再び法テラスへ

2011-08-23 09:18:32 | インポート

予約した日の予約した時間に法テラスに出かけた。2009年のときと違い、今回はこちらもこうなれば致し方なしと決めて取り掛かったわけで、20数年にわたるいきさつも30分の時間内では話せるわけがないが、事の始まりの原因が重要だったわけで、弁護士さんもそれがわかると後はことを進める方向で説明してくださった。

たった50数万の借金で自己破産というのはあまりにも馬鹿げていると思うが、かかわってきた原因がマスコミや政財界ではこのままでまともな生活に戻れるとは思えないからここで一度リセットしてみるしかない。おなじ理由で杉並区側の不正受給扱いにも不服だ。ここには書けないが当方が何もわかっていなくてこの状況になったと思ったら大間違いだ。わかっていて仕方がないから黙っただけだ。いえば社会的影響が大きすぎて、どこかの宗教団体のためにならないから遠慮しておく。そちらは9月になってからの話だろう。ことわっておくが宗教自体が悪いのではないよ。悪いのは人間の心の罪深さだ。

一文無しでも破産となるとこれから数ヶ月はなかなか面倒な手続きや裁判がある。まあ、これも経験だろう。父も母もこんな状況を知らないで済んでよかったと思う。生きていたらさぞや悲しんだだろう。とにかく、これから当分ややこしいことになりそうだ。

話はガラッと変わるが、法テラスの用が済んでから映画を見に行った。ツリーオブライフだ。理解しにくい内容らしいという前評判だったが、実際に作品を見ると、これは欧米、特にアメリカなら普通ではないかと思う。ある一家の家族のはなしだ。次男の死で話が始まる。長男は弟の死でこれまでの家族との関係を振り返る。父との、母との、二人の弟との。知らず知らずのうちに母の信仰を子供のときから受け継いできた彼は、(ここが日本人とは違うのだが)いつも、心の中で神について考えている。この弟の死という出来事の意味も、自分の家族や自分の存在の意味もすべて、自分を超えた存在への問いかけになっていく。

この映画、日本人が見てぱっとわかる種類のものではないと思う。キリスト教に長年かかわっている人だったら何とかわかるのではないかと思うが、なかなかむずかしそうだ。

法テラスに行った後でこれを見たというのも何かの啓示かもしれぬ。人生のややこしい問題の背後に大いなる御者は隠れておいでなのだろう。文句を言っているより動き出さねば。