かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

旅する力

2009-07-30 12:52:36 | □ 本「かりそめの旅」
 旅に憧れたのはいつからであろうか?
 いや、振り返るに、旅に憧れたのではなく、思春期の頃は「さすらい」という言葉に憧れたようだ。西行や芭蕉の「片雲の風に誘われて、漂白(さすらい)の思ひやまず」といった言葉に酔っていたのだと思う。
 トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」には、ホリー・ゴライトリーという女性が出てくる。彼女は、アパートの非常階段に座り、時々ギターを弾きながら、こんな歌を歌うのであった。
  眠りたくもなし、
  死にたくもない、
  ただ旅したいだけ、
  大空の牧場通って。
 彼女は猫を飼っていたが、猫には名前がなかった。彼女が所有(束縛)することを欲しなかったのだ。彼女も猫も自由な関係でいたいという表れだった。
 彼女は、「今日は1マイル出かけて戻ってくる。明日は2マイル行って戻ってくるというように、毎日少しずつ遠くへ足をのばすようになり、とうとうある日、行ったきり、戻ってこなかった」という女性だった。
 彼女の名刺には、「ミス・ホリデイ・ゴライトリー」とあり、その下の隅っこに、「トラヴェリング」(旅行中)と記してあった。
 住所は旅行中、つまり流離い人。こんな女は、とらえどころがなく魅惑的だ
 映画ではオードリー・ヘプバーンが演じコケティッシュで可愛い女になっていて、原作とはイメージが少し違ったし、結末も違った。
 この映画でティファニーのブランド名も全世界に広がったし、ヘプバーンの服をデザインしたジバンシーも人気のオートクチュールとなった。

 *

 「旅する力」(2008年刊)は、沢木耕太郎の、20代の時に旅した「深夜特急」執筆に纏わるエピソードと、彼の旅への考え方を綴ったものだ。
 彼が香港からパリ、ロンドンへ「深夜特急」の旅をしたときと、僕が20代で初めてパリへ行った時が、1974年で同じ年だったことに気づいて驚いた。「深夜特急1」の文庫本の巻末で沢木と山口文憲が対談しているが、それによると山口もその年パリにいた。
 沢木の「旅する力」の本を開くと、その中で、この「ティファニーで朝食を」が出てきた。さらに、影響を受けた本に、小田実の「何でも見てやろう」の他に、壇一雄の「風浪の旅」をあげていた。
 僕は、またまた驚いた。アメリカに興味がなかったので小田のベストセラーになった「何でも見てやろう」は読んでいないが、僕も、若いときに買って読んだこの「風浪の旅」が、僕の愛する書の一つだったからだ。
 この本には、壇が住んだポルトガルのことや、のちに「火宅の人」の中にエピソードとして綴られた五島列島の「小値賀島の女」のことが書かれていて、僕は田舎の九州に帰省していたとき、時折思い出したように本棚から取り出しては拾い読みした。そして、心躍らした。

 *

 僕は、1996年に、スペインからポルトガルを1か月かけて旅した。そのとき、壇一雄が住んだポルトガルのサンタ・クルス村に、思いつきで行った。 
 「ナザレに来たとき、地図を見て思った。海に沿って南に行けば、サンタ・クルスだ。この村は、わが愛する壇一雄が一時期住んでいたところだ。
 ナザレからバスでトレス・ペドラスへ出て、そこで乗り換えて海辺の街サンタ・クルスへ向かった。
 そこにも季節はずれの海があった。バス停から海の方へ歩いて街の中心に着くと、いきなり壇一雄の石碑にぶつかった。その先には、青いきれいな海が広がっていた。(写真)
   落日を 拾ひに行かむ 海の果(はて)
 ……壇が通った居酒屋に行ってみた。さほどきれいとは思えない、どちらかと言えばみすぼらしい店だ。私が扉をノックし店の中を覗くと、男がのっそりと顔を出した。店の主人ジョアキンだった。
 彼は、中に入ってきただけで私が日本人と分かり、挨拶もそこそこに奥から壇の本と写真を持ってきてテーブルに並べた……」
 ――近刊『かりそめの旅』(岡戸一夫著、グリーン・プレス刊)「10章、黄昏の輝き、スペイン、ポルトガル」より。

 PR:ただいま発売中『かりそめの旅』は、新宿紀伊國屋書店7F、多摩センターカリヨン館5F・くまざわ書店には、平積みしてあります。

 *

 現在、『かりそめの旅』は、版元品切れです(2013年11月)。
 本に関する関するお問い合わせ等は、岡戸一夫へ……
 ocadeau01@nifty.com
 
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◇ 女ともだち

2009-07-27 16:48:57 | 映画:外国映画
 「女ともだち」とは、不思議な響きがある。
 女同士の友だち、特に三人以上の複数のグループの女ともだち。そこには、男にとっては微妙な想像をふくらませるものがある。
 思春期の女ともだちは、美しい若さと儚い友情の陰に、嫉妬や性や、そのほか男が想像できない感情が揺らめいているように思える。
 女ともだちの中には、同じ男を好きになっていたり、女ともだちに友情を超えた恋に似た感情を持っていたり、友だちというグループにいながら孤独を抱いている子もいるだろう。
 女と女の間には、男の間とは違った湿度があるように思えてならない。だから、女ともだち、女の姉妹の物語はよく小説や映画で描かれた。「女ともだち」の中には、おそらく男が想像できない秘密の花園があるように思えるのだ。例えば、日本映画では、「櫻の園」(中原俊監督、1990年)の、危うい女子高生の揺らめきのように。
 もちろん、「女ともだち」の存在は、思春期だけの特権ではない。大人の女ともだちだって、思春期の持つ想像性を掻きたてるものを損なってはいない。

 *

 ミケランジェロ・アントニオーニの映画「女ともだち」(1955年イタリア)は、イタリアのトリノが舞台の女ともだちの話だ。男と女の輪舞(ロンド)とも違う、もっと複雑で湿り気のある男と女の情愛が絡む。
 出演は、エレオノラ・ロッシ・ドラゴ、イボンヌ・フルノー、マドレーヌ・フィッシャー他。
 女ともだちというより、偶然知りあった年齢も職業も違う数人の女たち中で繰り広げられる物語。
 その中の一人の女が自殺未遂をする。そのことをめぐって、女性たちはかしましい。その原因は、当然男との関係である。
 それは、一人の女のエピソードに過ぎず、「女ともだち」の各々も、各々の恋物語を進展させている。仕事か恋かを考える女、妻ある男を恋した女、遊び心で男に近づく女。女たちの周りには、いつもというか、いつしか男がいる。
 女ともだちが、乾いた冬の海辺に出向くシーンがある。何人かの男もついてくる。みんな、それぞれの思いを抱いて海を見て、そして海と戯れる。
 その穏やかそうなシーンの裏では、ある恋が生まれ、ある恋が消えている。友だち同士が知っているようで知らない物語が、いつしか進んでいるのだった。
 「女ともだち」で浮かび上がってくるのは、友だち関係が脆くも儚いというのではない。人間は、結局ひとりぼっちであると感じさせるのだ。

 M・アントニオーニは、60年代、当時の欲望と倦怠を描いたイタリアの監督第一人者だった。この「女ともだち」は、かつて日本のATG(アート・シアター・ギルド)で公開され、最近BSで放映された。
 この映画のあと、「さすらい」、「情事」、「夜」、「太陽はひとりぼっち」と、話題作を連発する。そして、愛の不毛を描いたとして物議を醸し、ヴェネチア映画祭大賞も取った難解な映画「赤い砂漠」(モニカ・ヴィッティ主演、1964年)を発表する。
 その後も、M・アントニオーニは、「甘い生活」「81/2」などのフェデリコ・フェリーニと共に現代イタリア映画を牽引した。

 *

 この「女ともだち」という言葉を耳にすると、いつもあのときの情景が浮かぶ。
 1974年、20代の時パリに旅した。初めての海外への旅だった。そこで、知り合いのパリジェンヌに連れられて、彼女の友人の別荘であるノルマンディーの田舎に行くことになった。その別荘には、女性、つまり女ともだちを中心として10人ぐらいの若者が集まった。
 みんなでノルマンディーの海へ歩いて行ったり、海でカニを捕ったりした。夜はそれを料理して食卓に並べた。女性たちは何やら語らっていた。それは、僕には青春の一こまのように見えた。(写真)

 「夜は、語らいながらの宴が行われた。
 食事のあと、みんなでリビングで談笑していたときの情景がいつまでも忘れられない。ポール、ジャクリーヌ、イボンヌ、サリーヌ。そして、私と同じく唯一フランス人でないイギリス人のパトリシア。彼女たちはコーヒーを飲みながら何やら談笑していた。そのとき、ふとイボンヌのこぼした涙。あれは何だったのだろう。
 このとき、私はミケランジェロ・アントニオーニの「女ともだち」という映画を思い出していた。楽しげなパーティーや友好関係の間に垣間見せた、もう一つの表情。彼女たちは、これからどのような人生を歩むのだろう。」
 ――近刊『かりそめの旅』(岡戸一夫著、グリーン・プレス発行)第1章「初めての旅、パリ」より。

 僕は、「女ともだち」とは、今でもよく分からない秘密の花園である。男友だちにはない、少し甘いけど、少し湿った空気が漂っているように思える。その花園の周りには、蜂が飛んでいるのではなかろうか。

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□ 元職員

2009-07-21 19:20:59 | 本/小説:日本
 吉田修一著 新潮社

 バンコクは喧噪な街だ。
 疲れを感じさせないエネルギーに溢れている。
 道路は車とバイクが所狭しと飛び交い、信号は極めて少ない。だから、人は車の隙間を縫って道路を横断する。サーカスの綱渡りのようで、危険きわまりない。初めての旅行者は戸惑うが、慣れればどうということはない。車のスピードと間隔を見計らいながらの、バンコクの道路横断はスリルに充ちている。
 バンコクは刺激的な街だ。
 しかし、いたるところに旅行者に対する落とし穴がある。特に夜のパッポン通りは、ハイエナのような男と女の巣窟だ。
 パッポン通りだけではない、バンコクの通りを歩いているだけで、落とし穴はある。

 *

 「朝ホテルを出て、とりあえずバンコク中央駅のフォアラボーン駅に向かった。列車で、タイ北部の古都チェンマイに行こうと思ったのだ。
 中央駅が見えてきたところで、もう若くはない中年のタイ人の男が日本語で話しかけてきた。
 中央駅は人が多くて、何だか上野駅を想像させた。時刻表でチェンマイ行きを見てみると、12時間以上かかり、夜行寝台列車で行くことに決めた。
 出発は夜19時40分でチェンマイ着が翌朝7時55分であるから、出発までまだ充分時間がある。それまでバンコクをどこか散策しようと、ガイドブックを見て思案し始めた。
 そこへ、先ほどの男がこれからバンコクで一番大きなお寺でお祭りがあり、自分はそれを見に行くつもりだがあなたもどうかと言ってきた。そのお寺は、チャオプラヤー川の近くにあり、船で行くのだと言う。お祭りに船乗りとは面白そうだと思い、私は一緒に見に行くことにした。……」
 こうして、私は、チャオプラヤー川を行くゴンドラの船に乗り、男と寺へ行く。そこには、思いがけないというか、やはりというか、落とし穴が待ち受けていた。(写真)
 ――新刊『かりそめの旅』(岡戸一夫著、グリーン・プレス刊)「4章、落日のタイ」より
 
 *

 『元職員』は、『悪人』で話題になった吉田修一の書き下ろし作。
 公社に勤める普通の会社員のタイへの旅行の話だ。
 バンコクに旅行でやってきた主人公の男は、街中のレストランに入る。そこで出会ったレストランに勤める日本人の若い男から、若いタイ人の女ミントを紹介される。
 男とミントの甘い戯れ。
 タイで甘い蜜を吸う男は、結婚して妻もいる公団住宅に暮らすごく普通のどこにでもいる男だ。
 ただ、男は公金横領している会計係だった。

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◇ トゥルーナイト

2009-07-16 18:18:19 | 映画:外国映画
 ジェリー・ザッカー監督 ショーン・コネリー リチャード・ギア ジュリア・オーモンド ベン・クロス 1995年米

 アーサー王と円卓の騎士の伝説は、イギリス(イングランド)では古くから伝えられていて、いくつもの物語があるようだ。
 歴史上の英雄は、その過程で脚色され、伝説となっていく。歴史の道程で、あらゆるものが付加されて、次第に物語は複雑になったり、歪曲されたり、粉飾されたりする。
 アーサー王の物語も、時代とともにいくつもの変化を遂げていく。どこの国の伝説も神話も、少なからずそうなのだろう。
 伝統と格式を重んじるイギリスは、ぜひともこの理想的な国王の伝説を必要としたのだ。イギリスと、フランスを代表とする大陸のヨーロッパ各国は、お互い影響を受け合い、そこから騎士道の物語も派生してくる。さらに、ロマン主義も生まれてくる。

 「トゥルーナイト」とは、「True knight」で、真の騎士といった意味だが、原題は「ファースト・ナイト」で、「First knight」、つまり第一級の騎士、第一の騎士(円卓の騎士は12人で構成されていた)である。
 この物語は、流れ者ランスロット(リチャード・ギア)と、のちにアーサー王妃に迎えられるグウィネヴィア(ジュリア・オーモンド)の恋物語である。
 父が死に衰えている国の姫グウィネヴィアは、理想の法治国家を目指すイングランドのキャメロットを治める王、アーサー(ショーン・コネリー)と結婚することを決める。その儀式のために自国を出たときに、アーサー王から袂を分かったマラガント(ベン・クロス)の一味に襲われる。そのとき彼女を救ったのが、めっぽう剣のたつ流れ者ランスロットだった。
 キャメロット国に行ったランスロットは、王にその腕の技量を買われ円卓の騎士に迎えられる。
 アーサー王を尊敬し結婚の約束を交わしていたグウィネヴィアだったが、ランスロットの愛に惹かれ二人がキスをし抱きあっているところをアーサー王に見られてしまう。
 怒った王は二人を人民の前で裁判にかけることにするが、そこへ仇敵マラガントが攻め込んできて、裁判どころではなく戦いとなる。アーサー王は敵方の剣を受け深傷を負うが、ランスロットがマラガントを下し、キャメロットは守られる。
 アーサー王は、キャメロットとグウィネヴィアの将来をランスロットに託して息を引きとる。

 「アーサー王」の、単純でサスペンス冒険に充ちたラブロマンスの映画だ。
 日本のチャンバラ映画のような、殺陣の闘いが繰り広げられる。しかし、日本の時代劇の場合もそうなのだが、どうして主役と相手役(悪役)の首領(王とも言えるボス)と一対一の闘いになるのか、不思議である。戦の最中、部下がいっぱいいるのに、そのときは誰も自分の大将(王)を援助しないのである。
 そもそも、戦の最中に、王が大勢の兵士と一緒になって、渦中で剣を振り回していたとは思えない。

 ここではランスロットが、万能の剣士として描かれている。にやけたリチャード・ギアが少し心許ないが、好感は持てる。悪役のベン・クロスがいかにも悪そうなので、好対照になって助かっている。
 相手役のヒロイン、ジュリア・オーモンドは、一目で心奪われるような美女ではないところがもの足りない。
 アーサー王のショーン・コネリーは、貫禄勝ちである。年をとって少し表情が軟らかくなり、物わかりがいい好々爺の印象になってきたのが不満である。もっと、「007」のボンドの頃のチョイ悪の印象を残して欲しいと思うのは、無理な注文か。

 また、騎士道恋愛の基となる、騎士が位の上の人妻(王の后)に恋するという、愛の原型が見てとれる。これは不倫であり、日本の封建時代では考えられない御法度であるが、ヨーロッパの騎士道では恋愛の基本となっていく。
 実際に肉体関係にまで行き着くかどうかではなく、身分の違う憧れの人に対する恋慕が騎士道の恋愛、つまり純愛だったのだ。
 では、横恋慕された妻の夫(多くは位の上の貴族や王)は、どんな心境だったのかというと、これが面白く、それほどの魅力ある妻を持っているというプライドをくすぐったというから、不思議で微妙な関係を形つくっていたのだ。
 日本では、例えば下級武士が、大名や家老の奥方に恋心を抱き、熱い視線を送ったり、恋文を渡したりしたのがばれたら、切腹ものだっただろう。
 ヨーロッパの花咲ける騎士道は、恋心に充ちている。
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新刊に関する「?」

2009-07-14 18:44:29 | 気まぐれな日々
 世界で最も短い手紙は何かというのに、有名な話がある。
 それは、ヴィクトル・ユーゴーが新刊「レ・ミレザブル」を出したときに版元に送った手紙で、内容は、「?」というものである。
 その版元からの返事の手紙も、「!」というものであった。
 ユーゴーは、「本の売れ行きはどうか?」と訊いたのである。版元の答は、「びっくりするほど売れている!」というものであった。

 先月「かりそめの旅」(岡戸一夫著、グリーン・プレス発行)が出版され、それに対する反応、感想に関する二、三の事柄を少し記しておこう。
 
 著者にとって、初めての旅の発端となるパリ。そのパリに夢見心地でやってきた著者を、友人たちとのプライベート・パーティーに連れて行ったり、泊まりがけで友人の別荘にまで連れ出してくれたりして、著者をパリの街に紛れ込ませてくれたパリジェンヌのポール・ヴィアルホン。
 この本を書くきっかけを作った彼女は、今はフランス中部の田舎の古い家のシャトーに住んでいる。夫は彫刻家で、近年分かったのだがその地の旧貴族の息子であるようだ。だから、世が世なら、彼女はcountess伯爵夫人ということになるそうだ。
 その彼女から本が着いたという報告だ。
 「日本の本を送ってくれて有難う。(素晴らしい)」
 Oh, c'est superbe de se trouver dans un livre japonais ! ( Qui s'ouvre " à l'envers " ).

 かつて、出版社勤めの若い頃、永井路子さんの本を一冊担当した。歴史に登場した日本の女を、現代の視点から見つめた本だった。永井さんは既に直木賞を受賞され、「炎環」、「北条政子」などがNHK大河ドラマの原作になるなど、脂ののりきった頃だった。
 昨年、渾身の作「岩倉具視」という傑作を書かれた。その永井さんから感想の手紙を頂いた。
 「思わず引きずりこまれてお読みしました。なんと心の揺れる「かりそめの旅」でしょう。
 なんというロマンチック! せち辛いこの世に、こんなロマンがあるとは……素晴らしい一冊です。
 それでいて、旅のアドバイスやインドでのひやひや体験、とてもタメになるガイドブック的なプロフィールもあるおもしろさ。……」。
 歴史小説の大家からの過分な褒め言葉で、恐縮の限りである。

 「かりそめの旅」は、並んでいる書店は少ないが、新宿紀伊国屋の7階の旅のコーナーに、平積みされていた。横に並んでいる他の本に比べて、確かにタイトルが奥ゆかしい。表紙全体をタイトルが覆うような本もある。しかし、こんなか細いタイトルが、「かりそめの旅」には合っているような気がする。(写真)
 ところで、売れ行きは「?」
 答は、?
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