紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

コニカと言う名のカメラたち~その2

2010-12-25 06:00:00 | カメラ
前回のブログで、コニカ製のカメラを4台を紹介いたしました。今回は三台+αを紹介いたします。


(左がコニカレコーダー、右がリリーです)

(4)新型リリー(S11年製)
大正から昭和の10年頃にかけて、小西六本店(後の小西六写真工業、コニカ)では、リリー手提暗箱、パール、パーレット(国産ベス単とも言われる)など時代の先端を行く、数々の名機が作り出されていきます。そのうちの一つがリリーです。手札サイズ(7.5cm×11cm、今でいうサービス判サイズ)の乾板式ですが、フイルム部分をハンザのカートリッジに交換が可能で、ブロニー判(120型)のフィルムを使うと6cm×9cmのネガ(またはポジ)が得られます。


(H14東京晴海埠頭で撮影 手持ちのスキャナーでは取り込めないのでポジフィルムをデジカメで撮影)

このカメラは、かつて昭和20年代に北海道新聞の委託カメラマンをしたことのある、親戚の方から譲り受けました。なんでも、昭和29年9月26日の洞爺丸台風時、後志管内岩内町で大火事が発生。3299棟が消失(死者33名)と言う大惨事の時にこのカメラが大活躍したと聞いております。

レンズはあの有名なCarl Zeiss Jeana製で、Tessar105mm付き、上下、左右にシフトできます。手元に来た時にはさすが錆ただらけでした。光線漏れも見られました。当時八王子に単身赴任中でしたので、市内桜町のコニカ修理センターに持込しました。さすが、受付の係り員もビックリ、数人が珍しそうに集まり、修理可能かどうか、暫らく検討しておりました。やがてかなり年配の技術者がやってきて、修理可能だと言います。

1週間後ぴかぴかに磨き上げられたりリーが手元に戻ってきたのです。しかし残念ながら、このリリーは鉄の固まり、デジタルに以降後は全く出番がなくなりました。

(6)コニカレコーダー(S59.3製造)
昭和40年代から50年代にオリンパスPENに代表される、ハーフサイズのコンパクトカメラが大ブームを起こしたことは記憶に新しいと思います。このコニカレコーダーもハーフサイズのカメラですが、如何せん発売が遅くヒットはしなかったようです。PENなどに代表されるハーフサイズカメラは、普通に構えて撮影すると、縦長の画像になります。しかしこのコニカのレコーダーは、フィルムが上下に走るので、横長の画像になるのです。


(イヌの散歩道である勝納臨海公園にて 放置された自転車と壁の落書き)


(H21.11.4初雪の日 内臓ストロボ発光 絞りの形が変形のためか、映り込んだ雪の形がいびつだ)

このコニカのレコーダは、ヨドバシカメラ札幌店のジャンクコーナーで入手したものです。500円のシールが張られていました。見た瞬間欲しかったカメラでもあり、ジャンクとはいえシャッターが切れるか試してみました。なんとストロボまで正常に発光するではありませんか。勿論500円で、お宝GETです。

(7)ジャスピンコニカ(C35AF)(S52.11発売)
昭和49年発売のコニカC35EF(ピッカリコニカ)に引き続きヒット商品となったのがこのジャスピンコニカでした。35mm判では世界初のオートフォーカスカメラでした(財団法人日本写真機光学機器検査教会資料に基づく)。このカメラも、ジャンク品の中から見つけたものなのです。このカメラには、赤、青黄色のバージョンがあって、私が持っていたのは赤いカメラでした。

写りがとても良く、単焦点ながら、とても活躍してくれました。残念ながら、大夕張の三菱炭鉱鉄道を撮影している間に紛失してしまうと言う失態。そのためカメラの画像がありません。


(北海道庁のイチョウを逆光気味に撮ったものです)

(8)コニカカメラのアクセサリー

(上左から、パール、コニカF、コニフレックス、コニカI、コニレット)

もう10数年前でしょうか、札幌のコニカにカメラの修理依頼で伺った時に、受付の女性に頂いたものなのです。確か7-8種類×2個毎、14-5個頂きました。友人等に差し上げて今はこの5個だけが残りました。コニカの名が消えた以上、二度と手に入らないでしょうね。この5個の中でもコニレットはお気に入りで、現在もドアのキーにつけておりますので、色が多少変色してしまいました。
コメント (2)
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