9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について <マネーを生み出す怪物 連邦準備制度という壮大な詐欺システム> G・エドワード・グリフィン著 その5

2017年07月02日 | 日記
とあるスナックで

小林
この本のP-178にこう書いてありますね。

マネーとは交換手段として受け入れられるものだ。そして、以下のように分類されるだろう。

1:商品貨幣

2:預り証貨幣

3:強権(不換)貨幣

4:部分準備貨幣

この四つの違いさえわかれば連邦準備制度全体を理解できるし、経済や国家にとってどんな価値を持っているかも判断できる。ではもうすこし詳しく見ていこう。ーーーー。

そして P-209には

次に四番目のかたちのマネーに目をむけてみよう。部分準備貨幣という非常に興味深い概念である。この概念を理解するためには、もう一度欧州に戻って、料金を取ってお客の貴金属硬貨を預かっていた昔の金細工師の慣習について考えてみなければならない。

硬貨を預かっていた金細工師のほかに、硬貨を貸し出す「金貸し」という商売人がいた。金細工師は自分たちも同じ商売を、ただし他人のマネーを使ってできると思いつく。預かった硬貨を金庫で眠らせておくのはもったいない、というわけだ。貸し出して利潤を生ませ、それを預けた客と分け合えばいいではないか。ほこりをかぶっている硬貨を働かせよう。金細工師は経験から、預けた客がいっぺんに返せと要求してくることはほとんどないと知っていた。預かった硬貨が引き出される率はせいぜいで10パーセントから15パーセント、それを超えることはめったにない。そこで80パーセントから85パーセントぐらいまでは貸し出しても危険はないと思われた。こうして預かり業者が顧客の代行として金貸しの仲介を始め、いまのわたしたちが知っている銀行の考え方が生まれた。
と、たいていの歴史の本には書いてあるが、じつはこれには遊んでいる金を働かせるというだけではすまないことがからんでいる。まず金利収入を預金者と分かち合うというのは、当初はなかった考え方だった。このやり方が一般的になったのは、何年もたって、預金者が腹を立て、貸し出しが自分たちの利益になると確認したがってからだ。はじめは自分たちの硬貨が貸し出しされていることすら知らなかったのだ。預金者は無邪気にも金細工師は自分のマネーを貸していると考えていた。

預金は貸し出せない

第二に、預金者が利潤の一部を受け取るかどうかにかかわらず、そもそも金庫のなかの硬貨を貸し出していいのか、ということを考える必要がある。チャーリー・スミスの家でポーカーをすると考えよう。参加者は銀行役のチャーリーに20ドルずつ預け、チャーリーはマネーを箱に入れて、代わりにポーカーのチップを20枚ずつ配る。誰かが引き上げるときには、そのとき持っているチップを換金できるというのが互の了解事項である。そこへチャーリーの義弟のラリーが現れる。ポーカーをしに来たのではなく、マネーを借りに来たのだ。ポーカーの参加者が六人で箱のなかに120ドルあり、これがちょうどラリーが必要とする額だった。さてチャーリーがこの「遊んでいる」マネーを貸そうと決めたらどうなるか。そのマネーは貸せるマネーではない。

チャーリーもゲームの参加者も、そのマネーを貸してやる権利はない。マネーはチャーリーと客の契約が終了するまで、いわば「預託」されたものだからである。そのマネーはもうマネーとして存在していない。マネーは・・・少なくとも考え方のうえでは・・・ポーカー・チップに代わったのだ。誰かがラリーの話に同情してマネーを貸してやろうと考えるなら、自分が持っているマネーを貸すか、チップを換金して貸さなければいけない。もちろん、チップを換金すればゲームは続けられない。預けたマネーを使ったり貸したり誰かにやってしまったりして、しかもチップに価値があると主張することはできないのだ。

あなたがある組織のメンバーで、年次総会で友人に投票を委任したとすれば、そのあとに自分が総会に出て委任した票に加えてさらに一票を投じることはできない。同じく銀行業が生まれたころには、マネーとして流通した証書は事実上、硬貨の委任票だった。だから預けられた硬貨は貸し出せない。マネーとしての価値は証書のほうに移っている。証書の持ち主が硬貨を貸したいと考えたら、まず証書を返さなければいけない。証書たる紙幣を使い、同時に硬貨をマネーとして貸していいと銀行に許可することはできないのだ。硬貨を使ったり貸したり誰かにやってしまったりして、しかも証書にマネーとしての価値があると主張することはできないのである。

ここまでは常識の範囲だ。だが誠実なビジネスの契約という点では、ほかにも問題がある。銀行が硬貨を貸し出しのベースとして使えば、預金者が預金を引き出しに来たとき、その契約上の義務に応じる硬貨は金庫に残っていない。言い換えれば、ある種の状況では契約は履行されないことを知っていて、契約を結んだことになる。だが、銀行はそのことを説明しなかった。市民は、遊んでいるマネーを働かすことに同意すれば、経済の活性化に役立ち、少々の利潤も稼げると信じ込まされた。これは魅力的な提案だったから、この仕組みは燎原の火のように広がった。


コー
ここまでの話は、天野統康の本(詐欺 経済学原論 P-68)の中に出てくる、詐欺の第一段階の話だな。つぎは第二段階の話か。


小林
そうですね。 P-212

部分準備制度銀行

借り手はもちろん融資をうけるときに、かさばる硬貨よりも紙幣のほうが便利だと考える。そこでふつうは硬貨は安全のために金庫に戻して、その預り証を受け取る。前にも見たとおり、この預り証は商売でマネーとして通用する。この時点で、ことはさらに複雑になる。元の預金者は銀行にある硬貨全額の預り証を受け取っている。銀行は今度はその預り金の85パーセント分の預り証を発行し、借り手はそれを受け取る。これは元の預り証のほかにさらに発行された預り証だ。硬貨に比べて85パーセント多い。こうして銀行は85パーセントのマネーを創出し、借り手を通じて流通させる。言い換えれば、インチキな預り証を発行することでマネーサプライを人為的に拡大させたわけだ。ここで預り証は100パーセントの金の裏づけを失う。100の金に対して185の預り証が発行されているから、54パーセントの裏づけしかない。だが何も知らない一般市民は追加の預り証にも古い預り証と同じ価値があると考えて受け取る。預り証には金の裏づけがあるが、しかし裏づけがあるのは額面の一部だけである。こうして預り証は私たちが「部分準備貨幣」とよぶものになり、これが生み出される仕組みを「部分準備制度」銀行と呼ぶ。

残念ながら、この欠陥は説明されたことがなかった。銀行は一般市民に聞こえるところでこの現実について議論するのはよくないと決めた。これらの事実は専門家だけの秘密になった。預金者は、銀行が自分たちのマネーを貸し出してしまい、しかも引き出したいと言ったら返してくれるのはいったいどういう仕組みなのか、という疑問をもたないほうがいいとされた。代わりに銀行は重々しい雰囲気を漂わせ、いかにも安定していて、説明責任も充分であるように見せかけ、厳格とは言えないまでも真面目に行動しているふりをし、政府の建物か寺院のような壮麗な建物をつくった。どれもみな、要求があれば契約どおり返金できますという間違ったイメージを支えるためである。・・・・


コー
銀行で働いている一般の銀行員はこの仕組みを知らないし、直接は関係ないんだろうけど、アメリカの「連邦準備制度」をつくった連中はこの事を百も承知なわけだ。この仕組みは彼らにすればまだまだ序の口の秘密だったんだな、この本を読んでいくとだんだんと分かってくるし、ミステリー小説を読んでいくような感じだな。

でも、現実の本当の姿が見えてくると、愕然とするねまったく。
コメント
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