かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

「コロナ時代の哲学」を考える① 哲学者Aが導くもの

2020-10-11 02:16:14 | 気まぐれな日々
 いまだ鎮まりそうもない新型コロナウイルスに対する、やるせなさが纏わりついたような気持ちを抱いたまま、いつしか月日が過ぎていく。
 季節も、コロナを耳にした今年(2020年)が始まった1月から、予期せぬパンデミック到来への疑惑と不安の冬を経て、余儀なくされた初の緊急事態宣言の春が過ぎ、自粛を甘受した夏が去って、それでも事態は一向に変わらないと感じながら、金木犀が匂いたつ秋になってしまった。
 時は無情に淡々と過ぎていくようでいて、先の9月には7年8か月続いた安倍政権に替わって新しく菅政権が誕生したように、世の中は動いてはいるのだ。

 この年、コロナ禍のもと世界は大きく変わった。長年生きてきて、こんな体験は初めてのことだ。
 都市封鎖のロックダウンに見た戒厳令下のような閑散とした街角に象徴されるように、人の混雑や密集が見られなくなったことや、会社や学校に行かないリモート・テレワークやオンライン授業、外出にマスクが欠かせなくなったことや、隣の人とある程度の物理的距離をとる必要が生じたこと等々、今まで普通にあって見られた多くのことがなくなり消えて、代わりに新しい情景や習慣が生まれた。
 変わったのは外見や行動がもたらす風景だけではない。最も大きいのは、人の気持ち、心にあり方だろう。気軽に友人に会ったり、普通に食事や飲みにいったり、気晴らしに旅に出る、といった、今まで何ら問題も抵抗も持たなかった行動を控える、もしくはできなくなっている。
 誰かと会う、会話をする、触れ合うといった人本来の社会行動に抑制がかかっているのだ。つまり、人との接触に、目に見えないバリア(障害)が生まれている。
 外に流れる空気さえも実際は変わっていないはずなのに、去年までと違って感じられるのだ。今まで経験・体感したことのない感情だ。

 *大澤真幸、國分功一郎と考える、哲学者アガンベン論争

 この新型コロナウイルス下の情勢に関してポストコロナを含めて、「サピエンス全史」の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリや「欲望の時代の哲学」の哲学者マルクス・ガブリエルなど、多くの学者や専門家が発言している。
 日本人では、私が今最も関心をもっている社会学者の大澤真幸と哲学者の國分功一郎が、対談形式の本「コロナ時代の哲学」(左右社)を出版したので、開いてみた。

 大澤真幸は、新しい生活様式とその後にやってくる監視国家、監視資本主義はディストピア(反理想郷)だが、コロナ禍は「世界共和国」への第一歩になりうるという希望的提案も唱えている。
 大澤真幸と國分功一郎との対談は、國分がとりあげた現代を代表するイタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベン論争が中心である。

 イタリアでは、早い段階から新型コロナウイルスが拡散し多大な被害者が出た。そのとき政府のとったいち早い緊急事態宣言や対応に対して、アガンベンは2月26日、「根拠薄弱な緊急事態によって引き起こされた例外状態」という短い論考を寄稿する。
 その概要は、現在コロナ禍のもとで、自由の制限、莫大な権利侵害が行われている。かつては権利侵害の口実として使われていたテロリズムが利用できなくなった今、権利侵害の口実として「伝染病の発明」が行われたのだ、といった論旨である。
 このアガンベンの発言に対し、すぐさま多くの反論や非難が噴出した。

 世界中に拡散したコロナウイルスに対して、各国の緊急事態宣言や都市のロックダウンはやむを得ない対策だ、と思った。一般人も知識人も多くの人が同じ思いだろう、と思われた。
 アガンベンは、批判された第一稿の後、3、4月と、補足説明と称する論考を発表する。より論点を集約し、「死者の権利」と「移動の自由」を問題だとした。
 今、死者たちが葬式もされないまま埋葬されていて、教会もそのことに何も言わない。生存だけを価値として認める社会とは何なのだろう。
 また、数ある自由のなかでも移動の自由の重要性を説いてきた彼は、過去にもあった伝染病のときや戦争中ですら行われなかった今回の移動の制限を問題だとした。

 死者の権利を守るべき、移動の自由を奪われてはならない、というアガンベンの主張に、國分は反応する。
 私はこのアガンベン論考に対する炎上論争なるものを知らなかったが、非難にさらされたアガンベンに、待てよ、彼が言おうとしていることは人間であることの本質に触れているのでは、と見直している哲学者によって、日本でも行われた(終わったことではない)今日の新しい問題点を気づかされたのだった。

 京都大学前総長の霊長類学者、山極寿一も、「仕事力」(朝日新聞)で、次のように述べている。
 コロナの影響で最も大変なことは、人間が生きる上での、社会を作る上での三つの自由が奪われたことだと思います。それは、移動する自由、集まる自由、対話する自由です。

 また、大澤と國分は、今回のコロナ禍での緊急事態宣言における現象について次のように語っている。
 多くのリベラルや左派は、テロを口実に緊急事態宣言して人権まで侵害することには批判的だった。しかし、今回、緊急事態宣言を要求していたのはリベラルや左派で、右派的な保守的権力層の方が、早く緊急事態を解除して日常に戻りたがっている。
 一般的な右と左の立場が反転している現象だが、かといって、ウイルスとテロリストを同列に扱うことはできない。
 このことに國分は、どこかに悪人がいるわけではない。むしろ、我々が今、進んで民主主義を捨てようとしていることへの警鐘と捉えるべきかと思う、と述べている。
 このことは、複雑で深い問題だ。
 人が人と接触することを怖れる感情、生存が最重要だとする感覚、迫りくる近監視社会……今までにはない世界が生まれつつある。

 *

 マルクス・ガブリエルは言う。
 このパンデミックは歴史的瞬間です。
 私たちは革命期にいると思います。
 ……
 このパンデミックの問題は、科学だけでも、政治だけでも解決できない。
 精神のワクチン=哲学が必要…?
 パンデミックは、私たちを認識の眠りから呼び起こした。

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