無会派 大竹功一の独り言

福島第一原発から約80キロの白河市在住。市議会議員7期目。
老病傷保護犬猫たちと暮らしています。

芥川龍之介の名作「杜子春」

2015年04月11日 04時58分36秒 | 日記
おはようございます。昨日は、89人の方々にアクセスをいただきました。有難うございました。

昨日より春雨が続いております。花見日和とはならず、残念な気も致します。

さて、私の好きな本の中に、芥川龍之介氏の「杜子春」があります。

この物語のあらすじは、

「昔、中国の唐王朝の都、洛陽の城郭の西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。彼は金持ちの息子だったが、親の遺産で遊び暮らして散財し、今は乞食同然になっていた。

 そんな彼を哀れんだ不思議な老人が、「この場所を掘る様に」と杜子春に言い含める。その場所からは荷車一輌分の黄金が掘り出され、たちまち杜子春は大富豪になる。しかし財産を浪費するうちに、3年後には一文無しになってしまうが、杜子春はまた西門の下で老人に出会っては黄金を掘り出し、再び大金持ちになっても遊び暮らして蕩尽する。

 3度目、西門の下に来た杜子春の心境には変化があった。金持ちの自分は周囲からちやほやされるが、一文無しになれば手を返したように冷たくあしらわれる。人間というものに愛想を尽かした杜子春は老人が仙人であることを見破り、仙術を教えてほしいと懇願する。そこで老人は自分が鉄冠子という仙人であることを明かし、自分の住むという峨眉山へ連れて行く。

 峨眉山の頂上に一人残された杜子春は試練を受ける。鉄冠子が帰ってくるまで、何があっても口をきいてはならないのというのだ。虎や大蛇に襲われても、彼の姿を怪しんだ神に突き殺されても、地獄に落ちて責め苦を加えられても、杜子春は一言も言わない。怒った閻魔大王は、畜生道に落ちた杜子春の両親を連れて来させると、彼の前で鬼たちにめった打ちにさせる。無言を貫いていた杜子春だったが、苦しみながらも杜子春を思う母親の心を知り、耐え切れず「お母さん!」と一声、叫んでしまった。

 叫ぶと同時に杜子春は現実に戻される。洛陽の門の下、春の日暮れ、すべては仙人が見せていた幻だった。これからは人間らしい暮らしをすると言う杜子春に、仙人は泰山の麓にある一軒の家と畑を与えて去っていった。」
(ウィキペディアのあらすじを多少修正しました)

という物語です。

富や名声や権力がある時には、何もしなくとも人は近寄ってきます。しかし、それを失った途端に、多くの人が去っていきます。政治に関しても同様です。巨大政党に所属している時には、砂糖菓子に蟻が群がるように人が集まってきますが、それを離れた途端に、殆どの人は去っていきます。そんな場面を何度も見てきました。太古の昔より、人間の本性は変わらないということだと思います。


そして私は、この物語のように貧富の差や権力等の有無によって人を差別するような生き方をしないようにしたいと改めて感じました。



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