ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】切腹の話

2006年10月19日 19時22分57秒 | 読書記録2006
切腹の話 日本人はなぜハラを切るか, 千葉徳爾, 講談社現代新書 287, 1972年

※グロ注意。 人によっては気分が悪くなると思われる文章が含まれています。ご注意ください。

・日本固有の自殺法、『切腹』について。興味本位のカタログ的書物ではなく、柳田國男の教えも受けた著者の学術的な研究成果をまとめたもの。「切腹」を通して「日本人とはなにか」を考える。
・テーマがテーマだけに、戦時中の詳細な切腹体験談などの記述はなかなか読むのがしんどいです。
・「このAという女性の場合、あとで聞いたところでは傷口から膝まで内臓があふれ出て、下半身血まみれであったという。それに対してBや報告者の場合は腹壁が切断されず、苦痛が少ないために意識も行動もしっかりしていたのである。」p.21
・「さて、いよいよ突き立てたところでなかなか引廻せるものではない。まず痛い。ただ、突立てた部位と、それが腹壁内にとどまるが、それとも腹壁を突破って腹腔内に入ったかで、痛さの程度や感じは異なる。」p.40
・「切腹とはやはりまず第一に、できるだけ可能な方法で腹壁を切開するために、手の形として力を入れやすく、腹部の部位としてあまり痛みのないところを、とにかく完全に切断することを目的とした形式であると考えてよいようである。」p.42
・「何しろ血は出るし、痛いし、息ははずむし手はすべるしという具合だから、考えただけでもきれいな十文字腹を切るのは、なまなかな気力、体力ではできないことといえる。」p.45
・「本書で問題とする切腹という形式は、古来日本人独特といわれているし、インドネシアにみられるアモックという自殺法は、日本ではきわめて稀なように思われる。ワレースの記すところに従うと、この方法は19世紀のジャワ、セレベスなどにしばしば発生していた。自殺したい者はまず刀を抜いて村の広場や街中の人ごみの中で、誰でもかまわず通りかかった者に切りつけ、その血をあびて刀を正面に突出しながら、無二無三に突進しつつ「アモック、アモック」と連呼する。たちまち群集が刀や棒でこの自殺志望者を打ち、切り、一瞬の間に死体と化せしめるのだという。」p.59
・「筆者の知る限りでは、中国文献上の華南の住民には服毒自殺が多いようであり、19世紀のロシア正教のある宗派の信者には、焼身自殺が多かったと記されている。アメリカ合衆国ではピストルや銃を用いるものが多く、ヨーロッパでは縊死や投身自殺の比率が高いといわれるけれども、ひろく各民族、各国民について、それぞれどのような形態が特徴的であり、それはどのような理由によるかといった研究は、筆者の知る限りではまだないようである。」p.59
・「だから、私の取り扱う切腹という自殺形式も、当面はこのように「日本人としてみずから腹を切ることにより、精神的な何ものかを象徴的に示そうという意図がうかがわれる」事例は、傷は軽微でも切腹に含めることにしたい。」p.62
・「むしろ表-2から、そのような身分差をはっきりあらわした自殺形式としてよみとれるのは、首くくりや投身という形態が武士の間では男女ともに認められない点で注意されるべきであろう。」p.67
・「そのほか、さまざまな変形があった。嘉吉の乱に滅亡した赤松氏の武将、朝積(あさか)某はやぐらの上で腹を十文字に切って、腸を引き出してやぐらの下に投げ落し、城内に引き返して自分で自分の首を切り落して死んだという。」p.90
・「要するに、戦時体制としての武士階級とその慣行とを、平和体制の中で依然として維持してゆかねばならないという、封建制の矛盾した社会構造が、切腹刑における前代の原型との差異としてあらわれてくるのである。」p.105
・「女性で切腹に強く惹かれる精神的傾向をもつ人は現今も意外に多く、むしろ男性よりも多いことが明らかだからである。」p.114
・「さらに四川省栄県では、何なにがしという者の祖母、89歳になるものが病が重くなったので、孝行な何は刀で腹を切り肝をえぐり取って祖母に食べさせた。これは中国では割股とよばれ、みずからの肉や内臓の一部をとって重病の親に食わせ、その生命を救おうとするもので最高の孝とされる行為である。」p.133
・「単に腸がはみ出したくらいならば、手当てさえ適切なら腹膜炎にもならず治癒する。」p.143
・「人の真心を見せるためには、腹あるいは胸を切りひらいて、内臓を示すという方式が唐代には信じられ、また実行されていたという事実なのである。」p.143
・「人間の生命についても同様であって、人が死ねば再びその霊は新しい姿で生まれてくる、決してそのままには終わらないという、再生、転生の思想は、草木虫魚が春ごとに生きいきと生育する風土、たとえばアジアのモンスーン地帯の住民に深く信じられており、逆に死は永遠の暗黒の国、戻って来られない他界への旅と考えるのは、極寒の地や密林の世界に住む人びとに抱かれる考え方であろう。」p.149
・「現在、切腹はどのような意味で行われはじめたかについて知られている説明は、大きくいって次の三つにわけられる。第一は「切腹はその死に当って苦痛に堪える勇気を示す形式である」という、例のブリタニカに説かれたもので、外人追随派のとるところである。第二は切腹研究家中康弘通氏らが述べる「自己の肉体に加虐することでよろこびを覚える心理、サディズム、マゾヒズム、エロティシズムなどを満足せしめる行為の一つ」とみる考えかた、第三は故新渡戸稲造氏が唱えた「自己の潔白あるいは赤心の表明形式である」という、『武士道』の中で与えた定義である。」p.152
・「このように切腹そのものを想像しあるいは行為することに、肉体的もしくは精神的快感を味わう人の数は意外に多いようである。」p.194
・「要するに、切腹という自殺形式をとる者が16、7歳から急増して、30歳前後までがもっとも多くなる一つの理由は、私の体験に照らしてみても、性的な肉体の変動、情緒不安定などを底流にしており、自己及び他人の肉体の内部を観察したい、あるいは提示したいといった欲求と無縁ではない。」p.199
・「つまり見る者にも共にきわめて悲愴感を起させ、同情死を誘うものであったらしい。現にこの個条(『太平記』)を学校で先生から話された小学五年生の児童が、感動して放課後教壇の上で切出小刀で一文字に切腹し、それを見た友だちが「痛いか」とたずねたところ、「痛くない」と答えたので、その友だちもやはり切出小刀で割腹し、二人とも大腸露出で重態となった事件がある。」p.203
・「なぜなら美は、はじめに芸術のめばえについて考えたように、エロスと死に裏打ちされた情緒だからである。」p.208
・「虚心にただただ、腹を切って天に祈ろうと思いつめて行う形が、だれでも似た形式の腹の切りかたになるのではないかという気がする。だから、要するに現代日本人にも、古代的、原形としての切腹は形態上からみても、また心理面からみても、伝承されつつあると考えてよさそうである。」p.210
・「さらにこれにくらべると、先ごろの三島由紀夫氏の切腹は、男でありながら腹部の切開創は十数センチにすぎず、さらに介錯人に依頼して首を落とさせた点でも、より新しい近世封建制の下での刑罰的形式にしたがったものにすぎない。古来の日本固有の美を追求しようという三島氏の意図からしても、これは惜しむべき錯誤といえる。」p.213

?きこう【稀覯・希覯】 めったに見られないこと。珍しいこと。「稀覯本」
?そげん【遡源・溯源】 みなもとにさかのぼること。根本をきわめること。さくげん。
?ふげん【誣言】 (「ぶげん」とも)わざと事実をいつわっていうこと。また、そのことば。誣語。
?そっきょ【卒去】 (「しゅっきょ(卒去)」の慣用読み)律令制で、四位・五位の人および諸王が死去すること。卒。また一般に、身分ある人が死去すること。
?けんきょう‐ふかい【牽強付会】 道理に合わないことを、自分に都合のいいように無理にこじつけること。
?しょうひつ【省筆】 1 語句を省略すること。  2 文字の点画(てんかく)を省略すること。

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4 コメント

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キャー♪♪ (サヨ)
2006-10-20 15:07:48
「切腹10連発」というタイトル曲(?)が入ってるCD、持ってます~♪♪

それはこんなにグロくなくて、大笑いできます!!オススメですよーー!!!



今度貸しましょうかっ!?遠慮しないでいいですヨ(^_^)!!ふふ。
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×切腹10連発  ○切腹十連発 (ぴかりん)
2006-10-20 17:46:00
遠慮も何も・・・



(*´∀`*)  こ  と  わ  る
返信する
ワーレス(ウォレス)の記述 (Yuzou)
2009-11-15 00:35:39
はじめまして。
千葉徳爾のアモックについての翻訳は、ひどい誤訳ではないかと思われます。
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誤訳 (ぴかりん)
2009-11-18 20:03:01
こんにちは、はじめまして。コメントありがとうございます。

ウォレスの原文が手元に無いので訳については何とも言えませんが、「アモック」の説明について、Yuzouさんのブログ記事の内容の方が自然で、こちらでの書き抜き(p.59)はなんとも不自然な感じですね。ここまでの勘違いとなると、本著者は怪しげな二次資料でも参照してしまったのでしょうか。
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