ゆっくり一人歩き

いわゆる良い物ってどんなものだろう?考えるより、国宝を見るのが早いでしょう!国宝をゆっくり自分の目で見て廻ろう!

銅鐸博物館 関西文化の日

2014-11-30 22:11:45 | その他

日野城を出たのが4時過ぎ、まだ時間があったので銅鐸博物館に行ってみました。

欲張って行ってみたものの、着いたのは閉館ギリギリでした!

時間が無いなぁ~と、思いながら見ていたんですが、特に立ち止まるところもなく、時間的には充分でした・・・

銅鐸が置いてあるだけのイメージしか残っていない…

ちょっと前に、ここでお土産として売られている銅鐸と銅鏡の売り上げが良いので調べると職員が自費で買っていたとかで話題になっていました。

立派な施設なだけにちょっと残念かなぁ…

銅鐸博物館の周りは

竪穴式住居が復元されていたり、古墳があったりするのですが

一番心に残ったのは

紅葉でした!

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日野城(中野城)址 るろうに剣心ロケ地

2014-11-29 14:59:00 | 歴史

水口から今度は日野に向かう!

本当はこっちが今回のメインとなる目的地で、水口はついでに寄ったという感じ・・・

日野と言えば日野富子の日野氏が思い浮かぶのですが、よく解らなかった…

大河ドラマ『花の乱』では滋賀に日野の里があったことにしていたけれど、ここのことではないのでしょうか?

まぁ、解らないことは置いておいて、日野は戦国武将の蒲生氏郷の故郷であります。

この蒲生氏郷の居城が日野城で、今回のメインの目的地なのです。

なぜ、そこがメインの目的地なのか?というと映画『るろうに剣心』のロケ地だったからなのです!

歴史上でも面白い城でして、「本能寺の変」のあと、安土城にいた信長の一族が一時匿われた城なのです。

そう言えば、信長正妻の濃姫は結局、どういった生涯だったんでしょうかねぇ~?結婚前後には、あれだけエピソードが書かれているのに途中から痕跡がなくなるんですからね・・・

う~ん・・・謎・・・

日野城址なんですが、ダムが造られたりして現在は城跡だったと解るものは土塁や堀だけになっているそうです。

カーナビを頼りに行って、私は神社のある空き地に無理やり車を止める形になったのですが、城址の反対側の入り口にあたるダムのある川沿いにはちゃんとした駐車場が整備されていたのでした・・・

車を降りて歩いて行くとロケ地はすぐにわかりました。

石垣自体は江戸時代のもので日野城が廃城になった後に造られたものだそうです。

現在は池にしか見えませんが堀のようです。

映画では俳優がこの汚い水に浸かっていたような気がしたのですが・・・

大変ですねぇ~!

映画で見たまんまの形です!

右側の石垣も階段になっていて上にある神社に登れるようになっています。

映画を見ているときは本当に石垣に橋が架けられているとは思えなくてセットだと思っていたのですが、装飾は無いものの本当に橋が架かっているんですね・・・

この橋が何のための橋かというと、左右の石垣のある土塁の上にそれぞれ神社が建てられていて、その神社間を行き来できるようにしているのです。

お稲荷さんのようなので、ちゃんと商売繁盛をお願いしておきました。

こちら↑は私が車を止めたのと反対側の駐車場のある側

ここまで来たついでにダムまで行ってきました。

さすがに、この規模のダムなら私でも少しの勇気で覗き込めます!ww

今回の日野城址なんですが、城マニア以外は、まぁ、普通は観光客の訪れることなんて無いと思う場所と雰囲気なのですが、何組かの人たちに出会いました。

おそらく私同様にロケ地巡りをしていた人だと思うので、かなりの人がロケ地巡りをしているのではないでしょうかねぇ・・・

 

 

 

 

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水口岡山城跡 

2014-11-28 22:05:56 | 歴史

予定にしていなかったのですが、資料館の人に勧められたこともあり、水口岡山城のあった山に登ってみることにしました。

水口岡山城は水口城とは違い、秀吉の時代に戦を目的に造られた城郭なので立派な石垣や天守もあったそうです。

残念ながら関ヶ原の戦いで西軍に与していたので、すぐに廃城となったそうなのですが、規模の大きい、しっかりした城だったように感じます。

さすがにどこが当時の道なのか?よく解らないのですが、登っていくと石垣が崩れて残っています。

今も発掘中のようで・・・

廃城のあと、石垣も崩したのか?くずれたのか・・・?

ここまで壊れていると、さぞ激しい戦いがあったんだろうと想像してしまいますが、関ヶ原の戦いで敗れた城主が自刃して、城は戦うこと無く明け渡したそうです。

重要な場所にあるだけに、また敵方に渡るのを恐れた家康が完全に潰させたのでしょうかね?

よく城跡巡りをしている私ですが、決して城マニアではございませんのであしからず・・・

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甲賀市水口歴史民俗資料館 水口神社 関西文化の日

2014-11-27 21:05:14 | 神社

水口教会を後にして『関西文化の日』二件目の資料館に向かう!

↑甲賀市水口歴史民俗資料館

市役所や市民ホールなどの公共施設が並ぶ一角に図書館と併設されています。

資料館入り口の隣の部屋には巌谷一六・小波記念室というのがありました。

巌谷一六?

誰?

ってな感じで中に入ってみても、あんまりよく解らない・・・

調べてみると巌谷一六っていう人は、まぁ、簡単に言うと政治家の「お偉いさん」で、その息子の巌谷小波っていうのが作家なのだそうである。

で、ビックリするのが、この巌谷小波っていう人が柳田邦夫のような人で、桃太郎や花咲爺などの童話を世に広めたり、あの「ふじの山」の作詞も、まさにこの人なんだそうである!

知らんかったなぁ~

それで記念室では童話が聞けるようになっているんですねぇ~

同じような時代だけど、この人の方が年上だし、柳田邦夫より評価されるべき人じゃないか?とさえ思います。

ところで資料館の方は、といえば、

ここ水口では水口神社の春祭りである水口曳山祭というのがあって、そこで使われる山車の展示がメインでした!

この日、資料館の前では水口岡山城模擬天守のバルーンが出ていまして・・・

先程、行った水口城跡は江戸時代に建てられたもので天守もないのですが、それ以前、秀吉の時代に造られた水口岡山城というのが、すぐ近くの小高い山の上にあったのです。

こちらの方は戦国期の城らしく大規模な石垣や天守もあったそうで、それの模擬天守なのだそうです。

この話↑は水口城資料館の叔母ちゃんの受け売りです・・・

歴史民俗資料館を後は、近くなので水口神社に歩いて行ってみました。

流石に立派な社殿が並んでいます。

本殿は一間社流造で、それほど古いものではなさそう…

祭りでは結構な数の曳山が出るそうで、神社の周りに曳山の倉庫が並んでいました。

まぁ、ここは祭りのときに来ないとね!

でも、人が多そうで、祭りの日に来る勇気は私にはありません・・・

 

 

 

 

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水口教会 ヴォーリズ建築

2014-11-26 21:01:19 | その他

水口城資料館でもらった地図を見ると、すぐ近くにヴォーリズの設計した教会があるらしい・・・滋賀はヴォーリズ建築が有名ですからね!

近代建築物にはあまり興味がないものの取り敢えず行ってみることにしました。

車を駐車場に置いたまま歩いて行く・・・

すぐ、これだ!と解ったのは解ったのですが、普通に歩いていたら、これが有名な建築家の作品であることになんて気が付く人はかなりの専門家!

私なんか予備知識がなければ教会であることすら気づかずに「ちょっと金持ちそうな家」ぐらいの感覚で通り過ぎるでしょう・・・

ヴォーリズと言えばシンプルな中にしゃれた装飾がされていたりするので、ここも中に入って細かく観れば印象が違うのかもしれません・・・

 

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水口城資料館 関西文化の日

2014-11-25 22:54:41 | 歴史

しなければならない事が色々とあった11月15・16日だったのですが、『関西文化の日』イベントのメインの週末とあっては、どこにも行かないのが損な気がして16日の日曜日に、なんとか時間を作って、久しぶりの探索となりました。

その週は伊勢にいたので、伊勢から大阪に帰る道で寄れる、「いい所」は無いか?と調べて選んだのは滋賀県甲賀市にある水口城資料館!

地名は知っているけれど、ほとんど行ったことが無い街・・・水口!

たしかお風呂に入ろうと銭湯を探し回ったことがあるような・・・

今回は目的地ははっきりしているのでカーナビを頼りに行ってみました。

堀に囲まれた城跡の一部が復元されて資料館になっていて大部分の敷地は近くの水口高校のグラウンドとなっているようです。

江戸時代に将軍が上洛するときの宿館として造られたということで、堀はあっても戦国時代の物々しい雰囲気は全くない・・・

資料館の内部はどこの城跡にも展示されているような甲冑などでしたが、館員の叔母さんがとても親切でお茶の接待まで受けてしまった!

ごちさま!ありがとう!

堀はかなりの部分が残されているが、一部は埋め立てられ駐車場などになっていました。

この日はサッカー部が練習をしていたようで堀にサッカーボールが何個か浮いておりました・・・

どうすんのやろ?

 

 

 

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