アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「純粋ハチミツ」ならぁわかるが…

2021年06月04日 | Weblog
 自分の中では「死語」でしたねえ。何という言葉かって?「純粋」なんですがね。今も日本語として存在しているみたいで…世の中に、「純粋」ってあるのでしょうか?
 なぬ?「不純なのは、アンティークマンぐらいなもので、ほかは皆純粋だ」って?そ、そ、そうですかねえ?

 佐伯祐三の続きなのですがね。祐三については、書くことが多いのです。but,今回でしばらくはやめときますがね。ほとんどの人が飽きちゃう。
 祐三が渡仏したときすでに、シュールレアリズム、キュビズム、素朴派などがありました。影響を受けないはずはありません。日本の風景を描いたものは、私(アンティークマン)の目から見まして、「印象深いものがない」(何しろ、私の目って節穴ですので…私でも、謙遜を知っているのです!)。
 ただ一枚、カンバスのほぼ中央に立木が配され、絵が真っ二つにわれている風景画がありました。私は、立木でも電柱でも、中央付近で画面を分割してしまう構図には賛同できません。なぬ?「それが素人の浅ましさだ」って?あ、「浅はかさ」と言ってほしかったですねぇ。
 少なくても自分で描く風景は、絶対にそのようには(中央分割の構図)しません。しかし、祐三はもちろん意図的に、風景を割ってしまうのです。これって、凄いと思いませんか?私は、初めて見たとき、「まさか!」と、驚きましたよ。

 パリおよび郊外の風景画は、ユトリロに酷似しています。見た瞬間、「ユトリロの模写か?」とさえ思いました。モチーフとして「文字」が登場する風景が多いです。街角のポスター、看板など。自分のサインを絵の中の文字に同化させたりという、「茶目っ気」なのか「芸術」なのか?…文字を造形要素に取り入れている。これは祐三の特徴といえましょう。
 再渡仏する前の祐三の言葉として残されているのは、「日本の風景は、ボクの絵にならん」です。それは、私も賛成。

 自画像をはじめとする人物画ですが、目元が暗い。中には、わざとに擦ってぼかしてしまったものも。目がはっきりと描かれた人物画は、死ぬ直前、郵便配達夫にモデルになってもらって描いたものと、同じ頃ロシア人の少女を描いたものだけ。

 祐三は、6年間の画家生活で、およそ550点の作品を描きました。
 どうして比類なきスピードで次々と作品を仕上げていったのか?なぜ、そのように急がなければならなかったのか?
 再渡仏する前に、「肺結核」の兆候が出ていました。そんな中での寸暇を惜しんでの制作活動。二度目のパリ在住8か月で、結核が悪化。さらに、精神不安定に。自殺未遂のあと、精神病院へ。精神病院で、祐三は「一切の食事を拒んだ」。もう結末は見えていた。衰弱による…死。
 祐三の筆の速さは、寿命を、「30歳」と、知っていたからかも。

 祐三の絵、「どれか一点あげるよ」と言われたら、ミーハーなもので有名な、「郵便配達夫」にするでしょう。祐三は、「黄色いレストラン」と「扉」の2作品だけは自信があると言っていたそうです。「黄色いレストラン」は焼失してしまっています。
 郵便配達夫は、制服を着て椅子に座っているのですが、左に、微妙に傾いているのです。目は前述の通り、「カッ!」と見開いています。傾いている身体を右足が、ガッチリと支えています。この作品こそ、佐伯祐三の30年という短い人生を象徴したものではないかと思います。

 祐三は、自分の絵についてしばしば友人に問いかけ、芸術家としての自分自身を律していた…何と問いかけていたか…。
 「この絵は純粋か?」