日々 是 変化ナリ ~ DAYS OF STRUGGLE ~
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サッカーファンの一人として、日本経済新聞の終面に掲載されている、サッカー協会の川淵会長の『私の履歴書』を毎日楽しみにしている。
今日の記事を読むと、もうそろそろ収束しつつある(つまり「終」が近い)ようなので、今回の約30回の中で最も面白かった裏話について書いておきたい。
それは、タイトルにもあるヨハンソン激昂事件。


第19回で、大きく揺れ動いた「2002年ワールドカップ招致活動」についてふれているが、その中で「これだけは聞いたことない」裏話。


アベランジェの権力減とヨーロッパの台頭により、日本と韓国の共催に落ち着いた2002年ワールドカップ。

その後スイス チューリッヒで開催された共催決定後の初の第一回委員会で、韓国の代表(あえて?名前はふす)が共催に持ち込んだ政治力を活用し、大会名について「コリア・ジャパン」という表記を「そうでないと国に帰れない」と啖呵を切って獲得した話はそうとう有名である。
そして彼は国に帰ってヒーロー?になった・・・・・・

ところが川渕氏の記述によると、話がぜんぜん違う。
FIFA副会長ヨハンソンは、「そうでないと国に帰れない」の猛抗議に激昂!!
「私を脅かすのか」

大人な日本はこれをみて、「英語表記はコリア・ジャパンで良い」と譲ったとのこと(エライ)ただ前提は、日本語表記はジャパン・コリア。

その直後、発表まで伏せるはずが韓国では大騒ぎ。
「名称を勝ち取った!!」

それを知り、「FIFAも日本も口があんぐり」

さすが韓国、「パリパリ」の国。
意味は、すぐにどんどんやれ、ということだそう(と聞いたことがある)

こんな面白い話、もっと早く知りたかったと心底思う!


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