酒はカレンダーに左右されるものではない。呑みたいときが呑むときだ。桜が咲いていようがなかろうが、いつ呑むかは自分で決めさせろ。
忘年会とか暑気払いとか花見とかを理由にした酒宴が昨今特に面倒臭い。なので「ウルセー酒くらい好きなときに呑ませろ何かを言い訳にして皆団体行動に走るな」と大声で叫んでみる…勇気も無く、桜の散ったあと明後日の方向に顔をむけコッソリと言う。冒頭はそんなつぶやき。
けれども、それではあまりにも風情も潤いも艶もないことくらいは、わかっている。季節感なんてものもひとつの肴。結局集団行動が面倒なだけなのだ。
なので前言撤回。酒はカレンダーに左右されることも、ある。
酒というものは、一種の農作物であるともいえる。その年の恵みから醸された酒は、まずは神に捧げられ、収穫祭で振舞われる。これは当然、日本に限らないことだろう。オクトーバーフェストなんてのもあれば、熟成を尊ぶワインの国でさえ、ボジョレーヌーボーなんてのがある。新酒という言葉の響きには、その酒の旨さよりも、なにやら気分的に浮き立つものがある。
(日本酒の新酒といえば古米で造るもの、という話は措いて感覚的に書いている。初鰹とか新米とか、そういう気分的なものを連想する、という話)
暦と酒の関係は、相当むかしにさかのぼれるものなのだろう。旬という言葉が生きていた時代。冷蔵庫も密封容器もあり生産技術も高い今と違って、昔は季節に縛られている。酒も新酒、間酒、寒酒、春酒などという時季の造り。寒造り、寒仕込みという言葉もある。
そして、季節を寿ぐための酒。花見酒や月見酒。また正月に屠蘇。上巳に桃酒。端午に菖蒲酒。重陽に菊酒。
節句に酒を、というのは縁起物ということがあるのだろう。邪気払いか。薬草を混合した屠蘇散はもちろん、桃や菖蒲や菊にも薬効があり、それらを浸して呑む酒は一種のリキュールだったとも言えるかもしれない。この中で、今も生きているのは正月のお屠蘇くらいか。上巳(桃の節句・3月3日)の酒は白酒となり、形を変えたがまだ生きていると言えるか。だが、端午の節句の菖蒲酒、重陽節(9月9日)の菊酒はもう見なくなった。
ところで、上巳と重陽からの連想だが、よく聞く話にこういうのがある。
「酒の燗は、重陽節の宴から上巳の前日まで」
つまり、燗酒は9月9日から3月2日まで、ということ。もちろん旧暦である。旧暦はパッと計算できないので、こちらのお世話になって日付を確かめると、この記事を書いている2010年4月16日は旧暦で言うと3月3日、つまりもう燗酒の季節は昨日で終わっちゃったことになる。そんな阿呆な。さっき湯豆腐とハタハタ焼きで燗酒を一杯やったばかりだぞ。おいおいちょっとまってくれ。今日は結構、夜は冷えたぞ。
もちろん杓子定規にそんなことは考えなくてもいいのだが、季節の酒の話から始めたのにいきなりこれでは困る。「酒はカレンダーに左右されることも、ある」と前言撤回したのに、さらに再撤回では格好悪い。
誰がこんなことを決めたのか。それはよく分からないが、小泉武夫氏の著作などを見てみると、「温古目録」や「三養雑記」に「暖酒は重陽宴より初めて用うるよし」と書かれてある由。さらに調べると、「貞順故実聞書条々」に藤原冬嗣がそう語った、と書いてあるらしい。
藤原冬嗣は燗酒の元祖かもしれない、という話は以前ここでも書いたことがある。このときは冬嗣さんに「よくぞ燗酒を発明してくれてありがとう」と感謝の気持ちも持っていたのだが、あんた今日から本当は酒は冷やで呑まねばいかんのだぞ、と言われたようで実に困る。そんなのウソと言ってくれ、とばかりに原典にあたろうとしたのだが、ネットではここでしか出てこなくて、しかもこれは本当の史料そのものなので酔眼ではとても読めない(酔ってなくても教養が追いつかず無理だが)。
なので、恥ずかしながら再撤回ということにする。カレンダーもいいが、呑みたいときに呑みたい形で呑む、ということを基本姿勢としたい。冬は燗酒、夏は冷やという枠組みはちょっと不都合だ。
そもそも論で書くが、本来の燗酒の出発点とは、藤原冬嗣が冬に酒を温めてミカドに供して喜ばれたことが発祥なのだろうか。既にリンクした過去記事「燗酒の季節」に矛盾しているようだが。
民俗学者の神崎宣武氏が、「旬を外した(出来てから時間が経ち飲み頃をはずした、状態がよろしくなくなった)」酒を呑む手段として燗という方法が編み出されたのだ、と言われている(「燗酒ルネサンス」玉村豊男編より)。
冬嗣さんが酒を温めた、というのは事実であるとしても、それは風流としての酒の呑み方であって、燗酒が常態化した理由ではない、ということである。
酒というのは、前述したように農業生産物のようなもので、旬がある。そして醗酵させたものであるから、醸し供される時期を外すとうまくなくなる。うんと昔は「火入れ」という手段も一般的ではなく、ほうっておけば醗酵はどんどん進む。また後に醗酵を止める手段も講じられたが、それとて完全ではない。また、冷蔵庫のない時代は保存方法も難しい。必然的に、酒は時間が経つと悪くなっていく。
かつて酒は、ハレの飲み物だった。祭りのときに造られた。酒は神に捧げられ、そして直会(なおらい)でそのおさがりをいただく。そして造られた酒は全てその祭りで呑み切られた。そういうことから、酒は長期保存を前提としていない。
しかし世は移り、酒は嗜好品となっていく。さすれば、呑み頃を逸した酒も売られる。さらに江戸時代には、灘や伏見の酒を江戸へ運んだ。どうしてもそうなると品質が落ちてしまう。そうなったときに「燗酒」が常態化した。劣化した酒を呑む手段として。
この話には、うなづける部分も多いのである。僕が子供の頃でも「この酒は二級酒でしかもヒネているから熱めに燗してくれ」なんて台詞がよくあった。風流だけでは酒は夏に燗はしないだろう。だが、酒を造る季節から考えて、やはり夏には品質が落ちる。したがって夏でも燗酒を呑むようになる。
こういう話を聞くと、思わず冷や酒を燗酒よりも上位に据えたくなってしまう。安物の酒を呑む手段として燗酒が講じられたのであれば。
だがしかし、である。神崎氏はこのようにも言われる。「クオリティを問わない、飲み頃を特定しない日常消費の酒をもって、酒が大衆化する」と。つまり、祭りや神事、儀式の際にしか呑めなかった酒、あるいは特権階級にしか呑めなかった酒というものが、燗酒という手段を得て大衆のものになった、ということだろうか。
確かに、神事や儀式の酒には燗などない。神社ではお神酒をかわらけで呑む。当然、冷やである。三々九度だって冷たい酒を杯でいただく。また、暦法に沿った酒はみなそうだ。温かいお屠蘇なんて聞いたことがない。お屠蘇はぐい飲みで呑んだりはしない。三々九度と同様、銚子から杯に注がれる。あれは、ハレの酒だ。
こうなると、我々庶民に「ケの酒」をもたらした燗という手段に、やはり一票投じたくなる。燗酒あればこそ、我々は酒を「呑みたいときに呑む」ことができるようになったのだ。
「酒の燗は、重陽節の宴から上巳の前日まで」なんて話は貴族の話。冬嗣さんなんてのは左大臣にまでのぼりつめた人であり、藤原北家隆盛のもとを作った人。そんな超上流階級の人の話を考慮に入れる必要もない。庶民の僕は、安心してまた燗酒を呑む。まだ冷えるもんね。
忘年会とか暑気払いとか花見とかを理由にした酒宴が昨今特に面倒臭い。なので「ウルセー酒くらい好きなときに呑ませろ何かを言い訳にして皆団体行動に走るな」と大声で叫んでみる…勇気も無く、桜の散ったあと明後日の方向に顔をむけコッソリと言う。冒頭はそんなつぶやき。
けれども、それではあまりにも風情も潤いも艶もないことくらいは、わかっている。季節感なんてものもひとつの肴。結局集団行動が面倒なだけなのだ。
なので前言撤回。酒はカレンダーに左右されることも、ある。
酒というものは、一種の農作物であるともいえる。その年の恵みから醸された酒は、まずは神に捧げられ、収穫祭で振舞われる。これは当然、日本に限らないことだろう。オクトーバーフェストなんてのもあれば、熟成を尊ぶワインの国でさえ、ボジョレーヌーボーなんてのがある。新酒という言葉の響きには、その酒の旨さよりも、なにやら気分的に浮き立つものがある。
(日本酒の新酒といえば古米で造るもの、という話は措いて感覚的に書いている。初鰹とか新米とか、そういう気分的なものを連想する、という話)
暦と酒の関係は、相当むかしにさかのぼれるものなのだろう。旬という言葉が生きていた時代。冷蔵庫も密封容器もあり生産技術も高い今と違って、昔は季節に縛られている。酒も新酒、間酒、寒酒、春酒などという時季の造り。寒造り、寒仕込みという言葉もある。
そして、季節を寿ぐための酒。花見酒や月見酒。また正月に屠蘇。上巳に桃酒。端午に菖蒲酒。重陽に菊酒。
節句に酒を、というのは縁起物ということがあるのだろう。邪気払いか。薬草を混合した屠蘇散はもちろん、桃や菖蒲や菊にも薬効があり、それらを浸して呑む酒は一種のリキュールだったとも言えるかもしれない。この中で、今も生きているのは正月のお屠蘇くらいか。上巳(桃の節句・3月3日)の酒は白酒となり、形を変えたがまだ生きていると言えるか。だが、端午の節句の菖蒲酒、重陽節(9月9日)の菊酒はもう見なくなった。
ところで、上巳と重陽からの連想だが、よく聞く話にこういうのがある。
「酒の燗は、重陽節の宴から上巳の前日まで」
つまり、燗酒は9月9日から3月2日まで、ということ。もちろん旧暦である。旧暦はパッと計算できないので、こちらのお世話になって日付を確かめると、この記事を書いている2010年4月16日は旧暦で言うと3月3日、つまりもう燗酒の季節は昨日で終わっちゃったことになる。そんな阿呆な。さっき湯豆腐とハタハタ焼きで燗酒を一杯やったばかりだぞ。おいおいちょっとまってくれ。今日は結構、夜は冷えたぞ。
もちろん杓子定規にそんなことは考えなくてもいいのだが、季節の酒の話から始めたのにいきなりこれでは困る。「酒はカレンダーに左右されることも、ある」と前言撤回したのに、さらに再撤回では格好悪い。
誰がこんなことを決めたのか。それはよく分からないが、小泉武夫氏の著作などを見てみると、「温古目録」や「三養雑記」に「暖酒は重陽宴より初めて用うるよし」と書かれてある由。さらに調べると、「貞順故実聞書条々」に藤原冬嗣がそう語った、と書いてあるらしい。
藤原冬嗣は燗酒の元祖かもしれない、という話は以前ここでも書いたことがある。このときは冬嗣さんに「よくぞ燗酒を発明してくれてありがとう」と感謝の気持ちも持っていたのだが、あんた今日から本当は酒は冷やで呑まねばいかんのだぞ、と言われたようで実に困る。そんなのウソと言ってくれ、とばかりに原典にあたろうとしたのだが、ネットではここでしか出てこなくて、しかもこれは本当の史料そのものなので酔眼ではとても読めない(酔ってなくても教養が追いつかず無理だが)。
なので、恥ずかしながら再撤回ということにする。カレンダーもいいが、呑みたいときに呑みたい形で呑む、ということを基本姿勢としたい。冬は燗酒、夏は冷やという枠組みはちょっと不都合だ。
そもそも論で書くが、本来の燗酒の出発点とは、藤原冬嗣が冬に酒を温めてミカドに供して喜ばれたことが発祥なのだろうか。既にリンクした過去記事「燗酒の季節」に矛盾しているようだが。
民俗学者の神崎宣武氏が、「旬を外した(出来てから時間が経ち飲み頃をはずした、状態がよろしくなくなった)」酒を呑む手段として燗という方法が編み出されたのだ、と言われている(「燗酒ルネサンス」玉村豊男編より)。
冬嗣さんが酒を温めた、というのは事実であるとしても、それは風流としての酒の呑み方であって、燗酒が常態化した理由ではない、ということである。
酒というのは、前述したように農業生産物のようなもので、旬がある。そして醗酵させたものであるから、醸し供される時期を外すとうまくなくなる。うんと昔は「火入れ」という手段も一般的ではなく、ほうっておけば醗酵はどんどん進む。また後に醗酵を止める手段も講じられたが、それとて完全ではない。また、冷蔵庫のない時代は保存方法も難しい。必然的に、酒は時間が経つと悪くなっていく。
かつて酒は、ハレの飲み物だった。祭りのときに造られた。酒は神に捧げられ、そして直会(なおらい)でそのおさがりをいただく。そして造られた酒は全てその祭りで呑み切られた。そういうことから、酒は長期保存を前提としていない。
しかし世は移り、酒は嗜好品となっていく。さすれば、呑み頃を逸した酒も売られる。さらに江戸時代には、灘や伏見の酒を江戸へ運んだ。どうしてもそうなると品質が落ちてしまう。そうなったときに「燗酒」が常態化した。劣化した酒を呑む手段として。
この話には、うなづける部分も多いのである。僕が子供の頃でも「この酒は二級酒でしかもヒネているから熱めに燗してくれ」なんて台詞がよくあった。風流だけでは酒は夏に燗はしないだろう。だが、酒を造る季節から考えて、やはり夏には品質が落ちる。したがって夏でも燗酒を呑むようになる。
こういう話を聞くと、思わず冷や酒を燗酒よりも上位に据えたくなってしまう。安物の酒を呑む手段として燗酒が講じられたのであれば。
だがしかし、である。神崎氏はこのようにも言われる。「クオリティを問わない、飲み頃を特定しない日常消費の酒をもって、酒が大衆化する」と。つまり、祭りや神事、儀式の際にしか呑めなかった酒、あるいは特権階級にしか呑めなかった酒というものが、燗酒という手段を得て大衆のものになった、ということだろうか。
確かに、神事や儀式の酒には燗などない。神社ではお神酒をかわらけで呑む。当然、冷やである。三々九度だって冷たい酒を杯でいただく。また、暦法に沿った酒はみなそうだ。温かいお屠蘇なんて聞いたことがない。お屠蘇はぐい飲みで呑んだりはしない。三々九度と同様、銚子から杯に注がれる。あれは、ハレの酒だ。
こうなると、我々庶民に「ケの酒」をもたらした燗という手段に、やはり一票投じたくなる。燗酒あればこそ、我々は酒を「呑みたいときに呑む」ことができるようになったのだ。
「酒の燗は、重陽節の宴から上巳の前日まで」なんて話は貴族の話。冬嗣さんなんてのは左大臣にまでのぼりつめた人であり、藤原北家隆盛のもとを作った人。そんな超上流階級の人の話を考慮に入れる必要もない。庶民の僕は、安心してまた燗酒を呑む。まだ冷えるもんね。
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