自己発見, 湯川秀樹, 講談社文庫 C113, 1979年
・中間子の存在の予言により、日本人初のノーベル賞(物理学賞)をとった湯川秀樹氏による1960~70年代の随筆・講演録集。『庭の構図』、『私の中の古典』、『離見の見』の三部構成。文章を書くのが好きだったとみえて、研究者としては著作が比較的多い。
・なかなか内容が濃く、含蓄のある言葉が多い。
・「人間はどうしたら創造的に生きられるのか、生き続けられるのか。私は自分に向って、こういう問いかけを、長年にわたって繰り返してきた。」p.10
・「自己を発見することから始まって、次にはまた、もっと違った自己を発見する、さらに後になってまた新しい自己を発見する。そういう発見ないし再発見を繰返すことが、前進でもあり、それが創造的に生き続けることを可能にしている。」p.11
・「もともとあった内向的な傾向が、急速に強くなっていった。自分とうまくつながらない外の世界、その中で孤独になった自分にいったい何ができるのか。この世の中でいったい何をして生きていったらよいのか。そんなことをだんだんと深く考えるようになっていった。」p.12
・「私の中にあって、何十年にもわたって、私を動かしつづけているのは、未知の世界へのあこがれである。」p.14
・「人間の営みは、すべて有限にとどまらざるを得ない。」p.31
・「しかしその反面、嗅覚が私たちに思いがけない、そして他の感覚で代置できない作用をする場合があることも否定できない。」p.43
・「中国の古典は、大人のための教え、大人の知恵という性格が強い。青年期的思想であるよりは壮年期的であり、さらに壮年期的であるよりは老年期的である。」p.67 いつか中国の古典には手をつけたいと思っています。
・「老子は今から二千数百年前にすでに人類の文明の今日の状況、あるいはこれからの状況を見透していたかのように思われてならない。」p.69
・「わずらわしさが国際的規模になってきた。これはたまらぬ。いったん広がり、便利になったコミュニケーションの発達の向きをかえて、もとの静かな世の中に戻すのは至難である。」p.70 『科学の発展をやめるとどうなるか?』そんな世界を描いた大江健三郎氏のSF小説を読んだような・・・ 1970年代だと、今から見ると随分のどかな時代に思えますが。今から数十年後はまた更にあわただしい時代になっているのでしょうかね。想像つかない。
・「日本は相当古い国ではあるが、まだ青年期的な傾向が強いように思う。昔も今も、異国の事物に対する好奇心が恐ろしく強い点で、青少年的である。」p.72
・「自然界のなかにもともと潜在していた、さまざまな可能性を人間が見つけだし、それを現実化した結果が科学文明にほかならない。文明とはいわば第二の自然である。」p.78
・「自然という相手に予想外の手を打たせること自身が、成功である。そこで考え直し、何手も何手も先まで読むことができるのが、すぐれた科学者である。」p.83
・「科学の歴史は裏から見れば失敗と停滞の歴史でもある。」p.84
・「個別的な、すばやい反応の方はできるだけ機械にまかせて、総合的な判断に貴重な時間を使う。それが科学文明の中に生きる人間の一つのあり方であろう。」p.87
・「学者であろうとなかろうと、人間の価値は、その人が大国に住んでいるか小国に住んでいるか、あるいはまた、大都会に住んでいるかどうかには無関係である。(中略)ところが案外、私たちは知らず知らずの間に、ある人の価値を、その人の住んでいる場所と結びつけて評価している場合が多いのである。」p.93
・「人間のつくった機械は、まだまだ大柄すぎ、不器用すぎる。(中略)しかし物理学や科学や工学の進歩に伴って、機械は少しずつ生物に近づいてゆくであろう。」p.101
・「私は科学者として、一つの信念を持ちつづけてきた。それは「自然はその本質において単純だ」ということである。」p.104
・「どうも、人間には早く走りまわりたいという基本的欲求のようなものがあるらしい。」p.111
・「これは逆説的な表現になるかも知れませんが、学問における創造とは、繰返しの中から、何か繰り返しでない新しいもの――しかし、いっぺんできたら、あとは誰でも何度でも繰返せるようなもの――を見つけだそうとすることだ、ともいえる。」p.115
・「要するに、自分で考え抜くということが創造の原動力です。」p.116
・「最後に、もう一度、人間は人間をふくむ未来の完全な予測ができないはずであることを強調したいと思う。人間の創造力は今までに出つくし、未来の人間は創造性を発現しないだろうという前提を認めない限り、未来の完全な予想が可能だという結論は出てこないはずです。」p.116 ゲーデルの不完全性定理?
・「私の臆断によれば、人間というものは、自分の生きているときがよい時代であると思いたい。自分より前の時代はあかなんだ、だんだん上り坂になって、あとまた下がってくる、自分が死んでからあかんようになる、そうあってほしいと、潜在意識的にいつも思っているのじゃないか。」p.123
・「知行合一というのは、いろいろ高尚な意味があるわけですけれども、ふつう常識的に使われるのは、考えていることと実行することとが一致しておらなんだらいかんという意味ですね。」p.141 最近考えていたこと、というか現在のテーマがこれです。
・「われわれ碁や将棋のヘタな者は、いろいろと可能性を考える材料もないから、思いつきでポンポン打つ。上達すれば、いろいろな可能性があることもわかり、それについて何手か先まで考えられるようになる。学問が進んでいくというのも、それに似たことですね。」p.142
・「最も一般的に言うならば、自然界というものには非決定性がある、ということが量子力学の出現によって、否定できなくなってきた。それは非常に新しい事態だったのであります。」p.158
・「私の素量子研究は、たいして金がかからない。しじゅう何か考えたり計算したりしているだけですから、しごく安上がりにやっているわけです。」p.164
・「しかし、これから先、今後の世界では、むしろ人間が人間自身をあんまりよく知るようになることを、恐れなければならないのではないか。」p.176
・「創造という問題、これは生き甲斐ということと非常に関係があるわけですね。」p.183
・「困難があるがゆえに生き甲斐がある。それがまたしあわせにつながっているという、非常に奇妙な状態ですね。」p.185
・「学問でもいろいろありまして、私は、学問には、安全な学問と、安全でない学問があると思うんです。私の申します安全、安全でないという意味は、現実にたとえば放射線があぶないとか、そういう意味の安全性ではなくて、研究者当人の精神の問題なんですね。(中略)私などは四十何年かのあいだ安全でない学問ばかりやってきた。(中略)極端にいえば、お先まっ暗でやっている。」p.187
・「つまり人間というのは、ああでもない、こうでもないと、ある大きな問題を年中考えておりますと、ハッと思うことがある。」p.189
・「これは戦前の話ですが、私は中間子というものがあるぞということを言うたんですね。しかし、こういうものはそこらの物のなかにはないぞ、あるとすれば、宇宙線のなかにはあるだろう、そういうことを言いまして、それで宇宙線のなかを探したら見つかった。」p.200
・「そもそも、あらゆることを全部やってみなければ、物がわかったとはいえぬというのでは、科学の存在意義はないわけです。」p.202
・「これからは、対立するということではなくて、相待つということを、もういっぺんよく考えなければならぬ。価値体系というものも、もう一度根本から考え直さなきゃならない。」p.231
・「仮に、創造とはこういうもの、こうすればよかろうということをきめて、それを後生大事に守ってやっておったのでは、本当に新しいことはできないという逆説的な状況に常に置かれているわけですね。」p.232
・「私ども物理学のような学問をやっておりますと、ときたま何か新しいことを思いつきまして、自分はそれを信じて、これはいいだろうと思って言う。人はなかなかそれを受け付けてくれぬ。それは少数意見です。少数意見を言うておるわけです。(中略)私はそういう状況がむしろ好きです」p.234
・「物理の勉強を相当やって、必要な準備をしておかない人が、いっぺんに大学説を言うても、それがほんとうに正しい学説であるという確率は、まずゼロと見てよろしい。」p.238
・「物理のような学問では、業績の評価が、わりと公平に行なわれていた。その点、戦前のほうが変な大国主義みたいな傾向が少なくて、今よりよかったと思います。もっとゆっくりしたペイスで仕事がやれたし、人の仕事もゆっくり検討できた。戦後は万事テンポが速くなりすぎて、学問の本当の発展のためにはよくないですね。」p.239
・「私は組織論にたいへん弱い人間です。」p.241
・「人間にとっていろんな新しい知識、情報というものは貴重なものであるはずだけれども、その量がある程度以上ふえますと、情報公害的な状況になってきて、いかにして論文を読まんようにしようかと一生懸命になる。」p.247
・「人間にとって一番だいじな頭、大脳を取ってくる(移植する)ということになると、どうなるか。それは絶対いけないと思います。大脳のほうが当人で、からだの方ではないわけですね。」p.248 これは哲学的大問題。著者は二元論をとるわけか。。。
・「たとえば核兵器に関係ある学者で、昔はアカデミックな物理の研究をやっていた人があります。あるとき、ある会合で会いました時、その人の目つきをみると、きついのです。」p.250
・「皆さんはお使いになる言葉でしょうけれども、一般には使われない言葉に、英語のディシプリン(discipline)というのがありますね。ディシプリンというのは、もともと訓練する、鍛錬するという意味の言葉です。」p.258
・「人間の頭のよさにもいろいろありますけれども、デカルトの場合は、ひじょうに驚くべき頭の働かせ方ですね。おれの頭はこういうふうに使うていったらよいということを自分で知っておって使うている。これはすごいことですね。」p.262
・「時間的空白というものはたいへんだいじなものであって、人間の幸福というものにつながっているわけですね。」p.274
・「先ごろ『日本人とユダヤ人』という本が出ました。私は読んでいません。ベストセラーは読まないという私の主義に忠実であろうとしたからです。」p.294
・「昔から、朝永さんからよく言われたんですが、どうも湯川さんの話は漠然としている、と。まさにそのとおりです。自分でもそう思う。」p.297 どうでもいいけど、ずっと『あさなが』だと思っていたが『ともなが』だった・・・orz
・「彼(シュレーディンガー)はさらに語気を強めて、科学から形而上学を完全に除いてしまったら、残るものは骸骨だという。」p.
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?こしおる【腰折る】 歌や文などがつたないさまになる。腰はなる。
?ちこうごういつ‐せつ【知行合一説】 人間の知(認識)は、行(行為・実践)の一部であって分けることはできないとする陽明学の学説。朱子学の先知後行説に対して、道徳的実践や体験による知識の確認を重視したもの。
?どうちゃく【撞着】 1 つきあたること。二つのことが互いにぶつかること。 2 前と後とでくいちがって、つじつまが合わないこと。矛盾。「自家撞着」
・中間子の存在の予言により、日本人初のノーベル賞(物理学賞)をとった湯川秀樹氏による1960~70年代の随筆・講演録集。『庭の構図』、『私の中の古典』、『離見の見』の三部構成。文章を書くのが好きだったとみえて、研究者としては著作が比較的多い。
・なかなか内容が濃く、含蓄のある言葉が多い。
・「人間はどうしたら創造的に生きられるのか、生き続けられるのか。私は自分に向って、こういう問いかけを、長年にわたって繰り返してきた。」p.10
・「自己を発見することから始まって、次にはまた、もっと違った自己を発見する、さらに後になってまた新しい自己を発見する。そういう発見ないし再発見を繰返すことが、前進でもあり、それが創造的に生き続けることを可能にしている。」p.11
・「もともとあった内向的な傾向が、急速に強くなっていった。自分とうまくつながらない外の世界、その中で孤独になった自分にいったい何ができるのか。この世の中でいったい何をして生きていったらよいのか。そんなことをだんだんと深く考えるようになっていった。」p.12
・「私の中にあって、何十年にもわたって、私を動かしつづけているのは、未知の世界へのあこがれである。」p.14
・「人間の営みは、すべて有限にとどまらざるを得ない。」p.31
・「しかしその反面、嗅覚が私たちに思いがけない、そして他の感覚で代置できない作用をする場合があることも否定できない。」p.43
・「中国の古典は、大人のための教え、大人の知恵という性格が強い。青年期的思想であるよりは壮年期的であり、さらに壮年期的であるよりは老年期的である。」p.67 いつか中国の古典には手をつけたいと思っています。
・「老子は今から二千数百年前にすでに人類の文明の今日の状況、あるいはこれからの状況を見透していたかのように思われてならない。」p.69
・「わずらわしさが国際的規模になってきた。これはたまらぬ。いったん広がり、便利になったコミュニケーションの発達の向きをかえて、もとの静かな世の中に戻すのは至難である。」p.70 『科学の発展をやめるとどうなるか?』そんな世界を描いた大江健三郎氏のSF小説を読んだような・・・ 1970年代だと、今から見ると随分のどかな時代に思えますが。今から数十年後はまた更にあわただしい時代になっているのでしょうかね。想像つかない。
・「日本は相当古い国ではあるが、まだ青年期的な傾向が強いように思う。昔も今も、異国の事物に対する好奇心が恐ろしく強い点で、青少年的である。」p.72
・「自然界のなかにもともと潜在していた、さまざまな可能性を人間が見つけだし、それを現実化した結果が科学文明にほかならない。文明とはいわば第二の自然である。」p.78
・「自然という相手に予想外の手を打たせること自身が、成功である。そこで考え直し、何手も何手も先まで読むことができるのが、すぐれた科学者である。」p.83
・「科学の歴史は裏から見れば失敗と停滞の歴史でもある。」p.84
・「個別的な、すばやい反応の方はできるだけ機械にまかせて、総合的な判断に貴重な時間を使う。それが科学文明の中に生きる人間の一つのあり方であろう。」p.87
・「学者であろうとなかろうと、人間の価値は、その人が大国に住んでいるか小国に住んでいるか、あるいはまた、大都会に住んでいるかどうかには無関係である。(中略)ところが案外、私たちは知らず知らずの間に、ある人の価値を、その人の住んでいる場所と結びつけて評価している場合が多いのである。」p.93
・「人間のつくった機械は、まだまだ大柄すぎ、不器用すぎる。(中略)しかし物理学や科学や工学の進歩に伴って、機械は少しずつ生物に近づいてゆくであろう。」p.101
・「私は科学者として、一つの信念を持ちつづけてきた。それは「自然はその本質において単純だ」ということである。」p.104
・「どうも、人間には早く走りまわりたいという基本的欲求のようなものがあるらしい。」p.111
・「これは逆説的な表現になるかも知れませんが、学問における創造とは、繰返しの中から、何か繰り返しでない新しいもの――しかし、いっぺんできたら、あとは誰でも何度でも繰返せるようなもの――を見つけだそうとすることだ、ともいえる。」p.115
・「要するに、自分で考え抜くということが創造の原動力です。」p.116
・「最後に、もう一度、人間は人間をふくむ未来の完全な予測ができないはずであることを強調したいと思う。人間の創造力は今までに出つくし、未来の人間は創造性を発現しないだろうという前提を認めない限り、未来の完全な予想が可能だという結論は出てこないはずです。」p.116 ゲーデルの不完全性定理?
・「私の臆断によれば、人間というものは、自分の生きているときがよい時代であると思いたい。自分より前の時代はあかなんだ、だんだん上り坂になって、あとまた下がってくる、自分が死んでからあかんようになる、そうあってほしいと、潜在意識的にいつも思っているのじゃないか。」p.123
・「知行合一というのは、いろいろ高尚な意味があるわけですけれども、ふつう常識的に使われるのは、考えていることと実行することとが一致しておらなんだらいかんという意味ですね。」p.141 最近考えていたこと、というか現在のテーマがこれです。
・「われわれ碁や将棋のヘタな者は、いろいろと可能性を考える材料もないから、思いつきでポンポン打つ。上達すれば、いろいろな可能性があることもわかり、それについて何手か先まで考えられるようになる。学問が進んでいくというのも、それに似たことですね。」p.142
・「最も一般的に言うならば、自然界というものには非決定性がある、ということが量子力学の出現によって、否定できなくなってきた。それは非常に新しい事態だったのであります。」p.158
・「私の素量子研究は、たいして金がかからない。しじゅう何か考えたり計算したりしているだけですから、しごく安上がりにやっているわけです。」p.164
・「しかし、これから先、今後の世界では、むしろ人間が人間自身をあんまりよく知るようになることを、恐れなければならないのではないか。」p.176
・「創造という問題、これは生き甲斐ということと非常に関係があるわけですね。」p.183
・「困難があるがゆえに生き甲斐がある。それがまたしあわせにつながっているという、非常に奇妙な状態ですね。」p.185
・「学問でもいろいろありまして、私は、学問には、安全な学問と、安全でない学問があると思うんです。私の申します安全、安全でないという意味は、現実にたとえば放射線があぶないとか、そういう意味の安全性ではなくて、研究者当人の精神の問題なんですね。(中略)私などは四十何年かのあいだ安全でない学問ばかりやってきた。(中略)極端にいえば、お先まっ暗でやっている。」p.187
・「つまり人間というのは、ああでもない、こうでもないと、ある大きな問題を年中考えておりますと、ハッと思うことがある。」p.189
・「これは戦前の話ですが、私は中間子というものがあるぞということを言うたんですね。しかし、こういうものはそこらの物のなかにはないぞ、あるとすれば、宇宙線のなかにはあるだろう、そういうことを言いまして、それで宇宙線のなかを探したら見つかった。」p.200
・「そもそも、あらゆることを全部やってみなければ、物がわかったとはいえぬというのでは、科学の存在意義はないわけです。」p.202
・「これからは、対立するということではなくて、相待つということを、もういっぺんよく考えなければならぬ。価値体系というものも、もう一度根本から考え直さなきゃならない。」p.231
・「仮に、創造とはこういうもの、こうすればよかろうということをきめて、それを後生大事に守ってやっておったのでは、本当に新しいことはできないという逆説的な状況に常に置かれているわけですね。」p.232
・「私ども物理学のような学問をやっておりますと、ときたま何か新しいことを思いつきまして、自分はそれを信じて、これはいいだろうと思って言う。人はなかなかそれを受け付けてくれぬ。それは少数意見です。少数意見を言うておるわけです。(中略)私はそういう状況がむしろ好きです」p.234
・「物理の勉強を相当やって、必要な準備をしておかない人が、いっぺんに大学説を言うても、それがほんとうに正しい学説であるという確率は、まずゼロと見てよろしい。」p.238
・「物理のような学問では、業績の評価が、わりと公平に行なわれていた。その点、戦前のほうが変な大国主義みたいな傾向が少なくて、今よりよかったと思います。もっとゆっくりしたペイスで仕事がやれたし、人の仕事もゆっくり検討できた。戦後は万事テンポが速くなりすぎて、学問の本当の発展のためにはよくないですね。」p.239
・「私は組織論にたいへん弱い人間です。」p.241
・「人間にとっていろんな新しい知識、情報というものは貴重なものであるはずだけれども、その量がある程度以上ふえますと、情報公害的な状況になってきて、いかにして論文を読まんようにしようかと一生懸命になる。」p.247
・「人間にとって一番だいじな頭、大脳を取ってくる(移植する)ということになると、どうなるか。それは絶対いけないと思います。大脳のほうが当人で、からだの方ではないわけですね。」p.248 これは哲学的大問題。著者は二元論をとるわけか。。。
・「たとえば核兵器に関係ある学者で、昔はアカデミックな物理の研究をやっていた人があります。あるとき、ある会合で会いました時、その人の目つきをみると、きついのです。」p.250
・「皆さんはお使いになる言葉でしょうけれども、一般には使われない言葉に、英語のディシプリン(discipline)というのがありますね。ディシプリンというのは、もともと訓練する、鍛錬するという意味の言葉です。」p.258
・「人間の頭のよさにもいろいろありますけれども、デカルトの場合は、ひじょうに驚くべき頭の働かせ方ですね。おれの頭はこういうふうに使うていったらよいということを自分で知っておって使うている。これはすごいことですね。」p.262
・「時間的空白というものはたいへんだいじなものであって、人間の幸福というものにつながっているわけですね。」p.274
・「先ごろ『日本人とユダヤ人』という本が出ました。私は読んでいません。ベストセラーは読まないという私の主義に忠実であろうとしたからです。」p.294
・「昔から、朝永さんからよく言われたんですが、どうも湯川さんの話は漠然としている、と。まさにそのとおりです。自分でもそう思う。」p.297 どうでもいいけど、ずっと『あさなが』だと思っていたが『ともなが』だった・・・orz
・「彼(シュレーディンガー)はさらに語気を強めて、科学から形而上学を完全に除いてしまったら、残るものは骸骨だという。」p.
~~~~~~~~~~
?こしおる【腰折る】 歌や文などがつたないさまになる。腰はなる。
?ちこうごういつ‐せつ【知行合一説】 人間の知(認識)は、行(行為・実践)の一部であって分けることはできないとする陽明学の学説。朱子学の先知後行説に対して、道徳的実践や体験による知識の確認を重視したもの。
?どうちゃく【撞着】 1 つきあたること。二つのことが互いにぶつかること。 2 前と後とでくいちがって、つじつまが合わないこと。矛盾。「自家撞着」
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