伝説にも通じますね。
>「自分は優しく善良だった。みじめさがおれを鬼にした。幸せにしてくれ、そうすれば徳に立ちかえろう」
このあたり、むかし倫理学の授業でとりあげられたテーマを思い出しました。
「アプリオリ」だの「ルサンチマン」だのが脳内を往ったり来たりしております。

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古典 (ぴかりん)
2009-08-07 23:00:59
スゴい処から例を引っ張ってきますね。さすがは罪子さん。
"西行" といっても、その名を耳にしたことがあるくらいで、どんな人物だかさっぱり。
その古典の教養、見習いたいです。

抜粋部分だけでも、脳ミソがピクリと反応する問題提起が随所に。もしお暇があれば御一読をどうぞ。
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